北田絵里子のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
ジャミロクワイの『VIrtual Insanity』でMVを監督したジョナサン・グレイザー監督がアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所の隣に住居を構える収容所の所長ルドルフ・ヘスとその家族の生活を描いた映画『関心領域』
そこに暮らす人々の生活が描かれているだけにも関わらずおぞましく、醜悪で、下手なホラー映画よりもよっぽど恐ろしい作品であった。
直接的な描写は一切映らないにも関わらず、わずかに聞こえる叫び声や銃声、塀の向こうの焼却炉がゴウゴウと音を立てて吐き出す黒い煙など、恐らく今こういうことが起きてると察することが出来る。
頭をガツンと殴られるかのような衝撃を受ける映画体験だったが、とても映画的な瞬間で作られた恐ろしさだったために、原作ではどんな描かれ方をしているのだろうかと気になって手に取った。
驚いたことに原作は映画とはまったく違っていて、映画で使われていたのはアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所の隣に住んでいる強制収容所所長一家という部分くらいだ。
ちょっと拍子抜けしてしまったのだが、考えてみると本作も『関心領域』というタイトルには間違いなくて、自分の興味のある、関心を向けている領域を外れた人、外すことが出来ない人が描かれている。
原作には原作の面白さがあるため、映画と比べてどうだって話ではない。
どちらもその媒体特有の表現で残酷さや恐怖を描いている。
そしてどちらもグロテスクなことが描かれているにも関わらず、ふと吹き出してしまいそうな瞬間もあったりする。
見比べてみるのが面白いタイプの作品だと思う。
映画から原作に入ると余りにも印象が違うため、ちょっと肩透かしを喰らう気もするので。
個人的には原作→映画から入ってみるのをオススメ。 -
Posted by ブクログ
映画も最低限のナチスの前知識いる感じでしたが、こっちはだいぶ必要でしたね。ナチス政権下の生活について書かれた本を一冊くらい読んでからにすりゃよかったとちょっと後悔。
著者のあとがきにある『何が起こったのか理解することはできないし、すべきでない』の引用を見て、映画を見た後からずっと感じていた「Why?」に対する答えをもらった気分になった。
ある人間・組織・政府が起こしたことを「理解しようとする」ことは「身のうちに取り込むこと」でありそうすべきではないとレーヴィは言ってる。
これは「別に理由を知らずに無関心になれ」と言うわけではなく、むしろその逆で。ホロコーストを主導した総統、政府、国家の行動を「なぜそうなったのか」と理由を理解しようと試みるのではなく、起きた事実から洞察を深めてすべきという。
原作は映画と違って、ドル(ヘス)の視点の他に、下半身で生きてる感じの情報将校のトムゼン、ゾンダーコマンドのシュルムの3人の視点が入れ替わって進む。
それぞれがそれぞれに壊れて狂ってるのだが、自分の関心領域に閉じこもって、国家の罪ひいては自分の罪から目を逸らし続けているところは似通っている。それぞれの立場は大きく違えども。
後書き含めて500P、映画も合わせるとボリューミーだが、多くの人に読んで欲しい作品。 -
Posted by ブクログ
原作を読んでから映画を観て、なんか映画の方が怖いなと思った。どちらも人間の慣れや飽きの恐ろしさを描いていたように感じるけど、映画の方にはハンナやトムゼンのような存在は現れない。
強制収容所の痛ましい記録を見るに、どうしてそんなことになった?と思うけれども、私たちの日常生活の中で、なぜ誰も止めなかったの?と思うような出来事は起こっていて、そういうことの積み重ねの先に、ありえない出来事も起こり得る。
後から振り返って「あの時あなたが止めるべきだった」と言うのは簡単である。
上司が明らかにおかしな指示をしていているけど、周りの同僚は誰も異を唱えずに従っている。そんな場面で、おかしいと主張できるか?おかしいと主張した人に共感できるか? -
Posted by ブクログ
オーストラリア、シドニー近郊のリゾート地。夫に先立たれ、海辺の家で一人暮らす75歳のルースは、ある夜、家のなかに虎がいる気配を感じる。それからほどなくして彼女の元に現れたのは、行政から派遣されたヘルパーだという大柄な女性、フリーダだった。精力的に働くフリーダに感化され、活力を取り戻していくルース。だが、二人の関係は徐々に歪み始める。孤独を埋める依存と支配、混濁していく認識能力を巧みな文章で描いたサイコサスペンス。
二人の関係がどのように崩壊していくかはフリーダ登場の場面からすでに予感されている。結末が見えた上でじわじわ心地良い依存関係が進行していく。内心はおかしいと気が付きながらも、脳のアラートを無視してフリーダを引き止めてしまう独居老人ルースの心理描写こそが肝だ。フリーダが支配力を強めるにつれルースの記憶力はぐずぐずに溶け始め、しまいにはフリーダまでもが演技を超えてルースの幻想に取り込まれて虎退治に躍起になる。
フリーダはおそらく、ルースが自分の嘘を暴くより狂うほうを選んだのだとわかっていただろう。ルースの息子たちはフリーダを怪しみながらも母親に会いにこない。リチャードも一回きりの逢瀬のあとは手紙を寄越すだけ(フリーダがルースのふりをして返事をしていたのだろうか)。ルースの虎を夜通し待ち続け、退治しようと言ってくれたのはフリーダだけだった。これは老女と詐欺師との歪んだシスターフッドの物語なのだ。
ルースはフリーダとの会話を通してフィジーで過ごした子ども時代を回想する。ルースの両親は診療所を開き、尊敬される宣教師だった。だが、そこから連想されるリチャードとの苦い恋の記憶は、白人富裕層として不自由なく生きてきた自らの人生に対する疑念と表裏一体だったのではなかったか。リチャードが帰ったあとからルースが加速度的におかしくなっていく様子は、クリスティーが『春にして君を離れ』で描きだした葛藤のさらに先を描こうとしているかのようだ。
フリーダが勝手に家に住み着いているとわかるシーンはポン・ジュノ監督の「パラサイト」を思いださずにいられないのだが、この小説はちょうどあの映画を金持ちからの視点に反転したような感じだ。だからどちらかと言えば私はルースよりフリーダに感情移入しながら読んだと思う。少なくともフリーダのことをサイコで理解不能な他者だとは感じない。ルースの孤独と同じくらい、フリーダ側の切実さにも共感をおぼえる。フリーダは「パラサイト」と同じく韓国映画の「別れる決心」のソレや、ピラール・キンタナ『雌犬』のダマリスと完全に重なり合う女性キャラクターだ。
闇のシスターフッド好きとしては結末に大満足だが、息子たちとエレンのパートで閉じるならフリーダには自供させなくてもよかったかな。最後までルースの支配者然として、弱みを見せるのは徘徊したルースの帰りを待っていたところと銀行の場面だけというほうが私好みではあった。いずれにせよ、自己欺瞞にまみれながら"寂しい"というメッセージを隠したルースの心理とその崩壊を表現しきった文体が見事。決して一つにはならない二つの孤独が寄り添い合う、哀しいぬくもりに満たされた二人のラストシーンはとても静かで美しかった。 -
Posted by ブクログ
複雑な事情を抱えて現代を生きる、4人の韓国女性たちの等身大の姿を描いた物語。背景に韓国ならではの事情を色濃く反映させながらも、日本でもどこでも共通する彼女たちの思い悩む姿は共感できるもので、段々浮き上がってくる彼女たちのキャラクタもとても魅力的でした。
美容整形を「三人に一人」がなんらかの形で行っていること、超高学歴社会であること、そして少子化や社会構造のひずみにさらされていること。その無慈悲さすら湛えている社会に、彼女たちは後ろ盾もなくさらされていき、傷を負ってもしまいます。
その傷を抱えながらも、彼女たちがそれぞれのかたちで立ち向かっていく様子がみずみずしく描かれていて、とても好ましかったです。
挑戦してみることそのものに意味がある、その一歩は仲間たちのやさしさと、自分のほんの少し振り絞った勇気でなせること。苦い展開を多く含みながらも、その大切なもののあたたかさに、気持ちがやわらぐような読後感を残してくれました。 -
Posted by ブクログ
ネタバレストリートギャング"ジェッツ"とプエルトリコ系ギャング"シャークス"の縄張り争いと禁断の恋。
「〜世のなかのありようとはそういうものだ。そして世のなかが変わらなければ、そのありようもずっと変わりはしない。」
悲劇からの、考えさせられる締め方。
この締められ方がなんかすとーんと腑に落ちた。
その後解説読んで、批評家アトキンソンの
「主題は美しいものではない。しかし『ウエスト・サイド・ストーリー』が導き出したものは美しい。なぜならこの作品には真実を探求しようとする眼差しがあるからだ」という言葉で更にすとーんと!
「なんかいいな〜」と思いながら読んでたのが「美しい」の一言であぁ!と。
スピルバーグ版の映画も見に行きたいな〜。
昔見た映画の記憶が薄れてるから、
どの場面でどの音楽が流れるのかワクワクする。 -
Posted by ブクログ
2017年、カナダの医師らは、臨床死に至った1人の患者が、10分38秒間、生きている人と同様の脳波を発し続けていたことを発見した。
少々奇妙な本書のタイトルは、このニュースに由来する。
心臓が止まった後、10分余り、人に意識があるのならば、その人は何を思い、何を考えるのだろうか。
主人公はレイラ。トルコ・イスタンブルに住む40歳代の娼婦である。
物語冒頭、彼女はすでに虫の息である。襲われ、サッカー場近くの大型ゴミ箱に捨てられた。心臓が止まる。カウントダウンが始まる。
1分。2分。3分。
薄れゆく意識の中で、彼女は自分の人生を振り返る。
生まれた日のこと。1人の父と2人の母がいる複雑な家庭であったこと。望まれていたのは男の子だったのに、女の子として生まれたこと。
4分。5分。6分。
人生の時々には、思い出深い匂いがあった。
時にはスイカの匂い。時にはヤギのシチューの匂い。時には薪ストーブの匂い。
寄る辺ない娼婦となるには理由があった。抑圧された少女時代。近親者による性暴力の被害者であったのに、彼女は声を上げることを許されなかった。丸め込まれることを是とせず、彼女は家を出た。単身、都会に出た彼女にはしかし、職業の選択肢は多くはなかった。
7分。8分。9分。10分。
楽な暮らしではなかったが、しかし、彼女にはかけがえのない友人がいた。
気の弱い幼馴染の男の子。性転換手術を受けたトランスジェンダー。イスラム教徒とキリスト教徒の間に生まれたソマリア人。122cmという低身長だが楽天家の占い師。メソポタミアのバラッドを歌う歌手。
生まれも育ちもばらばらで、どこか世の中からはみ出した彼らは、レイラと深い友情を結んだ。悲しい女を見たら、すぐそれと気づく、そんな美点が彼らにはあった。
10分10秒。20秒。30秒。残り8秒。
レイラにも美しい過去があった。
相思相愛の優しい恋人がいて、彼と、娼婦だった彼女は結婚する。
だが幸せな時は長くは続かなかった。
反体制派だった夫に連れられ、レイラはデモに出かける。そこで悲劇が起こる。
余命のカウントダウンとともに、描き出される彼女の、そして友人たちの人生の苛酷さに胸が痛む。だが、レイラは人生を闘い続ける。たとえ、勝てないことがわかっていても、闘うことを諦めてはいない。そのことを友人たちは知っている。
レイラの物語は、残念ながら終わりを告げる。彼女に奇跡は起こらない。
だが、悲しく葬られた彼女を、友人たちは放っておきはしない。
10分38秒の後、友人たちが物語を引き継ぐ。
終盤近くのボスポラス大橋から見る景色の美しさに息を呑む。
物語には、イスタンブルというもう1人の登場人物がずっと寄り添っていたのだ。猥雑で汚れていて複雑で、けれど紛れもない輝きを持つ大都会が。
表紙の絵の意味、そして章の間に挟まれた小さなマークの意味が、最後にわかる。
しなやかに人生を泳ぎ切った、レイラの魂に安らぎが訪れることを願う。
著者はトルコ人の両親を持つ。フランス生まれ、イギリス在住。母の仕事の関係で各国を転々とした経験がある。英語とトルコ語で執筆活動を行い、LGBTQの人権擁護者でもある。
さながら、多様性の旗手といったところか。
物語の大筋は悲惨だが、読後感は悪くない。著者のまなざしの温かさのゆえだろう。