樋口毅宏のレビュー一覧
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凡夫 寺島知裕。 「BUBKA」を作った男
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試し読み
Posted by ブクログ
悪趣味サブカル全盛期の群像劇として非常に面白く、一気に読んでしまった。人物評伝として読むとちょっと物足りないが、当時のコアマガジン周辺の個性的な人たちの行状が生き生きと描かれており、ひとつのムーブメントの記録としてとても面白く読めたし、記録としても貴重なものである。クセの強い面々をうまく使った経営者のしたたかさと懐の深さは、コンプライアンスばかり気にしている今どきの企業経営者には到底まねのできないものだ。著者は「あの頃はよかった」にならないよう気を付けたというが、事実として歴然とあの頃は良かったのだ。巻末には弁護士のコメントも寄せられているが、こういう本を出すのにいちいち弁護士に事前相談しなければいけないギスギスした現代の世情といい、まったく「正しさ」の横暴には困ったものである。
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Posted by ブクログ
序盤は「私は今何を読まされているんだ…」という気持ちになった。官能小説を読んでいるのか?と。
まぁでもそもそもこんなタイトルで手に取っているのでね。
中盤からは別の小説かと思うくらい怒涛の展開と、登場人物達の思想、気持ちが語られる展開が繰り広げられ非常に楽しく読めた。
著者の樋口さん男性のようだけど、彼が感じている女性蔑視、対する女性の強かさなど、そういったものがリアルでとても繊細で洞察力がある人なのだと思った。
本当の愛って自分の悲しみや傷や怒りや負の感情を相手に悟らせないのかも。
こんなにバイオレンスなのに、愛について考えることもできて不思議で、良い意味でめちゃくちゃな作品だった。
サブカルが好きでエログロ平気な人にかなりオススメしたい。
著者の本は初めて読んだけど、すぐ別の作品も購入した! -
凡夫 寺島知裕。 「BUBKA」を作った男
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Posted by ブクログ
性表現が秀逸です。
官能小説のような直喩的な淫表現は取り扱わず、あくまでも間接的な表現で男性同士の官能を表現しています
男同士で契り合うときの言い訳の狡さ、衝動は目を惹きます
一番好きなシーンは平日の昼間からラブホテルに入るシーンです
後ろめたさと抑えられなかった衝動が禁欲さと熱を表しています
笑ったのは不倫がバレたときの嫁の豹変っぷりですね
彼女の祖先はサイヤ人なのでしょう
不倫した旦那と同衾したくない、湯船に浸かりたくないという生理的嫌悪感が生々しかったです
バリキャリ面の嫁だったため尚更女々しく悩む様が印象てきでした
同人上がりの妄想だけで突っ走るBL作家とは違い、ちゃんとした“小説家”の人がしっかり書いた同性愛表現のある不倫小説で、とても読み応えがありました -
Posted by ブクログ
「笑いについて知るものは賢者だが、笑いについて語るものは馬鹿だ」
「タモリとお笑いへの思いを一冊にまとめる。そのためなら、僕は喜んで、馬鹿になろうと思います」
(「はじめに」より)
ここまで言い切る著者があえて、タモリについて、お笑いについて語る一書。
よくぞここまで書き抜いた。
著者の当事者に対する距離感と、愛の深さから生まれる論考の数々に目からウロコが落ちまくる。
昭和から平成を駆け抜けた究極の長寿番組「笑っていいとも!」の真骨頂について。
「私も、あなたの数多くの作品のひとつです」--恩師・赤塚不二夫の葬儀での伝説の弔辞。
「世界のキタノ」ビートたけしの原点は、無名の青年時代の師匠・深見千三郎。
プロレスラーに例えれば「華麗なる盗人」(古舘伊知郎)と呼ばれたハルク・ホーガンだ。
憧れを自分の中に取り込み、昇華させていったから。
「さんまさんはよく言っていた。俺はひとを笑わせるために生きてきた」ーーどんなに悲しみ背負っていても笑いを作り続けた明石家さんまは、プロレスラーでいえば武藤敬司。
それは、どんなに強くても総合格闘技には行かなかった。
著者はこの本を読み感動した女性から告白され、結婚にまで至ったという(エッセイ集「大江千里と渡辺美里って結婚するんだとばかり思ってた」より)。
まさに、人生の節目に「いいとも」があり、「タモリ」がいた。
だが、その人生を節目をたぐり寄せたのは著者自身の力だ。
「人間のすることで、他の動物にはできないことがふたつあります。それは、笑うことと、祈ることです」(「おわりに」より)
批判されることを覚悟で、愛するものを語り抜いた、著者の覚悟が素晴らしい。
渾身の一書。 -
Posted by ブクログ
今回5度目になる仙台名古屋往復フェリー8800円の格安旅のはずが、台風24号来週で帰りの名古屋発フェリーが欠航になったため、東海道と東北新幹線に乗って帰らなければならなくなり、行きが4400円なのに帰りは25000円もかかってしまった。
私は旅に出る度、かなりの確率でアクシデントに出逢うが、今回ほどのアクシデントは久々だなあ、と思っていたらもっと凄い事があったのを思い出した。
そんなわけで、この本を読んだわけでもないのに、私の昔の飛行機アクシデントを単に書いてみる(笑)。
私が生まれて初めて飛行機に乗ったのは新婚旅行。「ウイーン、フィレンツェ、ベニス、パリをめぐる10日間グルメツアー」というものだった。当時ヨーロッパへの直行便はなく、アンカレッジ経由で行くため、やたら乗っている時間が長い。それはまだ良いのだが、アンカレッジで給油し離陸した数時間後、機内アナウンスが英語で流れた。
完全には聞き取れなかったが「this plane has minor damage」という言葉が私の耳に入って来た。「マイナーダメージ??」私が考える間もなく、通路を歩いていたCA(当時はスチュワーデスさんですが)の顔色が青ざめたように見えた。
乗客の殆どが外国人、私たちのようなツアー客少数が日本人だったと思うが、外国人がざわつき始めた。その後、日本語のアナウンスで詳細な説明がなされた。
「アンカレッジ空港から報告があり、飛行機のタイヤの残骸が発見され、この飛行機のタイヤがパンクした模様です。でも安全には問題ありません」とのことだった。
「安全には問題ない」と言いながらも、CAの女性たちはとても怖い、或いは沈んだ形相になっていた。私たちツアー客は添乗員に確認したが、添乗員も不安気に説明するばかりである。
「Oh my god!!」という叫び声がどこからか聞こえて来た。
それから数時間、私は生きた心地がしなかった。生まれて初めて乗った飛行機で事故に遭い死んでしまうのか。なんて運が悪いのだろうと覚悟した。
コペンハーゲン空港に着陸する直前になると、CAが乗客全員に非常時着陸の態勢を取るように指示しながら通路を回る。彼女たちの顔もどこか寂しげである。
前かがみになり膝に手を回していた私にCAが寄って来て「眼鏡を外してください」と英語で言った。ああ、やはりそんなに危険な着陸なのだとあらためて思った。
飛行機が降下体制に入る。僅か数分の時間が異常に長く感じられた。車輪が空港の滑走路に触れた時、衝撃と振動が伝わって来た。心臓に悪い耳障りな音を立てながら、飛行機は滑走路を走る。でも、そのスピードが少しずつ弱まり、何事もなかったように飛行機は止まった。停止が完全に確認されると、乗客から一斉に大きな拍手が起こった。
何とか無事に着陸できたらしい。私は体を起こし、窓のカーテンを開け外を見た。その光景を見た時の驚きは今でも忘れない。
窓の外には、何十台もの黄色い救急車が待機していたのである。つまり、一つ間違えば大惨事になっていたほどの事件だったのだ。
幸い、そのスカンジナビア航空のパイロットが熟練で腕が良かったので助かったらしい。飛行機を降りるとき、CAや乗組員に乗客みんなが「Thank you」と言い、あちらも満面の笑みで返してくれたのは言うまでもない。
今から33年前、昭和60年3月17日のことである。
何故この時のことを思い出したかというと、話はこれで終わりではないからだ。
3月というのはヨーロッパではストライキが盛んな時期で、帰りはシャルルドゴール空港から成田への便のはずだったのに、航空会社の乗務員たちもストに参加したため、その飛行機が欠航となり、韓国の金浦空港経由、京都行の飛行機に振り替えられたのである。
お陰で京都に一泊する羽目になった。私は緊急の仕事などなかったので、タダで京都の高級ホテル一泊追加になったと喜んでいたが、急ぎの仕事がある人もいて、かなり困っていた。
会社の同僚や上司にはヨーロッパに新婚旅行に行くと伝えていたのに、お土産として韓国の「キムチ」と京都名物「おたべ」をあげたので「本当にヨーロッパに行って来たのか?」と疑われましたが(笑)。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ事実と真実、様々な人間たちの主観や思いが交差していく。それぞれの信じたいものや気持ちのよるべきところは違うから多種多様でまったく色合いが違うものが同じように立ち上がってくる。ある事実について語ること、あるいは真相を確かめようと望むこと、人の数だけ真実がある。信用できない語り部とは違う、Google的な無限な言葉の羅列は幾層にも交差し絡み合うから見たいものだけを見て、聞きたいことだけを聞くことになる。
多様な知りたくない事柄や意見は自分達を惑わすから敵認定や陰謀だと敵視するか嘲笑うように攻撃して貶めていく。グローバリズムの波は自分達の所在なさに、あるいは「私」というものに振り回されている人には防御壁として愛国だとか言い出して国家や歴史になんにもない「私」をなんとか持ちこたえる担保にしていってしまった。国家や歴史を「私」を支える土台を期待してはいけない。それはいつでも反転し覆るし、当然のように繋ぎ目のようなパテみたいな嘘が入り込む。
多くの声は自分以外の命であり視野の可能性でありノイズだ。「私」たち自身の声も同様に他者にはノイズだ。世界はノイズで満ちている。それを消し去り自分たちにとって心地いい声だけが響き渡る世界なんて嘘しかない。ノイズは現在だけではなく、過去からも未来からも響いて世界を構築している。君のノイズも僕のノイズもあなたのノイズも同じように意味があり同時に意味のないノイズだ。自分以外の、自分達以外のノイズが消えた世界を求めるならそれは不可能だ。世界は不協和音といくつもの層が同時に存在しているから。この本に綴られているのはいくつものノイズ、だからこそ自分の物語ではない他者の物語や声を聞くことができる。