徐々にハマりつつある、火の鳥シリーズ。
第4弾となる鳳凰編、時代は奈良飛鳥の頃の日本、
主人公は片手の悪党「我王」と、真摯に仏師を志す「茜丸」。
奈良の大仏が建立された辺りを題材にしているのかな、
なんとなく、子どものころに読んだのを思い出しました。
当時は我王の鼻の大きさくらいしか印象に残っていませんでしたが、、
思想背景に仏教の“輪廻転生”と“業(カルマ)”があるのでしょうか。
物語が動くのは、周囲を傷つけながら生きている片輪の「我王」と、
仏師を志し旅をしていた「茜丸」が出会うところから。
我王に利き腕を壊された「茜丸」は、夢をあきらめることなく、
その後不断の努力を重ねて大成し、大仏建立の仏師に。
理不尽に茜丸を傷つけた「我王」は、その後も同様に、
世に背を向けて生き、そして堕ち続けていきます。
ここで終われば、努力で運命に打ち勝った仏師!的な、
よくある大団円の物語だったのでしょうが、この後も続きます。
「我王」は放浪中にとある僧と出会い、徐々に変わっていきます、
一方の「茜丸」も都での権勢を重ねるにつれて、徐々に変わっています。
それぞれがどう変わっていくのか、、そして、
単純に善悪の価値観が変わるのではないところが、凄いなと。
そんな二人が再会するのは、大仏建立の鬼瓦を競う場にて。
そこには何の因果か、造形師としての才能を掘り起こした「我王」がいました。
勝負の結果と、そこから引き出された“理不尽”のいきつく先は、さて。
ん、善悪の判断がクルクルと入れ替わりながら、
その判断基準すら溶けたところに“人の営みの業”を感じます。
生きていくということは“理不尽”に立ち向かっていこと、
その理不尽さとどう立ち向かっていくのかを、二人を通して。
それぞれの生き方のいきつく先が、これまた対象的です。
そして、輪廻と再生の象徴でもある火の鳥の、
二人に対する意外なシニカルさも、印象に残っています。