中村彰彦のレビュー一覧

  • 風雲児・前田利常 われに千里の思いあり(上)

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    昔の大河ドラマ「利家とまつ」の最後の方で、利家の晩年の子として生まれて、長女夫婦に預けられて、やがて、3代目の藩主となったのを聞いて、前田利常に興味があった。

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    2017年09月20日
  • 名君・前田綱紀 われに千里の思いあり(下)

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    「名君の碑」を先に読んでいたので、だいたい内容は頭に入っていたが、後半になるにつれて、何かと借金をたのまれる加賀前田家。綱吉の時代なんか、家来の家になにかとお出ましになるからお金もばかにならない。これだから江戸時代の中期以降は、財政難を救うために、享保、寛政、天保の改革を出すようになる。100万石であることを維持するのは大変だ。

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    2017年06月13日
  • 快男児・前田光高 われに千里の思いあり(中)

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    何かと、幕府からにらまれて謀反の疑いをかけられる加賀前田家。
    それを家来の横山大膳が幕府に弁明する場面を見て、この人は現代においても弁護士で通用すると感じた。

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    2017年06月13日
  • 保科正之の生涯 名君の碑

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    そこそこページ数がありますが、読みにくさは感じません。
    会津で「負わせ高」の廃止や江戸城天守閣再建に異議申し立てるところなど、ぐっときます。

    保科正之公は、清廉を体で表すような偉人だと思います。
    会津藩家訓十五か条も、私はその一に非常に感銘を受けるのですが、一方で、この類稀なる名君を藩祖とした会津藩の末路を思うと、無念というか、物悲しい気持ちになります。

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    2017年03月21日
  • 真田三代風雲録(下)

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    物語としては、史実に忠実であろうとしたためだと思うが派手さや、面白味には少々欠けた。しかし、その分リアルで、当時の武将のものの考え方や、合戦の様子はさもありなんと感じた。

    そもそも日本人は滅びの美学に弱く、どうしても昌幸、幸村贔屓に成ってしまうが、真田家を存続させた信之の物語も読んでみたい。

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    2016年01月16日
  • 新選組全史 幕末・京都編

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    小説と小論文のあいのこみたいな文章というか本。新撰組がお好きならどうぞ。
    中村彰彦のものは悪くないし、よく調べてあると思うんだけど、面白いと思ったことが一度も無い。教科書を読んでいるような気分になる。

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    2016年01月12日
  • 新撰組秘帖

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    「秘帖」というだけあって、平隊士を中心に、知られざるエピソードを扱う短編小説集。

    結構硬い文で、ちょっと読みづらく、また、どちらかというと明治まで生き残った隊士のその後を描いた作品が多いので、どうしても暗くなりがちなので、ちょっと根気が要ります。
    短編集にしては、一つ一つも長くて、よく言えば読み応えがあるのですが、一気に読むには、息切れしてしまう長さです。

    でも、大げさな感じがしないし、美談を作ろうとしている感じもしないのが、好感持てます。むしろ、誠実な人間、男気のある人間、浮薄な人間、自滅する人間、色々な隊士を、淡々とありのままに描いている印象です。

    新撰組のことをあまり知らない人、興

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    2018年03月09日
  • 小説 立見尚文 闘将伝

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    ネタバレ

    立見鑑三郎のちの立見尚文の物語である。

    戊辰戦争では、会津藩が朝敵とされたものとすぐに頭に浮かぶが、桑名藩もまたそうである。桑名藩主の松平定敬は会津藩主の松平容保の実の弟になる。立見は桑名藩の主戦派を従え、雷神隊を組織し、官軍に徹底対抗したが、会津が降伏したことで刀を納める。その後、朝敵として冷や飯を食わされるわけだが、それでも雷神隊の立見は官軍からも恐れられていたので、西南戦争が起こった際には少佐として新撰旅団という攻撃兵の指揮官に抜擢された。

    鳥羽伏見や会津戦争、西南戦争と激動の中を戦の第一線で戦ってきたにもかかわらず、不敗の将軍として日清日露戦争までにも及ぶ戦歴は他に例を見ない。

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    2015年04月18日
  • 幕末維新史の定説を斬る

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    龍馬上意討ち。実行犯人は京都見廻組の今井信郎でほぼ確定しているが、それを命じた佐々木只三郎が薩摩藩と繋がりがあったことを明らかにしている。京都守護職をなぜ松平容保が受けたのか?保科正之からのDNAだけでなく、名宰相田中玄宰の藩政改革に求めている。最後に孝明天皇毒殺説の真偽。多くのページを割いて毒殺の蓋然性の高さを証明。倒幕派の岩倉具視一派と親幕派の孝明天皇の対立が抜き差しならなくなっていた状況から真犯人を岩倉具視とその仲間の女官に求めている。

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    2015年01月22日
  • 跡を濁さず 家老列伝

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    ネタバレ

    「東に名臣あり」からの家老列伝。本人が惚れ惚れするほどの人物なのに主君に恵まれなかったり、時代に恵まれなかったり、主君が代替わりした途端に、人が変わったように落ちぶれたりと、様々。戦国時代から明治に至るまでの6名を取り上げていて、それぞれ興味深かった。福島丹波守治重と男爵山川浩はかっちょよかったなぁ。!!

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    2014年09月27日
  • 剣士 伊庭八郎の生涯

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    伊庭八郎の生涯を概説する一冊。
    ところどころ分かりづらい表現もあるが、
    ほどよくまとまっており、
    彼の生き方や人となりを垣間見ることができる。
    同著者による「脱藩大名の戊辰戦争」に触れた方なら、
    より分かりやすい。

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    2014年09月09日
  • 保科正之 徳川将軍家を支えた会津藩主

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    家光の四男、保科正之。恥ずかしながら最近までその存在を知らず。松平を名乗ることを潔しとせず、ひたすら世のため人のために陰から幕政を支えた男。江戸時代があれほど長く続いたのはこの男の存在に依るところが大きいのでは。会津と徳川の関係もそういうことかと納得。

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    2014年08月02日
  • 保科正之 徳川将軍家を支えた会津藩主

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    保科正之が家光に取り立てられた経緯や、在世中の善政、継室おまんの方の悋気など、正之の知らなかったことが分かり面白かった。玉川上水は玉川兄弟が有名だが、その影に正之による推進があった話などは初めて知った。

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    2014年06月18日
  • 明治新選組

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    剣術描写に長けておられるようで、迫真性が伝わってきた。短編集であり、そのほか歴史の舞台では脇役であった人物たちが描かれているが、中世から近世、近代にかけての歴史的な背景をある程度理解していないと、読み難い小説でもある。というわけで、何気に読み進むと、途中で話が見えなくなり読み返すことがしばしばなのであった。

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    2014年05月08日
  • 保科正之 徳川将軍家を支えた会津藩主

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    天地明察の中に登場した人物で、どこかで読んでみたいと思って手に取った本。
    飢饉時の貧農・窮民の救済のために開設した「社倉制」を実行できる偉大な人物。
    時代劇とかに出てくるお米を貸して金利2割で返すなんて悪党のやることじゃんって思ってたけど、その金利分は窮民のために使うためとあればすごい。
    そして凶作とかだと、金利分を免除したりと、民のための政策であることが十分に伝わる。
    また、天守閣も見晴らしが良いだけで、役に立っている例が過去の文献に無いといって、建て替えたりしないのもすごい。特に見た目にこだわらず、国費を何に使うかという(=民に使う)というのが一貫している。

    一貫した生き方が尊敬できるの

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    2014年05月05日
  • 小説 立見尚文 闘将伝

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    戊辰から西南戦争、日清日露と戦い続けた立見尚文に驚きます。小倉出身の奥ヤスカタと立見尚文は戊辰でやられてから巻き返しがいいですよね。
    北越戦争は河井継之助だけでない、と。土方みたいな喧嘩上手はまだいますね。

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    2014年03月10日
  • 名将と名臣の条件

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    あちこちから持ってきたエッセイをまとめたせいか、内容に重複が多い感じ。
    重複しないようにまとめていれば、もう少し集中して読めるんだけどなぁ、と何回思ったことか。(^^;
    最後の章は本書のタイトルとは全然違う方向性のエッセイ(珍談・奇談)だけど、そこが一番楽しかったってのも、はて、どうなんだか。(^^;
    作者の思い入れはどうあれ、編集でもう少し何とかすべきではなかったかと思う本でしたね。

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    2013年10月12日
  • 会津武士道

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    会津で育ちながら会津藩の歴史どころか日本史の知識も全く無く、会津出身者と歴史の話をしたい方々の期待を悉く裏切っており、これではいかん、ということで読んでみました。

    今まで何も知らなかったことが恥ずかしい、何と純粋な心を持った方々が会津にはいたのだろう。
    刹那に生きる、がモットーの私には当時の会津人の心意気が全く無いようです。


    将軍輔弼役としての保科正之の大事業である玉川上水開削、その結果新たにできた村のひとつに、現在住んでいるようです。
    因縁とは言いませんが何だろう、ちょっと嬉しい。

    私の歴史の知識が中学生レベルなのは、高校で地理しか学んでいないから、当時話題になった履修漏れです。

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    2013年06月05日
  • 保科正之の生涯 名君の碑

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    江戸時代初期、二代将軍秀忠のご落胤として生まれた幸松は、信州高遠の保科家を継ぐ。やがて異母兄である三代将軍家光に引き立てられ、幕閣に於いて重きをなすに至る。会津へ転封となった後も、名利を求めず、傲ることなく、「足るを知る」こそ君主の道とした清しい生涯を、時に熱く、時に冷静に描く著者渾身の書。

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    2013年02月24日
  • 落花は枝に還らずとも(上) 会津藩士・秋月悌次郎

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    会津藩士、秋月悌次郎の生涯。
    日本一の学生と言われながらも、幕末の会津藩と共に不運な人生を生き抜く姿に感動します。

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    2013年01月21日