木皿泉のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
二人で一人のドラマ脚本家の対談というかエッセイ
作者は「すいか」「野ブタをプロデュース」「セクシーボイスアンドロボ」「Q10」の脚本家、木皿泉
随所にドラマの世界観が現れていて、もともとそんな人達なんだね~と思った
この方々の書くドラマは名言が多い
それでいて「どやっ!いいゼリフやろ!」臭が感じられずにさらっとしているので、さらによく感じる
セクシーボイスアンドロボだったら、2話の「ごぼ蔵」の最後のセリフ、
「私も取り替えられない人に出会えるのだろうか。もしそんな人に会えたならどんなに心強く生きていけるだろう。会えるかどうか分からないけど会えなくてもどこかにそんな人がいると思っただけで、どんなに明日は楽しいだろう。そっか…それが恋愛か。」
とか
3話「お歯黒女」で依頼を受ける所
「自分のやりたいことを自分でやるのが、自分らしさなんて勘違いしてる?気の進まないことでも、押し付けられたことも自分のやり方でやり通す、それが自分らしさということ。」
なんかが、好き
でも、何より好きな「すいか」の方はとんと名言が思い浮かばないんだよね
まぁ、セリフは思い出せるけど、果たしてそれがそんなに名言かと言われると、考えてしまう
となると、「すいか」はシチュエーションにぐっときたドラマということか
そんなドラマの世界観まんまの二人の会話なのでとても考えさせられながら読みました。 -
Posted by ブクログ
懐かしい……。あれからもう10年も経ってしまったんですね。読む前は「シナリオ本って面白いのかなぁ」と不安だったのですが、いやいや、読み始めたら役者さんたちの顔が浮かんで来て、小説とは違った楽しさがありました。そうかー、基子さんのあの状態は煮詰まってたのかー。
P20の「J・ディプトリー・ジュニア」が気になります。絆さんが読みたかったのは「ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア」ですよね? これは絆さんの書き間違いってこと? それとも著者の書き間違い? 単なる誤植? 「すいか」の世界には「ディプトリー・ジュニア」がいるのか? ああ、気になる~。
それにしても、2003年に書かれたものなのに、双子の名前が「絆」と「結(ゆい)」って。今だったら皮肉っぽくも聞こえるけれど、当時は特にそんな意味はなく普通に名付けたんだろうなぁ。よし、2巻買って来よう! -
Posted by ブクログ
嫌なこと、悩み、不安、いろんなネガティブな感情を私は自分の中で実際よりも大きく育てているのかもしれない。
誰かに話す時に同調してほしくて大げさに話しているかもしれない。
この本の中のかっぱさんと大福さん(ちゃん付けは親しい人じゃないとしてはいけない気がする)の話の中にもたくさんの嫌なこと、悩み、不安があるのに、それを2人はのほほんと話している(ような気がする)。
もしかして、こたつで、お茶を飲んで、みかんを食べながら?
はたまたお酒を飲みながら?
そんな絵が浮かんでしまうくらい心身ともにリラックスした雰囲気が伝わってくる。
素敵だなぁ…。
その雰囲気も、2人の言葉も、私のことまで救ってくれるかのようだ。
なんなんだろう?この安心感は。
どうしてこんなにもほっとしてしまうんだろう。
木皿さんのことを好きになってしまった。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ派手な事件や大きなストーリー展開があるわけではないものの、静かで心地よい時間が流れる作品だった。
気負わず読める軽やかさがあり、ページをめくるたびにふっと肩の力が抜けていくような読書体験になった。
物語の中心にあるのは、夫を亡くした女性と、その義父との不思議な同居生活だ。通常なら重く描かれそうな設定だが、この作品では悲しみを過度に dramatize することなく、日常の延長線上にそっと置かれている。
二人の距離感や会話の温度が絶妙で、読んでいるこちらも自然と穏やかな気持ちになっていく。
更に、家族やその周辺の人々が登場することで、物語に柔らかい広がりが生まれている。
彼らの何気ない言葉や行動に、小さな感動が散りばめられていて、ほっこりと心が温まる瞬間が何度もあった。大きなドラマがなくても、人の優しさや生活のぬくもりがこんなにも豊かに描けるのだと感じさせられる。
全体として、静かな日常の中にある温度や、失ったものと共に生きていく姿勢が丁寧に描かれた作品だった。
読後には、落ち着いた気分と、少しだけ前向きになれるような柔らかい余韻が残った。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ人間社会に秘密裡にスパイロボットがいるというテーマのアンソロジー。
一番最後のストーリーが良かった。
何でもできる姉とずっと比べられていて、姉の存在がいなくならないと人生が始まらないかのような主人公。
似た境遇の知人からその知人の姉を殺すよう依頼を受ける。
報酬は何でもOK。主人公が選んだのは、姉が受賞しないこと。
主人公は知人の姉の、他人には見せない苦しみ藻掻いている姿を垣間見て、殺さず帰宅するのだが、帰路にカゲロボに出会う。
主人公の闇の深さからずっと見ていたという。
新美南吉のカタツムリの悲しみの、人それぞれの悲しみがある。
だから、他人の悲しみを十分に理解して受け止めることは難しいし、それを期待してはいけない。依存になるから。
でも、悲しみが深すぎる時、突然襲ってきた時、誰かに共感してもらいたいものではないだろうか。
たとえロボットでも、「ずっと見ていた」と言われたら、この世にわかってくれる人が一人でもいたと救われるのではないだろうか。