松本侑子のレビュー一覧
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ネタバレ第29回新田次郎文学賞受賞作
太宰治の最後、山崎富栄との玉川上水への入水自殺。
そこに至る経緯を、徹底的に取材して書かれている。
今まで、山崎富栄という女性を
ただ太宰治と最後に死んだ女性としてだけ知っていた。
しかもその面影は、日本髪に和服の楚々とした美人。
なんとなく、太宰のそれまでの経歴から
カフェの女給さんとか芸者さんとかだと思っていた。
ところが、実際は全く違った!
よく使われる日本髪の写真は、
冨栄が18歳(亡くなる10年前)の写真で、
日本髪のモデルをした時の写真だった。
というのも、富栄の父親は美容洋裁学校の創立者で
立派な教育者、成功した実業家だったからで、
富栄はその後継者となるべき人物だった。
富栄自身も、美容師としての立派な経歴をもつ
テキパキとしたキャリアウーマンだったのだ。
そんな富栄さんが、どうしてあんな最後を?
不思議さがすごく膨らんだ。
関東大震災、その後の第二次世界大戦という
大きな歴史的不幸が関係している、と言えば大げさか
大震災でまず学校が焼失するという1回目の悲劇
戦争でさらにパーマを含め事業ができなくなる悲劇
富栄自身も、結婚後1週間で夫が出征しそのまま他界する
これらの不幸がなければ、きっとあんな最後はなかった
と思う。
人間失格で見るように、
ずっと不安定だったらしい太宰治と違って
富栄は合理的で、積極的で、実力のある女性だったはず
それが、太宰の才能を支えるという一念からなのか、
人を一途に恋する不思議な力のせいなのか、
太宰を最後まで支えるために、一緒に死ぬという。
不思議で、不思議で、
私には全然理解できなかった。
ますます謎が深まってしまった。
それが「恋」なのだろうか? -
Posted by ブクログ
『赤毛のアン』シリーズは村岡花子訳で育ったので、基本的には花子マンセーな私ですが、20代の子が松本侑子訳でシリーズを読んでいたので理由を聞いたところ、「村岡訳ではディテールが削られている」からとのことでした。
村岡花子訳は完訳ではなく抄訳だったというのは今ではよく知られた話らしく、訳した時代もあって花の名前など誤訳もあるそうです。
特にマシューが亡くなったあとのマリラの告白部分が村岡訳ではバッサリ省略されており、児童文学として読ませたかった村岡花子の意図なのか、オイルショックなどで紙がなく、ページを切り詰めなければいけない編集側の意向があったのではなどと言われています。
(今では孫の村岡美枝・村岡恵梨によって完訳版が出ています。)
というわけで松本侑子訳を読んでみました。
松本さんは村岡花子訳を尊重しているようで『輝く湖水』や『腹心の友』などの言い回しやマシューの話し方なども踏襲されていて、違和感なく読めました。
風景描写が特に美しく感じられたので村岡訳とも比較してみましたが、村岡訳は省略されているというより、短い文章におさまるように意訳されているといった感じでしょうか。(映画の字幕みたいな感じ?)
グリーン・ゲイブルズの十月は美しかった。秋の陽ざしをあびて二番刈りの牧草地がひなたぼっこをしている間に、窪地の白樺は日光のような金色に、果樹園の裏手のかえではみごとな深紅に変わり、そして小径の山桜は、濃い赤と青銅色のあやなす美しい色あいを帯びていった。
(松本侑子訳)
グリン・ゲイブルズの十月はじつに美しかった。窪地の樺は日光のような黄金色に変わり、果樹園の裏手の楓はふかい真紅の色に、小径の桜は言いようもなく美しい濃い赤と青銅色の緑に染って、その下にひろがる畑をも照りはえさせていた。
(村岡花子訳)
うーん、でもこうやって並べてみると長さに大差ないですね。そうすると、マリラの告白は物語の中でも重要なシーンなので、これをカットしたのは紙面の都合というよりかなり意図的なものではないかと思います。
年をとってマリラの気持ちも理解できるようになったということもありますが、あらためて読むとアンの成長物語であると同時に、マリラの物語でもあるんだよなと。
そのほか、
「さしこのふとん」(村岡訳)→「ベットカバー」(松本訳)
原文は「キルト」なんですが、この場合リンド夫人が編んでいるのはベットカバー用のキルト。
「つぎもの」→「パッチワーク」
「りんごあおい」→「アップルセンテッドゼラニウム」
有名なところでは
「ふくらんだ袖」→「パフスリーブ」
ここらへんは村岡花子訳の時代(1952年出版)ではまだ日本で知られていなかった言葉だからというのがありそうです。
アンが「メイフラワーのない土地に暮らす人は、かわいそうね」と言っている「メイフラワー」は、村岡訳では「さんざし」ですが、松本訳の解説によると「イギリスでは、落葉木のセイヨウサンザシをさすが、カナダも含めた北米では、トレイリング・アルバタスを意味する」そうで、写真を見る限りけっこう別の花。ちなみに、日本には咲いてません。
個人的にはルビー・ギリスの「崇拝者」という言い回しが好きだったんですが、松本訳だと普通に「愛人」、「恋人」になってました。
松本訳は訳注とあとがきだけで100ページあり、シェイクスピアや英詩などの引用についても詳しく解説されています。
特に今回勉強になったのはカナダの歴史。
カナダの建国が1867年、『赤毛のアン』の時代背景が1890年頃で建国から20年くらい。マリラやマシューが生まれたころはまだカナダという国はないんですね。
(「演奏会を開いて学校に国旗を買うのは愛国心を育てるでしょう」というアンのセリフがありますが、ここらへんからもカナダがまだ若い国だというのがわかります。)
プリンス・エドワード島は、フランスが最初に入植開拓し、英仏戦争でイギリス領となり、イギリスからの移民が開拓。レイチェル・リンド夫妻は名前や諺などからおそらくアイルランド系、マシュー、マリラのカスバート家はスコットランド系ケルト族。どちらもイギリスからの移民です。
(マシューのお墓に供えられているのは、マシューのお母さんがスコットランドから持ってきたバラ。)
こうした歴史的背景もあり、『赤毛のアン』に登場する使用人はおもにフランス人で一段低く見られています。アンが失敗したケーキを使用人のジェリーも食べないというセリフがありますが、ここでは人間→使用人→豚ですよね〜。
「とにかく、あのケーキは豚にやっておいで」マリラは言った。「あれは人間が食べるもんじゃないよ。ジェリー・ブートだって無理だよ」
私たちが『赤毛のアン』を通して知ったキルトのベットカバーやハーブの花、バスケットにお弁当を詰めて出かけるピクニックなどはイギリス文化なんですね。アンが小舟に乗って演じるエレーンの話も『アーサー王伝説』なのでケルトの物語。
訳注のおかげでこうしたことがだいぶ理解できました。ただ訳注がちょっとネタバレ気味なので初読で松本訳はどうなんだろう。私は副読本というか解説本的に読みました。
それにしても何度も読んでいて筋もセリフも覚えているのに今でも楽しく読めるなんて『赤毛のアン』てやっぱりすごいし、村岡花子先生には感謝したいです。
以下、引用。
赤毛はスコットランド、アイルランドのケルト族に多いとされてきた。アンもスコットランド系。
それにゼラニウムも、ゼラニウムとしか呼ばなければ、傷ついているかもしれないわ。おばさんも、女、としか呼ばれなかったら、いやでしょう。
薔薇はたとえどんな名前で呼ばれても甘く香るだろうって本で読んだけれど、絶対にそんなことはないと思うわ。もし薔薇が薊(あざみ)とか座禅草(スカンク・キャベツ)と呼ばれたら、あんないい香りはしないはずよ。
どうしてお祈りの時にはひざまずくの? 私なら、心からお祈りしたくなったら、たった一人で、広い原っぱか、深い森に出かけて、空を仰ぎ見るわ……どこまでも……高く……高く……その青い色に果てがないくらい美しい青空を見上げるの。そうすれば、心にお祈りを感じるでしょうよ。
十月というものがある世界に生きていて、ほんとに嬉しいわ。もし九月から、いきなり十一月になったら、とんでもないことだわ。
討論(デイベーテイング)クラブ
「マリラ、明日は、まだ何の失敗もしていない新しい一日だと思うと、すばらしいわ」
「あんたのことだ、どうせまた、たんと失敗するよ」
ダイアナは、殺人事件ばかりなの。たいていの場合、登場人物の扱いに困って、殺して消してしまうんですって。
大人になると、悪いこともあるのね。ようやくわかりかけてきたわ。子どもの頃、ほしくてたまらなかったものでも、いざ手に入れてみると、半分もときめきが薄れているのね」
夜の十一時にまぶしいくらい明るいレストランでアイスクリームを食べるのも、たまにはいいけれど、ふだんは、十一時には東の切妻の部屋でぐっすり眠っているほうがいいわ。
アンにとって、一日一日は、一年という首飾りにつないだ金のビーズが糸をすべるように、いつしか過ぎていった。
努力して勝つことがいちばんだけど、二番めにいいのは、努力した上で敗れることなんだわ。
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ネタバレ再読。『赤毛のアン』シリーズ5巻目。
松本侑子さん訳の新刊は表紙がかわいらしくて好きです。
アンとギルバートの新婚生活、二人の夢の家編です。
ジム船長やミス・コーネリア、隣人で悲運の美女レスリー等、新しい登場人物も魅力たっぷりです。
レスリーにとってはアン達が引っ越してきたことは辛いことだったろうと思います。結果的にはアン達がきたことによってレスリーの幸福に繋がるのだけれど、自分が絶対持てないものを全て持っているアンに複雑な思いを抱くのは仕方ないことでしょう。
アンにも悲しい出来事があって、二人は真に心を通わせます。そしてレスリーも本来の姿に戻っていきます。
そしてアンとギルバートに新しい家族が出来て、手狭になった夢の家から去る日が来るのでした。 -
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ネタバレマシュウが亡くなって、目が悪いマリラを残して大学に進学することは出来ないと、アンがアヴォンリーで教師をすることを選択して終わった『赤毛のアン』。その続編です。
教育者として理想にもえるアン。
アンの指導は子ども達に良い影響を与えたようです。特にアンが天才だと思う転入生のポール。ポールとアンは想像力の使い方が似ているので通じ合うのも当然で、ポールにとっては自分を肯定してくれるアンのような教師に出会えて幸運だったと思います。
でもアンの理想とする教育法が通じない相手もいました。アンソニー・パイです。
ある日体調も悪くイライラしていたアンは、アンソニーに鞭を使ってしまいます。それによってアンソニーの尊敬を勝ち取ることが出来たのですが、アンにとっては愛情で教え子を導くという理想が崩れた瞬間でした。
アンの周辺も騒がしくなります。
隣に引っ越してきたハドソン氏と牛のことでトラブルになったり、マリラが遠縁の双子デイヴィーとドーラをひきとることになったり。
デイヴィーがアンのことを「アン」と呼ぶのには違和感がありました。村岡さんの訳に慣れ親しんだ身としては、「アン姉ちゃん、ぼく、知りたいな」というセリフがついつい頭に浮かんでしまうのです。
アンも「マリラ」「マシュウ」と呼んでいたのですから、デイヴィーも「アン」と呼ぶのが自然なのかもしれませんが…。
そして、いよいよ大学進学への道が開けたアン。
次も松本さんの訳で読もうと思います。 -
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赤毛のアンシリーズも早くも4冊目。前作でアンとギルバートの気持ちが通じあったところで終わりました。本作はアンとギルバートの婚約時代の3年間を書いています。
と言っても、お互い離れて暮らす3年間なのでギルバートは殆ど出てきません。
この本はどうも事情で書いた順番があべこべらしくて、5冊目が書かれた後、二人の婚約時代を読みたいという声を受けて書いた作品だそうです。
道理でいきなり電話が登場したりするはずです。書かれた時期が20年程後なので、その間に普及したんでしょうね。
本作はアンが色々な人の人生に手を貸して、道を示していくという方向性なので、評価が分かれるかもしれませんが、登場人物が前2作より魅力的だと僕は思いました。
下宿先の口は悪いけれどハートがとても暖かいレベッカ。隣家のさみしい少女エリザベス。冷淡で孤独な副校長キャサリン。彼女たちとアンのからみが僕は大好き。
個人的に古い本の言い回しが苦手なのですが、赤毛のアンは村岡訳も松本訳もどちらも読みやすいし、とても情景が思い浮かびます。これはアンの持つ魅力によるものなのでしょうか。
ちなみにアンの愛情までは普通に本屋さんに並んでいるのですが、この本から急に手に入りにくくなってきました。やはり読者もアンとギルバートがくっつく事が確定したあたりで卒業している人も多いのかもしれません。僕はどうだろう、次作までは絶対読もうと思っていますが・・・。