太田忠司のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
甘栗くんシリーズ第2弾。
高校生探偵・新一、ならぬ、甘栗くんが頑張ります。
この子も背伸びをしているのでしょうか、「私」という一人称を使っています。
そこからも分かる通り(?)、とても真面目な子らしく、自炊もするし、予習もしたりします。
(今どきの高校生ってこんなに真面目なのでしょうか?
僕の時はそんなことはありませんでした。
・・・もしかして僕が不真面目過ぎたのか・・・?)
物語は予定調和的にあっさりテーストですが、裏切られた事が2つありました。
一つは、クライマックスの物語運び。
そのグループが動きましたかぁ、という感じ。
二つめは、「あの人」の出演の仕方。
こっちはなぁ~・・ -
Posted by ブクログ
ネタバレおもしろかった。
太田さんのはどこか人にやさしい感じがするお話が多いので好き。
月に庭をつくるためにやってきたエチカ。
くる途中にとある誘拐を防ぐのだが、なるほど、そーゆー理由があったのか、と納得。
迷惑ではあるけれど悪気はなかっとゆーことか。
月からのメッセージ。
ではなくかつて月にやってきたものからのメッセージ。
正直外観は受け付けないが(足長的生き物は苦手)ストーリーとしてはありだと思う。
最初の住人が倒れてたとこでは、てっきり殺人事件かと。
閉鎖された空間での、ありえない殺人。犯人はだれなのか?
観察眼のするどい庭師の活躍~!みたいな話なのかと思いきや、
傷を負って、かたくなになっ -
Posted by ブクログ
太田 忠司 『まいなす』
(2008年11月 理論社 / 2012年 9月 PHP文芸文庫)
タイムマシンもタイムトリップも使わず、過去を変える方法とは何か?――
那須舞は明るくしっかり者の十四歳。英語読みすると名前がMai Nasu=マイナスとなるのが密かな悩みだ。困っている人を見ると放っておけない舞は、不思議な伝説がある山で、倒れていた少年を助けるはめになる。だが「未来を見た」という少年が告げた予言をきっかけに、平穏な町に悪意に満ちた事件が連続する。予言は本当なのか? 不可思議な謎に果敢に立ち向かう舞の姿を描く、爽やかな青春ミステリー。
主人公は特に際立った特殊能力もないごく普通の女 -
Posted by ブクログ
太田忠司さんが20年前から執筆されている藤森涼子シリーズのオムニバス本。
この本を編集された方のコメント(はじめに・解説)のおかげで、藤森さんが私たちと同じ時間を共有し、同じ年を召されていることを知りました。
(主人公が探偵になるまえの20年前には、バブルがはじける前で、冬は毎週末にスキーをしていました。そうです・・・。)
だいぶ以前に読んだ小説のダイジャストでしたので、今回も楽しめるのか、読む前は不安だったのですが、そして(?)、その不安を後押しするかのように読み出すとストーリーも思い出していったのですが、それでも展開にハラハラして、一気に読んでしまいました。
今回初めて藤森シリーズを -
Posted by ブクログ
阿南シリーズ3作目。
今作の舞台は石川県。阿南の仕事はコンビニ店員に変わっている。自分の勤務先のコンビニに強盗が押し入り、その犯人を諭して自分の金を貸したことから、再び探偵まがいの失踪人調査の依頼を受けることになる。
相変わらずの、自分をとことんまで律した孤独な生き方の主人公。でも、コンビニの同僚と会話したり、事件で関わった女の子のことが気になってみたりと、前作よりちょっと社会性が出てきたかな。女の子に振り回されている阿南が可愛く思えてきたり。
最後まで読んで、再び最初のページを読むと、ああ、なるほどと思います。シリーズの中では今作が一番好き。 -
Posted by ブクログ
交通事故で唯一の肉親である父を喪い、天涯孤独となった甘栗は
父の探偵事務所と共に、父が最後にやり残した探偵の仕事を引き受けることになった
無事に依頼をこなせてホッとしたのもつかの間
平穏に日常を過ぎる彼の目の前に、戦車が立ちはだかった……
*
甘栗探偵2巻目
前巻もだけど、タイトルがとても素敵だと思う
今回も甘栗が引き受ける探偵の依頼は「人探し」
持ち前の推理力・洞察力を発揮して、
トントンと手がかりを掴んでいく甘栗だったけど
事態はシロノワールほど甘くはなかった
依頼主の関係から幾度となくきな臭い雰囲気になり
ちょっとハラハラした
しかし、甘栗のクールで大人びた様子はなんだか見ていて安 -
Posted by ブクログ
読みごたえがあった…!
のにも関わらずすらすら読めてしまうのは、太田さんの文章力!
「関係」を書く小説って、どうしても感動するほうこいうに持っていきがちだが、この太田忠司の「Jの少女たち」はその手の感動はない。感動して終わり、というのは確かに心に響くかもしれないけれど、その感動が得られた時点で終わってしまうのだ。物語の終わりとともに、共感した部分、突きつけられた自分の甘さも、同時にほとんどの部分が完結してしまうのだと思う。
「Jの少女たち」ではそうではなくて、もちろんステレオタイプ的な親子関係だったりが登場して、子どもの側から自分が親に抱く不信感や苛立ちなどに共感する場面もあるのだが、もっとこ