上野誠のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
若い読者に向けて書かれた『万葉集』の入門書です。
冒頭に新海誠のアニメ映画にかんする話題をもってくるなど、対象としている読者の興味を引くような工夫も見られますが、それ以上に注目されるのは、『万葉集』は「歌のアルバム」のようなものだという著者の解釈です。これはたんに読者の興味を引くためのたとえでなく、本書全体をつらぬく解釈のかなめになっているように感じます。
著者は次のようなたとえを用いて、『万葉集』に収められた歌の説明を試みています。「写真のない時代、歌は過去に起きた出来事や事件を心に留める大切な手段でした。それぞれの家に、それぞれのアルバムがあり、そのアルバムの写真から、大切な思い出が語られるように、それぞれの家には、それぞれの家集がありました。もちろん、そういう家集は、のちの天皇家につながってゆく大和朝廷の大王の家にもありました」。また、そうした歌の数々が『万葉集』にまとめられるには、歌の「流通チェーン」が必要だったといい、古代日本社会のありかたとの関係のもとで、『万葉集』とその歌についての解説をおこなっています。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ元号が「令和」となって、書店に「万葉集」本の紹介コーナーのようなのが増えている。改元はちょっとした「万葉集」ブームを引き起こしているようだ。
しかし、本書はそのブームの前に出された本で、著者は「本書は、普通の『万葉集』の入門書ではない」と述べており、本書は「古代社会において歌とは何か、『万葉集』とは何であったか」を考えるヒント集、提案集としている。
まず最初に面白いなっと思ったのは、歌の流通チェーンの話。そもそも、今から1300年前の歌が現在もこうして読まれ、語られていること自体不思議な感じがするが、それが著者のいう、この流通チェーンによるものと考えられる。
古代の歌は、「歌を作る」人だけでなく、「歌唱する人」「歌を伝える人」「歌を記す人」「歌を理解し批評する人」たちに支えられているという。当時はそういう役割の人(職業的にその役割を担っている人)がおり、歌を後世に残していく努力をしていた。万葉集が現在も語られているということは、これまでの期間、連綿とそういう役割をしてきた人たちがいたということだ。
次に興味深かったのは、出土された木簡。木簡とは細長い板のようなもので、そこには歌が書かれている。その文字が漢字の羅列であったりするが、それが当時の日本独特の言葉の伝達方法だったということを知ることができた。日本の言語文化という視点でみても面白かった。
本書では、聖武天皇の奈良の大仏建立や、遣唐使壮行の場面なども登場する。本の扉をめくって1300年前にワープしたかのような感覚だ。
当時は、そういうイベントにおいて、必ず宴の場があったという。そして宴では歌が詠まれるというのが決められた様式のようでもあった。そこには、必ず「作る人」「歌う人」「記す人」「批評する人」たちがいたのだ。
本書には、著名な二人の歌人、山上憶良と大伴家持がと登場するが、これらの二人についての記述も非常に興味深かった。
山上憶良は、儒教、仏教、道教、老荘思想に精通した天平時代を代表する知識人だったと著者は述べていた。なぜだか野菜のオクラをイメージしていた私は非常に失礼なことをしてきた(笑)。
また大伴家持の歌日記についても、とても興味深かった。家持はビッグイベントで歌を披露するチャンスに最高のパフォーマンスが出せるよう、事前に歌日記を用意していたという。
出席するイベントがどういうものか、出席した天皇を喜ばせるには、他の参加者を唸らせるには、といったことを十全に事前検討し、いつ指名がかかっても大丈夫なように歌を事前準備していたという。非常にビジネスライクだと感じたし、家持は優秀なプレゼンテーターだったのだなと思った。
そういう家持もせっかくの準備が没ったこともあったり、それでもそれらの情報の蓄積を次回に生かすツールとしたりと、なかなか天平の時代も大変だったのだと胸の内で苦笑いをしてしまった。
著者の「万葉集は、七世紀、八世紀を生きた日本人の声の缶詰」、「万葉集は、言葉の文化財」という言葉が印象的だ。 -
Posted by ブクログ
外資系に勤めている関係上、オフィス内でのメールのやりとりは英語が多くなり、日本語を書くことが少なくなっています。それと並行して、昔は気にかけていなかった「大和言葉」が気になるようになってきました。これも加齢のせいなのでしょうか。
それは兎も角、この本には、日本人として、常識として知っておきたい美しい日本語が紹介されています。同じように伝えるにしても、日本古来から多くの人に使われてきた、大和言葉には「温かみ」があるように思います。
ここに出てくる言葉は全部、さりげなく自然に使えるようになりたいですね。
以下は気になったポイントです。
・喜びも「一入(ひとしお)」大きいことだろう。回数を表す接尾語で、染め物を染め汁に浸す回数をいう(p16)
・優秀賞をもらえたのは、あなたのお陰です。そこで本日は、その労を「ねぎらう」ために、一席設けることにしました。「ねぎらう」とは、骨を折った人を慰めること、苦労した人をなぐさめること(p18)
・上々の売り上げを計上できましたので、この年度末に「打ち上げ」をしたいと思います。「打ち上げ」とは、手を打って上げる動作のことをいい、ものごとの区切りをつけて宴をすること、をいう(p27)
・お開きが近づいております、ここで「手締め」を会長様よりお願いしたく思います。手締めとは、手を打って全員で心を一つにすること(p40)
・「ごめんください」とは、お許しください、ということ。「すみません」とは異なる(p46)
・このたび営業課に配属になりましたxxと申します。よろしく「お見知りおき」ください、目上の者が目下の者を覚えておく、という言葉。なので、返礼として「私の方こそ、お見知りおきください」と返すのが大人の会話である(p51)
・彼はよく書き間違えるので、そこは「やんわり」とだが、くぎを刺しておいた。意味としては、穏やかにということ、である。対義語としては、「はっきりと」「しっかりと」が相当する(p53)
・明日は八時半からなので、「ややもすれば」遅刻してしまうことになる。「ややもすれば」のあとには、そうなってしまいがちな困った状況がおかれることが多い、よい状況につながる時には使わない(p68)
・同期入社の連中しかいなかったから「気の置けない」仲間たちなので、遠慮なく話せた。「気」とは、人と人との間にある雰囲気のようなもの(p77)
・いつまでも「くよくよ」しても仕方ないよ。「悔いる」という言葉の古語である「くゆ」からきている可能性がある(p78)
・あの初恋の「ときめき」は今も忘れません、今をときめく、と使う場合には、時流に乗ってもてはやされることをいう。名詞で使うと「胸が高鳴る」ことを表現する(p81)
・サッカーには関心がない、と彼が言ったので、彼女が「鼻白んだ」のは言うまでもない。「鼻白む」には2つの意味があり、1)極まりが悪い顔をする、バツが悪くて気後れしてしまう、2)興ざめする、不愉快に思う(p90)
・「そこはかとなく」何かに惹かれ、「そこはかとなく」陶芸を始めたとしか言いようがない。基本的には、原因や理由がはっきりしないことをいう(p99)
・水平線に「暮れなずむ」夕日をみて、もうくよくよしてはいけないと思った。「なずむ」とは、ものごとがうまく進まない。「言いなずむ」とは、言うに言えない、ということ(p105)
・最近の俗語では「どや顔」があるが、それと同義語、凄いだろうと自慢する顔を「したり顔」という(p115)
・ご受賞の皆々様に「あやかり」まして、本日より精進をつづけてゆく所存です。「あやかる」とは、良い影響を受けて、良いものに変化すること(p121)
・そういう「さもしい」根性では人気もでるまいに。「さもしい」とは品性が下劣である、心が卑しいことをいう。もっぱら心のみすぼらしさ、について言及する(p150)
・「お召」は、高貴な人が使うもの、買い上げた物についていう言葉である。一般には天皇、皇族方に限る。首相はそれにあたらない(p153)
・彼女の「気立て」のよさは会社でも有名である。「気」とは、そのものが持っているエネルギーや雰囲気のようなものをいう(p156)
・彼女はよく「気働き」ができる人である。「気働き」とは、機転を利かせ、臨機応変に対応することをいう(p162)
・後進に「道を譲る」べき時がきたようだ。「勇退」とは、力を残して去ることをいう、不祥事や病気での引退はあたらない。また引退する本人が言う言葉では無い(p176)
・家事には、掃除・洗濯・煮炊き、の三者がある。「煮炊き」とは、日常の調理となる(p182)
・なんとか切り抜ける「手だて」はないものかと思案した。「手だて」とは、急場しのぎ、一時逃れの手段であり、抜本的な対策ではない(p205)
・そろそろ「身の振り方」を考えねばならない事態に立ち至った。多くの選択肢の中から生き方を選ぶようなときに使う。今後の生き方そのものを問う決心がないと使えない(p215)
・もう50歳だから「酸いも甘いもかみわける」歳になったわけである。ものごとの分別がつくようになること、を「かみわける」というが、一般には「酸いも甘いも」を冠して使う(p221)
・「永久(とこしえ)」、未来永劫変わりなく、ということ、古風な言い方では「とこしなえ」(p231)
2017年9月17日作成