開高健のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
ロアルド・ダールの軽妙さは寝しなに聞く物語の愉しさのような感慨を呼び覚ます。そしてまた星新一のショートショート(そう言えばそんな言葉を最近はめっきり聞かなくなったけれど)を読んでいた頃の愉しさも呼び起こす。一つ読んでしまうと次から次へと幾つも幾つも読まずには居られなくなる愉しさでもある。中毒症状のようなものだ。そんな愉しさにふと耽りそうになる。子供の頃はそんな風にしてただなんとなく楽しんでいたっけな、と。けれど、今は少し警戒感のようなものも同時に頭をもたげる。その愉しさの根源は世の中に対して斜に構えずには居られないシニカルなものの見方と気付いているから。
シニカルなものの見方は中毒のような効果がある。一旦そういう見方に染まってしまうと後戻りはできない。教師の言うこと聞かなくなって学ランの釦をわざと外すようになる。胴着と袴で竹刀を抱えて浜辺を走る青年を理解できなくなる。人間なんてららららららららと歌うことに酔いしれるようになる。果ては盗んだバイクで走り出す(こんな例えばかりだと歳が知れるが)。シニカルな視線は真面目な人のやることをすべからく揶揄する心が生み出す怪物だ。
けれどロアルド・ダールの軽妙さが描き出すのは、シニカルさとは反対の(関係ない話だが、真逆という言葉がどうも好きになれないのは、それを連呼していた人がいまひとつ好きではなかったせいなんだろう)真っ直ぐに信じた道を突き進むような人ばかり。表の顔で追従笑いをしながら心の裏で舌を出すような人は余り出てこない。ドリフターズやコント55号のお笑いが人を馬鹿にした笑いではなかったように、ロアルド・ダールの可笑しみは真面目な人が真面目に働くことによってどうしようもなく引き起こされてしまう悲劇的な喜劇を、少しばかり大袈裟に描いたものなのだと理解する。笑いながら読み進め、ついでに自分自身も笑い飛ばしたくなってくる。そうすると、ぐるっと回って汗臭い胴着を着て面や胴や小手を着けて大声を出しまくっていた自分が、案外好きになる。
でもちょっと待って、と、ロアルド・ダールは言うに違いない。その真面目さがどんな悲劇を生み出しかねないのか、少し考えて欲しい、と。例えば、原理主義は究極の真面目さだとも言えると思うが、最近は何かと批判の対象になりがちだ。けれども本当は主義主張が悪いのではなく、それを他者に強制することが問題な筈だ。ところが人は自分が是とするものを他人にとっても良いものであると考えがち。竹刀を振り回していた頃の自分もそうであったように。そこにロアルド・ダールの目線はあると思う。
そんなことを考えていたら、谷川俊太郎の「真面目な顔つき」を思い出した。真面目なひとが真面目に歩いていたら悲しいし、泣いていたら可笑しいし、謝っていたら腹が立つ。けれど真面目な人は真面目に人を殺す、それは恐ろしい。やっぱり世の中多少シニカルな位でちょうどいいのかも知れないね。 -
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開高健の遺作、1990年に初めて読みました、この人のノンフィクションに凄く影響を受けました、
正直 物語には 当時19歳位ですがあまり好きでは無かったのですが… なんか 知性とボキャブラリーに酔わされて(^ .^)y-~~~ 高級クラブの勘違いしたネエチャンみてーな文章が鼻について(^-^; さて43歳になって読み返すと( ̄□ ̄;)!! 凄いもんです 紡がれて 磨り潰されて 寝かされた文章が胸をうちます! 「本当に毎日楽しかったら芝居なんかしない」 と 言った役者さんがいましたが、この人は心に灯った小さい炎を消さないように 体を折り曲げながら 言葉を紡いで死んでいったのだと感じました。
食を語り 酒を語り 戦争を語り 女を語り 釣りを語り… 最後の物語のelementは宝石でした…
アクアマリン ガーネット ムーンストーン
海の色と 血の色と 月明かりの色 静謐と言う言葉がぴったり当てはまる話です(^ .^)y-~~~ -
Posted by ブクログ
ロアルド・ダールは、19年前の1990年11月23日に74歳で亡くなったイギリスの小説家・脚本家ですが、そもそも彼と最初に接触したのが、筒井康隆を通してのブラックユーモア経由だったのか、『チキ・チキ・バン・バン』や『007は二度死ぬ』などの映画の原作や映画化された『チャーリーとチョコレート工場』(原作「チョコレート工場の秘密」)からだったのか、それともサン・テグジュペリ好きが高じてのパイロット関連だったのか、奇妙な味のサキに味を占めてのアナロジーからだったのか、いったいどこからなのか、今となってはまったく藪の中です。
『あなたに似た人』や『魔女がいっぱい』もそうですが、そんなにしょっちゅうというのではなく、何か一冊を読んで満足してお腹いっぱいになって、でもそれで終わることなく、しばらくしてまた違う著作を読みたくなって、読むとまた異なる顔が見えて充二分に満たされるという奇妙な存在です。
この本は、あの開高健が訳した全11編で、翻訳のことはよくわかりませんが、ひょっとして名訳の気もしますが、ロアルド・ダールの毒はことさら過激なものではなく、チクリと刺されてあとからもジーンと響いてくる感じの心地よいものです。
この感想へのコメント
1.のほほん堂 (2009/11/23)
薔薇★魑魅魍魎さん、こんにちは。
ロアルド・ダール、『チョコレート工場の秘密』と他に数作しか読んでいないと思います。
こんな短編集が出ているのですね。機会があれば読んでみたいと思います。
感想、ありがとうございました。
2.薔薇★魑魅魍魎 (2009/11/25)
コメントありがとうございました。またぜひお越しくださいませ。
そういえば『チョコレート・・』は、映画の方をまだ見ていませんでした、DVDあるのに。近々見ようと思います。 -
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ネタバレ『パニック』
「集団」という大きな力の流れのなかで、「個」がいかに無力で、不可視的に捻じ曲げられてしまうのか。1匹のネズミが湖に飛び込めば、それに続いて「死」へと飛び込んでしまうネズミたち。感染症の根拠のない噂や俊介を都合よく英雄に仕立て上げ、高らかに官僚批判をするポピュリズム。個人的欲求からネズミの大群と対決する俊介をワナに嵌め、取り込もうとする局長。「集団」の持つ力とその危うさが明確な対比によってというよりは、あらゆる層に複雑に配置され、主人公の俊介でさえ群れの中に帰っていく。ネズミを焼き殺す様子をアウシュビッツに例える俊介が印象的。ナチスはまさに「集団」の狂気であった。
『裸の王様』
小説を十分に評価する眼はないが、それでも開高健はストーリーの構成が上手いと思う。『玉、砕ける』の持つ二重構造的なものがこの作品にもあった。タイトルの「裸の王様」は太郎くんが描いた絵のことを指すと同時に、この物語の骨格的な部分を指しているとも言える。「裸の王様」で王様が裸であることを指摘したのが純粋な少年だったのと同じように、均質化が進む教育界、権威主義が蔓延る芸術界で、主人公が信じるのは周りの大人的なもの、官僚的なものには左右されることのない、自らの経験と想像力に根ざした子供の絵であった。主人公は太郎くんの絵を、楔を打ち込むかのように偽善に満ちた大人世界へ投げ込むのだ。最後には大田氏だけが何が起こったのかを知ることなく、満足そうに笑っている。まさに裸の王様のように。 -
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ネタバレこういう文章を書いてみたいと思わせるような文学性の高さは見せつつも、決して読みにくいということはなく終始読者フレンドリーで面白かった。
『パニック』は、著者が筆に託して描きたかったものは果たしてなんだったのかが、読み終わってからようやくわかる筋立ての作品だった。そのためか、組織内政治の描写をそんなに読み込む必要はなかったなと若干の徒労感がある。ただこの作品の勘所はそんな陳腐なテーマじゃない、なんてことは著者のレベルを考えればそもそも自明だった。
『流亡記』は、序盤にほぼ固有名詞が出てこないため、古代中国の城邑っぽい架空の時代と場所が用意された物語として読むこともできる、というか残虐性が高くてそう読むよう誘導される。そのなかに突然出てくる「咸陽」で、読者は秦初の中国のどこかにいることに気付かされる。これは、元々帰属する国など持たなかった主人公と城壁の街が、突然秦の統治機構に組み込まれて帝国民になり、時間意識を与えられたことに合致する。読者が主人公と同じタイミングで同じ情報を与えられるという技巧が面白い。
争いはなくなったが、かつてあった他者との連帯が厳格な法執行と管理のもとで失われていくという問題意識に新規性はないけれど、物語中のシステムに組み込まれて潰されていく人間の有様には真実味があった。
それでも一番面白かったのは『裸の王様』かもしれない。 -
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ネタバレ過去にも読みましたが、実に20-30年ぶりくらいの再読。
いやあ、なかなかしびれました。
本作、4編の短編から構成された作品群ですが、強烈に感じたのが、通底するシニシズムでありました。お金、権力、偽善への痛烈な批判のようなものを感じました。
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「パニック」では、若手公務員の視点で描かれます。
自らの属する官僚組織に巣食う汚職や腐敗、権力を毛嫌いしまた見切りつつ、120年に一度起こる恐慌(ネズミの巨大繁殖とその後の農作物大被害)について声高に対策を上程します。新人の戯言として無視されるも、これを「想定の範囲内のもの」としてあえて看過。のちにネズミ恐慌が起こった時の「それ見たことか」感。
この斜に構えた感が個人的には大分共感しました。まあ私は50歳手前で「それ見たことか」感出しながら仕事しているダメなおじさんですが笑。
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「裸の王様」もまた、シニシズムを湛えた、こども絵画教室主宰の「ぼく」の視点からの作品。
やや理想主義ながら、こどもの絵をかく能力を「自由に」「制約なく」描かせることに腐心する主人公と、それを無意識に阻んでいる親や家庭環境、あるいは教育の現場。こどもに真正面から向き合わない親や教育現場を痛烈に批判します。
表面的な美徳に潜む腐臭、善意の顔をした商業主義のようなものを全力で揶揄しようとするかのような作品です。
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「巨人と玩具」で感じたのはむしろ徒労感、でしょうか。
レッドオーシャンにあえぐ菓子メーカーのキャラメル部門をめぐる話。競合三社があの手この手でシェアを増やそうと努力しつつという中で、「私」が見た宣伝部でのイメージキャラクタの選定や景品の選定などをめぐる話。社会派の作品でありながら、すさんだ競争社会を揶揄しているような作品でもありました。
ある意味この昭和の営業現場の熱気は、今でいうベトナムやインドなどの熱気などに似ているかなあと感じました。徒労感という意味では、私が勤めていた証券会社での終わりのない営業ノルマを想起しました。
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「流亡記」は中国は秦の始皇帝が始めた万里の長城構築をモチーフにした、用役人夫の視点からの作品。
人夫が用役に駆り出される前から物語は始まりますが、最終的にはこの人夫の達観がこれまた徒労感を呼び起こします。駆り出されたことは不幸といえば不幸。でもこれを駆り出す役人も、規定の人員を規定の日付まで送り届けなれば死刑。つまり管理する側される側は同じ土俵で死と向かい合う。人夫は将来の反乱も予想するも、長城の建設・辺境での戦い、王位に就くものの横暴等は続いていくものとの達観を得ます。
単調さの中に物語は終えますが、シニシズムが光る一作。
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その他、全編にわたりとても密度の濃い書きぶりも気になりました。流麗な比喩や美辞とでもいおう表現が多数使用されています。
とてもライトな書きぶりとは言えないのですが、密度の濃い文章は味わい深い読み口であったと思います。
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ということで開高氏の初期作品の再読でした。
本棚整理のための再読ですが、これは取っておくかどうか迷うところです。斜に構えた感じがとても私のツボでありました。他の作品も読みたくなりました。 -
Posted by ブクログ
難しい!近代作家の文体には暗澹としていて無彩色なイメージを感じるけど同様の印象を受けた。読み進めるのには体力が要るけど面白い。表題作の『パニック』『裸の王様』、他収録の『巨人と玩具』は、社会や組織の中で蠢く男たちの権力に対するへつらいや愚かさが寓話のようなシニカルな明快さで描かれていた。最後の『流亡記』は秦の始皇帝即位からの社会変革や、明確な貧富の差から生まれる圧政や隷属制度の物語。話としては一番現代からかけ離れてはいる筈なのに、今感じている政府への凄惨な停滞感に共感すると思わなかった。
「私たちの時代はもう久しく新鮮な上昇力に接していないのだ。」(流亡記)