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Posted by ブクログ
ナルニア国物語の2巻目。光文社文庫版では、より原著に忠実に、「衣裳だんす」がタイトルに加えられている。
前作のディゴリーとポリーの冒険から数十年後。ディゴリーは著名な教授になっており、片田舎の広大な屋敷に住んでいた。そこに戦火から疎開して、ピーター、スーザン、エドマンド、ルーシーという4人のきょうだいがやってくる。4人で屋敷を探検しているとき、末っ子のルーシーが衣裳だんすを潜り抜けると、その先には冬に閉ざされたナルニアの森が広がっていた…。
ファンタジーには異世界に通じる抜け穴のバリエーションがあるが、衣裳だんすが異世界へつながっていたというアイデアは本当に秀逸。ドラえもんの宇宙開拓史なんかも延長線上にありそうな気がする。私も子どもの頃に、かくれんぼで何度も衣裳だんすに潜り込んだ。子どもは狭いところに潜り込みたいものなのだ。
解説でもキリスト教の影響の色濃さを指摘しているが、それは確かに強く感じる。アスランの復活とキリストの復活の類似性にはなるほどと思う。しかし、それは大人になった今だからの感想なのかもしれない。サンタクロースが登場し、ギリシア神話やケルト神話的なものまで登場するから節操がないともいえる。
以下余談ながら、衣裳だんすのくだりを読むうちに、はるか昔の特撮ヒーローものである「兄弟拳バイクロッサー」を思い出してしまった。小学生の頃の記憶なので曖昧ながら、ナルニアよろしく、衣裳だんすが異世界につながっていて、弟が乗ったバイクを兄が担ぐという斜め上な必殺技を繰り出すヒーローだったような…。図らずも、読書が回想法になってしまった。年だなあ。
Posted by ブクログ
『ナルニア国物語』の第2巻の物語の構成は、ある意味とても素朴かも知れません。
解説でも触れられていますが、物語の基本型である日常から非日常への「行って、帰ってくる物語」であり、悪を乗り越えて、魔女に支配された世界の秩序を取り戻し、子どもたちは人間的に成長する。
おそらくこれ以上無いくらい、物語らしい物語だと思うのです。
そんな素朴な物語に味をつけるのが、登場するキャラクターたちと、作者であるC・S・ルイスの語り口であったりする気がします。
ナルニアの国に最初に迷い込んでしまうルーシーの素直な感じであったり、長男のピーターが勇気を示したりと、子どもたちの活躍もさることながら、ナルニア国ならではのファンタジーの世界の住人たちが、個人的になおのこと好きです。
最初にルーシーと出会い、彼女を助けるフォーンのタムナス。魔女に見つからないよう、子どもたちにしゃべらないように促しつつも、自分の作ったダムが褒められるとうれしがるビーバーの夫。
美味しそうな食事を振る舞うビーバーの夫人は、魔女の追っ手が迫ってきてもマイペースで、魔女に囚われた巨人やライオンは、どこかとぼけている。そして、神秘的であり神々しくもある世界の創造主であるアスラン。
物語は基本的に作者(神)の視点で語られるのですが、その文体が時折、物語を語るのではなく、読者に語りかけてくるようになるのも面白い。
衣装だんすに閉じ込められることを、異様に注意したり、またビーバーが子どもたちにダムを褒められたときの表情については『自分の丹精した庭を案内するときや、自分が書いた物語を読み聞かせるときに人がよく顔にうかべる、あの表情だ』と語りかけ、
子どもたちが哀しみにくれる場面があれば、『この本を読んでくれている諸君がこの夜のスーザンやルーシーほどみじめな気もちを味わった経験がないことを祈っているが――』と語りだし、
『一晩じゅう涙がかれるまで泣きあかした経験があるとしたら――最後にはある種の静謐な時間が訪れることを知っているだろうと思う』と語りかける。
この語りは物語の流れを阻害するものではなく、一種のアクセントになっているように感じます。
後、この『ライオンと魔女と衣装だんす』で驚いたのがサンタクロースが、実際に登場人物として現われ、子どもたちに魔女との戦いのためのプレゼントを渡すところもなかなかのインパクト。
完全なる空想の世界の物語と思いきや、急に子どもの頃から身近だった空想が、突然現われるその意外性が、なんとも印象的です。
物語の型や子どもたちのそれぞれの雰囲気は、児童文学らしく素朴でごまかしがありません。一方で突然作者が語りの中から現われたり、あるいはサンタクロースのような子どもの大好きな空想が、物語の中に現われたりと、どこかごった煮のように感じられるところがあります。それななぜなのか。
自分は、作者のC・S・ルイスが読者として想定していた子どもへ、どうやったら物語と物語の声を届けられるか、考えた結果がこの素朴で、一方でごった煮のような物語と語り口だったのでは無いかと思いました。
物語のところどころでキリスト教を思わせるところがあります。解説によると『ナルニア国物語』は、キリスト教弁証家のルイスが、聖書を子ども向けに書き直したにすぎない、という批判もあるらしいです。そうみると物語がところどころ寓話的なのもうなずけます。
でも、その枠を越えて「固い寓話よりも、サンタも魔女もライオンも巨人も、喋るビーバーも出した方が、おもろいやん」というサービス精神のようなものが、物語に根づき、そして時折顔を出しているように思えてきます。
児童文学らしく真っ直ぐな物語ですが、その分小手先の技術では誤魔化しきれない、作者のC・S・ルイスの読者への思いが確かに乗っかってこその、世界的な名作なのだと思います。
Posted by ブクログ
ビーバーさんが四兄弟を彼の家に案内した時に、庭の主や物語の書き手のように誇らしい様子で客に見せていたとビーバーさんの様子が描写されていた。プロの庭師のような完成度に至らなくても、私なら最後まで自力で仕上げたい。だから、ビーバーさんがサンタクロースにダムを完成してもらって、嬉しがっていることを変だと思った。
でも実際の所は、ダムを完璧に完成させるというサンタクロースの贈り物は、大空襲後のロンドンで、壊れた家々を一瞬で直してもらったとか、そういうこととの対比が適切なようだ。 東京大空襲後の東京でバラックを立てて、身を寄せ合いながら暮らしていた人たちがこんな贈り物をしてもらったらと考えると、ビーバーさんの喜びも理解できる。
ナルニア国シリーズで一番最初に書かれたこの本は、第二次世界大戦中から、まだ食料の配給制も終わらない時期に書かれたものだったので、サンタクロースのやや実用的すぎて夢のないように感じられる贈り物は、まさに当時のイギリスの人々からしたら夢のような贈り物だったんだろう。
詳しいレビューは岩波少年文庫のオーディブルを聴いた時に書いて、この話で一番気になることはそっちで書いたが、今回はビーバーさんのダムの件と、魔女のことが少し気になった。
ナルニア創世記で、魔女はリンゴの木の香りが漂うナルニア国には入れないというラストだった。それなのにどうしてナルニア国を支配できたのだろうと思ったが、ナルニア創世記が語られた『魔術師のおい』では、教授のリンゴの木はナルニアのリンゴの木と不思議なつながりがあるという話だったので、教授のりんごがだめになった時に、ナルニアのリンゴの木も寿命を迎えたのかも。
ルイスは細かい戦闘描写を書くことには興味がなかったようで、彼女の最期はあっさりしたものだったが、とにかく、雪の女王と白雪姫の后と北方神話のヘルを混ぜたような白い魔女は死んだ。
つい最近読んだばかりだけど、光文社がシリーズ丸ごとオーディブルにしているので、その並び順で一応聞くことにした。続きもあの四兄弟が主役なの?ナルニアに戻った時、あの馬鹿みたいなもったいぶった話し方を続けさせるの?それだけちょっと気になる。
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