オリヴァーサックスのレビュー一覧
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脳神経科医のオリヴァー・サックスが幼少期に夢中になったのは化学だった。医者の両親と電球を開発していたおじたち、植物に造詣の深いおばや年の離れた兄たちに見守られながら、化学の化学の実験に明け暮れ、先人たちの発見に心躍らせた少年時代を振り返る、ジュブナイル小説のような回想エッセイ。
サックスの家はユダヤ教徒で、子どもの教育に熱心だった母方の祖父とその子どもたちは化学に親しんで育った。用途の違うランプの特許をとった祖父を受け継ぎ、おじさんたちは〈タングスタライト〉という会社を経営していた。このうちの一人、デイヴおじさんがフィラメントに使われる金属・タングステンにぞっこんで、〈タングステンおじさん〉と呼ばれていたのがタイトルの由来である。
子どもの「なんでなんで」を邪険にしなかった外科医の母に紹介されたタングステンおじさんとの出会いによって、少年オリヴァーは化学に目覚めた。だが、疎開先の学校で理不尽な体罰を受け、一度は心を閉ざしてしまう。そんなときも、彼を癒してくれたのはおばが土いじりをしながら教えてくれたフィボナッチ数列であり、さまざまな鉱物の名前を覚えることだった。
疎開から戻されると、両親の許可を得て家に実験室をつくり、兄たちと一緒に実験に明け暮れた。ミニチュアの火山をつくって噴火させたり、アルカリ金属を水に放り込んで爆発させたり、カメラで撮った銀版写真を自分で現像したり。街にでれば原子記号と番号が揃った切符を集めたりした。
推論から実験を組み立てていくその的確さはとても小学生の年齢とは思えないのだが、全体としては無邪気さといたずら小僧の入り混じるジュブナイルのようで、ロアルド・ダールの『少年』にとても近い読みごこちだった。ボーイスカウトにセメント入りのパンを持っていくところとか(笑)。贅沢品になってしまった〈戦前の日常〉に対するノスタルジーを、恨み節にならずに爽やかに書いていて、この人は本当に好感度が高い。
少年オリヴァーは主に19世紀以前の化学の本を愛読したという。自身が辿った興味の変遷に沿って、錬金術が近代化学になり現代化学に移り変わる歴史を解説しているのだが、これがものすごく親切でわかりやすい。
錬金術の深遠な語彙ではなく、誰でもわかる言葉で記述し、実験を再現可能なものにした17世紀のロバート・ボイル。質量保存の法則、元素の定義、代数的な化学言語などを整備し、真の燃焼理論を完成させたが、フランス革命でギロチンにかけられた18世紀のアントワーヌ・ラヴォアジェ。『ロウソクの科学』のファラデーの師であり、メアリ・シェリーやコールリッジにも影響を与えた詩人化学者ハンフリー・デイヴィー。少年オリヴァーがときめいた化学者を教えてもらうと、こっちも一緒にときめいてしまう。
しかし、オリヴァーの探究心は量子学の登場と原子爆弾の脅威によってだんだんと薄れていく。両親・兄ともに医師というプレッシャーもあったのだろう、なぜか一瞬海洋生物学に寄り道してから(気持ちはわかる)、医学の道に進むことになる。
本書の面白さは、少年オリヴァーの興味がとても子どもらしいところにありながら、原理を深く理解して実験に挑むところ、そして〈タングステンおじさん〉を通じて常に実用化学に敬意を払うというところにあると思う。世界の成り立ちを知る術であると同時に、ビジネスの道具にもなり殺戮兵器にもなりうる化学。その可能性すべてを幼くして目の当たりにしたからこそ、オリヴァーは人類の謎である〈脳〉に興味を移したのかもしれない。
私のような化学門外漢には入門書としてもうってつけだったし、ユダヤ教徒の祭りの様子や、ユニークな家族の空気感までも伝わってくる優しい本だった。 -
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音楽『嗜好』症というタイトルだけあって、29章すべてで音楽をKEYとして、様々な脳機能上の欠損(事故、病気、先天性、手術)を原因として起きる様々な症例が扱われる。
異常に音楽が好きになった、音楽が嫌いになった、楽しめなくなった…そして音楽に救われた、等の話が様々な症例とともに詳細に紹介される。
どれもこれも人間の脳機能の不可思議さに驚くばかりだが、こうなることが誰にでもありうると思うと怖くなる。
音楽(主にクラシック)の素養があるともっと理解が深まるかもしれないが、さほど素養が無い私の様な読者でもYouTubeなどで動画を見ながら読むとより一層楽しめた。 -
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この小説の著者は、イギリスの神経学者です。同名の映画は一九九一年四月に日本で上映され、多くの人を感動させた。小説の初出は、一九七三年に上梓されています。
一九二〇年代生まれの患者が多い「嗜眠性脳炎」は、通称「眠り病」というが、その病の既往性のある患者たちが、回復後、比較的長い年月を経て、パーキンソン病を発症するということに気づいたサックスは、因果関係は不明だがL-DOPA(レボドパ)を嗜眠性脳炎の後遺症に苦しむ患者たちに応用できないかという発想から、物語が始まるのです。
初めにネット上映で映画を鑑賞した後、小説で補完できると思い続けて原作を読んだ。随分生々しく書かれていたことを思い出す。小説に書かれていた「目覚め」は、映画とでは目覚めの朝の表現が随分と違和感があります。嗜眠性脳炎の後遺症は、眼球回転発作、筋固縮、パーキンソン症状、振戦(ふるえおののくこと)などである。
本書には、サックス氏が診察した二〇症例が紹介されている。その症例の二〇番目が小説のタイトルになっているレナード・Lで、薬の効果と副作用が一番顕著に現れた症例の一つでもある。
彼の生い立ちは、常に献身的に付き添っていた母親の手助けがあってのことだった。
彼は幼いころから知的で早熟で、六歳の時父親が死ぬと、その傾向がいっそう強まった。
「僕は一生何かを読んだり書いたりして暮らしたいよ。本に埋もれて生きたい。人間なんてちっとも信用できないからね」。思春期の初めの頃レナードは、その言葉通り本に埋もれて過ごした。一五歳の時に右手が硬直し始め、力が弱まって色も青白くなり、縮んできた。障害はゆっくり広がっていったが、ハーバード大学へ進み、優秀な成績で卒業した。深刻になった障害のため、三〇歳でマウント・カーメル病院に入院し、そして読書以外の活動はまったくと言っていいほど何もしなかった。しかし、サックス氏によれば彼の知的な表現力は、多くのことを教えられたというのである。そしてマウント・カーメル病院で初めてL-DOPAを投与した患者である。
レナードに投与された薬の効果は劇的に好転したため、病院の患者全員に服用させたいと経営者に願い出るも、薬が高価であるため拒絶されたが、病院で働くスタッフの熱意で乗り越えられ、多くの患者たちの症状が好転したのである。それを「一九六九年の軌跡」と呼んでいる。
しかし、サッスク氏と患者には、様々な苦難が持っていたのだ。「眠り病」は、脳波は刺激がないと反応しないが、話しかけると反応するのだ。意識がないわけではない。体は随所に固縮しているが患者の内部は正常なのだ。そして前述した後遺症が何十年も続いていた。まるで地中の奥に幽閉されていたかのようだ。
‘69年の夏、Drは患者の一人ルーシーに問うた、今年は何年か?一九二六年よ!と答えたのである。何とも悲哀を感じる小説でした。 -
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"映画にもなった「レナードの朝」を今読み終わる。
オリヴァー・サックスさんの語り口も読みやすく、一人一人の物語に引き込まれる。
1900年代前半から大流行した脳炎の後遺症で、パーキンソン症候群、言葉や感情、体の自由が奪われてしまった人たちが、ある新薬(L-DOPA)の投与により、以前の生活に不自由がなかったころのように回復する。しかしながら、患者により効果は異なり、チックや加速を繰り返すようになったり、意地悪な性格になってしまったり、という副作用が生じてしまう。そんな人々と向き合い治療を行っていた脳神経科医が著者である。
映画の撮影についてもコメントも付録にある。ロバート・デ・ニーロさんの演技へのアプローチが奥深いことがよくわかる。" -
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"トゥレット症候群の外科医、色彩を失った画家、自閉症サヴァン症候群の驚くべき能力や自閉症でありながら動物学の博士号を持つ人など、様々な脳障害を抱えた患者とを脳神経科医のオリヴァー・サックスさんが暖かい語り口で観察し、感じたことを教えてくれる。
最初にカラーページがあり、色彩を交通事故で失った画家の絵だったり、サヴァンの子供が書いた絵などが掲載されている。いずれも素晴らしい才能の持ち主だということがわかる。
トゥレット症候群の方の症状は、本書で学んだ。確かに日本にも時々奇声を発する人が電車に乗ってくることがある。たいていは見て見ぬふりをしてしまう。トゥレット症候群の人は、近くにあるものを触らずにはいられなくなったり、ある数字に執拗にこだわったり、左右対称でないと何もできなくなったり、いろいろな症状がある。本を読むときにも左右対称でなければ気になるし、ある数字例えば4と7なら、読書中に登場したらそこで目がとまり、何度も何度も読み返す羽目になるらしい。そんな癖がありながら博士号取得するのは、並外れた集中力や自分の障害と冷静に向き合える胆力があったのだろう。
まさに想像を絶するパワーだ。
人間は100人いれば、全員100の秀でた能力を持ち、やりたいことを実現する力を持っていることに改めて気が付く。ほかの人の眼を気にすることや、自分の能力を過小評価することは、とてももったいないこと。この本には不思議な力を貰った気がする。" -
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"学ぶことの喜びがじわじわと伝わってくる。脳神経外科である著者の子供時代、戦争の惨禍を経験しつつ、科学の世界に足を踏み入れる。彼の周りには歩く百科事典のような人たちにあふれており、恵まれた環境にあったことは確かだが、それでも、あくなき好奇心を持って学ぶ喜びを育んだのは彼天性のものであろう。
オリヴァー・サックスさんの本をすべて読むことにした。
映画にもなった、レナードの朝という著書もある。あとがきで知ったが、すでにお亡くなりになっていた。残念でならない。
本書には注釈が各パートの後ろについている。こちらも読み逃しないように。
こちらもとても興味深い逸話が多々登場する。
子供のころ夢中になって読んだ本はキュリー夫人の本をポロニウムとラジウムの発見100年を祝う講演で紹介していたら、会場になんと著者その人がいたらしい。出版から60年の時を経て、著者にサインをしてもらったという逸話もある。
なぜ?どうして?という疑問つことが、学ぶ一歩になることがよくわかる。" -
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ネタバレ「レナードの朝」や「妻と帽子を間違えた男」で有名な、脳神経科医オリヴァー・サックスによる症例ルポ。
患者の実生活に近づいて、彼らの人生を丹念に聞き取り、彼らと共に過ごし、彼らの内面を主観的視点から調査しようとしている。それは科学論文で見られるような冷たい客観的視点ではない。患者を単なる症例の付属物ではなく、一人の人間としてその人格、心のありようを掴もうとしているのだ。なにせ患者の住んでいる土地の美しさまで感動的な筆致で描写しているくらいなのだ。
とはいえジャーナリストが感傷的に人を描写するのとは違って、オリヴァー・サックスはやはり専門医である。ところどころに脳神経についての科学的な事実や過去の類似の症例を引き合いに出して、患者の症状を医学的に解説してくれている。
つまり本書は人体というモノを見る客観的視点と、人を見る主観的視点、この二つが見事に織り交ざった秀逸なルポルタージュなのである。
私が感銘を受けたのは著者の穏やかな知性が滲み出る文章だ。以前テレビで見た彼の話し方をそのまま写し取ったようだった(オリヴァー・サックスは2015年に逝去したが、彼がプレゼンをしたテレビ番組は今でも簡単に観ることができる。「TED」または「スーパープレゼンテーション」で検索すれば、公式動画が無料で見られる。ちなみに「火星の人類学者」に登場するテンプル・グランディンも同番組に出演したことがある)。
一番心に残ったのは「最後のヒッピー」。切なさに胸を締めつけられた。人にお勧めしたいのは表題にもなっている「火星の人類学者」。最近高機能自閉症やアスペルガー症候群について注目が集まっているので、興味のある人はそこから読んでみてもいいと思う。 -
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12歳のときの通知表に <やりすぎなければ成功する> と書かれた少年がバイクに、化学に、ウェイト・リフティングに、同性愛に、サーフィンに、ドラッグに‥‥とありとあらゆることに首を突っ込んで、ひたすらやりすぎながら神経生理学の世界を突っ走った脳神経科医の自伝。「レナードの朝」や「音楽嗜好症」等々の世界をうならせた著作は、このようなエネルギーの持ち主でなければ生まれなかったのかもしれない。
それにしても60年代のヒッピーの先頭を走っていたのも若きオリヴァー・サックス先生であったという話は、ヒッピー文化の多様性と深さを知るうえで大いに参考となるエピソードといえるだろう。 -
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「レナードの朝」等の医学エッセイで有名なオリヴァー・サックスの自伝。両親が医者の家庭に育ち、紆余曲折の後、脳神経科の医者として診療を行いながら数々の症例をエッセイで紹介し、作家として才能を発揮する。
彼は仕事の傍ら、オートバイツーリングに熱中したりウェイトリフティングに熱中したり、世界中を旅して廻る等、とにかく一つの事に熱中しやすく、精力的に行動するタイプの人だったようだ。いろいろな経験を紹介しているが、彼自身が人生を通じて最も熱中したことは、「書くこと」であり、日記・論文・手紙・本等で自分の考えや経験を「記録すること」がライフワークだったようだ。付録では、旅行中のベンチやドライブ中の車の屋根で書いている様子が紹介されている。写真も趣味だったというから相当な「記録魔」だったのだろう。人の顔が覚えられない等の持病もあったようだが、それでも交友関係を広く長く続けられたのは、彼の記録癖のお陰かもしれない。病気に冒された人達でも、人間としての可能性を信じて前向きに治療に取り組み、それを紹介してベストセラーとなった本の成立から発売までの裏話、後日談など、いろいろ興味深い話が出ていて大変面白かった。
晩年の記述が少ないのと、性的な遍歴(本人にとっては重要なのかもしれないが)は不要と思うけれど、精神科医師らしくかなり自己分析的な内容で事後の考察も細かく(論文や本の言葉の数まで記録している)、自伝として秀逸な本だと思う。(翻訳も大変判りやすくて素晴らしい)昨年、惜しくも癌で死去してしまい、彼のエッセイが読めないのがとても残念だ。 -
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雷に打たれ命を取り留めた替わりにいきなり音楽に取り憑かれた男、金管楽器の低音に反応しててんかん発作を起こす船乗りと言った様々な症例を紹介するオリバー・サックスは「レナードの朝」の原作で有名な神経学者だ。
歌手がよく音楽の力を口にするがどうも一定の条件では本当に力を持つ。言葉を話せなくなった失語症の患者が音楽にのせると会話ができるようになる事がある。なんと話しかけても「オイ、ヴェイ、ヴェイ。・・・」を繰り返す自動症の患者に音楽に乗せて問いかけると答えが帰ってくるようになった。「コーヒー、それとも紅茶?」「コーヒー」・・・「デイヴィッドは治っている!」彼の食事を持って帰りこう告げた。「デイヴィッド、朝食だよ」「オイ、ヴェイ、ヴェイ。・・・」
絶対音感を持つ者がいれば、音楽を認識できない人もいる。4~5歳で音楽の訓練を始めた場合ちなみに中国人の6割は絶対音感の基準を満たしたのに対し、普通のアメリカ人の場合わずか14%に留まった。声の高低を使う声調言語が音感を鍛える様なのだ。絶対音感のある音楽家の脳は側頭平面の大きさが、左右で大きく違っており、赤ん坊の方が絶対音感に頼るところが大きいことから「大部分の人間は絶対音感をなくし、音楽能力が縮小した」のかも知れない。とは言え絶対音感と美しい音楽を作る能力は別物だ。
生まれつきの視力障害の場合に聴力が発達するのは使われない視神経を聴覚に割り当てるからで、感覚神経は融通が効くものらしい。音色や言葉や数字に色を感じる共感覚はなんだか電話が混戦しているような話だ。特定の才能だけが飛び抜けている知的障害のサヴァン、「なぜ私たちみんなにサヴァンの才能がないのだろうか?」、胎児や乳幼児で弱い左脳が損傷を受けた場合、右脳が対照的に過剰発達をしてしまうのか。左脳が発達すると右脳機能の一部を抑制したり阻止したりするのだが左脳の損傷で変則的に右脳優位になる場合がある。
脳神経に起きているのはおそらく物理的な現象だがそれにしてもいろんなことが起こる。オリバー・サックスの新作は「見てしまう人々 幻覚の脳科学」すでにiPadの中で積ん読状態でこちらも楽しみだ。 -
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現実があって、感覚を司るfirmwareがあって、感情があって、意識があって、論理があって、memoryがあって、それらがinterfaceによってつながっている。全てのモジュールに対して、多数の人間がもっている類型があり、それらの類型を大きく外れた人間は、病的というレッテルを張られることがある。softwareの開発をしていて理解するのは、多くのデザインチョイスには利点があり、弱点があるということ。だが、人間の場合には弱点にフォーカスが与えられ、それに病気というラベル付けがされる。この書籍は、あるデザインチョイスを行った人間に対して、利点という部分や、このデザインチョイスを行った場合の実装方法という部分にフォーカスを当てている。人間とソフトウェアの大きな違いは、人間の場合には、人間という自律的なモジュールにとって一番大事であり、自律性とコミュニケーション能力という部分に過度のフォーカスが当たっているという部分であると思われる。感情は、このコミュニケーションを行う際の基本となる方向性を決めることに大きく役立つので、感情firmwareに欠陥があると、コミュニケーションの部分で問題が発生する。一方で、論理モジュールは感情モジュールからの干渉を受けないため、高度なロジックをくみ上げることが可能。だとか。人間との対比の中でソフトウェアの進化の方向を考えるってトレンドにそろそろなってきてもいいのかなと思い出しました。
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イギリスの医師でありサイエンスライターであるオリヴァー・サックスの1995年のルポです。
登場するのは7人の人物。
①突然全盲になってしまった画家
②脳腫瘍のために視覚と記憶能力を失った青年
③トゥレット症候群の外科医
④中年になって視力を取り戻した男性
⑤写真以上の驚異的な記憶で故郷を描き続ける画家
⑥サヴァン症候群の天才少年画家
⑦自閉症の動物学者
これらの登場人物を通して、疾病によって新たに獲得された能力や、疾病を克服したことにより失われてしまった能力が描かれます。
総じて感じるのは、疾病による障害はあるものの、彼らにとっては疾病そのものがアイデンティティになっているということです。登場人物はみな魅力的で、著者も彼らに偏見や前提なしで、あるがままを受け入れようとする姿に共感を得られます。
タイトルの火星の人類学者とは⑦の動物学者の言葉です。彼女は視覚的思考や論理的思考は非常に優れていますが、一般の「普通の人」の情緒的な関係や抽象的な思考は全く理解できません。そこで彼女は自らが「火星の人類学者」になって、周りの人々の行動・思考パターンを脳に蓄積し、TPOに応じてそのデータを取り出し、それに従って行動することによって、社会生活を営んでいるのです。自閉症って興味深いものですね。
原書名:An anthropologist on Mars
色盲の画家
最後のヒッピー
トゥレット症候群の外科医
「見えて」いても「見えない」
夢の風景
神童たち
火星の人類学者
著者:オリヴァー・サックス(Sacks, Oliver, 1933-2015、イングランド、神経学)
訳者:吉田利子(1946-、翻訳家) -
Posted by ブクログ
例えば、生来の盲目の患者が、いきなり視力を回復した話。
まあ、それはほんとに良かったですね〜、と健常者は祝福する。しかし当の本人はいきなりいろんなものが見え始めたから、かなり混乱して、とても気持ち悪い。あまりに今までの生活と違うので、早く元の世界に戻りたくてしょうがない。
そして、その願いは叶う。また突然、盲目になった。まあ、それはなんと言葉をかけていいのか… と健常者は思うが、本人はいたって快適のようだ。
良かったとか残念とか、そういうことは傍観者の価値観でしかない。
そう、これは余計なお世話なのだ。
いきなり世界がモノクロになった画家の話や、見たものを細部までなんでもかんでも覚えてしまう人や、その反対に経験したことをすべて忘れていく人の話など、豊富な症例が紹介されている。
患者とか症例とかいう言葉を使ったが、そもそもこれも健常者の価値観の投影なので適切ではない。彼らは彼ら自身の価値観と能力で、彼らの世界を謳歌している。
双方の間に横たわる障壁は高いかもしれないが、その差は異常と正常や優劣の差ではなく、単なる文化の差でしかない。
脳の不思議が堪能できる本でもあるけれど、これは異文化交流の本でもある。
目からうろこだった。