櫻田智也さんの「魞沢泉」シリーズ3作目(2024年作)は、あとがきにも書かれているように、前作で『連作のひとつの区切り』となったことから『心機一転』した新たな部分と、更に切れ味の増したミステリの素晴らしさが合わさった正統進化版と感じたものの、櫻田さん自身は色々と悩まれた執筆だったようで、それは『物語の自由度を高めようとするほど、不思議と作者は不自由になっていくようだ』や、いつになくネガティブで弱気な、本書の魞沢自身とも呼応しているように感じられた。
そうした中で今作は、それぞれに違う色をタイトルに付けたコンセプト連作集という試みに加え、更に本のタイトルが収録作のそれと被らないオリジナルの『六色の蛹』であることに、櫻田さんの最も伝えたいメッセージが込められていて、それは登場人物たちが『昆虫の形態の中でもっとも脆く傷つきやすい蛹の姿と重なった』ことから、人それぞれが内に抱える、様々な色を放ちながら今にも崩れ落ちてしまいそうな、そんな繊細で大切な部分に優しくも勇気を出して寄り添おうとする魞沢の姿を描いていながら、六つの短編全てで彼自身が他の登場人物と同じ立ち位置である点にも、櫻田さんの思いが込められているように思われたのだ。
最初の「白が揺れた」では、人の死というのはこんなにも簡単に訪れるのだということを悲しいほどに突き付けられて、それは『俺も銃を手にしたら、命を奪って平気でいられる人間の感覚が、理解できるんだろうかと思ってな』と、負の連鎖へ陥る危険性もあったものの、その裏には被害者側が何故こんな思いをしなければならないのかという観点から、人の命よりも大切なものなどあるのだろうかという問い掛けと共に、自分が体験した悲しみを他の誰かに与えようとしているだけだったことへの気付きも促せてはくれたものの、私は『愚かだと分かっていても、やらずにはいられなかった』という言葉にも、情を持った同じ人間として共感せずにはいられないものがあった。
「赤の追憶」は一度アンソロジーで読んでいたので、謎の真相が明かされることによって世界が反転する物語の素晴らしさは知っていたものの、他にも魞沢の被る帽子から「白が揺れた」の後の物語と知ったことや、一見何でもないようなものに実は誰かを大切に思う、その人の並々ならぬ思いが込められていたことなど、時が経過することで実感させられた感慨深さが印象的だった反面、ミステリの構図として、『聞こえぬ声を聴きとろうと一心に耳を傾けている』と、『わたしにはいまもうるさいほどに話しかけてくれる娘がいる』とが、見事な対比をなしている上手さも感じられたが、そこには技法だけではなく切なさも募ることに、櫻田さんの物語ならではの素晴らしさがあるのだと思う。
次の「黒いレプリカ」では、そのタイトルにもある『レプリカ』に何重もの意味合いを込めていることに切なさがあって、それはミステリの真相に絡めた非情さの他にも、「甘内」が魞沢に求めていたのは何だったのかという葛藤から、『人は、人を信じるという思いをどれだけ貫くことができるのか?』ということについて考えさせられるものがあり、それは『甘内さんを慰めているふりをして、ぼくはきっと、自分を慰めているんだ』の真意を知ることで、より胸に迫るものがあったのだ。
ここからは単行本書き下ろしとなり、その最初の「青い音」も「赤の追憶」のような対比が沁みてくる物語で、それはサウンド(音)ではなくトーン(音色)であったり、泣いているのではなく雨が降っているのだという気持ちであったりと、そうした繊細な違いを、ここではかつて母とだけ一緒に暮らしたことのある子どもの視点から見た、両親それぞれの悲運な人生とはまた対照的な彼らの愛の深さに擬えているのが切なく、ここでの魞沢は、まさに彼の人生と家族の名誉を救い出した大活躍ぶりでありながら、これを彼の回想だけで解き明かすミステリとしての面白さは、最後のあっと驚くお洒落なトリックも合わさることで、爽やかな読後感も運んでくれたのだ。
次の「黄色い山」は、これまたシリーズ初の試みである先に発表された短編の後日談で、ここでは「白が揺れた」の未来の物語と共に、そこで起きた過去の真相も明かされることで、先の短編を補填する役割も兼ねているのが斬新に思われたのだが、そこには被害者家族と共に、加害者家族や彼らを思う人たちの心の内も繊細に描いていて、改めて人には情というものがあるからこそ、いろんな方向に走ってしまうのだろうと感じられたことには何とも言えないものがあった一方で、これら二つの短編が『里にあらわれる鹿や熊は年々増加傾向』と、ハンターを題材としていることには、前作同様に櫻田さんに備わった先見の明を感じたのであった。
最後の「緑の再会」も後日談にあたるのだが、ここでは時の流れによって、魞沢が確実に年齢を重ねていることを痛感しつつも、これに関しては探偵が魞沢ではなく、作者櫻田智也が魞沢に優しく寄り添った物語なのであり、魞沢が救われた物語であったこと、それが全てなのだと思うが、ちゃんとミステリとして意外性のある面白さも入っているのが、また心憎い。
これで全ての物語について書き終えたが、まだ書き足りないことがあって、それは冒頭にも書いたように、「どうした魞沢くん!」ってことで、君はあれだけ一生懸命に様々な人の心を救ってきたというのに、何故そんなに悩み苦しんでいるのだと言いたいけれども、きっとそれこそが彼の良いところなのだろうし、彼ほどにその表向きの愛嬌の良さの裏に繊細さを抱えた人間も中々いないからこそ、他の人の悲しみや繊細な部分にも優しく寄り添えるのだろう。
そんな君も実は他の登場人物から、『よほど人付き合いの悩みが多いようだ』と心配されていたり、彼自身、『深夜に布団のなかで思い出して大声をだしたくなるくらいには』後悔することがあると言っているのを知り、そんな純粋さが諸刃の剣とならないように、ここで君がどれだけ周りの人の救いになっているのかということを列挙しよう。
『不思議だった。なぜだか魞沢のほうが、追いつめられたような顔をしているから』
『張り詰めていた気持ちの、逃げ場になってくれるような』
『魞沢は大袈裟だと思うくらい驚き、おまけにちょっと悲しそうな表情をみせたので、甘内はなんだか嬉しかった』
『五月に彼の喪服姿をみたときも、同じことを感じた。黒いスーツがぜんぜん似合わなそうな人なのに、実際に着ている姿をみると、やけにしっくりくるのだ』
あとがきで、今回『蛹』をタイトルに使ったのは、「文庫版『蟬かえる』」での法月綸太郎さんの解説がきっかけとなったことを知ったとき、それが櫻田さん自身も魞沢同様に周りの人の思いを大切にしている証と思われたのだ。