木皿泉のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
本書を読んで一番強く感じたのは、人は「過去を乗り越えて」前に進むのではなく、過去を抱えたままそれでも日々を生きていくのだということだった。
この作品には、大きな事件や劇的な展開があるわけではない。誰かと話したり、ご飯を食べたり、仕事をしたり、誰かを好きになったりする。そんな一見すると何気ない日常の積み重ねによって、登場人物たちは少しずつ前へ進んでいく。
興味深いのが、タイトルの「昨夜のカレー、明日のパン」という言葉。昨夜のカレーは過去で、明日のパンは未来。その間にある「今日」を、人は生きているのだと思う。過去にどれだけ大きな喪失があっても、それを消してから未来へ進む必要はない。昨日のカレーを抱えたまま、明日のパンを楽しみにしてもいい。
また、テツコとギフの関係を見ていると、家族というものは必ずしも血のつながりだけで決まるものではないのだとも感じた。一樹は亡くなってしまったけれど、一樹がいたことで生まれた人と人とのつながりは残り続ける。人は亡くなっても、その人と過ごした時間や、その人によって生まれた関係まで消えてしまうわけではないのだと思う。
この作品を読んで、「ちゃんと前を向かなければ」と考えすぎなくていいのかもしれないと思った。過去を引きずることも、立ち止まることも、決して前に進めていないということではない。それでも今日を過ごし、明日になればまた何かを食べて、誰かと話して、一日を始めればいい。
人生には、どうしても取り戻せないものがある。でも、取り戻せないものがあることと、これから大切なものに出会えないことは別なのだと思う。
「忘れること」ではなく、「忘れられないものを抱えたまま生きていくこと」。それも一つの前向きさなのだと、この作品から教えてもらった気がする。 -
Posted by ブクログ
二回、読んだ。
一度目はいつも通りに。
二度目はじっくりと噛み締めるように。
あらすじに、
病気のため43歳で息をひきとるが、その言葉と存在は、家族や友人、そして彼女を知らない次世代の子どもたちにまで広がっていく。
と書いてあった。
フィクションだから、奇跡みたいなことがおこるのかな?と軽く思ってたけどそうじゃなかった。
普通に生きてる人が、日々生きていく中で起こす行動や言動であっても、人の心に響くことがあるんだ。ずっと心に残り、その後の人生の指針になり得ることも。
私は偉人にはなれない。
国から表彰されることも世界的にすごい賞を獲ることも絶対に、ない。
何も残せないどこにでも居るような一人でも、何か残せることがあるのかもしれない。
そんなことに気づかされた一冊だった。
ありがとう。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ・ドラマを書く仕事をしていて考えるのは、人は何を見たいのかということだ。ストーリーだと思うかもしれないけれど、実はそうじゃないと私は思っている。見たいのは、人間のリアクションなんじゃないだろうか。バラエティー番組で追い詰められた芸人さんの姿に思わず笑ってしまう。ドラマも同じだと思う。役者がこの状況でどんな表情をするのか、もしかしたら見たいのはそれだけかもしれない。
・よい結末になるかどうかは、日常のささやかな行動の中にすでにある。人はなりたいものになれるはずである。
・匂いは、コトバにできない、でもそこにある。白い夏の制服に、うっかりつけてしまった習字のシミのように、洗っても洗っても消えずにそこにある。まるで私が生きていた証拠のように。
・どんなコトバを信じて、どんなコトバを拒むのか。私たちが今感じていることが、この後の世界を決めてゆく。
・会いたいというのは、その人が、「いる」といくことを、ただ感じたいだけなのだ。私もあなたも、分け隔てなく、そう思ったり思われたりしている。
会いたいと思うのは、無事にいてほしいという、祈りみたいなものなのだろう。
・友人と見た海の夕日は、今も忘れられないが、それは別にハワイじゃなくてもよかったのだ。何処でとか、何をとか、そんなことは重要じゃない。誰となのか、それだけが大事なことなのだ。
・テレビニュースで、黒人が現地の警官に背後から撃たれたというのを聞いて、なくなるのはその人の命だけではないなぁと想像する。その人のいる場所に帰りたかった人はどこに帰ればいいのだろう。
・与えられることばかりに慣らされて、私たちは目だけは肥えているのに、何も作り出すことができない人間に成り下がってしまうのかもしれない。ヘンゼルのように道に迷わないようパンをちぎって帰り道に確保するべきだろう。それだって鳥に食べられてしまうわけだから、世間というのは油断も隙もない。見てるだけじゃ、生きてゆく地図はつくれない。
・数字は便利なものだが、その背後にある物語を見えなくしてしまう。人を数字に置き換えたとたん、それは利用する者には消耗品にしか見えなくなり、どこまでも無神経になれるのではないか。
・宗教が持っていた物語が脆弱になってしまった今、死という現実も個人で背負わなければならない。大事な人を失った喪失感をどうやって一人で癒すのか。不条理としか言いようのない状況に立たされた時、どうやって一人でしのぐのか。そのための物語が、わたしたちに必要なのではないか。