北田絵里子のレビュー一覧
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ネタバレこの世での人生がもうおしまいだなんて信じられない。(P10)
サッカー場のゴミ容器の中で死んでいく娼婦レイラの人生の記憶が巻き取られていく10分38秒。
迷信、家父長制、性被害に苛まれ迫害された幼少期、生まれた場所から飛び出したレイラを待っていたのはイスタンブルと未来の友人たち。
数年前、読み進めるのが辛くてストップ、数年間ずっと気にしていた作品。今回は最後まで読み切りました。
私にとってトルコと言えばターキッシュディライトでしたがこれからはレイラとその友人たちが私にとってのトルコになりました。
著者はトルコで最も読まれている女性作家であり政治的弾圧の対象でもある、とのことです。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ本が好きなら誰しも一度は読んでみてほしい作品。
洋画の翻訳の様な口調で話は割とテンポ良く進む。それに慣れないドイツ語とちょくちょく話がややこしくなる時もある。そして、淡々と自分は物語を進める。
しかし、何か肝心な事を忘れていないか?という気持ちに常に襲われていた。もちろん、これは強制収容所で働く人々のお話というのは理解していた。だからこそ、この作品は狂気に溢れているという認識をもって読み始めた。しかし、本当に狂気に溢れているのは自分自身であったと今は認識している。
鏡の様な作品と言われていたが、本当に間違いない。自分は作品を通して、ドルとトムゼン達の事に意識が集中していた。そして、ここが強制収容所で、当たり前の様にユダヤ人を殺しまくっている事実が凄く薄まっていた。たまにそれを思い出させる様な描写もあるが、惨さや悲惨さという感覚が薄れていたのかもしれない。だからこそ、最後のトムゼンの台詞は強烈に刺さった。
現代でも、自分の興味関心のある世界の外側を覗こうと思う人は数少ないかもしれない。
しかし、世界では酷い事も悲しい事も楽しい事もたくさん同時進行に起こっている。この感想を書いている時にも。
感受性が強い人は、この作品はとても苦しいかもしれない。けれど、読書体験としてはひとつ最高の体験をさせてもらえた。あなたはこの作品を通じて自分がどのように写るか楽しみではあるけど、知りたくもない気持ちもある。視野は広く正しく観よう。
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Posted by ブクログ
星に迷いました。でも、目を背けてはいけない。
観てから読みました。
映画もすごかったですが、原作もすごかったです…
ただ原作は想像力の入り込む余地があまりないように感じ、とてもきつかったです。
実は映画を観た時もそう感じていたのに、より原作はきつかった…
物言わぬ少年たちの時間
ゾンダーコマンドの存在
P302からのシュムルの章は、感情というものを捨て去らなければ読めないこの作品の中で、やはり涙が出る内容でした。でも、その自分の涙さえ欺瞞に感じる…厳しい話です。
主役はトムゼン。話の動くきっかけは、トムゼンが人妻のハンナに気もちを寄せたから…
でも、それは話を動かす装置でしかない。
あの時代にドイツを覆っていた狂気、その中で正気を保った人たちへの弔い…
でも。ゾンダーコマンドたちは…狂気の中で、さらなる狂気に包まれ…そのことを心に留めておきます。
著者あとがきで、生存者アントン・ギルの著書に集めらた言葉として紹介された「ほぼ全員が復讐を拒んでいる、そしてひとり残らず赦しを拒んでいる」という言葉も、心にしみました。
プリーモ・レーヴィ
原題THE ZONE OF INTERESTの意味2つ
読めて良かった。ただあまりの内容に、人に勧めにくい。でもできればたくさんの人に読んでほしいと思うのです。
追記(2024.8.21)
創作は現実とは違うので、もっと凄惨なことが行なわれていたと思います。
ただ現実をそのまま伝えることは当事者でも難しい…なので、このような作品の存在に手を合わせたくなるのです。 -
Posted by ブクログ
10分38秒のあいだ— 心臓の動きが止まった後も意識は続くのだそう!
そのわずかな時間に人は何を思うのだろう?
魅惑的な街イスタンブルの裏側で生きた一人の娼婦レイラの物語。5人の友達の物語でもある。1947〜1990
心を鷲づかみにされた
大人に服従するしかなかった少女時代
そして
喧騒にまみれた街の片隅で友情を育み
尊厳を保ちながら暮らすレイラの姿に
自分自身を知り、わが人生の主人になってみよう
心が軽くなっていく
青い尾ひれをゆらしながら泳ぐ闘魚(ベタ)に導かれ やっと自由を手にしたレイラの姿に
テキーラ・レイラが息絶える最後の10分38秒を、一分ごとに記憶の糸を手繰り寄せる語り手法が見事。
1分、2分、3分 〜 10分.
10分20秒、10分30秒、残り8秒
あれ?10分10秒がない!
もう一度読む
やはりない
人を愛し、レイラが人生で一番幸せだった時・・ だから
トルコの古都イスタンブル、歴史的背景、異文化の融合する街、光と影のある場所で暮らす人、人、人
長い映画を観た後のような放心状態が
今も続いている。
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Posted by ブクログ
1990年、トルコ。イスタンブルの路地裏にあるごみ箱の中で、殺害された1人の娼婦が息絶えようとしていた。
彼女の名前はレイラ。死後も続く10分38秒の意識の中で、彼女は、5人の友人と1人の最愛の人と過ごした日々を思い出す。
この小説の前提に、ひとつの事実がある。
2017年にカナダの集中治療室勤務の医師たちにより発表された「臨床死に至ったある患者が、生命維持装置を切ったその後も、10分38秒間、生者の熟睡中に得られるものと同種の脳波を発し続けた」という論文だ。作者はこの記事を読んで興味を持ち、この小説を書くに至ったという。
主人公のレイラはトルコの田舎町で生まれた。
厳格で理解のない父と、とある理由からぎくしゃくとした家庭で育てられ、レイラは高校生の時に家を出てイスタンブルへ向かう。そこで騙されて、娼婦としての人生が始まってしまう。
レイラをはじめ、5人の友人たちはみな「思い通りにならない人生」を必死で生きている。親や金銭に恵まれず、暴力をふるう配偶者から逃げてきた者や、性別を変えてトランスジェンダーとして生きる者や、小人症という生まれながらの病気を抱えた者などがいる。
レイラは愛する人と出逢い一度は娼館を出るものの、その後も辛い運命に巻き込まれてやはり「思い通りにならない人生」を生き続けることになる。
第1章の「心」はレイラが殺害されごみ箱に捨てられた場面から始まる。そして身体は死んでも脳と心が生き続けた10分38秒の間、レイラはこれまでの人生のあらゆることを回想する。
辛いことが多い中、5人の友人を回想する部分はとても温かい。家族に恵まれなかったレイラの人生で、友人に恵まれたことはとても誇りであったことが伺える。
そして第2章の「心」と「魂」はその友人5人が主役となり、レイラを深く思うからこその無謀な計画を立て、それを実行する。
思い通りの人生を生きられる人はおそらく多くはない。レイラたちはその極みにあって、死を選んでもおかしくないほどの苛酷な運命の中にあっても、とても力強く生きている。それだけに、どうしてこんな人生の閉じ方をしなければいけないのかと、物語なのに強い憤りを感じてしまう。
トルコでは物語同様、娼婦が狙われた連続殺人事件が起きた歴史があり、しかも被害者が娼婦だという理由で罪が軽く済んだという出来事が実際にあった(その後法改正された)
人は人を立場によって心の中で裁いたり、貴賤があると密かに思ったりしている。だけどどんな人にも様々な事情や背景があり、力強くまっすぐに生きている人がいることを忘れてはいけない。
それでもレイラの人生は悪いものではなかった、と思う。友人に恵まれ、一時ではあるけれど愛する人とともに過ごし、自分の人生をまっすぐに生き切った。苛酷な運命であっても、とても輝いて見える。
「生き方など選べなかった。それでも自由を探した」という帯にある言葉にすべてが詰まっている。
当時のトルコの時代背景も知ることが出来る、とても良質な小説だった。 -
Posted by ブクログ
2017年3月、医療系情報サイトにある驚くべき記事が掲載される。カナダの集中治療室勤務の医師らの報告だ。「臨床死に至ったある患者が生命維持装置を切ったその後も10分38秒間、生者の熟睡中に得られるものと同種の脳波を発し続けた」というものだ。医師らはこれが機器の誤作動ではないことを確認し医学誌に論文として掲載した。この記事に興味を抱いて執筆されたのが、本書だそうだ。「人はわずかなその時間に何を思うのだろう?もし、人生を振り返るならどんなふうに?」
物語は1990年トルコのイスタンブルで暮らす娼婦レイラが、殺人事件の被害者となり、心停止となり呼吸もとまり、まさに死に瀕した状態であるにもかかわらず、意識があり、分きざみで自身の人生を回想するシーンから始まる。生い立ちからはじまり、出会った様々な人間との交わりの中で織り成されてゆく怒り、悲しみ、苦痛、後悔、恨み、嫉妬、、そしてかけがえのない友情。。10分38秒が終わるとき、第一章「心」が終わる。そして二章はレイラの友人たちによる物語「体」 だ。レイラの埋葬を巡り、友人五人の奮闘が時に胸にせまる切なさと、時にコミカルに友情を軸にして語られる。一章とは全く異なる色合いだ。そして締めくくりとなる第三章「魂」。レイラは海を漂いながらすべての負の感情を捨ててゆく。前述の怒りや悲しみ、苦痛、後悔、、、、。そして叫ぶ、魂。「free at last」ついに自由になった。 レイラ、貴方は過酷な人生を生きながら決して手放さなかった。他者への優しさ、寛容さ、忍耐、公平さ、高潔さ。その美徳が愛を手に入れ結婚に結び付き、死してなお貴方を敬い愛する友人たちを支え導いている。筆者は貴方を「青い闘魚」 と称する。美しく気高く自由な魂をもった闘う女性の象徴として。。帯には「生き方などえらべなかった」とあるが、個人的には選べなかったのは生まれ落ちた境遇であり、そこに派生する人生であって、生き方ではないと思う。生き方とは、職業や環境や性別には関係なく、人としての在り方を拠り所としてはたらく意識であり、それにもとづいて自己以外の世界とどう関わるかという行動全般をさすものだとおもうからだ。少なくともレイラとその夫、そして五人の友人に私は共通する「生き方」を感じたし、そこに輝きをみた。死とは?その根元的な問いと、それにまつわる怖れやイメージを傍らにいつも意識させながら、しかし、物語の核には力強い愛が貫かれている詩的で、彩りの豊かな、まさに文化色多彩なイスタンブルにふさわしい、そんな物語だと思った。
個人的な喪失の痛手を癒したくて、様々な物語を手にしてきた。がしかし、小説では癒せないと思い始めていた時に出会ったこの本は、私に慰めときっかけを与えてくれたと思う。もしも、同じようにうちひしがれている方がいるなら、ぜひ。
最後に本書からの三文を記そうと思う。一文はかの有名な科学者が親友の死に際してのべた言葉から。そして、もう二文は本書より。
「こうしてまた彼は少しばかりわたしに先んじて、この奇妙な世界に別れを告げました。ですが、嘆く必要はありません。われわれのような物理学に信を置く者にとって、過去、現在、未来における別離とは、固定観念による錯覚にほかならないのです。」
アルベルト アインシュタイン。
「悲しみはツバメと同じです。ある日目が覚めて、いなくなったと思っても、実は他の場所に渡って翼を温めているだけなんだ。遅かれ早かれ、また戻ってきて心のなかに止まるんです。」
「人ひとりが持てる友人の数は五人までだ。ひとりでもいれば、運がいい恵まれていれば、ふたりか三人、もし輝く星でいっぱいの空の下にうまれついたなら、五人、、、生涯でそれだけいれば、じゅうぶんすぎるほどだ。」 別れの悲しみと痛みを癒し、大切な人のいない現実を受け入れながら生きるのにこの3つが、道しるべとなった。
悲しみは癒えないけれど、それと共に生きてゆくしかないのだ。そう、レイラとその仲間達のように、寛容に、気高く、忍耐強く。死がいつどんな形でおとづれるかも、その時がどんなものかもわからないけれど、最後に残された意識の中で愛を回想し、そして、すべての負の感情を浄化して、free at lastと叫べる魂の存在を信じて、私は在りたいと思う。 -
Posted by ブクログ
カイロからケープタウンまでアフリカ縦断の長い旅。この本に対する自分の評価はこのレビューの長さがものがたっていると思う。
この本は単なる旅行記というカテゴリーには属さない。アフリカ諸国の歴史背景や様々な現地人たちの証言、筆者の時に厳しく、ユーモア溢れる観察眼が創り出すかなりディープな内容となっている。長い旅を通じて、30年余りの昔から進歩がない、むしろ悪くなっているアフリカ大陸の現状が浮かび上がってくる。
こんなタフな旅をしたポールセローには、一般人らが観光旅行でみるアフリカがハリボテのようで滑稽に思えただろう。
少し考え方が偏屈で気難しい(特に慈善団体には)感じがする筆者だか、旅の終盤でノーベル賞受賞か?となった時の反応は可笑しくて、斜に構えているけど、この人もただ普通の人なんだなと好感が持てた。