『池澤夏樹=個人編集 日本文学全集』から初めて手に取った1冊。
現代小説のラインナップに目を通し、「日野啓三」に目が留まる。聞いたことも見たこともない作家だ。「開高健」は知っている。私と同じ大阪生まれだから。だが今回はどうしても日野啓三という作家を知りたくて本書を選んだ。
目次を見て驚いた。日野の作品に「世界という音-ブライアン・イーノ」とあるではないか。ロキシーミュージックのメンバーでアバンギャルドなメイク&衣装でキーボードを弾き、ソロになって数々の環境音楽(聴く者に能動的態度を取らせることなく耳に届け、それでいて聴く者の音楽的意識を高ぶらせる音楽)を今も世に出し続けているあのブライアン・イーノだよ。
日野が開高健と同じ巻に集められたのは、池澤が1巻分を「ベトナム戦争」に対する文学に当てたからであり、両者ともベトナム戦争を題材にした作品を中心に収録されている。だがイーノの名を目にした私にとっては、イーノに興味をもった日野啓三という作家の人物像を徹底的に深掘りしたいという読み方へとベクトルの向きを変えた。
そして「世界という音-ブライアン・イーノ」を読み、それに前後する数編の短編も読み進めた。
たとえば「世界という音-~」は、ヘッドフォンの話からイーノの話題に続き、日野がイーノを好きである理由や、好きな楽曲への思いを書き連ねながらも、途中で唐突に中国孔子門下の隠者のやり取りへと記述を変える。そしてさらに記述を数回変化させ、歩き始めたばかりの自分の息子に初めて海や波を見せたときのエピソードで締める。正直に言うが一読目では著者の意図を測りかねた。だが複数回読み、他の短編を読み、さらに池澤の解説や日野の年譜や付録の月報を読んで、やっと混沌(カオス)と思われ手を差し伸べかねていた日野の意図の辺縁部に触れられたような気がする。
「世界という音-~」はその前後に収録された短編と一体的に『Living Zero』と題されて1987年に出版された書籍に収録されている。実はそれらは独立した短編の体裁を見せながら、年譜に書かれてあるとおり「連作エッセイでもあり長篇小説でもある」のだ。
つまり日野はイーノを語りながら、大は宇宙から小はクォークまで、そして過去は宇宙創成のビッグバンにまで遡る広大無辺な思考を行う作家だった。個々の短編と考えてしまうと、ジェットコースターのように急変する記述について行くのがやっとだが、一巻ものの長編小説と考えれば、1つ1つの異なる色の数珠すべてに1本の糸を通すように読み進められ、すべてが日野という総合監督のスケール感による作劇だと腑に落ちる。
再びイーノの話に戻ると、日野は人類が電波望遠鏡の発明によって遥か遠い宇宙からの輻射をとらえ、それを音に変換することで宇宙では分子・原子エネルギーの突然の変化によって生じる「サウンド」が響く、ざわめきやささやきの空間であることを発見したと書く。その偶然性からなる必然としてのサウンドを、イーノの音楽に繋げる記述は、そんなことを意識してイーノの音楽を聴いてこなかった私に新鮮な驚きを与えた。つまり日野はイーノの音楽を語りながら宇宙の根源を語っているのであり、そういうことを書けるという点でも、日本文学全集に収録されるに値する作家である。