この小説の著者は、イギリスの神経学者です。同名の映画は一九九一年四月に日本で上映され、多くの人を感動させた。小説の初出は、一九七三年に上梓されています。
一九二〇年代生まれの患者が多い「嗜眠性脳炎」は、通称「眠り病」というが、その病の既往性のある患者たちが、回復後、比較的長い年月を経て、パーキン
...続きを読むソン病を発症するということに気づいたサックスは、因果関係は不明だがL-DOPA(レボドパ)を嗜眠性脳炎の後遺症に苦しむ患者たちに応用できないかという発想から、物語が始まるのです。
初めにネット上映で映画を鑑賞した後、小説で補完できると思い続けて原作を読んだ。随分生々しく書かれていたことを思い出す。小説に書かれていた「目覚め」は、映画とでは目覚めの朝の表現が随分と違和感があります。嗜眠性脳炎の後遺症は、眼球回転発作、筋固縮、パーキンソン症状、振戦(ふるえおののくこと)などである。
本書には、サックス氏が診察した二〇症例が紹介されている。その症例の二〇番目が小説のタイトルになっているレナード・Lで、薬の効果と副作用が一番顕著に現れた症例の一つでもある。
彼の生い立ちは、常に献身的に付き添っていた母親の手助けがあってのことだった。
彼は幼いころから知的で早熟で、六歳の時父親が死ぬと、その傾向がいっそう強まった。
「僕は一生何かを読んだり書いたりして暮らしたいよ。本に埋もれて生きたい。人間なんてちっとも信用できないからね」。思春期の初めの頃レナードは、その言葉通り本に埋もれて過ごした。一五歳の時に右手が硬直し始め、力が弱まって色も青白くなり、縮んできた。障害はゆっくり広がっていったが、ハーバード大学へ進み、優秀な成績で卒業した。深刻になった障害のため、三〇歳でマウント・カーメル病院に入院し、そして読書以外の活動はまったくと言っていいほど何もしなかった。しかし、サックス氏によれば彼の知的な表現力は、多くのことを教えられたというのである。そしてマウント・カーメル病院で初めてL-DOPAを投与した患者である。
レナードに投与された薬の効果は劇的に好転したため、病院の患者全員に服用させたいと経営者に願い出るも、薬が高価であるため拒絶されたが、病院で働くスタッフの熱意で乗り越えられ、多くの患者たちの症状が好転したのである。それを「一九六九年の軌跡」と呼んでいる。
しかし、サッスク氏と患者には、様々な苦難が持っていたのだ。「眠り病」は、脳波は刺激がないと反応しないが、話しかけると反応するのだ。意識がないわけではない。体は随所に固縮しているが患者の内部は正常なのだ。そして前述した後遺症が何十年も続いていた。まるで地中の奥に幽閉されていたかのようだ。
‘69年の夏、Drは患者の一人ルーシーに問うた、今年は何年か?一九二六年よ!と答えたのである。何とも悲哀を感じる小説でした。