樋口毅宏のレビュー一覧
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タモリや同時代の芸人についてのウンチク本ともいえるが、読者である自分の人生と重ね合わせると、タモリが30年以上「いいとも」をやってきたことの偉業さを気づかせてくれる。また、その偉業を成し遂げるために必要だった、ある意味、世間や人生に対する諦観を30数年の中で身に着けていったということか。振り返れば自分はたった20年にすぎないが同じような感覚でいたのではないかとも感じた。それでも淡々と続けていける心性が必要なのだろう。そういう意味では60歳を目前として、今後の生き方にわずかなりとも影響を与えてくれた。「マンネリズムのすすめ」ということか。偉大なるマンネリズムの中で、ところどころキラリと輝く星のよ
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黒澤明 驟雨しゅうう 作家の白石一文と同じ職場で働いていた編集者 鼎談ていだん 佐藤優まさる 大学は同志社で神学を学び 才能に見切りをつけることができず、その後も野球に固執していたら、俳優・仲村トオルは誕生しなかった。 槇原敬之とスマップが一緒になって歌っているのを見て、兼吾は柄にもなく泣きそうになった。 競争があったから今の自分がいる。槇原敬之はそう叫びたかったはずだ。 踵を返して 心は綯交ぜだった 近親憎悪 未曾有の災禍さいか 自分は人と違うってアピールしたいんですか? 骨董品のような音楽 ウィーザーの赤裸々で自意識過剰の歌詞 ピンカートン ハーバード大学に復学 歌川広重のえをジャケットに
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内容(「BOOK」データベースより)
中国から久しぶりに戻った俺を出迎えた友の死。東京、雑司ヶ谷。大都会に隣接するこの下町で俺は歪んだ青春を送った。町を支配する宗教団体、中国マフィア、耳のない男…狂いきったこのファックな人生に、天誅を喰らわせてやる。エロスとバイオレンスが炸裂し、タランティーノを彷彿とさせる引用に満ちた21世紀最強の問題作、ついに文庫化。脳天、撃ち抜かれます。
ホモホモエログロドロドロドンパチドンパチアンアンアンという本です。疾走感がすごいのに寄り道もすごい。話に関係するのかと思うサブカル系の話題も全く関係ないまま疾走し続けます。雑司ヶ谷という作者が生まれ育った静かな町に紙面 -
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『考えてみる。私が人生でいちばん幸せだったのはいつだろう? 自分がこの世界の主役と疑わなかった頃は。』
『人は国とか社会正義とか、大義のために生きてはいけない。自分のために生きることがいちばんだ。
それにあれだよ、「人の為」って書いて「偽善」の「偽」だよ。みつをも言ってた。』
「僕たちは偉大なる先人をリスペクトしているからね。右から左に移すのは盗作。愛があればオマージュ。なければただのパクリ」
「おまえは自分では心の優しい女だと思っているがそれは大きな間違いだ。嫌になるほどおまえのことを知っている俺は断言できる。おまえは拭くのが面倒臭いという理由でネコを電子レンジに入れて死なせておきなが -
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これまでなぜか語られることがなかった芸人タモリを新鋭の異才作家・樋口毅宏が著すとなり、出版前からかなり話題になっていた本。タモリって、30年間もいいともに出続けながら西川きよしのような刻苦勉励さは微塵も感じず、脱力感は所ジョージ同様でありながら、ライフスタイルを切り売りをせず、たけし同様大学中退のインテリでありながら政治について黙して語らず。博覧強記でありながら上岡龍太郎的な理屈分析を芸風にはせず、もちろんクイズ番組にも一切出ず、本も出さない。とは言え、ストイックな堅苦しさも醸さないし、お笑いの大御所よろしく、自分の番組に可愛がってるタレントを遇することもない。そう、どの鋳型にもはまらない得体
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「新日と新日本は違うんです」ーー昭和のプロレスファンは新日本プロレスを「新日」と呼び、2016年のプロレスファンは「新日本」と呼ぶ。
伝説のプロレスファン漫画「最狂超プロレスファン烈伝」の著者・徳光康之氏は熱く語った。
総合格闘技にプロレスラーが登場しては惨敗する中、21世紀に入ってからプロレス界は長い冬の時代を迎える。
業界最大手の新日本プロレスは、遂に身売り。カードゲーム会社に買収される。
マニア層を切り捨て、スタイリッシュなスターを登場させ、会場は「プ女子」に代表される新しいファンで埋め尽くされる。
しかし、現在のプロレスには何かが足りない。
プロレスとは、哀愁、やるせなさ、野心、痛み -
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論。論……というかエッセイに入れておこう。
読んでて面白かったから書籍の体にはなっているし、自分で観たことしか書かないという姿勢もすごく好き。ただ「論」と題しちゃったことで招かなくてもいい客を招いてしまった感じ。
ビートたけしの文章だけ読んでいるとわからないようなたけしの本性を見抜くだけの視線の鋭さはある。演技のベースになっているのは泉谷しげると内田裕也だ、というあたりの指摘はよく見てる、と思える。
慧眼のはづなのに、「論」にするほどのやる気はない感じ。文章の軽さも印象に拍車をかけている。
ただ、本が本だけに「これでいいのだ」と言ってしまっていいようにも思う。「論」の体裁なんぞ、周 -
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まぁようこんだけ胸糞悪い話を書いたなぁ、という。在日、妾腹の子、性同一性障害、一般的に弱者とされる人々がいたぶられるのを目を逸らさずにずっと描写するのな。いや、後書きにあるとおりいたぶった側が最終的にはヒドい殺され方するんだけど、それにしてもねぇ。決して悪口を言ってるわけではなくて、胸糞悪い話をちゃんと書き続けて、読ませ続けるのは作家としての力量だなぁ、と思うわけです。胸糞悪い話がイヤならベタ甘なラブストーリーか勧善懲悪な時代小説だけ読んでりゃいいんだろうけど、こちとらそんなもんいらないわけで。
あと、巻末の梁石日との対談、梁石日75歳もビックリだけど、樋口毅宏がこれでもかっというくらいに梁石