上野誠のレビュー一覧
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SNSでバズった岡本真帆さんの歌から始まり、教科書に載っている歌、新聞歌壇、歌会、結社、歌集の出版方法など、短歌をやっている者の疑問を全て網羅するような内容です。
新聞・雑誌の中の短歌は、黒瀬珂瀾さん。
家でも読売新聞をとっているので親近感がわきました。
名前をよく歌壇やSNSでお見かけする方(私もフォローさせていただいている方も)の歌が載っています。
朝日歌壇の梨子ちゃんとわこちゃんの歌はちょうど歌集『ソナタを弾こう』を読んだばかりでそんな二人のブームがあったんだと知りました。
<「わこちゃんが中学生かあ」あちこちでおばさんたちが微笑んだ朝>(田村文)
結社や歌会の項目は興味深く読みましたが、私は結社に入るほど歌、上手くないし、歌会はこないだ穂村弘さんの講座に出たとき誘われたけど断ってしまいました。
歴史の中の短歌は飛ばし読みしてしまいました。 -
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上野氏の別の古典入門書を読み、引き続き読んだ一冊。お陰様ですっかり万葉集の虜です。歌が詠まれた時代が生き生きと目に浮かぶようでした。噂話を気にしたり、恋する人と会えるようにおまじないをしたり、宴会で洒落た言い回しで場を盛り上げたり。
その中でわたしが気に入った歌は、太宰府から奈良の都を想い詠まれた「あをによし 奈良の都は 咲く花の にほふがごとく 今盛りなり」
太宰府に務める単身赴任の役人たちの胸に、満開の花が煌めく美しい家族がいる懐かしい都の情景が広がる、、、素敵な詩だと感じます。
わたしも引越しする機会が多く、かつて住んでいた街の風景や出来事を思い出して「今頃はきっと、、、」と思いを馳せることがあるので共感してしまいました。
また是非上野氏の著作を読みたいです。 -
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折口信夫(おりくちしのぶ)1887-1953 国文学者、民俗学者、歌人、詩人。大阪府木津生まれ、國學院大學卒、國學院大學教授、慶應義塾大学教授、日本人の魂の研究、日本文化研究。「古代研究」「口訳万葉集」「死者の書」「海やまのあひだ」
神は他界からやってくる、目印に山鉾や山車や高い竿。外来の年中行事が日本に根づく際には日本独自の習俗と結びつく。踊りと宗教、盆踊り。ねぎらう、神様をねぎらう、願う、収穫のお祭りは感謝と来年の豊作の願い。家の神、地域の神、氏の神、祖先神などの神々が共存。やしろ、しろ=何かを行うためにあらかじめ確保されている特定の空間。神様の言葉を正しく伝える、言霊信仰。他界からやってくる神はときに幼子の形をとる、竹取物語や桃太郎、他界からやってきてやがて他界へ戻る。貴種漂流譚、尊い生まれだが苦難の旅、源氏物語。国魂、その地域地域の神様、ヲスクニ。天皇、天つ神の言葉を伝える人、ミコトモチ。意味のないもの、無駄なものこそいのちのみちしるべ。たまとたましい、球形。恋、招魂。霊魂は分配できる、宮廷において分霊を臣下がいただく、臣下から霊を献上する。采女=地方豪族の娘で下級女官、舎人=雑用係、刀自=その家を統治する女性。遊ぶ、詩歌管弦の遊び、舞踊、殯、遊部。ほがい、祝福する、ことほぐ、ほがいびと。国=自分の住んでいる地域以外の場所、他氏の国、しま=宮廷が直接治めているところ、自分の勢力範囲、みやけ、しきしま。古代の上流階級においては最初は年上の女性と結婚した。お客さんをもてなす、まれびと、おもてなし、芸道が生まれる、お茶、お花。まれびと、珍しい客、神様、晴れの日、異郷からやってくる。一つの形は、簑笠を着たまま家に入る、通常は礼儀違反で塩をまくがまれびとの場合は受け入れる。まれびとをもてなす、神の嫁、一夜妻。遊女の宗教性。琵琶法師、説経節語り、巡遊伶人、ほがいびと、客、長居しない。もの、もののけ、たたり、精霊、かっぱ、道の神、さえの神、塞の神、鬼、招かれざる客、まつろわぬもの。年中行事、花。お盆、生みたま、死にみたま、魂祭。せち、神様に捧げたものをいただく。ひな祭り、流し雛。まつりごと、なおらえ。かたりとうた。替え歌。日本の恋歌、多くの人に聞かせる、恋は集団や共同体の関心事、万葉集。相聞と挽歌は同じところから発生。歌人の始まりが柿本人麻呂、有名な歌は人麻呂がつくったとされた。うたとふり、うたの献上。歌を奉る、服属する、防人の歌、歌会始め、共同体を作る。歌と語り、氏族が伝えた自慢話、古事記、日本書紀。神楽、鎮魂法、ものまね、もどく。宮廷は市のようなもの、市の歌垣。連歌は掛け合いの文学。相撲は芸能。無頼の徒の芸術。歌舞伎、善人と悪人、歩く芸、隠者。 -
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借りたもの。
年号が変わり「令和」の出典元として再注目された万葉集に見る美しい日本語集。
そこから言葉の深み、伝統にひたる楽しみに触れる。
著者の‘八世紀の声の缶詰’‘八世紀の言葉の文化財’(p.6)の言葉通り。
宮廷文化を垣間見る。
使われなくなった言葉にも優雅さがある。
今も使われている言葉の語源になったもの(杜氏←刀自。年配の女性への敬称。自家用酒を作るのが「とじ」のしごとであったため。)について、「かたみ」など今も使われる言葉でも、もっと広義であったものも(今は遺品の意味合いが強いが、離別、生き別れなども含まれていた)。
また、ことば比べで微妙なニュアンスの違いを楽しんだり……
四季や風景に地震の感情の想いを乗せる人々。
想起される。
見出しでひらがながおおく、柔らかな明朝体
目で読むのもさることながら、声に出したときに軽やかな、まろやかな音になる。 -
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最近、日本的なものの源流として、和歌や俳句などを少しづつ読んでいる。そういう源流のもっとも源流といえる万葉集もすこしづつ学んでいるところ。
が、この「日本的」なるものが、実は、そんなに簡単な話しではない。万葉集はのちの技巧をこらした和歌にくらべて、素朴な直情的なもので、ここに日本の魂の源があるのだ、というような読みはもはや成立しないのだ。
つまり、万葉集は、古代の中国の詩歌に影響されたもので、その影響をなんとか言語化しようという先人の努力なのだ。
つまり、外来のものをなんとか日本のものにしようとする悪戦苦闘の歴史である、という意味において、とても日本的なもの。
ということが、かなりわかりやすく説明してある。
同様の論旨は、品田さの議論で十分に論じられているわけだが、こちらの本では、もう少し柔らかく、優しいトーンで諭してくれる感じ。 -
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今月の11日の読売新聞で著者の最新刊「万葉学者 墓をしまい母を送る」が紹介されインタビューも掲載されていました。著者の世代とかキャリアとか抱えている問題とか、共感出来るのではないか、と思い「読みたいリスト」に入れました。その前に彼の万葉学者としての仕事に触れると、もっといい読書になるのではないかと、先に手にしたのが本書です。正直、万葉集のことわかってないというビビりもありましたが、全然そんなこと関係なく楽しめました。日本的感性の起点みたいな文学としての価値を論ずる、というより著者が選んだ92首の歌の気分を令和の今に蘇らせてくれる試みです。歌と訳と写真と解説と章立てがとてもフレンドリーで、まるで現代のブログやインスタのよう。みんな見栄を張ったり嫉妬したり愚痴を言ったり悔やんでみたり…いにしえのツイッターってこんな感じなのでは。それは、永遠に変わることのない人の心というものに対する著者の共感がハンパないからだと思いました。彼が自分の人生を語った最新刊、ますます楽しみになりました。読んだ後、自分の老齢の母に回そうかな、と思っているのですが、文字が小さいことだけ、残念!でも、手帳だもんな…小さくて当然か…
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万葉集のエッセンスを堅苦しくない文体でまとめた本。
薄く広く万葉集を楽しめます。
恋の歌だけではなく、望郷の歌、四季の歌、国自慢の歌。
万葉集は、天皇から名もない身分の人まで多様な歌が寄り集まっています。
たくさんの人々が、些細なことでも和歌に詠み、歌うことがもっと自分の生活に根ざしていたことをより実感的に感じることができました。
これに続く三代歌集の古今和歌集に比べて、歌がストレートに伝わるのが特徴的です。
そして、その美しい独特のリズムは、音としてとても心地よく、言葉の響きだけでお気に入りの和歌が見つかるかもしれません。
令和という元号についても触れられているので、令和の終わりまでが旬の本かな、とも思います。 -
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万葉集の歌の解説ではなく、万葉集そのものから読み取れること、万葉集が後の時代、文学に対してどういう縁を「結び」繋いできたか、そんな背景や役割について掘り下げていたと思います。
読めば、日本語の成り立ちや特色についても分かるし、万葉集を作り上げてきた人たちの想いも受け取れると思います。
歌を残したいと思う意志があって、歌を残す技術を持つ人たちがそのために尽力した。
二つの確固たる意志があったからこそ今の時代にもこうして残っている万葉集。
ただ歌を楽しむだけでなく、万葉集が今の自分たちに繋がることに何を残してきたか、その辺りのことも掘り下げて考えてみるのも、万葉集を読む楽しみなのかもしれません。 -
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宴という側面から万葉を読み解く、という試み。「今日、私たちは、政治と芸術というものを、別々のものとして理解している。しかし、それは、現代を生きるわれわれのものの考え方でしかない。(中略)ともに酒を飲み、あい歌い、和することこそ、政治の原点ではないのか?」
政治の原点であるからこそ、宴で他の人々がどんな歌を詠んだか席次はどうだったかを記録して子孫に(教養やマニュアルとして)残した。それが芸術を後世に伝えることになった。
政治的側面は切り離せないけれども、歌は歌としておもしろく、作者がよく随所でおっしゃっている「万葉集とは8世紀の声の缶詰」というのがよくわかる。
古今和歌集にある、天地を動かし、鬼神を感じぜしめ、人倫を化し、夫婦を和ぐるは、和歌より宣しきはなし、というのがこの時代にすでに根底意識としてあったのだな、とも思う。
令和の由来となった梅花の宴のことも詳しくかかれていて、タイムリーな一冊だった。 -
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「君の名は」を話の枕にして、万葉集の歌をきっかけに古代のありようを語っていく、おもしろく分かりやすい書。
当時、歌は非常に力を持ってい(ると考えられてい)て、耕作人を集めるために有名歌人を呼んで宴をしたり、イベントの前に詠む歌の下書きをしておいたり。著者も引用している『古今和歌集』の「やまとうたは、人の心を種として、万の言の葉とぞなれりける(中略)力をも入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ」の通りの世界である。そのような価値観の中、どのようにして万葉集が歌い継ぎ記し継がれていったのか。
日本人型知識人とは「言語と文化の翻訳者」のことという解釈、日本的な知性は「組み合わせ」と「ずらし」によって生まれる、という話になるほどと思った。また、「ずらしの工夫」すなわち、原語の意味や原書の内容を意図的に「ずらす」ことで、独自のものを作ろうとするのが日本型知性の特性の一つ、というのも納得した。鎌倉仏教などはその典型だし、入ってきた文化をアレンジするのは現代でも変わっていない。
竹取物語の原型となった歌のやり取りは、ラノベにも通じるようなまさかの主人公無双であるが、古代においてそれほど歌の力は強かったのだろう。
巻末の、莫言に「貴方は私に『万葉集』について、どう語りたいのかい」と訊かれて、「『万葉集』は、七世紀と八世紀を生きた日本人の、声の缶詰でしょうか」と答えたエピソードが好きだ。「この缶を開けると、香りや味が蘇ります」まさにその通りだし、古代の香りや味を逃さないよう読んでいきたいと思う。 -
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万葉集の解説というより、表題のように、万葉集から古代を読みとくという本ですね。
これが、なかなかに面白いですね。
いろいろ、へ〜と思ったことはあるのだが、大きなところでは、日本が中国文化圏の中にあって、中国から学びつつ、中国との比較の中で、日本文化の特質ということを意識し、洗練させて行った、ということかな。
山上憶良は、官位の高くない地方役人で家庭を大切にする素朴な歌を歌う人、くらいにしか、思ってなかった。
が、実は、山上憶良は、家柄はそれほど高くないのであまり出世しなかったかもだけど、遣唐史で、当時の最先端の知識人だったんですね〜。
もちろん、家族思いのいい人で、「子供は可愛くて、これにまさる宝はない」なんていう歌に偽りはないのだけど、ここで表現されているのは、仏教的な煩悩という考えへの婉曲な反論であり、それこそ人間の自然な感情を大切にする日本的な心情だという一種哲学的な主張だったんですね!
つまりは、中国とか、仏教とか、外国の偉大なものを吸収しつつも、そことの対比の中で、自分の文化を確立していくというプロセスなんだな〜。
まあ、そんな話が色々な角度から書かれてあって、最近、考えていたこととぴったりあったな。
万葉集は、天皇から庶民までの歌がのっていて、地位の差はあっても、一人一人の気持ちが表現されるのが大切にされるのが日本だ、という話があるわけだが、この話自体が、実は魏の「文選」に収められた「典論論文」の思想であるらしい。(で、この「文選」の思想が、なんだかハンナ・アーレントを想起させたりするところが面白い)
あと、竹取物語の原型として万葉集に出てくる話のなんともトホホな展開に笑いつつ、ジョーゼフ・キャンベルを読んでしまった私には、日本最初の物語である竹取物語のストーリーは、中国、そして世界各国にある物語の典型的なパターンの一つで、そこにはあまり日本の独自性はないことに気づかずにはいられなかったり。
あらためて、文化というのは、単独では存在し得ず、他者の影響、他者との関係の中で生み出されていくのだな、と思った。
が、このことは、日本文化を低く見るものではなく、日本文化を世界の多様性と普遍性に向かって開きつつ、その素晴らしいさをあらためて愛でるためのちゃんとした道なんだと思う。