三崎亜記のレビュー一覧
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ネタバレ3
終着駅として鉄道と共に発展してきた静原町。衰退、再興を巡り、町民や元町長、駅長等各登場人物の視点で話が進む。三崎ワールド全開で今回も設定がなかなか。隧道と呼ばれる生きた闇のトンネル、影なき者、見えないが「ある」タワー、鉄道原理主義者。設定に慣れるのに時間がかかるが入っていくと町の興亡に揺れる人々の姿が見えてくる。町の未来を考え、清濁併せ飲む町長の姿にリーダーとして強さと辛さを感じた。町長の犠牲と残された町民の決意の上に町は発展する方向に。駅に捨てられ駅に育てられたという天才丸川も頭がよくカッコいい。
全ての立場の者が納得できる、不満のない落とし所など存在しない。状況を冷静に見極めたなら大義を達成するために敢えて鉾を収める判断も必要。それは妥協や日和見ではなく、戦略であり、次へとつなげるための一歩。一つの町を束ねる立場に立つ者は、正義と悪、正しいと正しくない、そんな二元論ではどこへもたどり着けない。自らの信念に従って、清濁併せ飲んで進まなければ町民を路頭に迷わせるだけだ。 -
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ネタバレ星3つは、最初の話の「終の筈の棲家」が星3つ。「ニセモノの妻」が2つ。「坂」が1つ。「断層」が4つということで、その平均(笑)
三崎亜紀は以前『鼓笛隊の襲来』というのを読んで、話のなんとも珍妙な設定がよくって。この『ニセモノの妻』もそれを期待したのだが、どの話も『鼓笛隊』ほどには珍妙さが足りなかった…、かな?(笑)
「終の筈の棲家」の星3つは、「最初だからこんなものか?」と評価はかなり甘くなっていると思う。
雰囲気は悪くないのだが、途中で出てくるエントランスの監視映像の少女のエピソードが投げっ放しで終わっちゃうところとか、かなり不満。
そこいくと、「ニセモノの妻」は最初の話より話が完成されているのだが、何か話が好きになれなかった。
たぶん、最初の話の不満が尾を引いたんじゃないかと思う(笑)
ていうか、この話。女性からするとどう思うのだろう。
消えなきゃならない運命にある、(女性である)“ニセモノの妻”が主人公の旦那(当然男)に対し、あまりにも従順、かつしっかりしているように思うのだ。
それは、まるで世の男どもが理想とする(かつての)日本女性のようで、妙に違和感があった(ありがちなフェミニスト的なつっかかりじゃなくってねw)。
もしかしたら作者はこの話を、(なんとなくのイメージとして)消えゆく、かつての日本女性像へのレクイエムとして書いたんじゃないか?なんて思ったり。
いや、最後に現れたホンモノがいいとかよくないとか、そういう意味では全然ないですのであしからず(笑)
ていうか、ここに出てくる“従順でしっかりしたニセモノ”が妻ではなく旦那の方だったら、女性はどう読むのだろう?また、男は「ニセモノの妻」と同じ気持ちで読めるんだろうか?とも思った。
「坂道」はつまんない(笑)
最後、やたらと話をいい方向にまとめちゃうところなんか、「くっだらねー!」のひと言(笑)
今の日本(人)って、いい話に飢えているようで、その反面いい話に辟易しているようなとこがあると思うんです。
それは、いい話やきれいごとじゃなきゃダメみたいな空気があるから生き辛くなっちゃうということを、みんな薄々気づいているからじゃないですかね(笑)
というわけで、著者にはぜひそんな話を書いてもらいたいな。
「断層」は上手い!のひとこと。
人間の幸せなんてものは、大好きな人(たち)とのバカ丸出しのコミュニケーションをいっぱいすることにある!ということなんでしょう。
特に男と女のコミュニケーションは、(親と小さい子供の関係を除けば)唯一バカを全身全霊でさらけ出せる関係なわけで、ま、なんだ。深読みするなら、作者は現代の恋愛事情について何か言いたかったのかな?なんて思ったり(笑)
全部、「断層」くらいの話だったらなーと、つくづく残念。 -
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ジャケットとタイトルを見た時に、もしかして趣旨変えしたのかな?と思ったのですが、安定の三崎亜記でした。良かった。
「終の筈の住処」
購入したマンションに引っ越した違和感。
部屋は埋まっているということだったのに、誰にも会わないし、電気もついていない、というところから始まる。
何かに反対をする、ということに何が作用すると「辻褄が合わない」状態になるんだろう。
クレームという行動そのものに意義が見出されると、解決の内容ではなく、そのために誰が出て来てどんな動きをしたか、の方にシフトしていることってあるよなあと思う。
偉い人が頭を下げたら、スッキリ、みたいな。
誰かが動いたということが大切、なのだろうか。
「ニセモノの妻」
ある日、妻が「私はニセモノかもしれない」と思い出し、ホンモノの妻を探しに旅に出る。
時間と共に、ニセモノの妻に対する新たな愛情を見出す夫なのだが。
同じ人間であっても、捉え方によっては、新鮮に感じられる、ということなのかもしれない。
「坂」
坂とは何ぞや。
道路とはどう違うのか。
それは上り坂なのか、下り坂なのか。
三崎亜記のマニアックな話は、これくらいの分量だと読みやすい(笑)
「断層」
このテーマもお決まり。
日常が、ある特殊な事情によって断絶される。
東日本大震災によって、この断絶感って身近に感じられるようになった気がする。
家の中に出来ていた断層によって、新婚の妻が消えてしまった。
一日のうち、ほんの少しの時間、彼女はそのことに気付かないまま「戻って」くるという話。 -
Posted by ブクログ
うーん、うーん。
今回もまた「構想はすっっごく面白いんだけど、小説としてはイマイチ...」でした。デビュー作からずっとずっと同じ感想で、何度か「お、描写が良くなった、これは期待できるかも」と思ったもののあまり良くならず期待を裏切られ続けて12年。流石にもう決心がつきました。
三崎さんは、おそらく監督であって、俳優ではないんだろうと思います。小説家はどうしても監督兼俳優になってしまうけど、漫画のように原作と作画担当で分業したり、映画のように監督と脚本と俳優とその他たくさんの専門家の協業になったっていい。
名監督は名監督として素晴らしい作品を作って欲しい。
だって、今でも三崎亜記ほど素晴らしい着眼点の小説ってなかなかないから。『となり町戦争』を読んだ時の衝撃は今でも私の「本を読む喜び」のトップ10に入るんだもの。
表題作の「ニセモノの妻」だって、「本物と区別のつかない偽物は果たしてニセモノなのか」というすごく面白いところを攻めていて、読みながら何度も「お、そこにツッコむのか、いいね、先が読みたい!」と思ったのに、棒読みのセリフにしらけてしまうような経験が繰り返された。少しミステリーっぽい展開にも胸躍らせたけど、ガッツポーズの途中で握った拳の持って行き先に困ってかゆくもない耳の後ろをかいてみたり、ということが複数回あった。
原作(作詞作曲)三崎亜記で他の作家による演奏(歌唱)を見てみたい、と言ったら伝わるでしょうか。
三崎亜記の魅力を三崎亜記がスポイルしているような読書感でした。