北田絵里子のレビュー一覧
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この本がイギリスで出版された1987年の翌年にブルースチャトウィンはAIDSで死んでいる。最初の著作「パタゴニア」を書くきっかけとなった旅には松尾芭蕉の「奥の細道」を持参したという彼の、オーストラリアの旅の記録。
オーストラリアのアボリジニ達は、自らの土地にまつわる風景、地形、岩、樹などありとあらゆる事象を先祖伝来の「歌」として記憶する。その歌をたどれば、オーストラリア大陸の隅々まで旅をする事が出来るという。
オーストラリアを舞台にしたロードムービー的な記録の合間に、著者が自らの半生の旅の最中に書き溜めた文章・言葉・詩などが混じる。
装丁が素晴らしい。Bookoffには持ち込まず、本棚に置いて -
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アボリジニでは、子供が喋りそうになると、母親はその子に土地の植物や昆虫を持たせ、抱いて歩く。
その歩くリズムと土地の動植物の名前を子供が覚える。
そうしてアボリジニの土地を子供に与える。
ぜひ、私もそうやって暮らしてみたい。そう思える。これが本当の人の関わり方の原型ではないかと言いたくなる。
「そんな子供が詩人にならないわけがない。」448p
生まれる前からゲーム音に囲まれて育つ日本の子供達とは何たる違い。
その違いは「土地」の意味の違い。そして「土地」との関わりの違い。
そうやって中央オーストラリアにそれぞれのアボリジニによる数多くの歌の道・ソングラインが作られてきた。
「病院の乳児病 -
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ネタバレカイロから陸路でケープタウンへー。という触れ込みをみると、かつての「深夜特急」のような旅行記を思い浮かべるが、異なる種類のようだ。
著者のポール・セローは、かつてはアフリカでボランティアの教師として働いており、「再訪」の意味も含め、日常から脱出するたアフリカへ向かう。
考えてみれば、アフリカは人類発祥の地と考えられており、自然も豊かなはずなのに人々は貧しい。北からはキリスト教徒、東からはイスラム教が伝播。もともとの部族対立。大航海時代以降は南から白人が入植。人種差別。独立以降の混乱の中では共産主義という名の独裁、混沌。隣人がいきなり殺し合いをはじめる(ルワンダの大虐殺)。
やはり、何が -
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なんだろう、読み終わった後の、この心地よさは・・・
男をも女をも虜にしたという、チャトウィンの魅力に捕われてしまったということなんだろうか。
非難めいたことも、失望も、怒りも口にすることなく、あるがままを淡々と受け入れているかのような。
片隅にひっそりと佇みながらも、好奇心に溢れたまなざしで人々の話に耳を傾けているかのような。
無愛想なアボリジナルのおばさんでさえ、思わず手を伸ばしてその頬をなでたくなるような。
旅行記の呈をしたフィクションということなのだが、どこまでも優しげなその語り口に魅了される。
ラスト、瀕死の状態にある氏族の長老たちを訪ねるアボリジナルの青年に同行し、まさにソング -
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己の視野の狭さをまざまざと突きつけられました。迫りくるとてつもない荒野。広く遠い地平線。
アボリジニが見つめ続ける、あらゆるものの原型としての世界。人は大地から動物から、全てを教わってきた。切り離せるはずもない。その足で、歩み続けるということ。どこからきて、どこへゆくのか。
目覚め、歌い巡り、世界を構築し、還っていった先祖たち。名前を呼ぶ。引き付け合う。そしていつか辿りつく己。外から内へ。
読み進めながら、何か取り返しがつかないような気持ちに襲われて。手の届く範囲で問いと答えを出してしまう都市生活を、改めて自覚。原文で読みたい…レッツレッスン英語ー。
あー旅に出ねば!一種の飢餓感。また少しずつ -
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かなり期待して読んだが,原文がこうなのか訳が悪いのか,どうにも物語として響いてこなかった.
映画化もされているので,そちらも見て判断したいところだが,どうやら映画には原作の中心人物がそもそも登場しないらしく,見る前から「なんだそりゃ?」という気分.その時点で意欲が半減してしまった.
ホロコーストを「人間の本性を映す鏡」として描いているという触れ込みだが,正直,そこまでの深みは感じられなかった.
ただし,ナチス関連の作品をいくつも読んできた中で,この作品の描き方はどれとも違っていた.
ユダヤ人側の苦悩,ドイツ市民の葛藤,ヒトラー周辺の狂気――そういった視点ではなく,実際のホロコースト現場とその -
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ネタバレ整形中毒のルームサロン嬢。アイドル好きの美容師。赤ちゃんが欲しい会社員。恋愛に悩むアーティスト。容姿や家柄、学歴、結婚、妊娠――。韓国女性を取り巻く呪縛を乗り越えて、今日も彼女たちは強く生きていく。ソウルの一角に暮らす女性たちのオムニバス。境遇はばらばらに見える彼女たちには、みなソウルではなく地方都市の生まれで、韓国の超競争社会において有利になるものを何も持たずに人生を歩みだしたという共通点がある。
どのエピソードにも、貧困と富裕の対比が大なり小なり描かれている。物惜しみの激しい祖母の家に預けられていた子供時代のウォナは、米国で安楽に暮らしている親戚に羨望を抱く。アラは美容師として細々と自 -
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ユダヤ人強制収容所での「仕事」に従事している登場人物たちの日常や心情が、淡々と綴られていく。
この日常の一辺には殺戮への関与が確実に含まれているのに、物語で中心として描かれるのはそこではないことに不気味さを感じる。
強制収容所所長が少しずつ病んでいくのは、ひそかに彼のうちにある良心や倫理観の崩壊を表現しているようで、おかしな言い方だけれど、そこにわずかに救いを感じてしまった。
遠藤周作氏のエッセイのどこかで、やはり親衛隊将校についての記述があり、(昼はガス室で殺戮を繰り返す将校が、夜は我が子に頬ずりをして妻とモーツァルトの調べに酔いしれる、それが人間というものなのか、というような内容)、そ -
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イスタンブルで、殺されてゴミのように捨てられた娼婦のレイラが、かろうじて残る意識の中で自分の過去を回想する物語。古い因習に囚われた父、産みの母と育ての母の確執、そして性被害。家を飛び出し娼婦になってからのこと、それぞれが苦しみを抱えている大切な友人、そして巻き込まれた事件。後半はバディものになっていく!哀しさと可笑しさもある不思議な小説。筆者は人権活動家のトルコ人の女性作家であり、トルコでの女性のいきづらさを描いている、ようで、意外にイスタンブルという都市を、西洋の都市にならない、死の匂いが漂い、何事も諸行無常、留まらず流動し続ける街と描き、筆者の街への愛情を感じたのでした。ちょっと不思議な読
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アウシュヴィッツをモデルにした収容所とその周囲の暮らしや戦況の話。
収容所の管理にあたる軍人は家族帯同で暮らしていた。
家では普通に家庭生活があり、周囲の街にも普通に暮らしている人たちがいる。
そこへやってくるユダヤ人を満載した列車。同じ人間でありながら家畜よりも酷い扱いで、到着してすぐにガス室行きか、半年も持たずに死ぬ。
彼らを選別し、収容所に運んでいくが彼らの気配、音、匂いは当然普段の暮らしに影響がある。死体が増えるにつれ、焼却しきれずに野原に埋める。それが地下水に出て、近隣では井戸水が飲めなくなる。
何が起きているのか、想像がつく。でも、それを口にはしない。
目を逸らし、受け流す。
そん -
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ナチス政権下、歴史的にも醜悪かつ理解し難い、その行為とその周辺を舞台にして、収容所の司令官、連絡将校中尉、ユダヤ人の特別労務班班長の3人、それぞれの違った視点からの描写を交えながら、物語が進行していく。
あの場所から幸せな何かが生まれるなんて、どんなにぞっとすることか。
作中のこのセリフには、共感しかない。
この物語を哀切な悲恋で締め括ることは許されない。
著者の後書きも含めての作品だと痛切した。
現実に、ルドルフヘスが、己の行いによって酒と薬に溺れ、精神を病んでいたのかはわからない。
現実に、こういった中尉のような、都合の良い自己正当化で残虐行為を行っていた人たちもいたかもしれない。
け -
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ジャミロクワイの『VIrtual Insanity』でMVを監督したジョナサン・グレイザー監督がアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所の隣に住居を構える収容所の所長ルドルフ・ヘスとその家族の生活を描いた映画『関心領域』
そこに暮らす人々の生活が描かれているだけにも関わらずおぞましく、醜悪で、下手なホラー映画よりもよっぽど恐ろしい作品であった。
直接的な描写は一切映らないにも関わらず、わずかに聞こえる叫び声や銃声、塀の向こうの焼却炉がゴウゴウと音を立てて吐き出す黒い煙など、恐らく今こういうことが起きてると察することが出来る。
頭をガツンと殴られるかのような衝撃を受ける映画体験だったが、とても映画 -
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映画も最低限のナチスの前知識いる感じでしたが、こっちはだいぶ必要でしたね。ナチス政権下の生活について書かれた本を一冊くらい読んでからにすりゃよかったとちょっと後悔。
著者のあとがきにある『何が起こったのか理解することはできないし、すべきでない』の引用を見て、映画を見た後からずっと感じていた「Why?」に対する答えをもらった気分になった。
ある人間・組織・政府が起こしたことを「理解しようとする」ことは「身のうちに取り込むこと」でありそうすべきではないとレーヴィは言ってる。
これは「別に理由を知らずに無関心になれ」と言うわけではなく、むしろその逆で。ホロコーストを主導した総統、政府、国家の行動を