あらすじ
美しいプリンス・エドワード島で愛されて成長していく少女アン。幸福感あふれる名作の日本初の全文訳。
訳文は、お茶会のラズベリー水とカシス酒、アンの民族衣裳、スコットランドから来たマシューの母など、モンゴメリの原作に忠実に、全文を、みずみずしく夢のある文章で訳した真実の物語。
巻末の訳註では、作中に多数引用されるシェイクスピア劇など英文学と聖書の句、スコットランド系アンとアイルランド系ダイアナなど登場人物の民俗、19世紀カナダの衣食住、キリスト教、草花とハーブをくわしく解説。
口絵には、リンド夫人が棒針で編むキルト、アンとマシューが初めて出逢う駅のモデル、マシューが愛するスコットランドの薔薇など、物語に描かれる品々や場所の写真を11点掲載。
松本訳の旧訳『赤毛のアン』の訳文と訳註を、全面的に改稿した新訳!
児童書でも、少女小説でもない、大人の心豊かな文学『赤毛のアン』。
感情タグBEST3
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日本で初めて赤毛のアンを翻訳して出版したのは村岡花子さん。
しかし、翻訳の正確さではこちらに軍配が上がる。
村岡花子が翻訳したのは戦中戦後なので仕方ないといえば仕方ない。
あとは好みの問題。
登場人物が生き生きと描かれていて素晴らしい
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NHK BSでミーガン・フォローズ版の赤毛のアンを久しぶりに観て、新訳で読んでみたくなったもの。
小学生の頃、村岡花子訳のこのシリーズが大好きでアンの娘リラまで、何回読んだか!
昔はアンの気持ちに寄り添って読んでいたけれど、今回はマシューやマリラの気持ちが痛いほどわかって、涙が止まらない。
マリラがアンに、変ちくりなことばかりしても、小さな女の子のままでいてほしいと思ったと言うシーンは号泣。
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子供の頃から大好きな作品。村岡花子さんの訳で何度も読み返した。長い間児童向けの作品だと思っていたが、作中に英文学の名句が引用されるなど、大人向けの作品だと知り、原作に忠実に全文を訳した松本侑子さん訳を購入。まだ1巻目しか読んでいないけど、約600ページのうち、約100ページが「訳者によるノート」。膨大な訳注を確認しながら本文を読んだので、理解が深まり、今まで以上に作品を楽しむことができた。栞が2枚必要!大人になってから読むなら松本さん訳がおすすめ!
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私のバイブル。ここに感想を書くのを躊躇してしまうくらい大切な小説。最初に読んだのは小学校4年生の頃だけど、大人になって読んでも深みがあって面白い。村岡花子訳と比べて、注釈が多いのも楽しいし、カットされている話もなくて一生読み続けたいと思った。
人生にはいつも曲がり角があるのよ、というアンの考え方が素敵。神は天に在り、この世はすべてよしの引用も素敵。もう何もかも素敵で、アンは私の理想の女性像だよ〜
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小学生で読んだ赤毛のアン。30年以上経って、改めてきちんと読みたくて手に取りました。こんなに生き生きとした物語だとは!みんなにおすすめしたい、、、!!
装丁もアンにピッタリで素敵です。シリーズを続けて読んでいきます!
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アンの人柄や行動はすごく前向きな気持ちにさせてくれて、もっと早くこの作品に触れられていればなあと思った。
自然の表現がとても美しく、自分がまるでそこに佇んでいるような気持ちになれる。
登場人物はみんな魅力的で素敵だけど、とくにマシュウが優しくて温かくて、最後にアンにかけてくれた言葉は何回みても涙が止まらなかった。
ギルバートとの最後のシーンも良かったです。
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茂木健一郎さんの「赤毛のアンが教えてくれたこと」という本を読んで、興味が湧いたのでこちらの本を読んだ。
「赤毛のアン」は愛の物語だった。
ゆっくりゆっくり育まれる愛。
愛は人に生きる理由、そして気力を与える。
自分の存在が誰かの力になり、
誰かが自分の力になる。
それはきっと幸せな人生。
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子どもの頃から、夢中になって繰り返し読んだ赤毛のアン。
関連本はもちろん、TVドラマや映画も全て読んで観て来たけれど、
この本はすごい。詩や小説からの引用がこんなにも沢山アンの物語の中に仕込まれていたなんて!
小説が書かれた当時の国の情勢、文化、宗教、流行の知識と理解がなければ
この翻訳は成り立たない。
これほどまでに完璧な翻訳をするのに、どれだけの時間と苦労が必要だったのだろう。
こうして出来上がった新しい赤毛のアンから浮かび上がって来たのは、知性と愛情とユーモアが溢れ出るような
大人のための小説でした。
この本を読むことができて幸せです。
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松本さんの生き生きした訳と、詳しい注で、深く読めました。子供のころから親しんだ赤毛のアン。何十年経って、日本初の全文訳を読めたのは、長生きしてよかったなとつくづく思いました。なにより訳された松本侑子さんに感謝。
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「神は天に存り、この世は全てよし」
赤毛のアンにはたくさんの名台詞が登場するけれど、この台詞には特にものの見方が変わるような、新鮮な気持ちにさせられる。
身を裂くような悲しみや苦しみが行手を阻んでも、前を向き希望を忘れずに歩き続けるアンの強さとひたむきさには心を打たれ、私もアンのように真っ直ぐに生きたいと思った。
どんな道にも曲がり角はあって、その先がどうなっているのかは誰にもわからない。けれど、どんな道でもアンのように、広い心でありのままを受け入れれば、幸せの花が咲いていることにもきっと気付ける。
読み終わった後の暖かな余韻が心地良くて、定期的に読み直したくなる作品。
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かれこれウン十年前に、村岡花子さん訳の赤毛のアンを、夏休みの課題図書として読みました。
当時は、夏休みの約1ヶ月半のあいだに、このシリーズ10冊全て読んでからの感想文を書く、という、本嫌いの生徒であればなかなかに厳しい宿題でした。
かくいう私も3冊しか読めず、、、今回は別訳ですが再チャレンジ!
感想としてまず、おもしろかった!あれ、こんな内容だったっけ? です。
文体も読みやすくなっているせいか、私が歳を重ねたせいか、内容がすんなりと入ってきました。
やっぱり、大人目線で読んでしまいますね。アンの言動、行動にやきもきしたり、リンドのおばさんやマリラの気持ちに共感したり。
マシューの、アンがかわいくてしょうがない、といった描写が微笑ましいです。
何をやらかすかわからない、子供のアンから、ステキな女性へと成長していくアンに、マリラと同じく、嬉しいような寂しいような気持ちになりました。
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某ドラマの夢見る主人公に対し「赤毛のアン」とうやと揶揄した場面を見て実際にはどんな内容の本なのか気になって手に取った本。
読んでみるととても面白くて続きがどんどん読みたくなった。
本作も面白いが巻末の解説も面白い。
たくさんの文学作品から引用されている文も多く
さとても読み応えがあった。
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素晴らしい、の一言です。
赤毛のアンは、まだ小学生の頃、金の星社から出ていた映画の風景を物語にした本を祖母に買ってもらって、何度も何度も読んでいましたが、すべてを読んだことはありませんでした。
それが、アンという名の少女を見て、すっかりアンにはまり、こちらの本を手に取りました。
アンのようにお喋りでない私は、アンのように思うことを言葉にできたら、、、と憧れます。
一方で、性格も年齢も近い気がするマリラの心もよく分かり、涙が滲みます。
プリンスエドワード島の風景、すべてを人の手で行っていた時代の生活の知恵や工夫の数々、そうした描写が素晴らしく、人として生きる喜びが詰まっていると思いました。
続編を読むのが楽しみです。
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退職後のことをちらほら考えるような年齢になり、一念発起して読み始めた赤毛のアンシリーズ。
驚いたのはマリラさんへの自分の共感が半端なかったこと。でもアンの瑞々しい感性に触れるのも心地よくて、この年で読んでも良いことはあるものだと思いました
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作品全体が愛にあふれていて、作者の人としての温かみを感じる
プリンスエドワード島の自然や家族愛、友情など…美しくて心が洗われる…
アンが真っ直ぐで明るくて、力強く生きているところがすてきで憧れる
おっちょこちょいなところには共感できて親しみが湧く
社会に疲れてしまったり人の優しさを忘れてしまったときに読むとなお癒される
Posted by ブクログ
『赤毛のアン』は私の愛読書です。
村岡花子さんの訳しか読んだことがありませんでしたので、訳者が違うとどうなのだろう?という興味で読んでみました。
当然ですが、大きな違いはなかったです。
注釈が多くあり、今までとは違う見方も出来て勉強になりました。
大好きな作品ですが久々に読んだので、アンよりマリラに感情移入してしまいました。アンの成長した姿に幼かったアンがもういない寂しさに泣いてしまうマリラに泣けました。
アンは本当に次から次へと問題を起こします。でも子どもは皆、大小の違いはあっても何かしら騒動をおこして成長していきますよね。マリラとマシューが遅い子育てにあたふたしながら、アンに愛情を注いでいく過程が本当に大好きです。
アンの想像力豊かなおしゃべりはとても楽しいです。
シリーズ再読したくなりました。
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30年ほど前まで文通していた親友が大好きだったシリーズ。お家で映画も見せてもらったっけ。訳者のTwitterによる当時の文化の紹介で改めて興味を持ち、40代になって初めて読んでみた。とても面白くてケタケタ笑いながら読んでしまった。勿論、ただ笑ってしまうだけではなくて、もっと深いものがあるのだけれど。女性の夢とユーモアと教養が詰まったこの作品を、10代の時には理解し大好きだった友人と違い、私は随分と道を誤ったなぁ。人物の繊細な描写、目に浮かぶような風景、引用される古典・・・何もかも素晴らしい!
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芦田愛菜ちゃんがおすすめしていたそうで読んだ本。
自然豊かで美しい風景の描写が素敵でアンの住んでいる世界に引き込まれた。
最初はちょっとアンうるさいな、と思ってしまったけど成長していくアンの様子にどんどんと惹かれていって、気がついたらアンの魅力のとりこになってた。
大好きな人との別れのシーンが辛すぎて嗚咽が出るほどだった。
海外文学だと訳されかたによって読みやすさが変わると思うけどこの方の訳し方は読みやすく、丁寧で美しい表現が多くてこの本への愛情を感じられた。
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☆3.5 しゃべりすぎかな
高畑勲版のアニメ「赤毛のアン」がすばらしくて、2週目を見てゐる。それで読む。高畑勲版は村岡花子訳を参考にしたとおぼしく、この訳は高畑勲に寄ってゐるやうな気がする。
そして、意外とアニメオリジナル要素があるのだなと気づいた。ステイシー先生が療養中のアンに会ひに来るシーンや、国旗を作る場面。それらは原作に存在しない。
やはりだいぶは私小説めいたところがある。たとへばモンゴメリが若いころ先生に言ひよられたとか。
それにしてもアンの長広舌にはまゐった。まあおしゃべりなこと。しかし、それも後半にはすなほに自身の機微を吐露していくやうになる。終盤にかけてのカスバート家のなりゆきはやはり感動的だ。
この邦訳のすばらしいところは、『赤毛のアン』が児童文学ではないと喝破したところで、丁寧な註釈がおもしろい。イギリス文学に裏打ちされた『赤毛のアン』像はこれまでにないものだった。
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ドラマ見て面白かったので買った。
文章が美しかった。
前に読んだ作品やけんしっかりは覚えてないけど,文章が美しかったことだけは覚えとる。
アンの思春期の心情が細かく書かれてあった。
ネガティブな感情も美しい言葉で書かれてあって読むのに心がしんどくならんくて良いなと思った。
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アンの素直、自由で奔放、前向きな生き方に元気をもらえた。マリラ、マシューとの関係もとても生き生きとしていて、グリーンゲイブルズの生活が目に浮かぶようだ。この思春期の多感な少女の考え方、行動までよく分かった気がした。
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アンはとても感性豊かな天然っ子。読んでいて、アンのようにもっと視野を広く感受性豊かに生きようと思った。
マシューカスバード:「さあなあ、僕にはわからんさあ。」ほんわかして好き。
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村岡花子の翻訳に親しんだ方にも、おすすめです。松本侑子の新訳も良いです。松本氏による「訳者によるノート 赤毛のアンの謎解き」が最高です。子供の頃に感じた謎が、すべて明らかに!!
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再読して、アンは初期からギルバートのこと意識してたんだなぁと気づいた。子供の頃読んでた時はあんまりわかってなかった、、
アン、マリラ、マシューの家族愛に感動!
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10代の頃、途中で読むのをやめてしまったが、あの頃 最後まで読んでいたら…と残念に思った。中年となった今は、マリラに共感。
名作と言われる理由が分かった。
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名作に初めて触れた。アンでもマリラでもない、誰にも共感できない立場だけど、とっても楽しかった。
アンの少女らしさと破天荒さ、ロマンチストなところが愛らしくて、次はどんなことをするのだろうと楽しみだったし、それに対してマリラはどんな反応をするのだろうとワクワクした。子育て中の人は物語をもっと身近に感じそう。
巻末の解説もとても興味深くて余す所なく全部楽しめた。
Posted by ブクログ
『赤毛のアン』シリーズは村岡花子訳で育ったので、基本的には花子マンセーな私ですが、20代の子が松本侑子訳でシリーズを読んでいたので理由を聞いたところ、「村岡訳ではディテールが削られている」からとのことでした。
村岡花子訳は完訳ではなく抄訳だったというのは今ではよく知られた話らしく、訳した時代もあって花の名前など誤訳もあるそうです。
特にマシューが亡くなったあとのマリラの告白部分が村岡訳ではバッサリ省略されており、児童文学として読ませたかった村岡花子の意図なのか、オイルショックなどで紙がなく、ページを切り詰めなければいけない編集側の意向があったのではなどと言われています。
(今では孫の村岡美枝・村岡恵梨によって完訳版が出ています。)
というわけで松本侑子訳を読んでみました。
松本さんは村岡花子訳を尊重しているようで『輝く湖水』や『腹心の友』などの言い回しやマシューの話し方なども踏襲されていて、違和感なく読めました。
風景描写が特に美しく感じられたので村岡訳とも比較してみましたが、村岡訳は省略されているというより、短い文章におさまるように意訳されているといった感じでしょうか。(映画の字幕みたいな感じ?)
グリーン・ゲイブルズの十月は美しかった。秋の陽ざしをあびて二番刈りの牧草地がひなたぼっこをしている間に、窪地の白樺は日光のような金色に、果樹園の裏手のかえではみごとな深紅に変わり、そして小径の山桜は、濃い赤と青銅色のあやなす美しい色あいを帯びていった。
(松本侑子訳)
グリン・ゲイブルズの十月はじつに美しかった。窪地の樺は日光のような黄金色に変わり、果樹園の裏手の楓はふかい真紅の色に、小径の桜は言いようもなく美しい濃い赤と青銅色の緑に染って、その下にひろがる畑をも照りはえさせていた。
(村岡花子訳)
うーん、でもこうやって並べてみると長さに大差ないですね。そうすると、マリラの告白は物語の中でも重要なシーンなので、これをカットしたのは紙面の都合というよりかなり意図的なものではないかと思います。
年をとってマリラの気持ちも理解できるようになったということもありますが、あらためて読むとアンの成長物語であると同時に、マリラの物語でもあるんだよなと。
そのほか、
「さしこのふとん」(村岡訳)→「ベットカバー」(松本訳)
原文は「キルト」なんですが、この場合リンド夫人が編んでいるのはベットカバー用のキルト。
「つぎもの」→「パッチワーク」
「りんごあおい」→「アップルセンテッドゼラニウム」
有名なところでは
「ふくらんだ袖」→「パフスリーブ」
ここらへんは村岡花子訳の時代(1952年出版)ではまだ日本で知られていなかった言葉だからというのがありそうです。
アンが「メイフラワーのない土地に暮らす人は、かわいそうね」と言っている「メイフラワー」は、村岡訳では「さんざし」ですが、松本訳の解説によると「イギリスでは、落葉木のセイヨウサンザシをさすが、カナダも含めた北米では、トレイリング・アルバタスを意味する」そうで、写真を見る限りけっこう別の花。ちなみに、日本には咲いてません。
個人的にはルビー・ギリスの「崇拝者」という言い回しが好きだったんですが、松本訳だと普通に「愛人」、「恋人」になってました。
松本訳は訳注とあとがきだけで100ページあり、シェイクスピアや英詩などの引用についても詳しく解説されています。
特に今回勉強になったのはカナダの歴史。
カナダの建国が1867年、『赤毛のアン』の時代背景が1890年頃で建国から20年くらい。マリラやマシューが生まれたころはまだカナダという国はないんですね。
(「演奏会を開いて学校に国旗を買うのは愛国心を育てるでしょう」というアンのセリフがありますが、ここらへんからもカナダがまだ若い国だというのがわかります。)
プリンス・エドワード島は、フランスが最初に入植開拓し、英仏戦争でイギリス領となり、イギリスからの移民が開拓。レイチェル・リンド夫妻は名前や諺などからおそらくアイルランド系、マシュー、マリラのカスバート家はスコットランド系ケルト族。どちらもイギリスからの移民です。
(マシューのお墓に供えられているのは、マシューのお母さんがスコットランドから持ってきたバラ。)
こうした歴史的背景もあり、『赤毛のアン』に登場する使用人はおもにフランス人で一段低く見られています。アンが失敗したケーキを使用人のジェリーも食べないというセリフがありますが、ここでは人間→使用人→豚ですよね〜。
「とにかく、あのケーキは豚にやっておいで」マリラは言った。「あれは人間が食べるもんじゃないよ。ジェリー・ブートだって無理だよ」
私たちが『赤毛のアン』を通して知ったキルトのベットカバーやハーブの花、バスケットにお弁当を詰めて出かけるピクニックなどはイギリス文化なんですね。アンが小舟に乗って演じるエレーンの話も『アーサー王伝説』なのでケルトの物語。
訳注のおかげでこうしたことがだいぶ理解できました。ただ訳注がちょっとネタバレ気味なので初読で松本訳はどうなんだろう。私は副読本というか解説本的に読みました。
それにしても何度も読んでいて筋もセリフも覚えているのに今でも楽しく読めるなんて『赤毛のアン』てやっぱりすごいし、村岡花子先生には感謝したいです。
以下、引用。
赤毛はスコットランド、アイルランドのケルト族に多いとされてきた。アンもスコットランド系。
それにゼラニウムも、ゼラニウムとしか呼ばなければ、傷ついているかもしれないわ。おばさんも、女、としか呼ばれなかったら、いやでしょう。
薔薇はたとえどんな名前で呼ばれても甘く香るだろうって本で読んだけれど、絶対にそんなことはないと思うわ。もし薔薇が薊(あざみ)とか座禅草(スカンク・キャベツ)と呼ばれたら、あんないい香りはしないはずよ。
どうしてお祈りの時にはひざまずくの? 私なら、心からお祈りしたくなったら、たった一人で、広い原っぱか、深い森に出かけて、空を仰ぎ見るわ……どこまでも……高く……高く……その青い色に果てがないくらい美しい青空を見上げるの。そうすれば、心にお祈りを感じるでしょうよ。
十月というものがある世界に生きていて、ほんとに嬉しいわ。もし九月から、いきなり十一月になったら、とんでもないことだわ。
討論(デイベーテイング)クラブ
「マリラ、明日は、まだ何の失敗もしていない新しい一日だと思うと、すばらしいわ」
「あんたのことだ、どうせまた、たんと失敗するよ」
ダイアナは、殺人事件ばかりなの。たいていの場合、登場人物の扱いに困って、殺して消してしまうんですって。
大人になると、悪いこともあるのね。ようやくわかりかけてきたわ。子どもの頃、ほしくてたまらなかったものでも、いざ手に入れてみると、半分もときめきが薄れているのね」
夜の十一時にまぶしいくらい明るいレストランでアイスクリームを食べるのも、たまにはいいけれど、ふだんは、十一時には東の切妻の部屋でぐっすり眠っているほうがいいわ。
アンにとって、一日一日は、一年という首飾りにつないだ金のビーズが糸をすべるように、いつしか過ぎていった。
努力して勝つことがいちばんだけど、二番めにいいのは、努力した上で敗れることなんだわ。
Posted by ブクログ
NHKでやっているドラマの「アンという名の少女」がとても面白かったので原作を読みたくなった。
小さい村社会の中での人間関係、孤児としての生きづらさ、家族のために結婚を諦めた過去など重たいテーマを描きながらも、アンのどこまでも飛んでいく想像力とじっとしていられない行動力によって物語に明るさと躍動感が生まれている。
そんな鉄砲玉みたいなアンに対して、マニラが(おそらく真顔で)ちょいちょいユーモアのある返しをしているところも良い。
マシューの話し言葉は小説でもドラマでも「そうさな」「わしは〜だと思うがな」って感じで訳されているけど、英語では一体どんな表現だったのか気になる笑
ドラマだけでは分からなかったセリフや小道具の意味などが巻末の解説でよく分かって面白い。こんなにぶ厚い解説をあまり見たことがない。