開高健のレビュー一覧
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初めて読んだ開高健。
純文学作家のイメージが強かったので、内面と個人がテーマの作家なのだとばかり思い込んでいた。
実際に読んだ印象としては、「社会と個人」「組織と個人」「システムと個人」がテーマの作家である。内へ内へと向かう純文学作家は多いが、世の中を俯瞰するような視点で外へ外へと向かう作家は珍しい気がする。社会現象の中で翻弄される個人。争う個人。開高作品の主人公に「自分が間違っているのではないか」というナイーブさはなく、まずは環境の中でいかに呼吸するか、という強さがある。生きるべきか死ぬべきかという地点で悩む主人公が多い純文学の中で、生きることが前提で、どう生きるかを模索する姿は戦っているように感じた。
●パニック
120年に一度のネズミの大繁殖が起きる。組織内政治の中で主人公はどのように事態を解決するのか?
●巨人と玩具
老舗お菓子会社に勤める主人公。マーケティング担当者と共に戦略を練る。素人の女の子をスターダムに乗せて宣伝に利用するが…。
●裸の王様
絵画教室を開いている主人公の元へ、大手文具メーカー社長の息子が入塾する。母親にさえ心を開かない子だが、絵を通して主人公と仲良くなっていくが…。
●流亡記
秦の始皇帝時代。万里の長城建設のために奴隷として狩り出された男の視点から、時代と組織に縛られた人生を描く。 -
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「開高健」の短篇作品集『パニック・裸の王様』を読みました。
『ベトナム戦記』に続き「開高健」作品です。
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【開高健 生誕80年】
甦れ、反抗期。
偽善と虚無に満ちた社会を哄笑する、凄まじいパワーに溢れた名作4篇。
とつじょ大繁殖して野に街にあふれでたネズミの大群がまき起す大恐慌を描く『パニック』。
打算と偽善と虚栄に満ちた社会でほとんど圧殺されかかっている幼い生命の救出を描く芥川賞受賞作『裸の王様』。
ほかに『巨人と玩具』 『流亡記』。
工業社会において人間の自律性をすべて咬み砕きつつ進む巨大なメカニズムが内蔵する物理的エネルギーのものすごさを、恐れと驚嘆と感動とで語る。
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芥川賞受賞作の『裸の王様』を含む4作品を収録した短篇集です。
■パニック
■巨人と玩具
■裸の王様
■流亡記
■解説 佐々木基一
『パニック』は、120年ぶりに笹が実をつけたことから、その翌春に鼠が大量発生することを知った県庁の山林課の職員「俊介」が大繁殖した鼠に立ち向かう物語、、、
前年に対策案を上申したものの、上司に握り潰され、対策を施さないまま春を迎えます… 予測通り鼠が大量発生し、農林業に大きなダメージを与えるだけでなく、穀物倉庫や赤ちゃんまでが襲われる事態に。
住民はパニックに陥り、被害は拡大の一途を辿る… 上司たちは責任転嫁に必死になり、、、
SFっぽいパニック作品でしたね… 題材が面白いだけでなく、上司たちが保身に走ろうとする小役人らしい姿が巧く描かれていて、面白かったですね。
組織の中で、生き残るためにどう振る舞うべきなのか… どうすれば、最小(ミニマム)のエネルギーで最大(マキシム)の効果をあげる(ミニ・マックス戦術)ことができるのか、、、
パニックの中でも、自分の地位を確保することを考える、人間の嫌らしさが印象に残った作品でした… 本書の中で、イチバン面白かったですね。
『巨人と玩具』は、キャラメル販売を主力とする「サムソン製菓」の宣伝部員である「私」の視点で、キャラメルの人気が下降する中、ライバル会社の「アポロ」と「ヘルクレス」との過酷な販売競争を描いた物語、、、
キャラメル販売を伸ばすために、各社とも知恵を絞ってキャンペーンを実施します… 子供が喜ぶものをとあれこれ知恵をしぼるのに対して、「アポロ」が母親向けに、子供が大学を出るまでの奨学金を懸賞にしたことで勝敗は決したかと思われたが。
「アポロ」は、食中毒騒ぎであえなく撤退し形勢逆転… しかし、消費スタイルの変化による売り上げ不振が、、、
現代のマーケティングにも活かせそうな宣伝合戦が興味深かったですね… 著者のサントリーでの宣伝部員としての経歴が色濃く反映された作品なんでしょうね。
『裸の王様』は、裕福だが家庭をまったく顧みない父親(「大田絵具」の社長)と、その後妻に育てられ、感情の発達が著しく疎外されている少年「大田太郎」が、主人公で絵画教室講師である「僕」による独特の指導によって、子どもらしい感情を取り戻して行く物語、、、
「僕」が周囲を見返すエンディングはスカッとしましたが、ちょっと物足りない感じ… 子どもを教育するうえでの理想には共感できましたね。
『流亡記』は、中国が初めて一人の皇帝に支配されるようになった秦の成立前後を、一人の庶民の目から描いた作品、、、
万里の長城の建設のために地方の町から徴用されてきた男の独白による物語… 弱者である半農半商の庶民が、強者に抗することができず、その無謀な命令に翻弄されざるを得ない徒労の日々を淡々と語ります。
歴史の歯車にさえなれない男の悲劇的な人生が描かれていましたが… 改行が少なく、文字がぎっしりと詰め込まれており、読むのに疲れましたね。
どの作品にも共通しているのは、清く明るく元気よく、乗り越えることができそうにない困難な問題にがむしゃらに取り組む聖人君子のような英雄は登場せず… 計算高く利己的で、様々な欲求を満たそうとする、狡猾な人物が登場することかな、、、
ムッとする体臭を感じるほど、リアルな人間像… 人間の誰しもが持っている闇の部分、暗部を巧く表現してあると感じました。
人間って、純粋であれば純粋であるほど、惨酷な面があるんだなぁ… と感じましたね、、、
自分の中に潜む闇について… 自分にだって、そんな部分があるんだよな と、考えてしまいました。 -
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ネタバレ表題にもなっている「パニック」と「裸の王様」がおもしろい。「パニック」は県庁が舞台で、鼠大量発生に困る話と分かった時からぐっと入りこんだ。社会派の話は普段はあまり読まないのだけれど、これはいい。鼠が集団でただまっすぐ走りつづけるという習性にとても象徴的なものを感じた。
「裸の王様」はそれまで権力のきたなさを各作品で感じてきているからこそ、ここに出てくる太郎が心を獲得していく過程にうんと感激した。最後の最後、審査会で大人をアッと言わせる場面はなくてもいいと思ったけれど。なんだか太郎の描いた裸の王様さえも利用されてしまった気がしたのだ。 -
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ネタバレ11篇の「奇妙な味」の作品集。
『あなたに似た人』と比べると意外と粗が目立つ作品集かも。
個人的お気に入り
「ウィリアムとメアリイ」
夫が科学の勝利を得た代償に立場が逆転する夫婦。
「天国への登り道」
ささいな(でも精神的負担は甚大な)嫌がらせを続けたため夫婦関係にひびが入る、どころか…。
「牧師のたのしみ」
エセ牧師と農家の人たちとのやり取りが面白い。騙された側の善意が仇となるのはお約束。
毎年GWにロアルド・ダールを読み、3冊目だからか話のオチが少し読めてしまうようになってきました(;'∀')
今回は旧版で読みましたが翻訳が開高健さんでちょっとお得感あり。
解説の阿刀田高さんが好みと挙げられた3作(「女主人」「天国への登り道」「牧師のたのしみ」)と私の好みの3作中2作が同じで勝手に親近感を覚えてしまいました(*´艸`*) -
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開高健(1930~89年)氏は、大阪市生まれ、大阪市立大卒の小説家、ノンフィクション作家。『裸の王様』で芥川賞、『玉、砕ける』で川端康成賞、一連のルポルタージュ文学により菊池寛賞を受賞。
本書は、ベトナム戦争初期の1964年末~65年初に100日間、臨時特派員としてサイゴン(現ホーチミン)に赴いた開高氏が、「週刊朝日」に毎週送稿したルポを、帰国後本人がまとめ、1965年3月に出版したもの。1990年に文庫化、2021年に(一緒に赴任したカメラマン秋元啓一氏の写真を新たに加えて)新装版として再刊された。
私はノンフィクション物を好んで読み、ベトナム戦争について書かれたものとしては、「安全への逃避」でピュリツァ―賞を受賞したカメラマン沢田教一を描いた青木冨貴子『ライカでグッドバイ』や陥落前後のサイゴンを記録した近藤紘一『サイゴンのいちばん長い日』なども読んだが、本書は開高氏の代表的なノンフィクション作品であると同時に、様々な論議を呼んだものであることから従前より気になっており、今般新装版を手に取った。
本書は、上述の通りルポルタージュであり、(当然のことながら)開高氏が実際に現地で見、聞き、行ったことが書かれている。その中には、サイゴンの街中でベトコン少年兵が公開銃殺されたのを目撃したことや、ジャングルでの作戦に参加して九死に一生を得たこと(200人いた大隊のうち、生き残ったのは開高氏を含めて17人だったという)などが含まれ、かつ、ベトナム戦争の実態が国外へはほとんど伝わっていない戦争初期のものであったことから、日本の人々に与えた衝撃が大きかったであろうことは容易に想像できる。また、本書の大きな特徴のひとつとして、開高氏が作家であり、ルポとしての切れ味に加えて、表現力が豊かということは間違いなく言えるだろう。
一方で、本書については、以下のような批判もあったようだ。
◆吉本隆明氏は、雑誌「展望」(1965年10月号)に、(ベトコン少年兵の公開銃殺を見て、開高が吐き気をもよおす部分について)「この作家が、二十年にわたる<平和>な戦後の有難い<民主主義>とやらの現実のなかで、政治的なまた大衆的な国家権力とのたたかいのなかで敗れ、思想的に死んでいったひとびとや、<平穏>な日常生活のなかで、子を生み、育て、一言の思想的な音もあげずに死んでゆくひとびとを、<銃殺>された死者として<見る>ことができず、わざわざベトナム戦の現地へ出かけて、ベトコン少年の銃殺死を見物しなければ、人間の死や平和と戦争の同在性の意味を確認できなかったとき、幻想を透視する作家ではなくただ眼の前でみえるものしかみえない記者の眼しかもたない第三者にほかならないのだ。」と書いている。
◆ノンフィクション作家の沢木耕太郎氏は、雑誌「考える人」(2012年秋号)に、「基本的にジャーナリストというのは、現場の人々や自然にとって闖入者です。その闖入者が、平和な日本では見られないものを見て動揺したり、おののいたり、人生観が変わるようなことはありうるでしょうけど、ベトナムという現場にとって、あるいはベトナム人にとってそれはどう映るんだろう、という気がするんです。・・・自ら望んでそこに赴いた闖入者でも、苛烈な体験をして動揺したり沈思したりすることに対するもうひとつの目を持ったうえで書かれていれば、いいと思う。僕は、『ベトナム戦記』のときの開高さんはこの時、すごく無防備に書いていると思う。自分をもうひとつの目でしっかり見て描いていないという気がする。・・・あの襲撃されて命からがら逃げるというシーンには、「ああ、これでレポートを書き終えることができる」と思った感が、濃厚にある。・・・ベトナム人にとってその態度はどうなんだろうと思うんです。」と書いている。
◆ジャングルでの作戦に参加して九死に一生を得た部分について、そのノンフィクション性へ疑問(要するに、ここの記述に創作が含まれているのではないかという疑問)を呈する向きもある。
開高氏は、これらの批判も踏まえて、小説『輝ける闇』(1968年)を書いたと言われているのだが、そちらもいずれ読まなくてはならないと思っている。
本新装版には秋元氏(本書の中では「秋元キャパ」と書かれている)の多数の写真も収録されており、記録としても価値のある一冊と言えるだろう。
(2022年2月了) -
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若い世代にはあんまり知られていないかもしれないが、40代以上には懐かしい著者だ。
サブタイトルに「食と酒エッセイ傑作選」と銘うたれているとおり、食と酒にまつわるあれこれが登場。
あらためて読み直すと、学生時代に読んだときとは違うところに目が行った。
例えば、「結婚するまでは仔猫だけれど、結婚したらメス虎になります」というベトナム女性。実際、嫁から電話がかかってきて、目が泳ぎはじめたベトナム人男性と、飲み会で一緒になったことがある。
かつての豊田真由子氏(最近は丸くなられたようで…)みたいな嫁に「何してんの!早く帰ってきなさい!このボケ!ハゲ!」とでもいわれていたのだろう。
著者の開高健氏がサントリー宣伝部の元社員というのは、よく知られたところだが、佐治敬三氏と欧州を回ったときのくだりは貴重な記録でもある。
佐治氏は酒を飲みまくってはトイレに行って用をたすことから、「ガラス管」に例えられる 笑。
「ガラス管氏は、英語、ドイツ語、フランス語をしゃべり、鞄にはスウェーデン語=英語辞典までしのばせ(ついに一度も開かなかったけれど……)、研究所へいき、大学へいき、技術を討論するかと思えば商談で値切り、商談で値切るかと思えば技術を討論し、おそるべき活動ぶりであった」とか。
サントリー創業者の鳥井信治郎氏の熱いキャラは朝ドラとかで現代の人にもよく知られるようになったが、二代目の佐治敬三氏も負けず劣らず強烈だったようだ。 -
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ネタバレずっと気になっていた作者の、有名な小説を読んだ。
「パニック」「巨人と玩具」「裸の王様」「流亡記」の4編あり、僕はタイトルとなっているパニックと裸の王様が印象に残った。
流亡記はちょっと描写がグロかった。
パニックは、役人機構の腐敗をうまく表しているが、それがメインではなく、ネズミの群れがもはや一つの巨大な物体となり、台風のように人を襲い、それが湖へ消滅していく圧巻を描いている。
裸の王様は、審美眼を持った「大人」たちの目には映らない、というよりむしろいかに我々がなにも見ていないかを表している。
いや、知らんがな。感想が陳腐だ。これこそ裸の王様の家来になった人の感想だ。 -
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「向う側」日野啓三
2004年に1度、ベトナム・ホーチミンに旅行したことがある。そのときベトコン体験ツアーという日帰りのバスに乗車して郊外のベトコン基地に向かった。既にベトナムでは高度経済成長は始まっていたが田舎は多く、バスは長い幹線道路を通り過ぎると、一時間ほどで長閑な田んぼ風景になり、やがて平地のジャングルに入っていった。そこでは土地の至るところに、小さなベトナム人だけが入れるトンネル入口の「穴」があり、蟻 の巣のような抵抗基地が広がっていた。この短編では、こちら側(米国・南ベトナム)の街(サイゴン現在はホーチミン市)から、おそらくあの幹線道路の雑多な街のひとつに降りて、向う側に行く迄が描かれている。60年代当時の街は、向う側の景色が見える者にとっては恐ろしく危険な場所に見えたのだな、と思った。消えたジャーナリストに何があったのか?主人公にこれから何が起きるのか?一切わからないまま、短編は終わる。全集の見事な導入部ではある。
「みずから動くもの(自然=機械=人間)」日野啓三
「向こう側」の先には、世界の謎があった。神と言い、自然と言い、諸星大二郎は愛読者だったんではないか?というような記述が続く。最初の向こう側にベトコンがいたので、てっきり20世紀世界情勢の謎を突き詰めていくと思っていた。ところが、どうもその後の仕事は都会生活から発展させた仕事に移ったようだ。その意味でも諸星との類似性がある。もっとも彼は古代にいったが、日野啓三は主に宇宙や科学に向かった。その後のSF映画に使われたようなアイディアがたくさん散りばめられている。
この文学全集を手に取らなかったら、決して出会わなかった作家。出会えて良かった。
「輝ける闇」開高健
事前に解説や煽り文を見ると、この小説はベトナム戦争を描いているかのようで、実は酷く内省小説なのだ(「人間の闇を探った」)という評価なので、そういうものだと思いながら読み進めると、当たり前だが、そういうテーマはあるにせよ、描いているのは、今までに読んだことのない詳細な「ベトナム戦争小説」だった。
サイゴン近郊の対ベトコン最前線基地の描写は、「地獄の黙示録」で描かれた川沿いに点々と映った米兵基地の内実のように思えたし、サイゴン市内の戦争に膿んだ市民や記者や知識人の描写は、高野秀行「恋するソマリア」の内実をホントにシリアス化した文章、或いは北方謙三「岳飛伝」の小梁山の800年後の姿のようにさえも思えた。
池澤夏樹の指摘する凝りに凝った文体は、私も感じ、感嘆したが、ここでは繰り返さない。
主人公が恋人の素娥(トーガ)に何も言わずに戦線に戻る理由は、なかなか分かりにくい。しかし、その分かりにくさが、小説なのだろうとも思う。軍国少年だった主人公が、途中中断した死に赴く自らの主体を取り戻すのが理由なのだろうか?わからない。もっとも、マーク・トゥーエンの小説を延々解説したくだりを読み飛ばすような読み方しかできなかったわたしが、一発でわかるはずもないのではあるが。
年譜をみると、安保反対集会やベ平連にも参加、一方でアイヒマン裁判傍聴、徳島ラジオ商殺人事件裁判、東京オリンピック、等々のノンフィクションを手がけ、その延長の最後の頂点にベトナム戦争があったことがわかる。まるでこの小説のようだ。体裁は社会派、内実は内省派。
掘れば、もっと面白いのかもしれない。しかしわたしは、此処で撤退する。