上野誠のレビュー一覧
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借りたもの。
年号が変わり「令和」の出典元として再注目された万葉集に見る美しい日本語集。
そこから言葉の深み、伝統にひたる楽しみに触れる。
著者の‘八世紀の声の缶詰’‘八世紀の言葉の文化財’(p.6)の言葉通り。
宮廷文化を垣間見る。
使われなくなった言葉にも優雅さがある。
今も使われている言葉の語源になったもの(杜氏←刀自。年配の女性への敬称。自家用酒を作るのが「とじ」のしごとであったため。)について、「かたみ」など今も使われる言葉でも、もっと広義であったものも(今は遺品の意味合いが強いが、離別、生き別れなども含まれていた)。
また、ことば比べで微妙なニュアンスの違いを楽しんだり……
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最近、日本的なものの源流として、和歌や俳句などを少しづつ読んでいる。そういう源流のもっとも源流といえる万葉集もすこしづつ学んでいるところ。
が、この「日本的」なるものが、実は、そんなに簡単な話しではない。万葉集はのちの技巧をこらした和歌にくらべて、素朴な直情的なもので、ここに日本の魂の源があるのだ、というような読みはもはや成立しないのだ。
つまり、万葉集は、古代の中国の詩歌に影響されたもので、その影響をなんとか言語化しようという先人の努力なのだ。
つまり、外来のものをなんとか日本のものにしようとする悪戦苦闘の歴史である、という意味において、とても日本的なもの。
ということが、かなりわか -
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今月の11日の読売新聞で著者の最新刊「万葉学者 墓をしまい母を送る」が紹介されインタビューも掲載されていました。著者の世代とかキャリアとか抱えている問題とか、共感出来るのではないか、と思い「読みたいリスト」に入れました。その前に彼の万葉学者としての仕事に触れると、もっといい読書になるのではないかと、先に手にしたのが本書です。正直、万葉集のことわかってないというビビりもありましたが、全然そんなこと関係なく楽しめました。日本的感性の起点みたいな文学としての価値を論ずる、というより著者が選んだ92首の歌の気分を令和の今に蘇らせてくれる試みです。歌と訳と写真と解説と章立てがとてもフレンドリーで、まるで
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万葉集のエッセンスを堅苦しくない文体でまとめた本。
薄く広く万葉集を楽しめます。
恋の歌だけではなく、望郷の歌、四季の歌、国自慢の歌。
万葉集は、天皇から名もない身分の人まで多様な歌が寄り集まっています。
たくさんの人々が、些細なことでも和歌に詠み、歌うことがもっと自分の生活に根ざしていたことをより実感的に感じることができました。
これに続く三代歌集の古今和歌集に比べて、歌がストレートに伝わるのが特徴的です。
そして、その美しい独特のリズムは、音としてとても心地よく、言葉の響きだけでお気に入りの和歌が見つかるかもしれません。
令和という元号についても触れられているので、令和の終わりまでが旬の本 -
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万葉集の歌の解説ではなく、万葉集そのものから読み取れること、万葉集が後の時代、文学に対してどういう縁を「結び」繋いできたか、そんな背景や役割について掘り下げていたと思います。
読めば、日本語の成り立ちや特色についても分かるし、万葉集を作り上げてきた人たちの想いも受け取れると思います。
歌を残したいと思う意志があって、歌を残す技術を持つ人たちがそのために尽力した。
二つの確固たる意志があったからこそ今の時代にもこうして残っている万葉集。
ただ歌を楽しむだけでなく、万葉集が今の自分たちに繋がることに何を残してきたか、その辺りのことも掘り下げて考えてみるのも、万葉集を読む楽しみなのかもしれません。 -
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宴という側面から万葉を読み解く、という試み。「今日、私たちは、政治と芸術というものを、別々のものとして理解している。しかし、それは、現代を生きるわれわれのものの考え方でしかない。(中略)ともに酒を飲み、あい歌い、和することこそ、政治の原点ではないのか?」
政治の原点であるからこそ、宴で他の人々がどんな歌を詠んだか席次はどうだったかを記録して子孫に(教養やマニュアルとして)残した。それが芸術を後世に伝えることになった。
政治的側面は切り離せないけれども、歌は歌としておもしろく、作者がよく随所でおっしゃっている「万葉集とは8世紀の声の缶詰」というのがよくわかる。
古今和歌集にある、天地を動かし、鬼 -
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「君の名は」を話の枕にして、万葉集の歌をきっかけに古代のありようを語っていく、おもしろく分かりやすい書。
当時、歌は非常に力を持ってい(ると考えられてい)て、耕作人を集めるために有名歌人を呼んで宴をしたり、イベントの前に詠む歌の下書きをしておいたり。著者も引用している『古今和歌集』の「やまとうたは、人の心を種として、万の言の葉とぞなれりける(中略)力をも入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ」の通りの世界である。そのような価値観の中、どのようにして万葉集が歌い継ぎ記し継がれていったのか。
日本人型知識人とは「言語と文化の翻訳者」のことという解釈、日本的な知性は「組み合わせ」 -
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万葉集の解説というより、表題のように、万葉集から古代を読みとくという本ですね。
これが、なかなかに面白いですね。
いろいろ、へ〜と思ったことはあるのだが、大きなところでは、日本が中国文化圏の中にあって、中国から学びつつ、中国との比較の中で、日本文化の特質ということを意識し、洗練させて行った、ということかな。
山上憶良は、官位の高くない地方役人で家庭を大切にする素朴な歌を歌う人、くらいにしか、思ってなかった。
が、実は、山上憶良は、家柄はそれほど高くないのであまり出世しなかったかもだけど、遣唐史で、当時の最先端の知識人だったんですね〜。
もちろん、家族思いのいい人で、「子供は可愛くて、