中村彰彦のレビュー一覧
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家綱の補佐役として武断政治から文治政治への切り替わりに活躍した、ということしか日本史で学んだ記憶したなかったが、保科正之の生い立ちから、政治哲学、史実の中で実際に成し得たことを、具体的に学ぶことができた。
正之の謙虚さは、生まれの境遇や家族・周囲の人々に大切に育てられた環境に負うことが大きいと感じた。秀忠の側室の息子として殺される危険や、親子の関係を名乗ることができないことに対して、世を疎んだり蔑むわけでもなく、「足るを知る」現状でいられることの在り難さや感謝の気持ちを、彼の政治哲学の根幹となっている点、それを生涯にわたって貫いたところが、比類なき優れた政治家なんだと感じた。
「足るを知る」と -
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本能寺で信長が討たれてからは主君秀吉の下で天下取りの為に奔走する。茂助は山中鹿之介や本多平八郎などの武辺者にどことなく共感するところがある。肥後の統治を失敗した佐々成政が責任を取り切腹となったが牢人となった佐々の家臣を多く召し抱える。息子金助が成長しこれからは乱世では無く治世の時代と考えた茂助は金助に算用を習うよう教育する。しかし初陣となった小田原攻めで金助は流行病で亡くなってしまい悲痛に暮れていたが北条氏滅亡後関八州は家康へそして家康の旧領は茂助含め家康への監視役として豊臣恩顧の家臣団が選ばれ浜松城城主となる。盟友前野長康の長男が秀次の事件で切腹を言い渡され父長康も責任を感じ詰腹を切る。蜂須
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「真のサムライ」と称された会津人の松江豊寿にまつわる心温まる歴史小説。
松江氏は、教科書レベルでは歴史の表舞台に登場しない人物かもしれないが、このような清廉で筋が通った歴史上の人物の生きざまを学ぶことは大切だと思う。
GWに徳島鳴門市ドイツ館を訪れるつもり。
ちなみに、このような歴史の中で、ベートーヴェンの第九が日本で歌われるようになったのも、この徳島から。
以下抜粋~
・真崎中佐は、俘虜たちを精神的、肉体的に抑圧すべき対象とみなしていた。一方松江中佐は警備兵たちにいかなる暴行も許さず、俘虜たちに対して人道的に接するよう求めつづけた。
この頃、松江はよく語った。
「かれも祖国のために戦ったの -
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ゴジラに破壊されようが、巨神兵に薙ぎ払われようが、華の都大東京の象徴・東京タワーは再建されるが、華のお江戸の江戸城天守閣は再建されなかった。それはなぜかと問われれば、初代会津藩主の名君保科正之がいたからだ。
3代将軍の家光の異母弟として生を受け、権力争いに巻き込まれることを避けてひっそりと育てられていた正之だが、その存在を知った家光に抜擢され、その才能を評価されてからは右腕として手腕を発揮した。頼朝と義経みたいだが、最期までその兄弟愛が深かったところが違う。
明暦の大火により焼け落ちた天守閣の再建よりも民の復興を優先すべきであると献策し、天守再建論を退けた。また人口増加により深刻化