スタンダールのレビュー一覧

  • 赤と黒(下)

    Posted by ブクログ

    フランス19世紀の古典文学ということで、とある文学研究者の薦めで読んでみました。
    読んで良かったと思います。下手な現代日本小説が10冊束にかかっても、この赤と黒の上下巻2冊には及ばない。ハッとする言葉の数々に付箋を貼るのが忙しくて、読み進めるのに大変難儀をしました。文学的価値のある作品ですね。

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    2026年07月06日
  • 恋愛論

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    「第59章 ウェルテルとドン・ジュアン」に掲載された詩が気に入った。

     慎重な男はいつもためらう
     あてにならない男が多いのはこのためだ。
     だから恋された女のほうでも
     過ちをおかしたことのないような男には
     いつまでも溜息をつかせておく。
     けれど最後に彼女の与える宝物の値打ちは、
     それを味わった者でないとわからない。
     高くつくほどすばらしい。
     恋の賛歌とは苦労の値打ち。
     (ニヴェルネ『吟遊詩人ギョーム・ド・ラ・トゥール』第3巻、342ページ)

    参考に、原亨吉・宇佐見英治 共訳(角川文庫)では次のようになる。

     慎重な男はたえず疑う。
     だから表面(うわべ)を偽る恋人が多い。
     願い求められた夫人の方も、
     ついぞうそを言ったことのない奉仕者に
     長らくため息つかせておく。
     けれどいよいよ彼女がくれる宝の価値は
     みずから味わう者にしかわからない。
     高くつくほどすばらしい。
     苦労してこそ恋はとおとい。

    そこですました顔をしておられる御仁、お心当りはありますまいか?
    ことのついでに、プーシキン『オネーギン』(米川正夫訳、新潮文庫)から、その第四章冒頭の2節を紹介させていただく。

     1
     かつてわたしは生涯の初めの頃に、
     美しくて狡猾(さかしら)な、弱い女性に支配され、
     この頃はまるで女の気紛れを、自分に取って
     唯一の掟と心得てゐた。
     魂はたゞひたすら燃え立つて
     女性は一種純潔な
     神體とすら思はれてゐた。
     情も智も具備した女性は
     完成の美に輝くやうに思はれた。
     女の前へ出るとたちまち意久地なく
     溶けて流れるやうに感じた。女の愛は
     及びもつかぬ幸福とさへ思はれて
     懐かしいその足もとに、生きかつ死ぬる――
     それよりほかになんの希望も持ち得なかつた。

     2
     しかしまたある時は、急に女性を憎み始めて
     悶えたりまた、苦い涙を流したりした。
     女性はすべて意地悪な、神秘な力の創造物と
     きめてしまつて、愁ひに沈みまた慄然と戰いた。
     突き刺すやうなその瞳
     ほゝ笑み、聲音(こわね)、話しぶり
     何もかも毒に充ち滿ち
     ても恐ろしい裏切に息づいてゐる。
     すべて涙と、呻きの聲に餓ゑ渇き
     人の生き血を糧(かて)としてゐる・・・けれどわたしは
     また不意に女の中に、ピグマリンオンが
     祈の前の石像を見る。それはまだ
     冷たく口を噤んでゐるが、やがて間もなく
     温い生ける女人(によにん)となるのであった。

    いやはや、我が身を顧みて(省みて)、恋愛(特に初恋)とはこういうものだった、という感慨を強くする次第である。

    お終い

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    2026年03月01日
  • 赤と黒(下)

    Posted by ブクログ

    ロマン主義文学の金字塔。
    主人公ジュリアンの遠大な野望と、物語の実質的な主軸となる恋愛遊戯。この二つの要素の共存こそが、本作をロマン主義たらしめる所以である。また、当時の王党派を含む反動的な空気をシニカルに描き切っており、時代の世相を鮮烈に追体験できる点も味わい深い。

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    2025年12月31日
  • 恋愛論

    Posted by ブクログ

    618P

    不屈の恋愛ノウハウ満載!
    「恋愛論」古今東西に数あれど、恋愛論の歴史的、世界的名著といえばこれ!
    『赤と黒』『パルムの僧院』など、19世紀フランス文学を代表する文豪の教え。

    スタンダールも言ってるけど、能力は女性より男性の方が欲望というエネルギー源が高い男性の方が上だけど、美しさでは男は女に勝ち目無しだと思う。

    これそうだと思う。ラロフシュコーの箴言集って人気だけど、皮肉ぶりはドン引きするから苦手。そこまで性格悪く人を見る意味がわからない私からしたら。

    「ザルツブルクの塩坑では、冬になって葉を落とした木の枝を廃坑の奥深くなげこむ。二、三か月たってとりだすと、枝はきらきらした結晶でおおわれている。せいぜい山雀の脚ぐらいのいちばん細い枝までもが、ゆれてまばゆいばかりにきらめく無数のダイアモンドで飾られている。もうもとの小枝とは見えない。  私が結晶作用と呼ぶのは、われわれの前にあらわれるあらゆることから、愛するものが新しい美点を持つという発見を抽きだす精神の働きのことである。」

    —『恋愛論』スタンダール著

    「文明国では、女には暇があるが、野蛮人の男は仕事に追われているので、やむなく女を駄馬のように扱うことになる。多くの動物の雌のほうが野蛮人の女より幸福なのは、雄の生存がずっとよく保証されているからである。」

    —『恋愛論』スタンダール著

    「人間は、他のどんな行為よりもよけいに快楽をもたらす行為をせずにはいられないものだ(*)。  恋は熱病のようなもので、意志とはまったく無間係に生まれては、消える。これこそ趣味恋愛と情熱恋愛との主要な差違のひとつである。われわれは恋する相手の美点をただ単なる偶然としてよろこぶだけである。  要するに、恋は年齢を問わないのである。あまり優雅とはいえないホレース・ウォルポールに対するデュ・デファン夫人の情熱を見るがよい。パリでは、さらに最近の、わけてもいっそう好ましい一例が、おそらく記憶にとどめられているであろう。」

    —『恋愛論』スタンダール著

    「 女は理性よりも情緒をこのむ。理由はごくかんたんである。われわれの千編一律の習慣のおかげで、女は家庭でなんら重大な仕事も負わされていないから、「理性は彼女たちにとってまったく使いみちがない」し、ついぞそれがなにかの役に立ったためしがないのである。それどころか理性は、彼女たちにとって「つねに有害」なのである。なぜなら理性は、きのう楽しいことをしたといって小言をいうためか、あすはもうしてはいけないと命じるためにしか、姿をあらわさないからである。」

    —『恋愛論』スタンダール著

    「(*)ポルマルシェの金言が想起される。《自然が女にむかって言うには、できれば美しくおなり、望めるものなら賢くもおなり、だがなによりも尊敬されることが肝心》。フランスでは尊敬がなければ感嘆もなく、したがって恋もない。  女には、一瞬生命を賭けて、世論を征服するという確実な手段がない。  したがって女は、男よりはるかに不信の念がつよいのにちがいない。恋の誕生の各時期を形成する精神の動きのすべては、女では、日頃の習慣によって、男よりもおだやかで、おずおずし、ゆるやかで、優柔不断である。それだけに長続きする傾向がある。当然、いちど始まった結晶作用をさほどあっさり断念できないはずである。」

    —『恋愛論』スタンダール著

    「この滑稽な言葉は変えるべきかもしれないが、事実は存在する。ベルリンの「美男たち」の嘆きの種であった美しくけだかいウィルヘルミーナが恋を軽蔑し、その狂気を嘲笑していたのはよく知られていた。若さと、才智と、美貌と、あらゆる種類の幸福にかがやき、莫大な財産は、彼女のあらゆる才能をのばす機会を彼女に与えるとともに、自然と力をあわせて、幸福をうけるにまことにふさわしい人に完全な幸福が与えられたという、非常にめずらしい例を世に示しているように見えた。彼女は二十三歳だった。すでにかなり前から宮廷に出ていたのだが、高貴の方の好意をていよく拒絶してきた。彼女のつつましい、だが堅固な婦徳は、模範としてあげられ、その後は、どんな美男子も彼女に好かれることをあきらめて、せめてその友情をねがうのみであった。ある夜彼女は、フェルディナンド大公の舞踏会へいき、ある若い大尉と十分間踊った。」

    —『恋愛論』スタンダール著

    「羞恥心は、身だしなみの趣味の源泉のひとつである。このように身なりをととのえることによって、女は多少とも期待をいだくものである。老年において化粧が所を得ないのはこのためである。地方の女がパリで流行を追おうと思えば、間がぬけて、もの笑いの種になるのが落ちだ。地方の女はパリに着いたら、はじめは三十女のつもりでよそおうべきである。  ある女が、哲学的な率直さにかられたとき、およそつぎのような意味のことを言ったものだ。「いつか私がだれかに私の自由を捧げるときがくるとしても、私が将来えらぶ男の人は、私がこれまでごくささいなことの好悪にもどんなに厳格だったかをお知りになって、私の気持ちをいっそう尊重してくださるだろうと思うの」こんなに愛すべき女が、現在話しあっている相手の男に冷淡になるのは、おそらく永遠にめぐり会うこともないような恋人のためなのである。これが羞恥心の第一の誇張で、これは敬意をはらうべきものである。第二の誇張は、女の自尊心から生じる。第三の誇張の原因は、夫の自尊心である。」

    —『恋愛論』スタンダール著

    「これは多血質と比較した憂欝質の話であろう。ある貞淑な女、しかも信心からきた打算的的な貞淑(天国で百倍にして酬いられるという条件での貞淑)を身につけた女と、一方はすれっからしの四十男の道楽者の場合を想像すればよい。『危険な関係』のヴァルモンはまだそこまでは達していないが、トゥールウェル法院長夫人は全巻を通じて彼よりも幸福である。したがってあの才智豊かな作者がさらにもう少し才人であったなら、このようなことをあの巧みな作品の教訓としたことであろう。」

    —『恋愛論』スタンダール著

    「 私は、美しい海の眺めが、慰安を与えてくれるのを経験した。「静かに輝かしく明けた朝は、城館から陸地のほうに眼を移すと眺められる荒涼とした山々に、ここちよい景観を与えていた。そして、幾千の銀波がさざめいているすばらしい大洋は、水平線の果てまで、おそろしい、しかしやさしい威厳をくりひろげていた。最も苦悩のはげしい瞬間さえも、人の心は、このような静けさと偉大さとが刻印された風景から、それと一体となった感動をうけ、その壮大な影響によって、名誉と美徳の行為をよびさまされずにはおかないのである」 (『ラマムーアの花嫁』第一巻、一九三ページ)」

    —『恋愛論』スタンダール著

    「だれでもそうだが、とくにフランス人はお人好しとみられるのをきらう。しかし、むかしのフランスの君主政体はそれほど固苦しいものでなかった(*)ので、「意地」も色事あるいは趣味恋愛以外のところでは、あまり被害をおよぼさなかった。意地が卑劣な行為を生んだのは、気候の関係で性格がもっと陰気な君主国(ポルトガル、ピエモンテ)においてである。」

    —『恋愛論』スタンダール著

    「パリの青年は、恋人を一種の奴隷、とりわけ自分に虚栄心の満足を与えるべき奴隷としか考えていない。もし女が、この支配的な情熱の命令に反抗しようものなら、彼は女を棄て、いかに颯爽と、いかに手ぎわよく彼女を振ったかを友人に吹聴して、ますます自己満足におちいるのである。  自分の国をよく理解していた一フランス人メーヤンは言った。「フランスでは、偉大な情熱は偉大な人物とおなじくらい稀なものだ」と。  フランス人にとって、女に棄てられ、絶望していることが町中全部に知れわたっている男の役を演じることがいかに不可能なことか、これを言い表わす適当な言葉がない。ヴェネチアやボローニャでは、そんなことはざらにあることなのだが。」

    —『恋愛論』スタンダール著

    「かつてルターは道義心に力強く訴えた。そしてドイツ人は、自己の良心にしたがわんとして三十年間も続けてたたかった。その信仰がいかに馬鹿げたものであるにしても、大いに尊敬すべきみごとな言葉である。私は、芸術家にとってさえ尊敬すべき言葉だ、と言いたい。ザンドの心中の葛藤、神の第三戒「なんじ殺すなかれ」と、祖国のためと信じた事との間の内心の葛藤を見よ。  タキトゥスのなかにさえ、すでに女と恋に対する神秘的な熱狂が見られる。もっともこの作家が、もっぱらローマの諷刺を意図していたのではない、と考えての話だが(*)。」

    —『恋愛論』スタンダール著

    「ドイツを二千キロも旅行すれば、この不統一な割拠している国民のなかに、熱烈ではげしいというより、むしろ温和で情愛こまやかな熱中の調子を見分けることができる。  もしこうした気質を、あまりはっきりと見てとることができなかったら、オーギュスト・ラ・フォンテーヌの小説を三、四冊も再読されればよい。美しいプロシアの女王ルイゼは、彼が『安らかな生活』をかくもみごとに描いた褒美として、彼をマグデブルクの聖堂参事会員にした(*)。 (*)オーギュスト・ラ・フォンテーヌの小説の一つの題『安らかな生活』は、ドイツのもう一つの大きな特徴であって、これはイタリア人の「安逸」にあたり、ロシアの「四輪馬車」やイギリスの「遠乗り」に対する生理学的批判である。」

    —『恋愛論』スタンダール著

    「深刻な情熱のために働くよう習慣づけられた注意力は、敏捷にうごくことができない。これがフランス人とイタリア人の最も顕著な相違である。イタリア人が乗合馬車に乗るところと、支払いをしているところを見たまえ。ここにこそフランス人の furia francese性急さが見られるのである。どんなに卑俗なフランス人でも、デマジュール式のきざなうぬぼれ屋でないかぎりは、イタリア女に、つねにすぐれた人物に見えるのはこのためである。(ローマの D……公妃の恋人)。」

    —『恋愛論』スタンダール著

    「 私はこうした幸福に感心はするが、うらやみはしない。これは私とは異なった劣等な人間の幸福のようだ。私の予測では、フロリダや南アメリカのほうがはるかにましではないかと思う(*)。  北アメリカに関する私の推察を裏づけるのは、芸術家や作家がまったく存在しないということだ。合衆国は、まだわれわれに、一幕の悲劇も、一枚の絵画も、一冊のワシントン伝も、送ってきてはいないのだ。」

    —『恋愛論』スタンダール著

    「アラビアのテントの下では、いったん誓いがたてられると、破ることが「できない」。この罪にすぐさま軽蔑と死がつづくのである。  この民族においては、気前のよいことが非常に神聖なものとされており、与えるためには「盗む」ことも許されているほどである。その上、毎日、危険があり、生活はすべて、いわば情熱的な孤独の裡に過ぎていく。アラビア人は集まっていても、めったにしゃべらない。  砂漠の住民にあっては、変化はなにもない。すべてが永遠であり不動である。その独特の風習は、よく知らないから描きうるのは貧弱なスケッチにすぎないのだが、おそらくホメロスの時代からあったものであろう。それがはじめて記録されたのは、シャルルマーニュの二世紀以前、キリスト紀元六百年ごろのことである。」

    —『恋愛論』スタンダール著

    「われわれの芸術は、彼らのものよりはるかにすぐれている。われわれの法律も、見たところ彼らのよりもさらにすぐれている。だが、家庭を幸福にする技術において、われわれが彼らよりすぐれているかどうかは疑問である。われわれには誠意と単純さとがつねに欠けている。家族関係にあっては、ぺてん師はなによりも不幸である。彼にはもう心に平安がない。つねに正しくないので、いつもおそれを抱いている。」

    —『恋愛論』スタンダール著

    「女は、われわれが教えたくないと思っていること、生活の経験から読みとれることばかりを知っている。そのため大金持の家庭に生まれることは、女にとって極めて不利である。金持の娘に対して「自然にふるまえる」人々とは接しないで、富によってすでに腐敗堕落した小間使いや話し相手の婦人連にとりまかれているからである。王子ほど馬鹿なものはいない。  自分が奴隷だと感じている娘たちは、稚いころから眼が開いている。彼女らはすべてを見るが、あまりにも無智だからよく見てとれない。フランスでは三十歳の女は十五歳の少年の知識も持たず、五十歳の女は二十五歳の男よりも分別がない。ルイ十四世の最も馬鹿げた行為を賛美しているセヴィニェ夫人を見るがよい。デピネ夫人の推論の幼稚さかげんをみたまえ。「女は子供を育て、世話をしなければならない」……私はこの第一項は否認するが、第二項には賛成だ。……「女はその上、料理女の勘定書を清算しなければならない」。だから女は、……知識において十五歳の少年に比肩するだけの暇がないのだ。男は裁判官、銀行家、弁護士、商人、医師、聖職者等にならねばならないが、それでもフォックスの論文や、カモエンスの『リュジアード』を読むぐらいの暇は見つけてくる。」

    —『恋愛論』スタンダール著

    「さらに私は、女性は毎日三、四時間の暇を、思慮分別ある男がその余暇を活用しているように、活用すべきだと言いたい。  若い母親は、子供が「はしか」にかかっているときには、ヴォルネのシリア紀行を読んで楽しもうと思っても、楽しめるものではない。これは、裕福な銀行家である夫が破産に瀕しているとき、いくらマルサスについて楽しく瞑想しようと思っても、それができないのと同じである。  精神の卓越。これこそ裕福な女が、女の卑俗性から抜きんでる唯一の方法である。これが具わっていれば、「自然に」他の感情は生まれるものだ。」

    —『恋愛論』スタンダール著

    「フランスでは、年金六千リーヴルある人々のなかには、本を出版する気など毛頭なしに文学を普段の楽しみとしている人が多い。良書をひもとくことは、彼らにとって、最大の愉楽の一つなのだ。十年たってみると、彼らの才智は倍加している。そして一般に、才智が豊かになればなるほど、他人の幸福と相容れない情熱を抱かなくなるということはだれも否定できないであろう(*)。またギボンやシラーを読む女性の息子は、お祈りをしたり、ジャンリス夫人を読む女性の息子よりすぐれた素質を有するだろうことも否定できないと思う。」

    —『恋愛論』スタンダール著

    「若い弁護士、商人、医者、技師は、まったく教養がなくても、世の中へ出ていける。その職業を営むことにより、日々教育されていくからである。しかし、彼らの妻は、尊敬すべき不可欠の特質を身につけるために、いかなる手段を持っているのか。家庭の孤独の中に閉じこめられて、人生と必要という偉大な書物は、彼女たちに閉ざされたままである。彼女は、料理女と勘定書のことで口論しながら、月曜ごとに夫が渡してくれる三ルイの金を、いつも同じやり方で使っているだけである。」

    —『恋愛論』スタンダール著

    「女子教育は、おそらく現代ヨーロッパで最も滑稽で愚劣なものであるから、女は、いわゆる教育なるものを受けることが少なければ少ないほど、値うちがあることになる。イタリアやスペインで女が男よりはるかにすぐれており、さらに、他の国の女よりすぐれているとさえ言いたくなるのは、おそらくこのためであろう。」

    —『恋愛論』スタンダール著

    「もし私が、わが聖職者たちのように、私の聖職者が自分の敵と親しい同盟者であると信じていたらどうか?  ルターのごとき人間が出なかったら、一八五〇年のフランスには、カトリック教は存在しないであろう。この宗教は、一八二〇年にグレゴアール氏によってはじめて救われた。世間がこの人をどのように遇しているか見るがよい。」

    —『恋愛論』スタンダール著

    「二十歳のころはちやほやされるが、四十歳になると、顧みられない。  四十五歳の女が重んじられるのは、ただその子供によってか、愛人によってである。  美術に秀でた母親は、息子が生まれながらその才能を有していた、というごくまれな場合にのみ、その才能を息子に伝えることができる。教養を身につけた母親は若い息子に、たんに快適なあらゆる才能のみでなく、社会に出る男に有益なあらゆる才能についての観念を与えるであろうから、息子はそれに従って選択することができる。トルコ人の野蛮さは、多くの場合、美しいジョルジア女の愚かさのためである。パリ生まれの青年が十六歳のとき、地方の同年輩の青年よりあきらかにすぐれているのは、母親のおかげである。十六歳から二十五歳にかけて、その機会は逆転する。」

    —『恋愛論』スタンダール著

    「避雷針、印刷術、機織術を発明した人々は日々、われわれの幸福に貢献している。モンテスキュー、ラシーヌ、ラ・フォンテーヌのごとき人々もまた同様である。ところが、ある国民が生む天才の数は、十分な教育を受ける人間の数に比例している。そして、私の靴屋が、コルネーユのようにものを書くのに必要な魂を持っていない、と証明しうるものはなにもない。靴屋に欠けているのは、その感情を発展させ、それを公衆に伝える技術を得るのに必要な教育なのである。」

    —『恋愛論』スタンダール著

    「愛情がなければ、結婚における女の貞操は、おそらく自然に反するものである(*)。 (*)おそらくどころではなく、たしかに自然に反する。恋をすれば、この愛する泉の水以外は飲んでもうまくない。このとき、貞操はまったく自然だ。  愛情のない結婚では、二年たらずでこの泉の水はにがくなる。しかも水を求めるのは自然である。風習は、自然を制御することはあるが、ただそれは一瞬にして征服しうるときにかぎられる。たとえばインドの妻は、嫌っていた年老いた夫の死後、火刑台に上り(一八二一年十月二十一日)、ヨーロッパの若い娘は自分の生んだ嬰児を惨殺する。尼僧院に高い塀がなければ尼僧たちは逃げだすであろう。」

    —『恋愛論』スタンダール著

    「フランスでは、こと女に関するかぎり、地方はパリより四十年おくれている。」

    —『恋愛論』スタンダール著

    「たとえば、六か月天文学を研究して過ごしたあとでは、いっそう天文学が好きになるし、一年間けちにしたあとでは、ますます金が好きになるのである。」

    —『恋愛論』スタンダール著

    「リジオ・ヴィスコンチはたいへんな読書家だった。彼が世界を回って自分で見たこと以外、このエッセーは十五人から二十人あまりの有名人の回想録にもとづいている。こういうつまらないものにでも、ちょっとでも注意をはらおうという読者に偶然でくわすこともあろうかと、リジオがその考察と結論をひきだした書物の名をつぎにあげておこう。」

    —『恋愛論』スタンダール著

    「「今日なおスタンダールが過賞され、その名声には多少のスノビスム(時流を追うこと)がまじっていると、思いこむ人がいるならば、『赤と黒』の傍題である「一八三〇年代記」について思いめぐらしてもらいたい。つまり、この小説が百年前に書かれたことを思いだし、それまでにフランス小説にどんな傑作があったかと自問されるのがよい。『マノン・レスコー』『危険な関係』『アドルフ』などがあるにはある。だがこれらの小説はどれひとつとっても、いかなる点でも『赤と黒』には似ていないのだ。スタンダール以前に世紀の年代記を書いて大小説をつくった者はいなかった。誰ひとり動きつつある一世代を照しだす考えも力も持たなかった。」

    —『恋愛論』スタンダール著

    「また、スタンダールが父を嫌悪し、母を讃美する言葉を後世の人々がそのまま信じこんでしまったのではないか、との疑いも持たれる。」

    —『恋愛論』スタンダール著

    「母がたいへん美しく魅力的で、恋心に近い愛情をアンリが抱いたことはもはや疑う余地がない。エディプスコンプレックスの徴候をここに見るのは容易だが、必ずしも異常なものではないだろう。パスカルをはじめ、現代のサルトルにもそのような傾向を認めることができるからである。」

    —『恋愛論』スタンダール著

    「アンリは、イデオロジーから出発して特に数学に興味を抱き、一等賞を獲得したほどである。  パリの理工科学校の受験を志したのは、数学が得意だったからでもあるが、同時に陰気なグルノーブルを逃げだしたかったからでもあろう。だが、わざわざパリまででかけたアンリは受験するのを放棄する。芝居を書くためにパリに残っていたかったからだ、と後年彼は書き記しているが理由は明瞭でない。彼の小説『アルマンス』『ラミエル』などの主人公はみな理工科学校の卒業生である。また、『赤と黒』の主人公ジュリアン・ソレルは、出世欲に燃えた意志の強い人間として描かれている。アンリ・ベールは、他の小説家にしても似たケースが多いが、自分がなりえなかった、しかしなりたかった者を作品のなかに描いたといえないだろうか。」

    —『恋愛論』スタンダール著

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    2025年12月02日
  • 赤と黒(下)

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    ネタバレ

     第三階級と呼ばれる貧しい家庭で育ちながらも気高い心と強い自尊心、そして熱い情熱を身にひそめたジュリヤンが或る上流階級の夫人との恋愛と、貴族の令嬢との恋愛を展開していくが、主人公や二人のヒロイン、周りの人達の深い心情を描いている点に引き込まれる作品。
     実在した事件を基に社会への風刺と、恋愛に陥った人の情熱が熱く語られている。特に夫のために奔走する令嬢の姿が慎ましい。

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    2025年10月10日
  • 赤と黒(下)

    Posted by ブクログ

    ネタバレ

    ちょっと待って名作が過ぎる

    うーん、書きたいことが3つくらいあるんだけど、めんどくさいから1つに絞ろうw

    それはね人間の想像力ってすごくない?ってことです
    今さらそれ言うか?って感じかもですが、そんなすごい想像力から生み出された物語の力ですよ

    珍しくがっつり
    ネタバレであらすじとか書いちゃいますよ!
    古典の名作なんて結末知ってたって問題ないと個人的には思うけど、一応フタしときます

    ってここまでですでにあらすじめんどくさいとか思いはじめてますが、頑張ります

    上巻でそのとんでもない記憶力と明晰さ(プラス見た目の良さ)で、市長のおうちの家庭教師となった製材店の三男坊ジュリヤン
    どのくらい記憶力がいいかって言うと聖書まるまる暗記してます
    しかもラテン語で
    えげつない
    だってみんなもホテルとかに泊まった時に聖書読んだことあると思うけど、恐ろしく分厚いからね
    とんでもない頭の良さです
    そう言えばアパホテルだけ、なんか変な本置いてあるよね

    で、そこでまぁ色々ありまして、下巻でも色々ありまして(横道にそれた結果心折れたあらすじ無理)

    結局さジュリヤンは死刑になっちゃうのね
    で、その死刑になる前の最期の数日間で色々気付くわけ
    そうね真実の愛とはとか、自分がいかに不誠実で小さな人間だったかとか
    後悔しまくるわけ

    でさ、たぶんまぁきっと死刑とかなったら自分も色々振り返って、もしかしたらジュリヤンと同じように、素直に自分ってものを見つめ直すことができるのかもしれないな〜って

    でもそんなん手遅れもいいとこやん
    つか死刑になってる時点でそうとうなことしでかしてるわけやん
    今の日本だったらその時点で二人以上殺してるわけやから

    でも物語を読むことで、実際に死刑になる前に、そんな心持ちに近付くことができるわけ(いや死刑前提かよ)
    もちろん綺麗事もいいとこだけどさ

    そこになんか物語の力ってものを感じずにいられないフランス文学の名作でした!

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    2025年09月26日
  • 赤と黒(上)

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    鬼スタンダール5です(鬼★5みたいな感じで言おうとしたけどめっちゃ字余り)

    いやーエグいなスタンダール
    やっぱすげーわスタタンダール
    「タ」1個増やしたら急に面白くなったな

    お遊びはここまでだ!

    いや何がすごいってさ延々と続くわけよ、心理描写&情景描写が
    ふつうそんなことされるとべちゃっとしちゃうんだけど、スタンダールはこうなんて言うの?スピードが落ちないんよ
    めくるめく展開
    ほとんど場面が動いてないんだけど、もちゃっとしてないんよ

    それはやっぱりこの恋の駆け引きというかさ、あるやん?誰しも経験あると思うんだけど探り合いみたいなあの感じ

    うわー絶対自分のこと好きだわー、これもらったわー、今告っちゃおうかなー、あれ?いやそうでもなさそう?危なっ!やば!がっつり振られるとこやったー、あれでもやっぱいい感じだよね、行けるんちゃう?むしろベタ惚れちゃうん?あ、だったら今後のことも考えて、言わしたろ、うん、こっちから行くことないわー、向こうからみたい感じにしたいよねー、あれ?やっぱ勘違い?え?でも、絶対好かれてるよね、弱い?やっぱこっちから行った方がいい?あーでも確信ほしいわー、あ、なんか他の奴といい感じに話してるやん、やばっ、早く行かな!でも待ってー

    みたいなコロンコロン気持ちがあっち行ったりこっち行ったり、ひっくり返ったりみたいな

    これを男女双方でやるのよ
    もうイラーッともするんだけど、そこの描写がうますぎて、男女の仲は一切進まないのに、どんどん読まされる

    スタンダール凄っ!

    そして凄いから200年も残るのだよ!

    あらすじ等々はググりなさい!(ピシャリ)

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    2025年09月23日
  • 赤と黒(まんがで読破)

    Posted by ブクログ

    立身出世の野望!
    身分の壁!
    男女の愛憎と嫉妬!
    貴族の停滞と聖職の権力闘争!
    真実の愛!

    いやー面白かった。
    こんなラブロマンスだとは知らなかった。
    漫画で読めたのも良かったように思う。

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    2025年01月08日
  • 赤と黒(上)

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    王政復古後に生まれた野心と自尊心溢れる青年ジュリヤンが、持ち前の知性を活かして地元ヴェリエール、のちにパリの社交界へと進出して「フランス風の」恋愛に翻弄されるアバンチュール作品
    出世に向けての計画と人間関係とが葛藤している様が非常に人間的で良かった

    フランス革命時代、「三十六歳で将軍になれ」たフランスと、貴族と聖職者が支配する当時のフランスとのギャップで苦悩しながらも天性の才能でのし上がっていくものの、恋愛に翻弄されて罠にはまり自尊心を保ったまま運命を選ぶというのが退廃的な当時は勇ましくみえたんだなぁ、と感慨深くなった

    ジュリヤンが、若者の身ながら立身出世しようとレーナル夫人や社交界の手合いと関わっていくうちに、確かに自身の才能で手玉に取れる時もありつつも、やはり大人たちの権力や繋がりには勝てず、内心で葛藤し悩んでいく様がなんとも痛ましく心動かされた

    当時のフランス社会や情勢について知らないと「?」マークが飛び交うことになるだろうから、市販されてる世界史の資料集やネットのサイトなど見て調べつつ読むのがいいだろう

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    2025年02月22日
  • 赤と黒(上)

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    読んでみないと、ちゃんと最後まで読まないと、その凄さがわからない、この一言に尽きる。
    長いし、時代的背景が詳しくないから、読むのに時間がかかったが、後半まで読むと、読みながらすでに再読を検討していた。よくいる面白いか、面白くないかで評価するような人には到底理解出来ないとは思う、そんなすごい作品だった。やはり、さすが、名著ってやつ。

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    2023年07月02日
  • 赤と黒(上)

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    60年前に桑原武夫訳(河出書房)で読んで以来の再読。後期高齢者になって読んでみて気づいたこと。①若い時読んだ文章はそのまま記憶に保存されている。当時何度も読み返したせいか、デルヴィール夫人の(この美少年、ほんとうにいけないまねをする!)とか、「まあ!かわいい小さな司祭さま」という料理番の娘のセリフとか。ということは、17,8歳の私はこの小説を恋愛小説として読んでいたのだ。②だから、パリの社交界の描写とか政治的陰謀とか地位や金を求めてのかけひきなんかはぼんやりとしかわからなかった。今、読んで気づいたことは、木挽き商のせがれジュリヤンの悩みや野心は60年前の日本でも田舎の有能な青年が抱えていたものと似ているということだ。みんな東京へ行きたがっていた。そこで成功して東京の才気煥発なお嬢さんと恋愛したがっていた。やがて田舎でも東京でも人間の本質は同じだと思い知らされるのだとしても。この小説が今でも心を打つものがあるとすれば、痛ましい青春の姿がありありと描かれているからではないかと思う。

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    2023年02月22日
  • 赤と黒(下)

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    深く考えずタイトルで選んだ小説でしたが、読んでいくうちにどんどん引き込まれ、しまいには深く考えさせられる内容でした。特に貴族と平民の描写、自尊心の高い主人公と貴族の女性や婦人との恋愛模様の描写の細かさに感銘を受けました。重要そうに思えるところはあっさり、細かい些細な部分は?重厚に描かれているところも、新鮮に感じました。

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    2022年07月06日
  • 赤と黒(上)

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    スタンダールの代表作。フランス革命後から七月革命前までのフランスが舞台。成り上がりたいとの欲望に燃える主人公。

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    2024年04月04日
  • 赤と黒(下)

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    (訳者解説から抜粋)

    この本の表題、『赤と黒』の意味は様々な説がある。この2色に政治的、歴史的な意味があるという解釈が多くなされ、代表的なのは、「赤が軍服を、黒が僧服を表す」という説。そのほかにも、「共和主義・自由主義と宗教」の対比だとか、「情熱と死」の対比だとかいう説もあるが、いまだに真意は明確ではないのだそう。

    また、上巻・下巻どちらの巻末にも英語で「To the happy few」というフレーズはスタンダールから読者へのメッセージであり、「最後まで付き合ってくださったあなたは幸福なる少数者なのですよ」という自負がみられる。


    (感想)

    我々の恋心、「こんな恋愛をしてみたい」という気持ちを刺激してくれる。

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    2022年05月20日
  • 赤と黒(上)

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    モームの選んだ「世界10大小説」の一つ。『赤と黒』の初版本には、副題として表紙に「19世紀年代記」、中扉に「1830年代記」と記されている。

    「年代記(chronic)」という単語に「この作品を単なるフィクションとは受け取るなかれ」という著者の意図が見てとれる(訳者野崎さんの読書ガイドより引用)。

    『赤と黒』で描かれるのはシャルル10世の治世(王政復古期)である。王党派や教会権力(保守的勢力)vs. 自由主義勢力(改革派)という対立構造があることを踏まえておくと良い。

    また、この小説は「史上初の、サラリーマンを主人公とする小説だと述べる研究者もいるくらいで、ヴェリエールではレナール氏、パリではラ•モール侯爵に雇われるが、家庭教師に雇われる前の彼の蓄え、給料を比較しながら見ると、彼の社会的な「価値」のバロメーターがわかるというわけだ。

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    2022年05月12日
  • 赤と黒(上)

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    誘惑、官能を前にしてもなお強いジュリヤン・ソレルの出世へのストイックさは、現代の人間にはなかなか理解し難いかもしれません。

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    2022年02月08日
  • 赤と黒(下)

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    大学生の頃読んだ時より恋愛の駆け引きがよく理解できますた。
    昔の小説なのでどうしても中盤だれるが、節々に現れるエクストリームな感情描写にグッとくるor爆笑必至で、面白く読める。
    後半ジュリヤンが死に向き合うシーンでは、それまで仮にジュリヤンの野心を他人事のように思っていた読者も自らの生き様とジュリヤンのそれを比べずにはいられないのではなかろうか。

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    2021年11月23日
  • 赤と黒(まんがで読破)

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    タイトルは知っていたのだけど、原作は古典で長いので敬遠していた本が漫画でシンプルにまとめられているのは感謝です。
    200年近く前に書かれたとは思えない、今の視点で見てもエンターテイメントとして普通におもしろい。
    野心家の下層階級出身の主人公が、頭脳と美貌で上流階級で上り詰めていく話。
    嫉妬や策略や野望、そして愛が入り混じる、現代でも変わらずに物語のテーマとして描かれ続けている内容ですね。
    古典作品が読み継がれているものには理由があるのだということが分かります。

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    2021年02月06日
  • 赤と黒(上)

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    ネタバレ

    舞台はフランスのヴェリエールという町から始まり、出世したいという強い野心に燃える若者ジュリアンが、町長レーナルの子供達の家庭教師として雇われ、そこでレーナル夫人と出逢う。
    年齢はジュリアンは十九くらいで、夫人は三十くらいで、さらに百姓の息子と貴族という大きな身分の違いがある。最初は野心から夫人を誘惑をしたのの、互いに激しい恋に落ちていくのであるが、そこで描かれる恋の駆け引きや言動で慌ただしく両者の立場が逆転する心理描写が面白い。
    特に主人公の中にある野心と恋心と自尊心が頭の中で噴き上がったり沈下したりと忙しく、冷めたと思ったら愛し始めたりする。僕自身もそうだが相手の一つの動作や言葉が気になったり、魅力的に見えたり幻滅するのは皆もあるはず。そのあたりがジュリアンに共感できると思う。
    何より、愛するというのは身分や年齢差なんて関係ないと思わせてくれる一冊だ。

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    2021年01月31日
  • 赤と黒(下)

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    1830年7月革命ごろのパリと地方都市を舞台にした恋愛小説
    よく見聞きするフランス産小説群でも初期のもので
    『ボヴァリー夫人』のような自覚的に時代を超えようとするのに対し
    色濃く作者の生きる景色に寝ているので
    現代世界異境の地では意味の取れないところも多い作品
    それでも当時の恋愛を題材に作者から見えている枠を存分にひろげている様が
    荒粗しく面白い
    普遍な女性像や人間の感情という捉え方でなく
    作者の位置と歪みが登場人物を極端に描いていても
    達すれば通ずることを感じさせる

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    2018年10月25日