あらすじ
おのれを「正常」だと信じ続ける強制収容所の司令官、司令官の妻と不倫する将校、死体処理班として生き延びるユダヤ人。おぞましい殺戮を前に露わになる人間の本質を、英国を代表する作家が皮肉とともに描いた傑作。2024年アカデミー賞国際長編映画賞受賞原作
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Posted by ブクログ
本が好きなら誰しも一度は読んでみてほしい作品。
洋画の翻訳の様な口調で話は割とテンポ良く進む。それに慣れないドイツ語とちょくちょく話がややこしくなる時もある。そして、淡々と自分は物語を進める。
しかし、何か肝心な事を忘れていないか?という気持ちに常に襲われていた。もちろん、これは強制収容所で働く人々のお話というのは理解していた。だからこそ、この作品は狂気に溢れているという認識をもって読み始めた。しかし、本当に狂気に溢れているのは自分自身であったと今は認識している。
鏡の様な作品と言われていたが、本当に間違いない。自分は作品を通して、ドルとトムゼン達の事に意識が集中していた。そして、ここが強制収容所で、当たり前の様にユダヤ人を殺しまくっている事実が凄く薄まっていた。たまにそれを思い出させる様な描写もあるが、惨さや悲惨さという感覚が薄れていたのかもしれない。だからこそ、最後のトムゼンの台詞は強烈に刺さった。
現代でも、自分の興味関心のある世界の外側を覗こうと思う人は数少ないかもしれない。
しかし、世界では酷い事も悲しい事も楽しい事もたくさん同時進行に起こっている。この感想を書いている時にも。
感受性が強い人は、この作品はとても苦しいかもしれない。けれど、読書体験としてはひとつ最高の体験をさせてもらえた。あなたはこの作品を通じて自分がどのように写るか楽しみではあるけど、知りたくもない気持ちもある。視野は広く正しく観よう。
Posted by ブクログ
星に迷いました。でも、目を背けてはいけない。
観てから読みました。
映画もすごかったですが、原作もすごかったです…
ただ原作は想像力の入り込む余地があまりないように感じ、とてもきつかったです。
実は映画を観た時もそう感じていたのに、より原作はきつかった…
物言わぬ少年たちの時間
ゾンダーコマンドの存在
P302からのシュムルの章は、感情というものを捨て去らなければ読めないこの作品の中で、やはり涙が出る内容でした。でも、その自分の涙さえ欺瞞に感じる…厳しい話です。
主役はトムゼン。話の動くきっかけは、トムゼンが人妻のハンナに気もちを寄せたから…
でも、それは話を動かす装置でしかない。
あの時代にドイツを覆っていた狂気、その中で正気を保った人たちへの弔い…
でも。ゾンダーコマンドたちは…狂気の中で、さらなる狂気に包まれ…そのことを心に留めておきます。
著者あとがきで、生存者アントン・ギルの著書に集めらた言葉として紹介された「ほぼ全員が復讐を拒んでいる、そしてひとり残らず赦しを拒んでいる」という言葉も、心にしみました。
プリーモ・レーヴィ
原題THE ZONE OF INTERESTの意味2つ
読めて良かった。ただあまりの内容に、人に勧めにくい。でもできればたくさんの人に読んでほしいと思うのです。
追記(2024.8.21)
創作は現実とは違うので、もっと凄惨なことが行なわれていたと思います。
ただ現実をそのまま伝えることは当事者でも難しい…なので、このような作品の存在に手を合わせたくなるのです。
Posted by ブクログ
かなり期待して読んだが,原文がこうなのか訳が悪いのか,どうにも物語として響いてこなかった.
映画化もされているので,そちらも見て判断したいところだが,どうやら映画には原作の中心人物がそもそも登場しないらしく,見る前から「なんだそりゃ?」という気分.その時点で意欲が半減してしまった.
ホロコーストを「人間の本性を映す鏡」として描いているという触れ込みだが,正直,そこまでの深みは感じられなかった.
ただし,ナチス関連の作品をいくつも読んできた中で,この作品の描き方はどれとも違っていた.
ユダヤ人側の苦悩,ドイツ市民の葛藤,ヒトラー周辺の狂気――そういった視点ではなく,実際のホロコースト現場とその周辺の人々の“日常”を,こんな異様な角度から描いた小説には出会ったことがない.
歴史上最悪の大殺戮のただ中で,自分は「正常」だと思い込み続ける人間たち.
妻への嫉妬に狂う者,大量殺戮を「おぞましい」と知りながらもその片棒を担ぎ続ける者.
彼らの関心領域は,命の価値ではなく,愛憎やプライドのような極めて個人的な感情だった.
人間は結局,良くも悪くも「正常バイアス」に生かされているのだな,と思わされた.
最後に,ナチスの狂気からわずかに目を覚ます主人公たちの姿に,ほのかな希望も感じた.
それこそが戦後ドイツの復活の“火種”になったのかもしれない.
正直,僕にとっては読みづらく,没入することはできなかった.
それでも「人間の本性とは何か」をえぐり出そうとするこの試み自体には,大きな意義があると思う.
気がつけば,ナチス関連の作品を随分と読んできたものだ.
読むたびに胸が重くなるのに,それでも「知りたい」と思ってしまう.
そんな僕自身の「関心領域」は,やはりこの問いに尽きるのだと思う.
――なぜナチスは,ここまで狂気に堕ちていったのか?
どんなに考えても答えは見つからない.見つかる気配すらない.
それでもなお,その答えを探ることが,人間とか,人生とか,漠然としていて掴みづらいものに,ほんの少しでも輪郭を与えるのだと思う.
そして,「人の罪」としての戦争,飢餓,貧困,人種差別……そういったものがいつかこの世から無くなる日を迎えるための,わずかなヒントをかき集める行為なのだと思う.
Posted by ブクログ
ユダヤ人強制収容所での「仕事」に従事している登場人物たちの日常や心情が、淡々と綴られていく。
この日常の一辺には殺戮への関与が確実に含まれているのに、物語で中心として描かれるのはそこではないことに不気味さを感じる。
強制収容所所長が少しずつ病んでいくのは、ひそかに彼のうちにある良心や倫理観の崩壊を表現しているようで、おかしな言い方だけれど、そこにわずかに救いを感じてしまった。
遠藤周作氏のエッセイのどこかで、やはり親衛隊将校についての記述があり、(昼はガス室で殺戮を繰り返す将校が、夜は我が子に頬ずりをして妻とモーツァルトの調べに酔いしれる、それが人間というものなのか、というような内容)、その寒々した記述に共通のなにかを感じた。
Posted by ブクログ
映画を観て関心を持ち、手にした一冊。果たして、その内容は映画をはるかに上回った。と言うか、映画はこの大著のごく一部を切り取ったにすぎないということ。2時間前後に収められる内容では到底ない。
Posted by ブクログ
収容所そのものを描くよりもその隣で当たり前の生活を営むナチ党員達やその家族の人間模様を描くことでその異常性が浮かび上がる。彼らには目の前の収容所はもはや風景でしかなく、そこで行われている事に何の疑問も感じないほど麻痺してしまっているのが恐ろしい
Posted by ブクログ
凄惨な描写はそれほど多くはない。登場人物の関心は自分の地位や立場、女をいかにモノにするかにあって、強制収容所の運営は単に煩わしい日々の業務にすぎない。それが淡々と描かれていて、それこそが本当に空恐ろしい。「想像してみて、あの場所から幸せな何かが生まれるなんて、どんなにぞっとすることか」。
Posted by ブクログ
アウシュビッツを連想させる架空のユダヤ人収容所で繰り広げられる蛮行と、そこで暮らす人々。
収容所のあり方に矛盾を感じている収容所長の妻。その妻を魅力に感じ接近していくナチスの将校。その描写に読み続けることが辛くなるシーンもあった。
映画化され話題になった作品。解説によると、映画と原作はかなり違っているらしい。原作のコンセプトは引き継がれているとか。この原作は、かなりインパクトがあった。
Posted by ブクログ
関心領域
自分の中にある言葉でこれを読み解けない気がするがそれでも心に刻まられる作品
戦争という狂気の中で行われる蛮行の中にある人間らしさとはなんなのか
明日の僕たちはどう生きてなにを残していけるのだろうか
Posted by ブクログ
アウシュヴィッツをモデルにした収容所とその周囲の暮らしや戦況の話。
収容所の管理にあたる軍人は家族帯同で暮らしていた。
家では普通に家庭生活があり、周囲の街にも普通に暮らしている人たちがいる。
そこへやってくるユダヤ人を満載した列車。同じ人間でありながら家畜よりも酷い扱いで、到着してすぐにガス室行きか、半年も持たずに死ぬ。
彼らを選別し、収容所に運んでいくが彼らの気配、音、匂いは当然普段の暮らしに影響がある。死体が増えるにつれ、焼却しきれずに野原に埋める。それが地下水に出て、近隣では井戸水が飲めなくなる。
何が起きているのか、想像がつく。でも、それを口にはしない。
目を逸らし、受け流す。
そんな環境でも、自分の考えや判断を保つ人もいる。そのうちの1人である収容所司令官の妻に恋をした主人公は、彼女の考えに習い、目の前のことを考えて反乱を計画するが失敗。逮捕されて終戦を迎える。
司令官の妻が過去の恋人を否定するのに、「他人の考えで頭がいっぱい」と表現しており、小説全体では、周囲に意識を向け、自分の頭で善悪や自分の行動を判断することがテーマになっている。
収容所の運営にあたっていたユダヤ人は、自分の考えで司令官の命令に背き、他人の命を救う。
読むのはとても苦しい。
知らんぷりをしないこと、目を背けないことを伝える本を読んでいると、パレスチナやウクライナを考えざるを得ない。
知っているのに、私は何もしていない。
ユダヤ人が迫害されたが、ユダヤ人でないから声を上げないでいたら、自分が迫害された時には、誰も私のために声を上げなかった、という詩を思い出す。
「何をすべきだと思うか」を、問われる本。
Posted by ブクログ
ナチス政権下、歴史的にも醜悪かつ理解し難い、その行為とその周辺を舞台にして、収容所の司令官、連絡将校中尉、ユダヤ人の特別労務班班長の3人、それぞれの違った視点からの描写を交えながら、物語が進行していく。
あの場所から幸せな何かが生まれるなんて、どんなにぞっとすることか。
作中のこのセリフには、共感しかない。
この物語を哀切な悲恋で締め括ることは許されない。
著者の後書きも含めての作品だと痛切した。
現実に、ルドルフヘスが、己の行いによって酒と薬に溺れ、精神を病んでいたのかはわからない。
現実に、こういった中尉のような、都合の良い自己正当化で残虐行為を行っていた人たちもいたかもしれない。
けれど、どのすべても許されることではなく、このことについて、わたしはエンタメとして消化することに激しい抵抗を覚え、作中の登場人物の誰のことも理解したくはないしできない。
Posted by ブクログ
前半退屈&カタカナの名前全然覚えられなくてまともに入ってこないんだけど、後半は止まらないほど面白く、もう一度読みたくなる
戦争の恐ろしさは人間が人間であることを忘れていく、染まっていく、正常さとは人間が意図的に作っていることに気づけないことだなと思った
Posted by ブクログ
ジャミロクワイの『VIrtual Insanity』でMVを監督したジョナサン・グレイザー監督がアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所の隣に住居を構える収容所の所長ルドルフ・ヘスとその家族の生活を描いた映画『関心領域』
そこに暮らす人々の生活が描かれているだけにも関わらずおぞましく、醜悪で、下手なホラー映画よりもよっぽど恐ろしい作品であった。
直接的な描写は一切映らないにも関わらず、わずかに聞こえる叫び声や銃声、塀の向こうの焼却炉がゴウゴウと音を立てて吐き出す黒い煙など、恐らく今こういうことが起きてると察することが出来る。
頭をガツンと殴られるかのような衝撃を受ける映画体験だったが、とても映画的な瞬間で作られた恐ろしさだったために、原作ではどんな描かれ方をしているのだろうかと気になって手に取った。
驚いたことに原作は映画とはまったく違っていて、映画で使われていたのはアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所の隣に住んでいる強制収容所所長一家という部分くらいだ。
ちょっと拍子抜けしてしまったのだが、考えてみると本作も『関心領域』というタイトルには間違いなくて、自分の興味のある、関心を向けている領域を外れた人、外すことが出来ない人が描かれている。
原作には原作の面白さがあるため、映画と比べてどうだって話ではない。
どちらもその媒体特有の表現で残酷さや恐怖を描いている。
そしてどちらもグロテスクなことが描かれているにも関わらず、ふと吹き出してしまいそうな瞬間もあったりする。
見比べてみるのが面白いタイプの作品だと思う。
映画から原作に入ると余りにも印象が違うため、ちょっと肩透かしを喰らう気もするので。
個人的には原作→映画から入ってみるのをオススメ。
Posted by ブクログ
映画も最低限のナチスの前知識いる感じでしたが、こっちはだいぶ必要でしたね。ナチス政権下の生活について書かれた本を一冊くらい読んでからにすりゃよかったとちょっと後悔。
著者のあとがきにある『何が起こったのか理解することはできないし、すべきでない』の引用を見て、映画を見た後からずっと感じていた「Why?」に対する答えをもらった気分になった。
ある人間・組織・政府が起こしたことを「理解しようとする」ことは「身のうちに取り込むこと」でありそうすべきではないとレーヴィは言ってる。
これは「別に理由を知らずに無関心になれ」と言うわけではなく、むしろその逆で。ホロコーストを主導した総統、政府、国家の行動を「なぜそうなったのか」と理由を理解しようと試みるのではなく、起きた事実から洞察を深めてすべきという。
原作は映画と違って、ドル(ヘス)の視点の他に、下半身で生きてる感じの情報将校のトムゼン、ゾンダーコマンドのシュルムの3人の視点が入れ替わって進む。
それぞれがそれぞれに壊れて狂ってるのだが、自分の関心領域に閉じこもって、国家の罪ひいては自分の罪から目を逸らし続けているところは似通っている。それぞれの立場は大きく違えども。
後書き含めて500P、映画も合わせるとボリューミーだが、多くの人に読んで欲しい作品。
Posted by ブクログ
原作を読んでから映画を観て、なんか映画の方が怖いなと思った。どちらも人間の慣れや飽きの恐ろしさを描いていたように感じるけど、映画の方にはハンナやトムゼンのような存在は現れない。
強制収容所の痛ましい記録を見るに、どうしてそんなことになった?と思うけれども、私たちの日常生活の中で、なぜ誰も止めなかったの?と思うような出来事は起こっていて、そういうことの積み重ねの先に、ありえない出来事も起こり得る。
後から振り返って「あの時あなたが止めるべきだった」と言うのは簡単である。
上司が明らかにおかしな指示をしていているけど、周りの同僚は誰も異を唱えずに従っている。そんな場面で、おかしいと主張できるか?おかしいと主張した人に共感できるか?
Posted by ブクログ
映画見て気になって原作も読んでみた。ってか原作?「アウシュヴィッツのドイツ人看守側の話」って設定は共通やけど違う話やん。映画は映像で見せる分事件は起こらず、一方小説はけっこう事件満載。個人的には小説の方が好きかな。
Posted by ブクログ
ナチスの強制収容所の柵の内と外
司令官は任務遂行に忠実でありながら酒と薬に溺れ、将校は欲愛に執心、ゾンダーはまともな感覚を失い同胞の死体を運ぶ
異常な環境でも(だからこそ)人は自分の関心領域の中に籠もることでやり過ごすのか
手こずったけど読み切った
原作に忠実であるほど読みにくいし、かといって読みやすくすると別物になってしまう?
Posted by ブクログ
人類史に残る最大の汚点、ユダヤ人虐殺という事象の周辺にあった悍ましいものが詳細に書かれていた。ただ映画の「原作」と聞くとちょっと面食らう、いろんな違いがあるのは確か。映画は、原作に流れる重要なエッセンス「自らの関心領域に閉じこもること」の残酷・暴力を、すこぶるわかりやすく視聴覚的に訴えたものだった。ウクライナやガザの状況が悪化していた時期に公開・賞受賞したこともあり、原作の「物語」をほぼ省略し、「収容所横の限られたユートピアで『普通に』暮らす家族」を淡々と描いた映画は、恥ずべきことだが、今日性があると見做されたのだろうし、実際そうだと思う。
Posted by ブクログ
どうしてあのようなことができたのか、同じ過ちを繰り返さないよう理解しなければならないというのも、理解できてはいけないという考えも、どちらもわかるような気がした。
Posted by ブクログ
ハンナ・アーレントの「悪の凡庸さ」を思い出す小説。
ガス室で連日、非情な大量殺人が起きている。
そんな場所で支配者として生活しているドイツ人も、同胞の死体処理を続けるユダヤ人のゾンダーコマンドも、どんどん狂っていく。皆が大義も理想もなく普通に毎日を生きるそこいらの小市民で、悪の権化もいないし、正義の使者もいない。
人々にとっての戦争って、きっとそんなもの。
自分もきっとその程度。
大きなうねりの中で自我を麻痺させながら翻弄されるしかない。多少の善性に傾くことはできても、自ら何かを大きく変えるなんてことは、死ぬこと以外にはない。
Posted by ブクログ
読み終えて、やっと読み終えて、こんなに どんよりするなんて…。3人の語り手のどの人にも共感が持てなかったし、わかろうとしちゃいけないんじゃないか?という気持ちで最後まで読んだ。もう1回 読んだら すこしは語ることが できるかなぁ…。人間はわからない。蛮行とか 言葉はいろいろあるけど 人の行為。生きるためじゃなく、生き残るため。重くてずしんとくる。再読は ずっと先になりそうだ。
Posted by ブクログ
アカデミー賞5部門にノミネートされ、国際長篇映画賞及び音響賞を受賞した、同名映画の原作小説。受賞に合わせて早川書房より邦訳版が刊行されたので、手に取ってみることに。
舞台は、第二次世界大戦下のナチスドイツ、とある強制収容所。飲酒に溺れ己の"正常"を保とうとする強制収容所の司令官パウル・ドル、上官であるドルの妻ハンナとの恋愛に執心する将校アンゲルス・ゴーロ・トムンゼン、生き延びるために同胞の死体処理に従事する特別労務班長であるユダヤ人のシュムル・ザハリアシュ。非人道的な残虐行為が横行する強制収容所に関わる三者の視点で描かれる、"非日常的"日常―――。
強制収容所(と、ナチス体制)の"異常性"から目を逸らすように、それぞれの形で己の「領域」からそれらを排除しようとする姿が印象的。歴史上、決して風化させてはいけないナチスによるホロコースト。それを後世に伝えるものとして大切な作品であることは間違いないが、作品に対する私一個人としての満足度はそこまで。
Posted by ブクログ
映画のほうは見てないが、漏れ聞く限り、音響が素晴らしいが眠くなる、というものだったので、エンタメとしてはあまり面白くないんだろうな、映画だけじゃわからないところもありそうだな、と思って、原作を読んでみた。
予想よりは文学的でつまらないというわけではないが、わかりにくくてエンタメとしてもあまり。キャラがつらつら心情を述べてるの苦手。誰に話しかけてるの?神や自分自身や読者に話しかけ、作者の代弁であるのはわかってるが。
キャラの描写が自己欺瞞に満ちてて、会話の真意を読み取らなくちゃいけないのが疲れた。映画だと表情や音楽や撮り方でわかるだろうが、小説だと文字のみで、頭が疲れた。
愛国者を気取る、命知らずの軍人を気取る、心酔者を気取る、まともさを気取る。
トムゼンのハンナへの思いは赤と黒みたいで、なんか好みの女がいたらヤラなきゃもったいない精神から始まってて、最後まで、はあ?の気持ちだった。
パウルは最低すぎる。やばい。娘の扱いにもヒヤヒヤした。気持ち悪い。
シュムルの節は短いながらも端的で削ぎ落とされていて良かった。簡潔明瞭。
ところどころは良かったが、信用できない語り手、特にパウルやトムゼンの自己欺瞞に付き合うのがだるかった。
ボリスや周りの人との会話も。
ハンナは結構本音で直球だったのかな。
Posted by ブクログ
この作品を原作とした映画が、アカデミー賞を受賞したとの事で調べてみると、ちょうど公開されていました。しかし、残念な事に公開しているのは、東京の劇場のみでした。映画も観れば、最も作品への理解が深まると思いましたが、関西での公開を待つ事にします。