オリヴァーサックスのレビュー一覧
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音楽『嗜好』症というタイトルだけあって、29章すべてで音楽をKEYとして、様々な脳機能上の欠損(事故、病気、先天性、手術)を原因として起きる様々な症例が扱われる。
異常に音楽が好きになった、音楽が嫌いになった、楽しめなくなった…そして音楽に救われた、等の話が様々な症例とともに詳細に紹介される。
どれもこれも人間の脳機能の不可思議さに驚くばかりだが、こうなることが誰にでもありうると思うと怖くなる。
音楽(主にクラシック)の素養があるともっと理解が深まるかもしれないが、さほど素養が無い私の様な読者でもYouTubeなどで動画を見ながら読むとより一層楽しめた。 -
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この小説の著者は、イギリスの神経学者です。同名の映画は一九九一年四月に日本で上映され、多くの人を感動させた。小説の初出は、一九七三年に上梓されています。
一九二〇年代生まれの患者が多い「嗜眠性脳炎」は、通称「眠り病」というが、その病の既往性のある患者たちが、回復後、比較的長い年月を経て、パーキンソン病を発症するということに気づいたサックスは、因果関係は不明だがL-DOPA(レボドパ)を嗜眠性脳炎の後遺症に苦しむ患者たちに応用できないかという発想から、物語が始まるのです。
初めにネット上映で映画を鑑賞した後、小説で補完できると思い続けて原作を読んだ。随分生々しく書かれていたことを思い出す。 -
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"映画にもなった「レナードの朝」を今読み終わる。
オリヴァー・サックスさんの語り口も読みやすく、一人一人の物語に引き込まれる。
1900年代前半から大流行した脳炎の後遺症で、パーキンソン症候群、言葉や感情、体の自由が奪われてしまった人たちが、ある新薬(L-DOPA)の投与により、以前の生活に不自由がなかったころのように回復する。しかしながら、患者により効果は異なり、チックや加速を繰り返すようになったり、意地悪な性格になってしまったり、という副作用が生じてしまう。そんな人々と向き合い治療を行っていた脳神経科医が著者である。
映画の撮影についてもコメントも付録にある。ロバート・デ・ニー -
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"トゥレット症候群の外科医、色彩を失った画家、自閉症サヴァン症候群の驚くべき能力や自閉症でありながら動物学の博士号を持つ人など、様々な脳障害を抱えた患者とを脳神経科医のオリヴァー・サックスさんが暖かい語り口で観察し、感じたことを教えてくれる。
最初にカラーページがあり、色彩を交通事故で失った画家の絵だったり、サヴァンの子供が書いた絵などが掲載されている。いずれも素晴らしい才能の持ち主だということがわかる。
トゥレット症候群の方の症状は、本書で学んだ。確かに日本にも時々奇声を発する人が電車に乗ってくることがある。たいていは見て見ぬふりをしてしまう。トゥレット症候群の人は、近くにあるも -
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"学ぶことの喜びがじわじわと伝わってくる。脳神経外科である著者の子供時代、戦争の惨禍を経験しつつ、科学の世界に足を踏み入れる。彼の周りには歩く百科事典のような人たちにあふれており、恵まれた環境にあったことは確かだが、それでも、あくなき好奇心を持って学ぶ喜びを育んだのは彼天性のものであろう。
オリヴァー・サックスさんの本をすべて読むことにした。
映画にもなった、レナードの朝という著書もある。あとがきで知ったが、すでにお亡くなりになっていた。残念でならない。
本書には注釈が各パートの後ろについている。こちらも読み逃しないように。
こちらもとても興味深い逸話が多々登場する。
子供のころ夢中 -
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ネタバレ「レナードの朝」や「妻と帽子を間違えた男」で有名な、脳神経科医オリヴァー・サックスによる症例ルポ。
患者の実生活に近づいて、彼らの人生を丹念に聞き取り、彼らと共に過ごし、彼らの内面を主観的視点から調査しようとしている。それは科学論文で見られるような冷たい客観的視点ではない。患者を単なる症例の付属物ではなく、一人の人間としてその人格、心のありようを掴もうとしているのだ。なにせ患者の住んでいる土地の美しさまで感動的な筆致で描写しているくらいなのだ。
とはいえジャーナリストが感傷的に人を描写するのとは違って、オリヴァー・サックスはやはり専門医である。ところどころに脳神経についての科学的な事実や過去の -
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12歳のときの通知表に <やりすぎなければ成功する> と書かれた少年がバイクに、化学に、ウェイト・リフティングに、同性愛に、サーフィンに、ドラッグに‥‥とありとあらゆることに首を突っ込んで、ひたすらやりすぎながら神経生理学の世界を突っ走った脳神経科医の自伝。「レナードの朝」や「音楽嗜好症」等々の世界をうならせた著作は、このようなエネルギーの持ち主でなければ生まれなかったのかもしれない。
それにしても60年代のヒッピーの先頭を走っていたのも若きオリヴァー・サックス先生であったという話は、ヒッピー文化の多様性と深さを知るうえで大いに参考となるエピソードといえるだろう。 -
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「レナードの朝」等の医学エッセイで有名なオリヴァー・サックスの自伝。両親が医者の家庭に育ち、紆余曲折の後、脳神経科の医者として診療を行いながら数々の症例をエッセイで紹介し、作家として才能を発揮する。
彼は仕事の傍ら、オートバイツーリングに熱中したりウェイトリフティングに熱中したり、世界中を旅して廻る等、とにかく一つの事に熱中しやすく、精力的に行動するタイプの人だったようだ。いろいろな経験を紹介しているが、彼自身が人生を通じて最も熱中したことは、「書くこと」であり、日記・論文・手紙・本等で自分の考えや経験を「記録すること」がライフワークだったようだ。付録では、旅行中のベンチやドライブ中の車の屋根 -
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雷に打たれ命を取り留めた替わりにいきなり音楽に取り憑かれた男、金管楽器の低音に反応しててんかん発作を起こす船乗りと言った様々な症例を紹介するオリバー・サックスは「レナードの朝」の原作で有名な神経学者だ。
歌手がよく音楽の力を口にするがどうも一定の条件では本当に力を持つ。言葉を話せなくなった失語症の患者が音楽にのせると会話ができるようになる事がある。なんと話しかけても「オイ、ヴェイ、ヴェイ。・・・」を繰り返す自動症の患者に音楽に乗せて問いかけると答えが帰ってくるようになった。「コーヒー、それとも紅茶?」「コーヒー」・・・「デイヴィッドは治っている!」彼の食事を持って帰りこう告げた。「デイヴィッ -
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現実があって、感覚を司るfirmwareがあって、感情があって、意識があって、論理があって、memoryがあって、それらがinterfaceによってつながっている。全てのモジュールに対して、多数の人間がもっている類型があり、それらの類型を大きく外れた人間は、病的というレッテルを張られることがある。softwareの開発をしていて理解するのは、多くのデザインチョイスには利点があり、弱点があるということ。だが、人間の場合には弱点にフォーカスが与えられ、それに病気というラベル付けがされる。この書籍は、あるデザインチョイスを行った人間に対して、利点という部分や、このデザインチョイスを行った場合の実装方
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イギリスの医師でありサイエンスライターであるオリヴァー・サックスの1995年のルポです。
登場するのは7人の人物。
①突然全盲になってしまった画家
②脳腫瘍のために視覚と記憶能力を失った青年
③トゥレット症候群の外科医
④中年になって視力を取り戻した男性
⑤写真以上の驚異的な記憶で故郷を描き続ける画家
⑥サヴァン症候群の天才少年画家
⑦自閉症の動物学者
これらの登場人物を通して、疾病によって新たに獲得された能力や、疾病を克服したことにより失われてしまった能力が描かれます。
総じて感じるのは、疾病による障害はあるものの、彼らにとっては疾病そのものがアイデンティティになっているということです。 -
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例えば、生来の盲目の患者が、いきなり視力を回復した話。
まあ、それはほんとに良かったですね〜、と健常者は祝福する。しかし当の本人はいきなりいろんなものが見え始めたから、かなり混乱して、とても気持ち悪い。あまりに今までの生活と違うので、早く元の世界に戻りたくてしょうがない。
そして、その願いは叶う。また突然、盲目になった。まあ、それはなんと言葉をかけていいのか… と健常者は思うが、本人はいたって快適のようだ。
良かったとか残念とか、そういうことは傍観者の価値観でしかない。
そう、これは余計なお世話なのだ。
いきなり世界がモノクロになった画家の話や、見たものを細部までなんでもかんでも -
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人間の脳がいかに可塑的で適応能力があるかをわからせてくれる本。脳の障害はある意味で突然変異と同じ意図で人類がわざと発生させているのではないかとさえ思わせる。ひとつの短所は長所と裏返しでしかなく、その意味で知的障害は当人にとっては大きな苦痛を与えるが、人類の長い歴史にとって必要なことなのかもしれない。
火星の人類学者ではもし人造人間が出来たら彼女のようになるのかもしれないと少しぞっとしたが、そのような彼女に対して著書と同じように抱きしめたい感情になった自分に複雑な思い。
本書の症例は特殊な状況ではあるが、あとがきにもあるように、じつは「人間が置かれた普遍的な条件」を拡大させて見せているにすぎない