オリヴァーサックスのレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
この本に出てくる患者達のほとんどは病気に苦しみながら、完治する見込みがない。
悲しくなってくるが、病気をむしろ見方に付けている例も少し出てくる。
TVでこのような不思議な症状が紹介されているのを見て、生まれつきのものだと思っていたが、過度の飲酒、薬、事故、脳卒中、熱病などによるものが多く、誰にでも起こりうると知り、人間の脳は遺伝情報以上に神秘的に思えた。
しかし精神科医というのは何のために存在するのだろう。
症例を観察し、発表するだけ?
薬を打って一時的に緩和するだけ?
本書には患者の心に寄り添い心の声を聞く事が大事とあったが、それは医者でなくてもできると思う。
本書の中の考察を見ると、哲学者の言葉のようで、まさに精神論にしか私には思えなかった。
医療が目覚ましい進歩を遂げている中、精神科医は一体何をしてきたのか?何故古今東西の患者たちは治らない精神病に苦しみ続けるのか?
目に見えない物を扱っているから。本当に見えないのか?
人間の脳だって結局は物質で、DNAの命令で化学反応を起こしているのに?
精神医療分野の真の発展を願わずにいられない。 -
Posted by ブクログ
読むと眠気に襲われて、なかなか読み進められなかった。
自分も幻覚を体験したことがあったので、なんとなく借りた本。
刺激を与えなくなると、脳は知覚異常を起こす。
この事実を知ると、いわゆる「修行」や「悟り」というものの薄っぺらさを感じてしまう。
もちろん、知覚異常を起こすほどの追い込み方はしているのだけれど、その体験を特別視する気持ちはなくなる。
様々な事例が挙げられていて、それが興味をそそる。
しかし、本書の内容は訳者あとがきを読めば簡潔にわかる。
脳の働きとしての幻覚。ということを知識として持っていることは、いわゆる超常現象に何かしらの形で触れたときに、一呼吸おいて対峙できるひとかけらの冷静さにつながるのかもしれない。
【memo】
・ジャンヌ・ダルクは、恍惚前兆を伴う側頭葉癲癇を患っていた可能性がある。 -
Posted by ブクログ
妻を帽子と間違えた男 オリバーサックス
晶文社
オリバーは1933年に生まれた精神科医で
この本は記憶についての臨床的実例と
それに関する考察を書き綴ったモノである
記憶が部分的に消えてしまう症状
多くは事故による脳の障害らしいが
年齢と共に起こる疲労でもあるのだろうか?
老害の一つの症状でもあるらしい
誰でも大なり小なり忘れるということがあるけれど
それがまとまって起こるのが健忘症であり痴呆である
事故で起こるのは悲しいことだが
老衰で起こるのはそれなりに全体的な症状なのでさみしさはあるものの
大きなショックや狂気となることはない
自分に起こる健忘症もさることながら
知人が減り付き合いが遠のき
社会的に過去が消えていくという寂しさも重なって地平が視界の多くを占めるのも
哀れをもよおすものだ
別れは寂しいがその先にある出合いを思えば好奇心が湧き上がるというものだ
この摩擦界における体験の旅も
フェードアウトして行くのが
それもちょっとステップが大きいだけで
あの世へのヴェストフライディングなのだろう -
Posted by ブクログ
ネタバレ「サックス先生の患者にはなりたくないなぁ。」というのが読みながら常々感じた感想。
『はじめに』の部分では人間味のある人物のように思えたのだが、その後の記述はどうも軽率で患者のことを思っているフリをしているだけ(もしくは薄情なだけか)のような感覚があった。
最初の物語である『妻を帽子とまちがえた男』では、それまでの内容との落差で猛烈な肩すかしを食らった。表題作でもあるのでしっかりした内容かと期待したが、「たった一回診察しただけかよ」「経過観察も追跡調査もせずこんな薄っぺらい情報で『ひとりの患者の物語』なんてよく言えたな」と苛立つくらいだった。
その後の内容も、軽率な薬の使用(と見える記述)でトゥレット患者がコブを作ったり(;たまたま回転ドアにぶつかっただけで済んだが、もっと危険な場合もあり得たのではないか)、脳波測定をやりたいけどやらない、最後の章での患者の就職先の提案(;研究者の手助けなどできるわけがないし、そこまで言うなら著者自身が骨を折って先例を作ってみろと思った)など随所でいい加減・軽率な行動が気になってしまった。
街の中でチックの患者を観察したり(;困っているのが分かっていても声をかけたり助けはしない)も、著者の方がよほどマッドサイエンティストだと思うのだが・・。
「本書は誰に向けて書かれたものなんだろう」というのも終盤まで頭に残った感想である。
専門家向けの文章にはとても思えず、かといって一般向けにしては不親切極まる。病気の定義や症状の詳細についてはまるで説明が無く注も付いていないし、章ごとに書き方もバラバラな印象を受けた。章を引用する場合も既読と未読を行ったり来たりであるし、部の途中でつながりのない謎のまとめのような内容が、章のはじまり部分に唐突に書かれていたり(こんなことはせずに章を分割して、短いそれまでのまとめとそれ以降の概要を分けて書いた方が絶対に読みやすい)で、系統的に書かれていない印象を随所で受け、読みにくかった。
本書は「バラバラに発表した内容を寄せ集めた」と取れる記述が何カ所かあるが、それならば『はじめに』の部分で断りを入れておくなり、各章に初出の年代や媒体の名称を入れておくなりすれば、そう了解して読み進められるのに、導入部から失敗している感じがある。
私が著者の言う”自然科学者”の感覚だけしか持たないからか、著者が批判的に書いている機械的な記述の方がマシに見える。
第二部までの本書の内容は怖い。症状を自覚できていないのに患者達が苦しんでいるところも怖い。
それなのに毎回オチがないのがモヤモヤする。経過もほとんど書かれておらず、その後の研究で分かったことも書かれていない。病気の定義もないので個別の症状だけでは掴みきれず、同じ病名が異なる症状であちこちに現れたりで、悪い意味での各論的な内容により怖さだけが残るのは不快だった。
『皮をかぶった犬』では麻薬中毒者の言うことを真に受けていて「大丈夫か?」という感想をもった。
アメリカでは結構な地位にいるまともに見えた人が、老年になって長期の薬物常用者だったとわかる事例(= 薬物と社会性のバランスを何十年も上手くとっていた)があるが、それでも薬物の影響下にあるときはまともな状態ではないだろう。
これまでの症例でも「本人がそう思っている、感じているだけ」というものが多くあった。ところがこの章については相手が同僚の医師というだけで客観的な情報を入れずに証言を丸呑みしている。彼が言った臭いの感覚は信用に値するのだろうか。我々でも酔っているときは非常に冴えていると思っていたモノが酔いが覚めたらデタラメだったということは経験できる(;酔っているときに文章を書いてみれば良い。気持ちよく会心の文章が書けるが、翌日以降に再読してみれば正反対の気持ちになる)。この章での証言は薬物中毒者の妄言そのものの様な気がして、彼がそう思っているだけではないのだろうか。患者の主観以外の情報を入れてクロスチェックをしていないこの章は自然科学者としても失格の態度である。
知的障害者を扱う第四部では著者の人間性というか差別主義的な部分があるのではないかと感じた。
最初に知的障害者を賛美する内容があり、私が体験的には彼らを『ただ純粋なだけの存在』だと思っていないこともあり、どれほどのものかと思ったが、示された症例はサヴァンばかりで”普通”の知的障害者は扱われていなかった。著者にとってサヴァン“だけ”が素晴らしい知的障害者で、他は「そこにいないもの(:アメリカ人らしい嫌がらせの手口)」として扱っているのではないかと勘繰ってしまった。
第四部の最初の2件は「健常者が愛情を持って養育している」のもポイントのように感じる。情操教育がちゃんとしているのが大きいのではないか。知的障害者の親ではこれができないので、健常者として生まれても幼児期の外的刺激が大きく不足するために二次的に知的障害を発症する事例(実際には低年齢で周囲の強い助けがあってそれを免れた事例)を以前目にした。これは本書のような比較をしない症例の羅列では解けない問題点で、おそらくサヴァンの親がサヴァンの子を育てた場合にはその限定的な異能を発揮できないか、優れた部分とダメな部分の差異が強調されるのではないかと思った。後記などで補足が欲しい。
双子の章では彼らのゲームをもっと示して欲しかった。著者が分かった程度の内容ではなく、分からなかった内容でも読者の中に数列を理解する人がいるかもしれない。素数のべき乗部分を増やしているとか、各桁を全部足しても素数になっている素数ばかりとか、現在や特定の日にちや時間から出発しているとか。もっと深淵な思考や彼らの心の声の表出があり得るのに、著者が無意識に計算機としか思っていないようにも思えた。
また、双子の部分は根拠の無いことを書きすぎており他の章と比べて内容の整合性がない。とくに章の後半は客観的な観察ではなく著者の妄想となっている。科学的な思考でもない。
本書は24の章があるが、最後の2つの章が一番面白い。それまでの悪い部分が気にならず人間ドラマとして楽しむことができた。 -
Posted by ブクログ
オリバー・サックスは私が好きな脳神経医であり、医学エッセイニスト。学生時代からサックス先生の本を読んできた。
今年(2025)は「脳機能と音楽」を学習テーマにする決めて数冊本を読もうと目標を立てた。その一冊目はサックス先生の本にした。臨床中、いつも「リズム」の存在に驚く。うまくいかないとき、大体リズムやテンポが合っていないのだ。課題転換のタイミングや歩行・言語・呼吸のリズム…相手とマッチしないのは私のリズムが皆さんと合っていない時。
本書にも「パーキンソン病と音楽」や「失語症と音楽」「記憶障害と音楽」など多くのテーマについて先生が対面・体験した患者さんの様子が愛を持って書かれている。先生のこの対象者に対する愛情と優しさが感じられるところが好き。論文とは違うエッセイの良さがある。
一般の方には読み進めるのが難しいかもしれない。それは普段見聞きしたことがない単語や様子の記述が多いから。でも少しずつ読んでみると不思議な脳の世界、特異的な脳と音楽の世界に少し触れられると思う。 -
Posted by ブクログ
神経科医師のオリヴァーサックス先生のミクロネシア探訪記。ピンゲラップ島とポーンペイ島には遺伝による先天的な全色盲の人が多く存在する。そしてグアム島にはリティコという筋萎縮性側索硬化症に似た進行性の神経麻痺とボディグというパーキンソン病に似た症状で痴呆を伴うことがある、この2つの病気が混ざり合って発症する風土病がある。
医者の記録だから症状の話や病気の原因の考察などがあるがそんな話は置いておいて、こうした原因不明の風土病に対して人間は寛容に受け入れる。これを病気と捉えず、ありのままに家族は受け入れる。何が普通、正常なのか知らないが、病名を付けて騒ぎ立てる現代医療には少し不信感がある。性格にも病名つけてつまらない病気を増やしていると感じている。病気を受け入れるミクロネシアの人たちに共感を覚える -
Posted by ブクログ
少々長いなと思うようなところもあったが、まあ結論言いますと、みんな違ってみんないい、十人十色、につきますな。画家が色盲になってからの過程から、どんな悲劇、驚くようなことがあっても、物事をどう捉えるかによって世界は大きく変わるんだなと、深く再認識。単純なことだけどそれがなかなかできないんだよね。でも少し、変えてみただけで、マイナスで暗い世界が少しずつ明るくなっていく、素晴らしい。自分の短所と言われる部分がきっと武器になるんだろうなと、願いたい。
以下抜粋
さまざまな偏りのある能力と性格をもったあなたであり、わたしである。その意味では人間は誰もが奇妙な存在だ。健康とか健常という言葉は、実はむなしいのではないか。それよりも、ひとりひとりが自分の偏りを自覚し、それを大切な自分だといとこしむこと、そして他人の偏りも含めてその人だと受け入れることの方がよほど重要なのではないか。 -
Posted by ブクログ
学校で習った元素周期表(水平リーベぼくの船…)とか
理科室で実験した水分解とか
当たり前に習ったけど、それを発見するのにたくさんの科学者が
いろんな仮説たてて実験してめちゃくちゃ時間かけてたんだなあとしみじみ。
つぎつぎと解明されていく元素の事実を、科学にのめり込んだ少年の目線で読んでいると自然と自分も楽しくなってきます(難しくてよくわからないところも多々ありましたが)
新しいなにかが発見された当時の世間の反応が新鮮だったり怖いなと思ったり。
X線が発見された当時、見透かされることを恐れて鉛の下着が売られたり。
放射能の危険性がまだ十分に議論されておらず、放射能は治療効果があるといわれ、医師が処方してたり。(こわい…)
科学のこと以外でも、著者が過ごしていた少年時代のことや家族への思い(タングステンおじさんは叔父のこと)など温かい目線で語られていてとても面白い読み物でした。