開高健のレビュー一覧
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ロアルド・ダールの軽妙さは寝しなに聞く物語の愉しさのような感慨を呼び覚ます。そしてまた星新一のショートショート(そう言えばそんな言葉を最近はめっきり聞かなくなったけれど)を読んでいた頃の愉しさも呼び起こす。一つ読んでしまうと次から次へと幾つも幾つも読まずには居られなくなる愉しさでもある。中毒症状のようなものだ。そんな愉しさにふと耽りそうになる。子供の頃はそんな風にしてただなんとなく楽しんでいたっけな、と。けれど、今は少し警戒感のようなものも同時に頭をもたげる。その愉しさの根源は世の中に対して斜に構えずには居られないシニカルなものの見方と気付いているから。
シニカルなものの見方は中毒のような効 -
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開高健の遺作、1990年に初めて読みました、この人のノンフィクションに凄く影響を受けました、
正直 物語には 当時19歳位ですがあまり好きでは無かったのですが… なんか 知性とボキャブラリーに酔わされて(^ .^)y-~~~ 高級クラブの勘違いしたネエチャンみてーな文章が鼻について(^-^; さて43歳になって読み返すと( ̄□ ̄;)!! 凄いもんです 紡がれて 磨り潰されて 寝かされた文章が胸をうちます! 「本当に毎日楽しかったら芝居なんかしない」 と 言った役者さんがいましたが、この人は心に灯った小さい炎を消さないように 体を折り曲げながら 言葉を紡いで死んでいったのだと感じました。 -
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ロアルド・ダールは、19年前の1990年11月23日に74歳で亡くなったイギリスの小説家・脚本家ですが、そもそも彼と最初に接触したのが、筒井康隆を通してのブラックユーモア経由だったのか、『チキ・チキ・バン・バン』や『007は二度死ぬ』などの映画の原作や映画化された『チャーリーとチョコレート工場』(原作「チョコレート工場の秘密」)からだったのか、それともサン・テグジュペリ好きが高じてのパイロット関連だったのか、奇妙な味のサキに味を占めてのアナロジーからだったのか、いったいどこからなのか、今となってはまったく藪の中です。
『あなたに似た人』や『魔女がいっぱい』もそうですが、そんなにしょっちゅうと -
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開高健の絶筆が収められた、3点掲載の珠玉作品集。
アクアマリン~海の色に秘められた思い出が語られる中で、初老の医者が語る寂寥の淋しさ、泣くラストシーンは胸を打つ。
緊張して張り詰めた文体が素晴らしく、記憶の海に沈んで残りそう。
2作目はガーネットが持つイメージを下地に、筆者の思い出の記を饒舌に語る
秘色の研究を頭に描いていたのであろうことは想像に難くないが、ガーネットの燃えるような血の色。
ベトナム戦争 戦場に積み重なる死体、血の塊もおのずとそこに含まれているようで。。
3作目は1989年12月死去の筆者が11月に脱稿したまさに遺稿。
男の性、生、そして死へ向かう収斂の時間の様な。
若い -
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ネタバレこういう文章を書いてみたいと思わせるような文学性の高さは見せつつも、決して読みにくいということはなく終始読者フレンドリーで面白かった。
『パニック』は、著者が筆に託して描きたかったものは果たしてなんだったのかが、読み終わってからようやくわかる筋立ての作品だった。そのためか、組織内政治の描写をそんなに読み込む必要はなかったなと若干の徒労感がある。ただこの作品の勘所はそんな陳腐なテーマじゃない、なんてことは著者のレベルを考えればそもそも自明だった。
『流亡記』は、序盤にほぼ固有名詞が出てこないため、古代中国の城邑っぽい架空の時代と場所が用意された物語として読むこともできる、というか残虐性が高く -
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ネタバレ過去にも読みましたが、実に20-30年ぶりくらいの再読。
いやあ、なかなかしびれました。
本作、4編の短編から構成された作品群ですが、強烈に感じたのが、通底するシニシズムでありました。お金、権力、偽善への痛烈な批判のようなものを感じました。
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「パニック」では、若手公務員の視点で描かれます。
自らの属する官僚組織に巣食う汚職や腐敗、権力を毛嫌いしまた見切りつつ、120年に一度起こる恐慌(ネズミの巨大繁殖とその後の農作物大被害)について声高に対策を上程します。新人の戯言として無視されるも、これを「想定の範囲内のもの」としてあえて看過。のちにネズミ恐慌が起こった時の「それ見たことか」 -
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難しい!近代作家の文体には暗澹としていて無彩色なイメージを感じるけど同様の印象を受けた。読み進めるのには体力が要るけど面白い。表題作の『パニック』『裸の王様』、他収録の『巨人と玩具』は、社会や組織の中で蠢く男たちの権力に対するへつらいや愚かさが寓話のようなシニカルな明快さで描かれていた。最後の『流亡記』は秦の始皇帝即位からの社会変革や、明確な貧富の差から生まれる圧政や隷属制度の物語。話としては一番現代からかけ離れてはいる筈なのに、今感じている政府への凄惨な停滞感に共感すると思わなかった。
「私たちの時代はもう久しく新鮮な上昇力に接していないのだ。」(流亡記) -
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初めて読んだ開高健。
純文学作家のイメージが強かったので、内面と個人がテーマの作家なのだとばかり思い込んでいた。
実際に読んだ印象としては、「社会と個人」「組織と個人」「システムと個人」がテーマの作家である。内へ内へと向かう純文学作家は多いが、世の中を俯瞰するような視点で外へ外へと向かう作家は珍しい気がする。社会現象の中で翻弄される個人。争う個人。開高作品の主人公に「自分が間違っているのではないか」というナイーブさはなく、まずは環境の中でいかに呼吸するか、という強さがある。生きるべきか死ぬべきかという地点で悩む主人公が多い純文学の中で、生きることが前提で、どう生きるかを模索する姿は戦っているよ