北田絵里子のレビュー一覧
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ネタバレ誰にも感情移入できずに終了。
ユダヤ人でありながら収容所で役割を与えられいるシュムル視点の部分が収容所の惨状を直接的に表現しているが、そのシュムルですら、後半知り合いの子に嘘をつき、死へと見送ってしまう。ただシュムルはハンナを殺しはしなかったんですね。
何もできないでいると、色々な感覚が麻痺してしまうのだろうなというのは、他の登場人物を見ていても思う。
俯瞰するように読みながら、50キロ先からの腐臭がするとか、庭の外では無数の悲鳴が聞こえるとか、蛇口を捻ると黄色い水が出てくるとか、そう言う部分にゾワゾワしながらも、
登場人物たちの何とも言えない小ささが、皮肉の部分なのかなぁ…… 読んでいて気持 -
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アラ(声が出ない美容師)、キュリ(ルームサロンで働く整形美人)、ウォナ(母に捨てられ、祖母にいじめられて育った主婦)、ミホ(超セレブと交際している芸術家)という、同じアパートに住む女たちの四視点。アラ、キュリ、ミホは友人で、スジンという、ネイリストで、キュリに憧れて整形したがっている共通の友人がいる。アラとスジンが、キュリとミホが、それぞれルームメイト。四人とも同じ田舎出身で、ミホ、スジンは同じ施設育ち。ミホは恋人の母親に好かれておらず(家柄が釣り合わないため)、その恋人は、キュリの風俗嬢時代の友達と、寝てしまう。ルームサロンというのは、個室高級クラブ的なものかな。ウォナだけ、ちょっと年齢が上
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Posted by ブクログ
人類史に残る最大の汚点、ユダヤ人虐殺という事象の周辺にあった悍ましいものが詳細に書かれていた。ただ映画の「原作」と聞くとちょっと面食らう、いろんな違いがあるのは確か。映画は、原作に流れる重要なエッセンス「自らの関心領域に閉じこもること」の残酷・暴力を、すこぶるわかりやすく視聴覚的に訴えたものだった。ウクライナやガザの状況が悪化していた時期に公開・賞受賞したこともあり、原作の「物語」をほぼ省略し、「収容所横の限られたユートピアで『普通に』暮らす家族」を淡々と描いた映画は、恥ずべきことだが、今日性があると見做されたのだろうし、実際そうだと思う。
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Posted by ブクログ
“おおかたの人は、ほんとうの闇を理解する力を持っていないのに、それでもなんとか手助けしようとする。”(p.44)
“「わたしは働く余裕がなくなる、というか働けなくなるのよ」
わたしの聡明な夫は、そういう実質的な問いに対してはいつも確実に愚かな答えを返す―
「ともかく子供を持って、追いおい考えていけばいいんだよ!うちの親も助けてくれるだろうし!」
ときどき、屈託なくのんきに微笑む夫を見ていると、痛いほどの嫌悪で心がよじれるのを感じ、表情を見られないよう慌ててうつむくことがある。何はともあれ、彼は優しい人だし、結婚相手にこの人を選んだのはわたしだと、常に自分に言い聞かせていなくてはならない。” -
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2017年3月に医療系情報サイトに、臨床死に至った患者が、生命維持装置を切ったあとも10分38秒感、生者の熟睡中に得られるものと同種の脳波を発し続けたという報告が掲載された。その10分38秒に人は何を思うのか。
1990年、イスタンブールの路地裏のゴミ容器の中で、レイラは息絶えようとしていた。
レイラは1947年、トルコの保守的な家庭に生まれた。厳格な父親には二人の妻がいる。レイラの本当の母親は2番目の妻だけど、1番目の妻を「母親」だとレイラに伝える。あるとき本当の母親が「自分が本当の母親」だと言うが、レイラは特に動揺をみせない。叔父による性犯罪の被害を受けるが、父親は叔父を庇い隠蔽しよ