幕末の話。日本一の学生と呼ばれ,最後にはラフカディオハーンに神のような人と言われるまでにもなった会津藩士 秋月悌次郎の話。
会津藩主 松平容保はその藩祖 保科正之の家訓から幕府に絶対忠誠を藩の志としていた。このため,尊王攘夷が叫ばれるなか,尊王左幕(公武合体)の会津藩は次第に追い詰められていく。薩長
...続きを読む同盟が締結される前には薩会同盟がもともとあり,この同盟に尽力したのが秋月悌次郎であった。会津若松城の明渡しの際の使者となり,七言絶句や漢文に通じていることから,降伏状の起草をしたり,容保の陰になり尽くした人である。
『天道是か非か』という,史記に見える表現にあるとおり,天は善人に福を与え悪人に災いをもたらすと言うが,実際には善人が苦しみ悪人が楽をすることもあって,はたして天が常に正しいかどうかはわからないという意味である。会津藩が一旦敗れたと言えども,天道是か非かと問う心を強く持ち生きていかねばならないと考えた。
官軍に身柄を拘束され,東京で悌次郎の母に書いた手紙の中で,『今日の落花は来年咲く種とやら』と一度枝を離れた落花はその枝に還って咲くことは二度とできない。しかし来年咲く花の種になることはできるという意味である。
晩年は熊本第五高等中学校の教授となり,そこでラフカディオハーンにめぐり合う。後に教授をやめて会津に帰り,余生を楽しみ,明治33年1月3日77歳で没した。
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