明治時代の青森県八甲田山への雪中行軍の訓練で起きた世界最悪規模の遭難事故の史実を元にしたフィクションです。新田次郎の本は初めて読みましたが、情景が本当に見てきたのではないかと思うほど、読んでいて場面が見えるようでした。読み始めたら本当に先が気になって、次にまた読み始めるのが楽しみになるような本です。
感動した箇所
「『疲れたろう。休んだらいい。苦労話を聞きたいが、後の楽しみに取って置こう。おれはこの汽車で帰って、歓迎の準備をしなければならないからな』
と門間少佐が言った。
『いや話は聞いて帰って下さい』
徳島大尉は話し出した。弘前から三本木までは概略を話して、三本木から増沢まで行軍して、そこで案内人を求めるために一日遅れたあたりから徳島大尉の目が輝きだした。鳴沢で五聯隊の凍死者二体と二挺の小銃を発見したあたりに来ると声は沈み勝ちになり、まわりを気にするようであった。その部屋には、二人しかいなかった。
『その二挺の小銃は田茂木野で五聯隊の捜索隊に引き渡すすもりでした。だが自分の気持ちはそこで変わりました』
徳島大尉は、五聯隊の木宮少佐が徳島大尉を呼びつけて、何を言ったかを詳しく話した。特に木宮少佐が、自決した神田大尉の事を、気負い過ぎた雪中行軍計画を立てた男だと言い、研究不足だったと誹謗したことに許すべからざる怒りを感じたことを述べた。
『自分はなにも見なかったと答えました。そして拾った小銃は此処まで持って来てしまいました』
徳島大尉は話し終わって、ほっと一息ついた。
『そうか、お前の気持はよく分る。どう考えても木宮少佐のやり方はよくない。彼は軍人として取るべき処置を誤っていた。生死の境を越えて来たわが三十一聯隊の雪中行軍隊を迎えるにはもう少し暖かい心やりがあって当然だ。だいたい、お前を呼びつけて、なにを見たかなどというところからおかしい。訊きたいことがあるなら、自ら出向いて行って、辞を低くして訊くべきだ。それにお前に言った言葉の一つ一つが、自分が聞いても腹が立つ。もし、その場にいたのが、お前ではなく自分だったとしても多分何も見なかったと言ったであろう』」
もう一箇所
「自決したのは山田少佐であった。
救助されたとき山田少佐はほとんど口もきけない状態であったが、津村連隊長に会うと、涙を流しながら、多くの市卒を殺したことを詫びた。尚多くのことを語りたい模様であったが軍医の注意によって、直ちに青森衛生病院の個室に収容された。山田少佐は救助された日の夜から翌二月一日にかけて、ときどき苦痛を訴えたが比較的多くの睡眠時間を取ったようであった。二月一日の午後遅く目を覚ました山田少佐は、軍医を通じて津村聯隊長に至急話したいことがあるから、聯隊まで連れて行ってくれと頼んだ。それはできぬ相談であった。軍医からその報告を受けた津村中佐は自ら衛生病院出向いた。
『おめおめと生き残ったのは聯隊長にすべてを報告する義務があったからです』
山田少佐は開口一番そう言った。そして彼はぼつぼつと話し出した。
『今回の遭難の最大の原因は自分が山と雪に対しての知識がなかったからである。第二の原因は自分が神田大尉に任せて置いた指揮権を奪ってしまったことである。総ての原因はこの二つに含まれ、そしてその全責任は自分にある』
山田少佐はそう言ってしばらく間を置いてから、
『死んだ部下たちの遺族のことをよろしくお願いします』
と言って目を閉じた。閉じた瞼の間から絶え間なく涙が流れた。津村中佐は山田少佐の最後の一言を重視した。自決する覚悟だなと思った。総ての責任は自分にありと言い残して死ぬつもりだと思った。
『責任はきみにはない。雪中行軍を命令した聯隊長にある。この大きな犠牲を無駄にしないためにも、きみは生きていて貰わねばならない。明日侍従武官が来られるのもきみが早く本復して軍務につけよという聖旨を伝えるためだ』
しかし山田少佐は津村中佐の言葉にはなんとも応えなかった。