【感想・ネタバレ】火星の人類学者──脳神経科医と7人の奇妙な患者のレビュー

あらすじ

全色覚異常の天才画家、激しいチックを起こしながら巧みに執刀するトゥレット症候群の外科医、みずからを「火星の人類学者」と感じる自閉症の動物学者……『レナードの朝』で世界中を感動させたサックス博士が、患者たちの驚くべき世界を温かい筆致で報告し、全米ベストセラーとなった医学エッセイの最高傑作。

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Posted by ブクログ

原著は1995年刊。いまやメディカル・エッセイの金字塔。インパクトのある『火星の人類学者』というタイトルもいい。16ページのカラー口絵も彩りを添える。
大脳性色盲、トゥーレット症候群、側頭葉癲癇、開眼手術、サヴァン症候群、高機能自閉症など、オリヴァー・サックスが出会った7つの驚くようなclinical casesを鮮やかに描き出す。
最終章ではあのテンプル・グランディンを訪問する。自身の自閉症を説明するのに「火星の人類学者」というメタファーを用いたのは彼女だった。訪問の終わり、空港まで送ってもらい、別れ際に、許しをもらって彼女とハグする。なんという温かな終わり方か。

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2025年09月08日

Posted by ブクログ

どなたかの本棚で面白そうだったので、ずっと気になっていた脳神経学者オリヴァー・サックスの一冊目はこちらに。

利き腕を怪我した場合、反対の手や足でできることが増えることがある。脳の内部でプログラムや回路が変化して、異なる行動様式を習得したのだ。
このように欠陥や障害により潜在的な力を発揮して躰が再構築されることがある。
このように、人間の脳や身体の病から別の機能が発達する症例に接して、脳の機能だとかそこから構築される人間の個性とかを感じるドキュメンタリー。

『色盲の画家』
65歳のジョナサンは交通事故の頭部損傷で目の認識が変わった。視力は鋭くなり遠くの物が認識できる。しかし色が全くわからなくなった。一時的だが文字も認識できなかった。
色や文字を知っている人が、その認識機能を失くすとどんな感覚になるのか、言葉で説明できます。「アルファベットはギリシャ語かヘブライ語に見える(一時的な障害だった)」とか「赤も黒も真っ黒に見える」とか、元の物を知っているので説明がわかりやすいですね。

そして色盲になったことは、見えない以上の影響が出る。見えるもの全てが醜く感じられ、食べ物も汚らしく思える。明るいところでは見えるものが暗いところにいくと見えなくなる。人間の色も見えないので人付き合いもしづらくなる。自分の感じていることを伝えられずもどかしさも募る。
しかし次第に機能も感覚も順応する。彼は画家なので、独自オンスタイルを持つ絵を描くようになった。(絵は冒頭に収録されている)頭部損傷後の不快感や喪失感を元に新たな感じ方をするようになった。色をなくしたために物事の形を感じるようになった。自分の感覚が研ぎ澄まされるようになった。
医学的には、脳のどこがどのように損傷したのかはわからない。それがどんな変化をもたらせたのかもわからない。それでも人間は順応してゆく。

『最後のヒッピー』
グレッグは思春期の激しい反抗から、ドラッグ、宗教に嵌まり込んだ。やがて視力の衰えや精神の静謐さを併発する。教団は宗教的な高み〜とか言っていたので治療が遅れた。どうやらグレッグは脳神経に巨大な腫瘍ができていたのだ。グレッグは盲目で記憶障害、精神障害で施設に入る。
なんといっても奇妙なのが、自分が盲目だとわかっていない!そんなことあるの!?医師が物を持って「これは何?」と聞くとグレッグは自分が見えていると思っているものを答えるので、見えていないという自己認識がない。テレビがついていれば音を聞いて画面を想像する。グレッグには視覚という認識がなくなっているのでそれが普通だと思っている
グレッグは時間が経過する認識がないので、「この次」がない。例えば両親が毎週見舞いに来るとしても「さっきまでいた。」と思って時間の感覚が持てない。次にいつ来る、も認識できない。認知症とかで「いつ食事をしたか覚えていない」ってこんな感じなのか!
昔の友達のことは覚えているが、例えば幼馴染のAさんと今眼の前にいるAさんが同一人物だと認識できずに「Aさんという名前の人が二人いる」認識。
最後は、コンサートの最中はとても楽しむのに、翌日には全て忘れているというちょっと切ない終わり方。

『トゥレット症候群の外科医』
わめいたり、痙攣したり、他人の言葉や動作を真似したり(反響)、顔をしかめたり、奇妙な行動をしたり、無意識のうちに口汚い言葉や冒涜的な言葉を吐く(汚言)トゥレット症候群。
患者自身も、意志とは違う衝動や脅迫に突き動かされるので自分とは外部の「それ」に強制されている(一種の取り憑かれた)と感じることもある。
しかしは1000人に一人の割合でいると考えられるこの症状は割と身近で、細かい作業に着いている人もいる。著者はそんななかの一人の外科医ベネット博士を密着観察する。
ベネット博士は結婚して子供もいるし、車も小型飛行機も操縦する!助手席の著者は「よそ見してる!?」と気が気でないが、ベネット博士も本当にヤッてはいけないことはわかっていてやらないようだ。そして「空は広いから多少外れたって問題ない」という広大さもなんか良いな。
外科医としての腕も確かだ。どうやら愛する外科医の仕事に没頭するときはもっと深い部分での自分自身になるので、トゥレット症候群が消えるのだそうだ。人間の意識って不思議。
症候群のために読書は難しい。音や文字やレイアウトがきになってしまう。それでも本を楽しむことができないぶん、医学部の教科書は暗記するくらいに覚えられた、という効果にもつながったみたい。そして運動しながらの勉強も別のことに集中できるので良いみたいです。
 私は自分自身も何かあるよなーと思っているのですが、ここに書いてあるトゥレット症候群はちょっと心当たりあるんだよなあ。常に独り言を言ったり、一人のときに勝手に口から思わぬことが出てくることは日常です。成長して自重できるようになって人前ではまずいことは言いませんが、ぼーっとして歩いているといきなりよろしくないことを口走りそうなので、常に何かを考えて独り言をコントロールしたり、音楽を聞いて意識を自分に向けるようにしてます。

『「見えて」いても「見えない」』
3歳の発熱(ボリオ?)で躰の麻痺と盲目になったヴァージルは、50歳の時に手術により見えるようになった、はずなんだけど、本人はどうも見えていないようだ。
『色盲の画家』では「見えていた人が見えなくなったらどうなるか」でしたが、こちらは「見えるという感覚を失くしてる人が見えるようになったらどうなるか」です。
自分が見ているものが信じられない、見ているものが自分が頭で認識していたものと結び具かない、見たのもを考える頭がついていかない、録画という概念がない。
ヴァージルは、触ったり聴いたりでものを判断していたため、目が見えても自分が考えていたものとその実物が認識できずに苦労した。眼の前にあるものが人の顔だとわからず、それが動いて声が出るということがわからないとか。
実際に見える物はわかるようになっても、写真では遠近感がつかめないし輪郭もわからない。町に立つ人の写真ではどれがビルでどれが人間かわからない。
赤ちゃんの時は他の神経も発達していないから目で見たものを脳に認識する力ができてゆく。しかし見えない状態に慣れた大人が見えるようになるというのはすでにある認識を覆すのでまったく違う問題になる。
ヴァージルは、目で見て、さらに触ることによって、「見る」ことができるようになった。
しかしまたしても高熱を発して再度視力が悪くなる。このときは、目で見たものを説明はできるが、それがなにか認識できない失認症に近い症状になったみたい。

私は自分や近しい人が「手術すればまた見えるようになるよ」と言われたら手術を勧めてしまうと思いますが、自分が作り上げた認識とそれで積み立てた人生がひっくり返ると言われたら、そんなに簡単なもんじゃないんだなあ…と思いました。

『夢の風景』
生まれ育った故郷を細部にわたり描き続ける男がいる。家の石垣もあらゆる角度から実物そっくりに描くくらいの精密さ。
イタリアの村ポンティトはナチス侵攻で衰退した。フランコは少年時代を過ごした村を懐かしく思いながらも海外で暮らしていた。だが熱を出した時に夢でポンティト・ポンティト・ポンティトを見て、初めて絵筆を取ったら詳細に描けた。
それからはフランコの話はポンティト・ポンティト・ポンティト。強迫観念に取り憑かれてしまったらしい。自分でも自分が描いた絵が、写真とそっくりで驚くくらいだそうだ。
彼の場合は奥さんとか精神科医のお陰で「失われた故郷ポンティト」専門の画家としてメディアで取り上げられたり個展を開くようになれた。
しかしフランコはポンティトには行こうとしなかった。「ポンティトの思い出が終わってしまう」ことを感じていた。
そんなフランコもポンティトに訪れることになった。頭にどの角度からもはっきり映る夢のポンティトと、現在のポンティトの違いに混乱する。
しかしその混乱も受け入れられるようになった。著者によると、ポンティト訪問前は「人の気配を感じない終末後の雰囲気」だったようだが、訪問して混乱が収まった後は「人はいないがちょっと出かけてる感じ」になったんだそうだ。

この章では「記憶」についてだが、一般的に考えられる「記憶とは積み重なり」というものに疑問も湧いてくる。記憶は変化する。それなら「記憶」というものはなくて「思い出す」という動作があるだけだ。記憶には、見直されて新しく思い出されるものもあれば、いつまでもそのままの形で存在するものもある。


『神童たち』
前の章と同じように、詳細な絵を描く話。自閉症の中でもサヴァン症候群と言われるのかな。

知的障害の少年スティーブンは、風景をちょっと見たらその光景を記憶して絵を描くことができる。でも実際のものとところどころ違うところがある。どうやら本人なりに「ここにはあれがあったほうがいい」とか「あの時見た形に、違う時に見た色」を組み合わせるなどしているみたい。どうやら、見たものを覚えるが記憶は連続しない。
その絵は芸術と評価もされるが、著者は「確かに個性はあるけれど、見て覚えたものそのままを描いたら創作といえるのか?」と考えてゆく。
見て覚える能力が優れているので、物真似も上手い。ゲームとしてスティーブンが先生、著者が生徒になったときには、著者の特徴が模倣されていて著者を「甘く見てはいけない」と事故を戒めることになるんだって。また、絵を見たらその画家のタッチを真似することもできる。
著者は「彼らが人の真似をするのは、自己というものを認識できないので、他者を取り入れて個を知りたいからなのか?」と推測しています。しかしその記憶、真似が、世界を表現して探索するというとになっている。

『火星の人類学者』
自閉症全般のことと、自閉症本人から話を聞く。
1940年代に発表された研究ではレオ・カナーは「改善の見込みのない悲惨な状態」として、ハンス・アスペルガーは「きわめて独特な思考や経験は、いつか例外的な業績に繋がるかも知れない」としている。(自閉症という症例自体が、彼らが研究対象にしたよりももっと広範囲ではあるのだが)このころは「先天的なもの」と、「冷たい母親が要因な後天的なもの」という研究の両立だった(うちの子供の一人が「児童精神科診断のグレー」ですが、カウンセラーさんや周りの方々から「母親が悪い」はしょっちゅう言われたわ…(;_;) わたしの母親もなかなか特異なので、私自身も何かあるだろうなあと思ってる)
その後も自閉症の生物学的要素が研究されている。

著者は、重度の自閉症だが現在は食肉の動物行動研究をしているテンプル・グランディンから話を聞く。彼女は「自閉症に生まれて」をテーマの自伝も出している。
自閉症本人が語るので、自分では何を考えているのか、どうしてそうするのかが分かりやすいんですよね。
そして経験豊かな脳神経医師である著者自身も、このような多方面に渡る自閉症の人たちに面会してもまだまだ驚かされることばかり。
表題の意味はテンプルが「自分には人間同士の微妙な感情を読み取るコミュニケーションができない。まるで火星人を研究する人類学者のよう」と言ったことから。

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2025年11月24日

Posted by ブクログ

きっかけは、Jordan Petersonのおすすめ書籍の中にあるのを見つけたこと。

何かを知るためには、境界領域にあるものを詳しく調べるのが効果的、というようなことを考えた。脳になんらかの障害のある人々のことを知ることは、人間を知ることにつながる。

自分とすごく異なると感じる人達もいるがー全色盲、健忘症、自分と変わらないのではないかと感じる人たちもいるートゥレット症候群のお医者さん、自閉症の動物学者の教授。

自分はサイコパスなのではないか、と思う瞬間はよくある。多分、病気と健全の間は想像するよりずっと近いし、はっきりと線が引かれているわけではないと言うことだと思う。

一章読むごとに、何か心にズンとくるような感覚がある、いい本だった。読んでよかった。

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2025年05月04日

Posted by ブクログ

ネタバレ

私は脳科学系の読み物が好きで、ことに知覚で形作られる世界は個人的なもので、普遍的なものではないという見方に非常に興味を持っている。本書はまさしくその興味を揺さぶられる内容だった。
本書に描かれている人のうち数人が、自身が障害を持っているということを自覚した上で、障害を消したいとは考えない、とコメントしていたところが印象的だった。それほど彼らが抱えているものが彼らのアイデンティティとして切り離せず渾然一体となっていること、そしてそれほどに彼らが彼らの知覚している世界を守りたいと感じるのだとわかった。
健常者は、ハンディを抱える人に対して、「正常な知覚ができる状態にできれば感動的だろう」と考えることがある(本書の「見えて」いても「見えない」に出てくる妻もその考えだったのだと思う)。私もそう思っていた。もちろん、正常な知覚を得たい、取り戻したいという人もいるだろう。だが、そういった人ばかりではないということを知ることができた。そして、アイデンティティと知覚的世界を守りたいという気持ちは健常者と変わらないと思った。

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2024年03月24日

Posted by ブクログ

オリバー・サックスのこれまでの著書の中で最も素晴らしかった。世の中には「杉山なお(著) / 精神病棟ゆるふわ観察日記」のような心療内科患者・生理学的障害を持つ患者を動物園のように「観察」する書籍もあれば、この著者のように限界まで「一人一人としての人間」を理解しようと試みる本気が伝わってくる著書もあるのですね。やはり一番印象的だったのは映画にも成った表題「火星の人類学者 テンプル・グランディン」さんのお話でしょう。日本人なら誰もが「村田沙耶香 / コンビニ人間」「同 / 地球星人」を連想したのではないでしょうか。後者は正に「私達は地球星人ではなかったのだ」という視点で書かれています。本書は一冊通してあまりにも考えさせられる事が多く、感想が一言でまとめられません。

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2021年12月04日

Posted by ブクログ

26年も前なので、古さを感じる部分はある。
それを差し引いても、一般読者に”当事者の世界”を触れさせる良書なので星5つとした。

原著”An antholopulogist on Mars”が出版されたのは1995年、日本語版出版は1997年。
現時点(2021年)からみれば26年間、精神医学、脳神経科学は日進月歩の進歩を遂げてきた。現代の最新知見を持つ読者からみれば、
「四半世紀前はこんなものだったのか」
と、落胆や不満も持つ内容である。

とりわけ、当時よりははっきりしてきた発達障害への理解を踏まえると、

「抱きしめが大事とかいう理論はお前のせいかぁあああ!」

と、どなりたくなるようなエピソードもある。それがタイトルにもなった『火星の人類学者』である。
著者および協力した人々の名誉のために付け加えるなら、『抱きしめが大事』は「ひとつのアプローチ」として提言されているものの、提言した当事者でさえ「それが万能」とは考えていない。

しかし、親というものは、不安を抱きがちな生き物だ。

「子供が障害になるのは、自分たちの育て方のせいでは?」

と、藁にも縋る思いの人々を餌にする、偽科学が悪い。また、そういうのに公共サービスの保健師や助産師がはまるのも悪い。彼らには適切な医学知識と、職業倫理が欠けている。

評者はとりわけ、『色覚異常の画家』のエピソードに感銘を受けた。自分でもイラストをものするので、色の感触が消えうせ、微妙な階調が見分けられなくなったらと思うと……正直、ぞっとする。
だが、エピソードで紹介された画家は、確かに悲嘆し、非常な苦しみを受け、時間をかけながら、それでも新たな視覚と付き合っていくことを学んだ。
これをコーンの分類「障害受容のプロセス」でいう

『ショック→回復への期待→悲嘆→防衛→適応』

といった一般化・抽象化した言葉で表現すると、大事なものが欠けてしまうだろう。大事なもの、それは『当事者の感情、経験』とでもいうべき、何かである。

そして、自閉症には顕著だが、「余人には、全く存在ないように見える」感情や経験の内面化も、本書収録のエピソード『神童たち』からは感じられるのである。
たとえ、筆者オリヴァー・サックスおよび定型発達で健常者諸君の世界からは、『不足』『不十分』『未満』であろうとも、だ。

評者自身も、ASD的な側面をいくばくか持っているため、「火星の人類学者のような」気分はよく理解できる。人数が逆転していれば、定型発達で健常者諸君こそ
「観察と治療と適応学習を促すべき世界」
の住人だという思いを新たにした。

この視点の有無は、ともすれば「まず、憐みありき」で人権を口にする人々への、よき試金石となろう。
たんなる医学的のぞき趣味ではなく、自分自身に引き付けて読んでみることをお勧めしたい。

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2021年02月26日

Posted by ブクログ

この本に登場する人たちは、周囲と違うことで孤独を得たけど、その孤独は想像したこともないような、あざやかな世界を見せてくれるんだ、と思った。

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2019年05月09日

Posted by ブクログ

火星の人類学者のようだ。そこの住民を調査して、理解しようという感じです。

この本で書かれている自閉症患者とまではいかないが、角を三辺ほど削ると私ができあがるような気がする。「自閉症」ではないが「自閉症的性格」なのか?

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2019年01月17日

Posted by ブクログ

"トゥレット症候群の外科医、色彩を失った画家、自閉症サヴァン症候群の驚くべき能力や自閉症でありながら動物学の博士号を持つ人など、様々な脳障害を抱えた患者とを脳神経科医のオリヴァー・サックスさんが暖かい語り口で観察し、感じたことを教えてくれる。
最初にカラーページがあり、色彩を交通事故で失った画家の絵だったり、サヴァンの子供が書いた絵などが掲載されている。いずれも素晴らしい才能の持ち主だということがわかる。

トゥレット症候群の方の症状は、本書で学んだ。確かに日本にも時々奇声を発する人が電車に乗ってくることがある。たいていは見て見ぬふりをしてしまう。トゥレット症候群の人は、近くにあるものを触らずにはいられなくなったり、ある数字に執拗にこだわったり、左右対称でないと何もできなくなったり、いろいろな症状がある。本を読むときにも左右対称でなければ気になるし、ある数字例えば4と7なら、読書中に登場したらそこで目がとまり、何度も何度も読み返す羽目になるらしい。そんな癖がありながら博士号取得するのは、並外れた集中力や自分の障害と冷静に向き合える胆力があったのだろう。

まさに想像を絶するパワーだ。

人間は100人いれば、全員100の秀でた能力を持ち、やりたいことを実現する力を持っていることに改めて気が付く。ほかの人の眼を気にすることや、自分の能力を過小評価することは、とてももったいないこと。この本には不思議な力を貰った気がする。"

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2018年11月24日

Posted by ブクログ

ネタバレ

「レナードの朝」や「妻と帽子を間違えた男」で有名な、脳神経科医オリヴァー・サックスによる症例ルポ。
患者の実生活に近づいて、彼らの人生を丹念に聞き取り、彼らと共に過ごし、彼らの内面を主観的視点から調査しようとしている。それは科学論文で見られるような冷たい客観的視点ではない。患者を単なる症例の付属物ではなく、一人の人間としてその人格、心のありようを掴もうとしているのだ。なにせ患者の住んでいる土地の美しさまで感動的な筆致で描写しているくらいなのだ。
とはいえジャーナリストが感傷的に人を描写するのとは違って、オリヴァー・サックスはやはり専門医である。ところどころに脳神経についての科学的な事実や過去の類似の症例を引き合いに出して、患者の症状を医学的に解説してくれている。
つまり本書は人体というモノを見る客観的視点と、人を見る主観的視点、この二つが見事に織り交ざった秀逸なルポルタージュなのである。

私が感銘を受けたのは著者の穏やかな知性が滲み出る文章だ。以前テレビで見た彼の話し方をそのまま写し取ったようだった(オリヴァー・サックスは2015年に逝去したが、彼がプレゼンをしたテレビ番組は今でも簡単に観ることができる。「TED」または「スーパープレゼンテーション」で検索すれば、公式動画が無料で見られる。ちなみに「火星の人類学者」に登場するテンプル・グランディンも同番組に出演したことがある)。

一番心に残ったのは「最後のヒッピー」。切なさに胸を締めつけられた。人にお勧めしたいのは表題にもなっている「火星の人類学者」。最近高機能自閉症やアスペルガー症候群について注目が集まっているので、興味のある人はそこから読んでみてもいいと思う。

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2018年03月19日

Posted by ブクログ

現実があって、感覚を司るfirmwareがあって、感情があって、意識があって、論理があって、memoryがあって、それらがinterfaceによってつながっている。全てのモジュールに対して、多数の人間がもっている類型があり、それらの類型を大きく外れた人間は、病的というレッテルを張られることがある。softwareの開発をしていて理解するのは、多くのデザインチョイスには利点があり、弱点があるということ。だが、人間の場合には弱点にフォーカスが与えられ、それに病気というラベル付けがされる。この書籍は、あるデザインチョイスを行った人間に対して、利点という部分や、このデザインチョイスを行った場合の実装方法という部分にフォーカスを当てている。人間とソフトウェアの大きな違いは、人間の場合には、人間という自律的なモジュールにとって一番大事であり、自律性とコミュニケーション能力という部分に過度のフォーカスが当たっているという部分であると思われる。感情は、このコミュニケーションを行う際の基本となる方向性を決めることに大きく役立つので、感情firmwareに欠陥があると、コミュニケーションの部分で問題が発生する。一方で、論理モジュールは感情モジュールからの干渉を受けないため、高度なロジックをくみ上げることが可能。だとか。人間との対比の中でソフトウェアの進化の方向を考えるってトレンドにそろそろなってきてもいいのかなと思い出しました。

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2015年02月25日

Posted by ブクログ

イギリスの医師でありサイエンスライターであるオリヴァー・サックスの1995年のルポです。
登場するのは7人の人物。
①突然全盲になってしまった画家
②脳腫瘍のために視覚と記憶能力を失った青年
③トゥレット症候群の外科医
④中年になって視力を取り戻した男性
⑤写真以上の驚異的な記憶で故郷を描き続ける画家
⑥サヴァン症候群の天才少年画家
⑦自閉症の動物学者
これらの登場人物を通して、疾病によって新たに獲得された能力や、疾病を克服したことにより失われてしまった能力が描かれます。
総じて感じるのは、疾病による障害はあるものの、彼らにとっては疾病そのものがアイデンティティになっているということです。登場人物はみな魅力的で、著者も彼らに偏見や前提なしで、あるがままを受け入れようとする姿に共感を得られます。

タイトルの火星の人類学者とは⑦の動物学者の言葉です。彼女は視覚的思考や論理的思考は非常に優れていますが、一般の「普通の人」の情緒的な関係や抽象的な思考は全く理解できません。そこで彼女は自らが「火星の人類学者」になって、周りの人々の行動・思考パターンを脳に蓄積し、TPOに応じてそのデータを取り出し、それに従って行動することによって、社会生活を営んでいるのです。自閉症って興味深いものですね。

原書名:An anthropologist on Mars

色盲の画家
最後のヒッピー
トゥレット症候群の外科医
「見えて」いても「見えない」
夢の風景
神童たち
火星の人類学者

著者:オリヴァー・サックス(Sacks, Oliver, 1933-2015、イングランド、神経学)
訳者:吉田利子(1946-、翻訳家)

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2019年01月11日

Posted by ブクログ

 例えば、生来の盲目の患者が、いきなり視力を回復した話。
 まあ、それはほんとに良かったですね〜、と健常者は祝福する。しかし当の本人はいきなりいろんなものが見え始めたから、かなり混乱して、とても気持ち悪い。あまりに今までの生活と違うので、早く元の世界に戻りたくてしょうがない。
 そして、その願いは叶う。また突然、盲目になった。まあ、それはなんと言葉をかけていいのか… と健常者は思うが、本人はいたって快適のようだ。
 良かったとか残念とか、そういうことは傍観者の価値観でしかない。
 そう、これは余計なお世話なのだ。

 いきなり世界がモノクロになった画家の話や、見たものを細部までなんでもかんでも覚えてしまう人や、その反対に経験したことをすべて忘れていく人の話など、豊富な症例が紹介されている。

 患者とか症例とかいう言葉を使ったが、そもそもこれも健常者の価値観の投影なので適切ではない。彼らは彼ら自身の価値観と能力で、彼らの世界を謳歌している。
 
 双方の間に横たわる障壁は高いかもしれないが、その差は異常と正常や優劣の差ではなく、単なる文化の差でしかない。

 脳の不思議が堪能できる本でもあるけれど、これは異文化交流の本でもある。
 目からうろこだった。

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2017年08月15日

Posted by ブクログ

人間の脳がいかに可塑的で適応能力があるかをわからせてくれる本。脳の障害はある意味で突然変異と同じ意図で人類がわざと発生させているのではないかとさえ思わせる。ひとつの短所は長所と裏返しでしかなく、その意味で知的障害は当人にとっては大きな苦痛を与えるが、人類の長い歴史にとって必要なことなのかもしれない。
火星の人類学者ではもし人造人間が出来たら彼女のようになるのかもしれないと少しぞっとしたが、そのような彼女に対して著書と同じように抱きしめたい感情になった自分に複雑な思い。
本書の症例は特殊な状況ではあるが、あとがきにもあるように、じつは「人間が置かれた普遍的な条件」を拡大させて見せているにすぎない。彼らの置かれた状況は我々の人生にもより緩やかな形であらわれているのである。

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2012年02月12日

Posted by ブクログ

脳神経科医が自分の患者を1人の人間として向き合う様子を綴った本。まず、それぞれの患者の症状に人間の脳の不思議さを感じるとともに、生きること、人としての尊厳について考えさせられた。つい障碍者と健常者という区別をつけてしまうけど、でも結局、自分が生きる幸せってなんなんだろう。

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2012年01月19日

Posted by ブクログ

“治療”の視点ではなく、脳神経患者と友達になろうと接し魅力を説くところに引き込まれる。ノンフィクションだから面白いんだろな。翻訳者の表現がすごく良い。

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2012年01月13日

Posted by ブクログ

世界の認識が揺らぐノンフィクション。
サックス博士は「レナードの朝」「妻を帽子と間違えた男」で有名ですが、愛情と知的好奇心のバランスが良いのはこのあたりではないかと。

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2010年10月04日

Posted by ブクログ

これはほんとに良く出来た医学ノンフィクションだった。内容忘れたら訳者のあとがきにうまいまとめがあるので、それを参照してほしい。一応一言でまとめておくと、以下の7つ。?色盲になってしまった画家の話?記憶が1960年代で止まって更新できなくなってしまった男の話?トゥレット症候群(チックのような行動や発言をしてしまう病)の外科医の話?40年全盲だった男が視力を回復した話?少年時代を過ごした村の記憶がとめどなくあふれだしてしまう画家の話?自閉症(サヴァン症候群)の天才少年画家の話?自閉症の天才動物学者♀の話(火星の人類学者)全て質の高い物語だが、なかでも出色は?、?、?。?の男の父親が死んだ時のエピソードで危うく泣きかけた。?では、自分を締め上げる機械を自作してそれによってやすらぎを得るということを無感情に告白することの悲哀を感じた。これ原題は"An Anthropologist on Mars - Seven Paradoxical Tales"ってなってて、副題の部分は直訳すれば、「矛盾に満ちた7つの物語」ってなるわけで、邦題とだいぶ違ってる気がする。おそらく分かり易さ・瞬発力を重視したんだろうけど、原題の方がかっこいい気がする。まあParadoxicalのうまい訳がないから伝わりづらいってのもあるんだろうけど。

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2012年01月09日

Posted by ブクログ

タイトルに惹かれて買ってみたら面白いなあ。
ハヤカワNFは私のような雑学好きには
たまらない本がたまにある。

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2009年10月04日

Posted by ブクログ

 人間の脳というのは、最も身近にあるものにして、最も理解不能の域にある。
 たかだか1300グラムの細胞が齎す、障害による様々な症状と患者達の姿は、人間自身が不思議の塊だということを教えてくれる。
 決して「脳に障害を負う超能力者のサクセスストーリー」ではない。その部分において、作者は冷静に事実を突きつけてくる。
 題の意味を知ったとき、言葉が出なかった。

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2011年12月03日

Posted by ブクログ

とりわけ印象に残ったのは『最後のヒッピー』。
人生最高の1日を翌朝には忘れてしまうことについてしばらく考えてしまった。

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2023年07月28日

Posted by ブクログ

映画『レナードの朝』で有名な、脳神経科医オリヴァー・サックス氏の著書。サヴァン症候群やトゥレット症候群など、脳や神経に疾患のある患者7名のエピソードが紹介されている。

特に最後の章に登場するアスペルガー症候群の女性は、食肉プラントを設計したり講演会に登壇するなど、社会人としては立派に過ごしている。もし彼女の事を何も知らずに実際に会う機会があれば、チョット冷たいだけの女性だと思った事だろう。

自閉症の症状にも重度なものから極軽度なものまで段階があるそうだが、読んでいて自分には全く関係ないと言い切れるか、少しだけ不安になった。

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2015年06月29日

Posted by ブクログ

ネタバレ

基本的には読み終わっていない状態では更新しないのだけど
(他の呼んでいる途中の本は今のところ改めて手に取るつもりはない)。
「最後のヒッピー」というタイトルで書かれたストーリーに
あまりにも心を打たれてしまったので。
脳に損傷を受けてしまい新しい出来事を覚えられない青年グレッグの話。

脳が損傷したために新しいことを覚えられない、とか、
病気のために記憶がどんどん失われていく、とか、
こういう記憶関係の障害の話は弱い。
悲しすぎるので。
本人は喪失すら気づけず、考えようによっては幸福とも言える状態なのだけど、
でもやはり、却って、と言うか、絶対的に、悲しい。
グレッグのケースは特に、
表面の意識では知らないのだが
心の底では何かを気づいているのでは?と思わせる描写があるので、
でもどうしようもないので、
余計に悲劇に感じてしまう。
永久に損なわれてしまうって、
とてつもなく悲しい。
絶望って、こういうことを言うのではないだろうか。

永久に損なわれるという意味では、
最初のエピソード「盲目の画家」もそうなのだが、
やはりそこに自覚があるかないかの差が大きい。

因みに私の人生でのオリヴァー・サックスの登場はこれで三回目である。
高校生の時、朝日新聞か何かの書評で『妻を帽子と間違えた男』の存在を知り、購入。
これが一冊目。
それが映画『レナードの朝』の原作を書いた人だと知ったのはずっと後の話(映画は未見)。
その後TEDで
シャールズ・ボネ症候群という脳の過反応による幻覚についてのスピーチを聞いた(見た)のが、
私の中のオリヴァー・サックス登場二度目。
そして今回が三度目。

脳神経外科医である彼が取り扱う症状は、
私の好きな精神医学の分野にリンクしていることもあり、基本的に興味深い。
また文章も、上手なのもあるけれど、やはり、
変に感情に走らず、医者/学者として淡々とエピソードを語るところがとても良い。
誠実な文章である。

ちょっと、うーん、と思ったのはタイトル。
「火星の人類学者」、原題も「An Anthropologist on Mars」で同じ。
アイキャッチだとは思うけれど、
アイキャッチすぎるタイトルはあまり誠実に感じないので個人的に好きじゃない。
特にこれは何か全体の比喩ではなく、
症例として登場するある特定の人物を意味する言葉なので、
全体のタイトルとしてはどうかな、と思う。
中身の誠実さに適したタイトルがもっと他にあったのでは。

訳者の後書きに、とある辛辣な書評が引用されていた。
本に対する辛辣さ、というよりは、オリヴァー・サックスその人への辛辣さなのだが、
オリヴァー・サックスの文章には覗き見趣味が見えるという。
感じたことがなかったので(翻訳後だからかもしれないが)、
ちょっと驚きの見方であった。
うーん、そうなのかなー…。

まあそれはそれ。

『レナードの朝』も読んでみようかな。

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2015年06月24日

Posted by ブクログ

脳の話なのだが、どちらかというと精神分析っぽい。最後の、自閉症ながら動物行動学の博士号をとって、大学で教えながら事業も手がけている女性助教授の話「火星の人類学者」がとても興味深かった。自閉症で、決定的な欠損がありつつも、ものすごい能力をもっている。
本には極端な例が並べられているが、そう考えると、一人一人、おそらくどうしょうもない欠損を持ちつつ、それを補うような素晴らしい能力を持っているように思えてくる。
自分のその偏りを自覚しつつ、他の人に対しても、その人の偏りを大切に思うことがとても重要と思う。

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2013年06月20日

Posted by ブクログ

すべてが白黒に見える全色盲に陥った画家、激しいチックを起こすトゥレット
症候群の外科医、「わたしは火星の人類学者のようだ」と漏らす自閉症の動物
学者…脳神経科医サックスは、患者たちが抱える脳の病を単なる障害としては
見ない。それらは揺るぎないアイデンティティと類まれな創造力の源なのだ。
往診=交流を通じて、不可思議な人生を歩む彼らの姿を描か出し、人間存在の
可能性を謳った驚きと感動の医学エッセイ。

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2009年10月07日

Posted by ブクログ

脳神経科医のサックス博士が、脳に障害を持つ様々な患者と実際に交流をしたその記録。医学的なんだけど、堅くなり過ぎず、読み易いし凄く勉強になった。彼の著作の中では一番良いかなと思う。
突然視界の全てが白黒に成ってしまった画家なんかは衝撃的だった。
自分は、全ての色が見えた上で、黒を好めるのかも知れない。
兎に角、色々考えさせる本です。

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2009年10月04日

Posted by ブクログ

病気を患っていても、悲観せずにむしろそこを生かすような人生を送っていてかっこいい。自分を真っ当から肯定する姿勢はすごいと思う。

"生まれながらの盲人が、手で立方体と球体を識別することを学んだとする。その人が視力を取り戻して、触らずにどちらかを識別することは可能だろうか"

色失った芸術家
記憶を保持できないグレッグ
トゥレット症候群の外科医
触覚で生きる人々

当たり前の五感がない世界はどう見えるのだろうか。

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2024年01月14日

Posted by ブクログ

少々長いなと思うようなところもあったが、まあ結論言いますと、みんな違ってみんないい、十人十色、につきますな。画家が色盲になってからの過程から、どんな悲劇、驚くようなことがあっても、物事をどう捉えるかによって世界は大きく変わるんだなと、深く再認識。単純なことだけどそれがなかなかできないんだよね。でも少し、変えてみただけで、マイナスで暗い世界が少しずつ明るくなっていく、素晴らしい。自分の短所と言われる部分がきっと武器になるんだろうなと、願いたい。


以下抜粋

さまざまな偏りのある能力と性格をもったあなたであり、わたしである。その意味では人間は誰もが奇妙な存在だ。健康とか健常という言葉は、実はむなしいのではないか。それよりも、ひとりひとりが自分の偏りを自覚し、それを大切な自分だといとこしむこと、そして他人の偏りも含めてその人だと受け入れることの方がよほど重要なのではないか。

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2022年04月12日

Posted by ブクログ

様々な症例に優しく、かつ専門家の目を持って寄り添う著者のふるまいに心温まる、それぞれのエピソードがぶつ切りになっている気もするが、かえってそれが、そのエピソードのあとでも患者や周囲の人の人生は進んでゆく感じを表しているよう。脳とはかくに奇妙で、不安定で、繊細な器官であることよ。

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2013年09月20日

Posted by ブクログ

レナードの朝、で有名なオリヴァー・サックスさんからこちらをチョイス。
今から10年以上前の本だけれど、内容はそんなに古臭くは感じない。
読み物としてそれなりに面白いので、入門書としても良いと思う。

物語風に綴られていて、事実の羅列のようなノンフィクションとは異なる。

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2010年10月14日

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