上野誠のレビュー一覧
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ネタバレ大和三山(香具山・畝傍山・耳成山)を単なる地形としてではなく、神話、伝説、儀礼、詩歌が重層的に堆積した「歴史の記憶の層」として捉え直す万葉学・民俗学・考古学の研究書。本書の特色は、大和三山は単なる山ではなく、天から降ってきたという神話、渡来人が見た外交の風景、そして中大兄が恋の苦悩を託した装置であることを明らかにする点にある。
地鎮祭の思想的背景が主要論点の一つ。藤原宮大極殿院南門から出土した壺内の九枚の富本銭と九個の水晶は、陰陽五行説における陽数の極(九)に基づき、土地の神を鎮める無限の献上を象徴する。
三山鎮護の東アジア的源流も重要な論点。宮を三山が守る都市計画は、百済の扶余や新羅の慶州の三山(神仙思想に基づく三神山への憧憬)の影響を受けている。
「天の香具山」の神話的意味については、香具山が「天の」と冠されるのは、天から降ってきたという起源神話に基づき、世界の中心・神界の出先機関として意識されていたためである。
天智期関連では、中大兄皇子について、三山の歌(巻一の一三)の作者。神代・過去・現在の時間を接続し、自己の抒情を伝説に託して表現した。白村江については、百済救援のための西征(斉明7年)に中大兄が同行。その途上、播磨の印南国原や大伯海で三山の歌や豊旗雲の歌が詠まれた可能性が高い。称制については、斉明崩御後、正式な即位を経ずに政権を運営した時期。この「近江宮に天の下治めたまひし天皇」という呼称が万葉歌の題詞に残る。
講談社現代新書で、三山の性の論争など、学説が入り組む部分は「楽屋裏」を覗く覚悟が必要。天智・天武・額田王の三角関係説を「美しき誤解」として退けており、ロマンス至上主義で読むと梯子を外される点に注意。天智まわり関連度は極めて高く、中大兄皇子の主要作品である「三山の歌」を、伝説、地勢、外交状況から徹底的に解剖しており、人物造形に直結する一冊。 -
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タイトルが面白そうだったので深く考えずに購入しました。結論から言うととても面白かったです。私自身は会社員で万葉集は読んだことがありませんが、子供のころから百人一首は大好きで、歌の意味や歌人の経歴などを調べたことはありましたので、時代は少し違いますが、少し「土地勘」はありました。例えば持統天皇、天智天皇、山部赤人などは百人一首にも登場しますので、百人一首の歌の記憶をたどりつつ、なるほど万葉集の時代の人々は、カミ、ヒト、モノ、をこうとらえていたのか、というのはだいぶ理解が深まりました。それこそ、百人一首に含まれる持統天皇の「春すぎて・・・」は、人間が香具山に衣を干しているのではなく、「香具山が衣を干している」という解釈ではないかというくだりには、私も頭をガツンとやられた気がします。本書を通じて日本の古代人が身近に感じられるようになりましたし、万葉集も読んでみたくなりました。
日本の古代人は、生物、無生物に関係なく身体性、心性、霊性があると考えたこと、それはモノの擬人化というよりも、そもそもモノにも上記3つが備わっている、それは人間と一緒であるという考え方の方が自然だとのことでした。また多神教とは、神様がたくさんいるというより、後からあとからカミが増え続けることを意味する、という説明が新鮮でした。その中でも特に、山、そしてモリ(ミモロ)におわすカミが、神のなかでも頭的な存在で、都の近くにある山、森がカムナビとしてその時代の最上位の神と考えられていたようです。
あらためて日本には、日本書紀、古事記のような記録だけでなく、万葉集、古今和歌集のような歌集も残されていて、そこから古代人(もちろん貴族限定ではありますが)の精神性、感性を読み取れる、というのはなかなか世界に類を見ないすごい文化なのではないか、と思いました。まずは明日香、藤原京、平城京跡などに足を運んでみたいと思います。 -
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人物叢書の仲麻呂の後に読みました。
人物叢書とは違う説もあり、また上野先生らしく叙情的な詩や歌の訳が読みやすく面白かったです。特に王維の仲麻呂への送別詩の章がなるほど圧巻。意外に天の原の和歌は伝承的な面からのアプローチがメイン。
唐での仲麻呂に関しては人的ネットワークを重視しておりましたね。上野先生は科挙及第説だけど、科挙及第してない説の人物叢書でもその辺りが重視されてたような。やはり仲麻呂に対面的な人間関係構築の才能があったと思われる。
仲麻呂を語る上で真備が必須(あるいは逆も)なのはこの本でも同様でしたが、やはりこの二人全然違うな!というのが色々読めば読むほど実感されますね。そもそも遣唐使がこのタイミングで無かったら全く接点が無かったかもしれない。
天の原の歌に関しては、この歌の余白部分とそろそろ伝説の人に近い阿倍仲麻呂の人生とがセットになった時に増幅されるイメージが後世として語り継がれやすいものだったという気がします。
仲麻呂や清河などの過去の遣唐使が後世同じ遣唐使発遣の際に贈位されたりしてるのは怨霊信仰のようなものだとありましたが、和歌で語り継がれるのもそれに近いと思いました。
やはり遠い世界の伝承の中の人物のイメージのほうが強そう。 -
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宴会、つまり令和出典となった万葉集の梅花の宴にも触れてあるのでこちらも令和ブームの中で取り上げられていた本ですね(発行は2014年でした)。
家持の歌日誌的な部分の意味をあまり考えてなかったけど宮廷社会の儀式や宴などのしきたり、先例を遺しておくことの重要性に気付いたからとあって、つまり平安以降に子孫の為に貴族がこぞって日記を遺してるあれか…!と思うと目からウロコ。
この本でこのエピソード好きだな~ってなったのが、平十八年の元正太上天皇天在所での雪掃奉仕と歌群かな雪かき大してしてないよね口実に酒宴ねだったんだろねという解釈がとても好きですね。元正太上天皇と橘諸兄の人徳を感じる。 -
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同じ著者の「万葉集から古代を読みとく」が面白かったので、読んでみた。
万葉集や古事記、日本書紀といった本を通して見えてくる「聖なるもの」。具体的には、自然や神、そして天皇と人との関係を探るもの。
「万葉集から古代を読みとく」で面白かったのは、いわゆる日本的なものを中国文化とか、仏教の関係の中で、相対的化しつつも、他の文化との関係性のなかで立ち上がる日本らしさみたいな感覚のところ。
こちらの本は、一神教と多神教の違いというフレームによる比較はあるものの、万葉集や古事記などを丁寧に読解することを通じて、テーマに迫って行く感じ。
だが、参照しているテキストが万葉集という歌集であることもあり、単なる分析ではなく、古代日本人の心情、感情、身体感覚とつないでいくところが、面白い。
さらには、著者自身の感情や身体感覚も大切にされていて、かつ著者の独りよがりの主張ということにならないバランス感もいい感じ。
内容としては、ある意味、日本文化や日本思想について書かれた色々な本の主張と大きく違う訳ではないのだが、そこが感情や身体感覚とつながっていくので、より腑に落ちてくる感じがある。
そして、自然や神との関係が丁寧に整理され、その考えが天皇の話に展開していくと、私的には、ちょっと驚きの結論に到達する。
ちなみに、一神教と多神教の比較のところで、多神教の神は怒ったり、妬んだりする神である的な記述があるが、一神教の神でも旧約聖書の神はかなり不条理なので、ここの比較は、やや単純化されている気がした。
あと、古事記などの神話から日本人の価値観を読み取るところでも、ジョゼフ・キャンベルなどを読んだ後では、「それは世界各国似た神話があって、日本独自ではないよ、元型的なストーリーじゃないの」とか思うところもある。
が、そういうところは、この本の大きな欠点ではないと思う。
まずは、古代日本人の「聖なるもの」観が、文書の左脳的な分析と感情や身体感覚がつながる形で、アプローチされたことがいいな〜、と思う。
こうしたアプローチにより異文化との比較の視点が加わって行くと、すごく面白いだろうな〜、と妄想した。 -
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著者はこれまでに多くの『万葉集』にかんする入門書を刊行しており、『万葉集』という作品の性格をさまざまな観点からわかりやすく解説をおこなってきたことで知られています。これに対して本書は、冒頭でいきなり「『万葉集』をどういうものだと考えるか?」というストレートな問いが提起されており、この問題に正面からこたえようとする試みがなされています。著者の『万葉集』の理解の中心にある考えかたが明確に語られている入門書といえるように思います。
上の問いに対する著者のこたえは、「東アジアの漢字文化圏の文学としての性格を有する」「宮廷文学としての性格を有する」「律令官人文学としての性格を有する」「京と地方をつなぐ文学としての性格を有する」という、四つにまとめられます。とくに近代以降の『万葉集』の再発見がなされて以来、この作品を国民文学の嚆矢とする見かたがくり返し語られてきましたが、現在の研究成果を押さえながら、『万葉集』という作品の真相がわかりやすく解説されています。
終章および「あとがき」では、上で述べたような『万葉集』をめぐる近代的な言説が、ふたたびひろく語られつつある現在の状況に対して、著者が専門家として危機感をおぼえているのだろうかと思われるようなことばが見られます。ただ、なんといっても本書は、著者の多くの著作のなかでも一般の読者にひろくとどけられる新書形式で『万葉集』という作品の中核的な性格を解説している本なので、多くのひとに手にとってほしいと感じました。