中村彰彦のレビュー一覧
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上下巻。
若くしては昌平學にて「日本一の学生」と呼ばれ老いてはラフカディオ・ハーンに「神のような人」と称された、会津藩士秋月悌次郎の生涯を追い描く。
2013年大河ドラマの余波で、数年前から積ん読されていた本をサルベージしました。
武官に比べて文官は歴史に沿って物語を追い描くのが困難、と、筆者自身もいわれていますが、残された記録と逸話と想像と創造と記録からの考察を程よく合わせて、歴史の波に乗ったひとひらの葉のように時の流れと秋月悌次郎そのひとをしっかりと描かれていると思う。
最後の章などはわたし自身も秋月の今までの過ぎし日を思い起こして、しみじみと感じ入りました。 -
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■ 面白く読める一冊。この作者の本はおもしろい。
■ 江戸初期における名老中伊豆守の話。非常な傑物であり、もっと世に知られても良い人物と思う。
・「三つ子の魂百まで」‐幼児の性格は年老いても変わらないという意味。
・「一人扶持」とは男ひとりが一年に食べる米の量。一日につき米五合。
・上さまのお戯れには、戯れの御返答をせよ。
・意趣(恨み)。
・「奉行に才智なく詮議が不十分だからこそ拷問となるのだから、拷問は奉行の恥なのだ」。
・些細な罪を見とがめて人を捕縛し、重い刑に処する者を酷使という。
・島原の乱において、大兵力を誇示し、キリシタンは撫で斬りにするとの決意を伝えながら、棄教して城を出るも -
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■歴史小説として面白いオススメ〇
■東洋一の戦術家と言われたほぼ不敗の名将についての小説。全体的に戦闘描写が非常にわかりやすく特に戊辰戦争における北越戦争は完成度が高い。
・抜刀切り込みについて、一般に手薄なところへ突っ込んでいき、左右の敵に背後へまわりこまれるよりも、初めから敵の密集したところを狙った方が効果は上がる。その集団が敗走すれば左右もそれに続いてしまうし、あえて立ち向かおうとする者がいたとしても、その視界には自分の背後に悪鬼のような表情で続く味方も映っているはずだから、どこか腰が引けているものだからだ。
・「知行合一」=知識と行動との合致を尊び、信じて断行する時には結果を恐れては -
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〇読みやすく面白い、好著。
・「才気ある馬鹿ほど始末が悪い」
・「人に殴られた者は、その痛みをいつまでも忘れないが、殴った方は自分の行為など、まもなく忘れてしまう」
・かの有名な加藤清正公の孫光正は、一家臣に一杯食わせて笑いものにしようと思い<謀反ごっこ>を行なった。これが大問題に発展し幕府の峻烈な裁断から、結果54万石肥後加藤家は断絶となった。
・「売り家と唐様で書く三代目」。一代の英雄を出した名門も、孫あたりから大体ピントが外れてくる。
・煙草が原因で起こった、1657年1月の<明暦の大火>から、[知恵伊豆]と渾名された松平信綱は本邦初の禁煙ポスターを作成し、大きな効果を挙げた。
・「不惜 -
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第111回直木賞。
第一次大戦中の徳島県、板東俘虜収容所が舞台。ここの所長・松江豊寿は当時では珍しく、ドイツ人俘虜に友愛をもって接した。
ドイツ人の文化・文明を尊重し、また、技術を吸収した。印刷、木工、写真、縫製などの技術のほか、パン、ハム、ビール、お菓子などの製造方法や、音楽、スポーツなどだ。収容所内で小売店を開くことを許したほか、近所の住民に技術指導したりした。
なぜ松江がこれほどに、武士の情けをもって俘虜に接したか、彼が会津生まれだという背景に基づいて描かれている。
ちなみに、バウムクーヘンでおなじみユーハイムも、俘虜収容所が発端の会社だそうだ。 -
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ネタバレ[ 内容 ]
徳川秀忠の子でありながら、庶子ゆえに嫉妬深い正室於江与の方を怖れて不遇を託っていた正之は、異腹の兄家光に見出されるや、その全幅の信頼を得て、徳川将軍輔弼役として幕府経営を真摯に精励、武断政治から文治主義政治への切換えの立役をつとめた。
一方、自藩の支配は優れた人材を登用して領民の生活安定に意を尽くし、藩士にはのちに会津士魂と称される精神教育に力を注ぐ。
明治以降、闇に隠された名君の事績を掘り起こす。
[ 目次 ]
第1章 家光の異母弟として
第2章 将軍家綱の輔弼役
第3章 高遠・山形・会津の藩政
第4章 その私生活
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ -
Posted by ブクログ
秋月悌次郎は、幕末の京都で守護職を務めながら時代に翻弄され、逆賊の汚名を一身に集めてしまった会津藩主・松平容保公のそばにあって、公用方を務めた一人だ。はなやかな幕末の歴史のなかでは、地味な脇役でしかない一文官の一生がこんなにも波乱にとみ、静かな感動をくれるとは思ってもみなかった。
そこには、「学問とは人としての道を知るためのもので、およそ人たるものは道義に生きるべきなのだ。」という、秋月が19歳の時に忽然と理解し心に落とし込んだ思想が、どんな境遇にあってもぶれることなく貫かれていた。それが、清々しい感動につながっているのだろう。
著者が語っているように、秋月悌次郎は、文官の最たるものなので、