【感想・ネタバレ】レナードの朝〔新版〕のレビュー

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ネタバレ

Posted by ブクログ 2024年04月10日

脳神経外科による脳炎後遺症患者の長期観察記録。ただし、無味乾燥な症状や数字のみの記録を避け、患者個々の性格や言動、発症までの暮らし、社会との関わり方までも記載し、文学的で哲学的。それは現代医療の患者を即物的に扱う姿勢への批判からきており、一見支離滅裂な行動をする患者側から見た世界、その行動原理、内在...続きを読むする深い人間性への洞察も記されている。物事の断片で正邪を決めつけ、糾弾してゆく世相にも、警鐘を鳴らす指摘だと思う。
どうしても『アルジャーノンに花束を』を想起する。夢の薬エルドーパによる「目覚め」と呼ばれる劇的な症状の改善、それは生まれ変わるかのような重い症状からの解放をもたらすが、強い副作用、制御不能の本能的暴走をする恐れがある。ほとんど一生を、思い通りに動かすことの出来ない肉体に押し込められ、周りの状況を詳細に認識することが難しい状態で過ごすことを考えれば、危険を冒しても打つべきなのか。それは個々人の幸福観へも繋がる問題だ。レナードはエルドーパ投与前、つまり極度な不自由さの中にあっても、自分で磨き上げた深い人間性を持っていたが、目覚めによってほとんど無くしてしまった。多くの患者の中で特にレナードに注視するのは、不自由を無くすことが患者にとって本当に良いことなのかという問題を一番突きつける存在だからだろう。極論だが、レナードを作ったものの一部は不自由さであり、それは切り離す事が出来ない彼自身でもあったのではないか。
哲学的な思考は私には追い切れない部分が多かったが、映画化に際してのロバート・デ・ニーロの役作りの描写やひいては演劇論も大変興味深く、映画作品を見てみたい。
ただのノンフィクションではなく、医師という立場から患者との関わりを通して世界の本質に迫ろうとする、意欲的な作品だった。

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Posted by ブクログ 2021年12月30日

年の最後に今年読んだ中で最も重要な本に出会えた。前半の症例一覧も本当に考えさせられましたが、後半の医学とは、治療とは何であるべきかというある種の決意が人生を変えさせられた。噂に違わずこれが間違いなくオリヴァー・サックスの代表作だと唸りました。

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Posted by ブクログ 2020年04月18日

 この小説の著者は、イギリスの神経学者です。同名の映画は一九九一年四月に日本で上映され、多くの人を感動させた。小説の初出は、一九七三年に上梓されています。
 一九二〇年代生まれの患者が多い「嗜眠性脳炎」は、通称「眠り病」というが、その病の既往性のある患者たちが、回復後、比較的長い年月を経て、パーキン...続きを読むソン病を発症するということに気づいたサックスは、因果関係は不明だがL-DOPA(レボドパ)を嗜眠性脳炎の後遺症に苦しむ患者たちに応用できないかという発想から、物語が始まるのです。
 初めにネット上映で映画を鑑賞した後、小説で補完できると思い続けて原作を読んだ。随分生々しく書かれていたことを思い出す。小説に書かれていた「目覚め」は、映画とでは目覚めの朝の表現が随分と違和感があります。嗜眠性脳炎の後遺症は、眼球回転発作、筋固縮、パーキンソン症状、振戦(ふるえおののくこと)などである。
 本書には、サックス氏が診察した二〇症例が紹介されている。その症例の二〇番目が小説のタイトルになっているレナード・Lで、薬の効果と副作用が一番顕著に現れた症例の一つでもある。
 彼の生い立ちは、常に献身的に付き添っていた母親の手助けがあってのことだった。
 彼は幼いころから知的で早熟で、六歳の時父親が死ぬと、その傾向がいっそう強まった。
「僕は一生何かを読んだり書いたりして暮らしたいよ。本に埋もれて生きたい。人間なんてちっとも信用できないからね」。思春期の初めの頃レナードは、その言葉通り本に埋もれて過ごした。一五歳の時に右手が硬直し始め、力が弱まって色も青白くなり、縮んできた。障害はゆっくり広がっていったが、ハーバード大学へ進み、優秀な成績で卒業した。深刻になった障害のため、三〇歳でマウント・カーメル病院に入院し、そして読書以外の活動はまったくと言っていいほど何もしなかった。しかし、サックス氏によれば彼の知的な表現力は、多くのことを教えられたというのである。そしてマウント・カーメル病院で初めてL-DOPAを投与した患者である。
 レナードに投与された薬の効果は劇的に好転したため、病院の患者全員に服用させたいと経営者に願い出るも、薬が高価であるため拒絶されたが、病院で働くスタッフの熱意で乗り越えられ、多くの患者たちの症状が好転したのである。それを「一九六九年の軌跡」と呼んでいる。
 しかし、サッスク氏と患者には、様々な苦難が持っていたのだ。「眠り病」は、脳波は刺激がないと反応しないが、話しかけると反応するのだ。意識がないわけではない。体は随所に固縮しているが患者の内部は正常なのだ。そして前述した後遺症が何十年も続いていた。まるで地中の奥に幽閉されていたかのようだ。
 ‘69年の夏、Drは患者の一人ルーシーに問うた、今年は何年か?一九二六年よ!と答えたのである。何とも悲哀を感じる小説でした。

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Posted by ブクログ 2018年11月24日

"映画にもなった「レナードの朝」を今読み終わる。
オリヴァー・サックスさんの語り口も読みやすく、一人一人の物語に引き込まれる。
1900年代前半から大流行した脳炎の後遺症で、パーキンソン症候群、言葉や感情、体の自由が奪われてしまった人たちが、ある新薬(L-DOPA)の投与により、以前の生活...続きを読むに不自由がなかったころのように回復する。しかしながら、患者により効果は異なり、チックや加速を繰り返すようになったり、意地悪な性格になってしまったり、という副作用が生じてしまう。そんな人々と向き合い治療を行っていた脳神経科医が著者である。

映画の撮影についてもコメントも付録にある。ロバート・デ・ニーロさんの演技へのアプローチが奥深いことがよくわかる。"

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ネタバレ

Posted by ブクログ 2015年07月26日

そういうわけで読んでみた。
映画のおかげでタイトルは「レナードの朝」だけれど、原題は「Awakenings(目覚め)」。
本を売るには知名度の高いこのタイトルの方が良いんだろうけど、
中身はやはり「目覚め」だよな、と思う。
出版社も慈善事業じゃないのでしょうがないけど、
ちょっと陳腐化されたようで残...続きを読む念。

これは執筆当時(少し前)に「奇跡の薬」と呼ばれた
L-DOPAという薬の投薬記録以外の何物でもない。
はっきりとメカニズムがわかっていなかったが故にどうしても実験的な色彩を帯びてしまい、
読者はオリヴァー・サックスの判断に
疑問を感じることになるのは避けられないのではないだろうか。
『火星の人類学者』の後書きで紹介されていたアメリカでのレビューにあった
「覗き見趣味」というのはこういうところにも起因するのかな、と思わなくもない。
そういった疑問は読んでいくうちに氷解し、
当時はそれこそ奇跡に頼るくらいしか選択肢がなかったのだとわかる。
寧ろ、そういった批判も当然予想されるのにも関わらず
発表したその事実に誠実さを感じることに。
そして読んでいる最中読者が考えるであろうL-Dopaの働きは
その後のオリヴァー・サックスのL分析で裏付けされる。

先に書いたようにこれはあくまで記録なので、
ストーリー性や結論のようなものはない(L-Dopaへの分析以外で)。
なので映画のような話を期待して読み始めた人にはさぞかし退屈だろうと思う。
ここには涙腺を刺激するような話はないからだ。
臨床記録は淡々と語られ、
その前後は状況説明と映画化の舞台裏の話、
そして少々多いと感じる様々な人の後書き(作者、訳者、脳科学者…等々)。

世の中奇跡は滅多には起きない。

この間近所で、顎を体にくっつけるように折り曲げ、
すり足のように歩いていく人を見かけた。
その時、以前にもこういう人を見かけたことを思い出した。
そして気づいた。
ああ、あれはパーキンソン病なのかもしれない。
パーキンソン病患者は以外と多いらしい。
後書きに、オリヴァー・サックスは
一般の人にこういった病気があること
(『目覚め』で取り上げられている病気はパーキンソン病ではないけれど)を
知ってもらい理解してもらいたいのだと読める文章がある
(舞台化の依頼の行だ)。
そうか、こういうことなのかもしれないな、とちょっと腑に落ちた瞬間だった。

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Posted by ブクログ 2015年05月09日

嗜眠性脳炎後遺症患者に対し、L-DOPAという新薬がもたらした目覚めとその後の経過を、個々の症例とともに語る本。

医学・科学を扱った本でありながら、個々のケースや患者を見つめる視点はとても人間的で文学的、ときには詩の域にすら入ることもある。著者自身「人間的な物語を書く」ということを強く意識していて...続きを読む、その旨をわざわざ文中で断っている。
そんな、医師の視点の柔軟さ、薬の効果の衝撃度も相当に印象的だけれど、それ以上に、薬によって翻弄される患者たちの生き様、言動の記述が感動的だった。中には破滅的な道を辿らされる症例もあるのに、受け入れて生きようとする寛容さ、忍耐、不屈さに圧倒される。これが生きるということの底力なのか、個々の患者の人格に備わった強さだったのか、それとも、著者の眼差しというフィルターを通したからこそ、そう見えるのか。
作中には「患者を個人として扱い、人間的な対応をすることで症状が改善される」という主張が何度か出てくる。現代の感覚でこそ「まあそうでしょうね」とあっさり頷いてしまいがちになるが、もしかするとこの本が出版された60年代当時には、そんな「非科学的な話」をすること自体、相当な冒険だったのかもしれない。
終盤には後年の研究の成果や、映画化に伴うエピソードも綴られている。近いうちに映画を見てみたくなった。

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