あらすじ
妻の頭を帽子とまちがえてかぶろうとする音楽家、からだの感覚を失って姿勢が保てなくなってしまった若い母親……脳神経科医のサックス博士が出会った奇妙でふしぎな症状を抱える患者たちは、その障害にもかかわらず、人間として精いっぱいに生きていく。そんな患者たちの豊かな世界を愛情こめて描きあげた、24篇の驚きと感動の医学エッセイの傑作、待望の文庫化。
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Posted by ブクログ
個性と多様性の本。
冒頭にウィリアム・オスラーの「病気について語ること、それは『千夜一夜物語』のようなものだ。」という言葉が載っている通り、(本人や周囲の人には辛いこともあるだろうけど)出来の良い短編を読んでいる様な驚きや発見がある。
身体の一部であったり神経や脳の機能が喪失したり過剰だったりで、こんなにも多様な症状が出ることに人間の身体の不安定さと同時に安定性も感じる。
そして、本当の意味で「感覚」の違う人との相互理解は出来ないからこそ、理解しようとする姿勢と一方の「感覚」での評価の意味のなさがわかる。
p. 91 私が診ていたある患者は、後頭葉への血管の塞栓のために、脳の視覚をつかさどる部分が死んでしまった。たちどころにこの患者は完全に盲目となったが、本人はそれを知らなかった。見たところ盲人なのに、彼はひとつも不平を言わない。質問や検査をしてみてわかったことだが、彼は盲目となった—脳の皮質の上でそうなってしまった—ばかりでなく、およそ視覚的な想像力も記憶もいっさい失ってしまったのである。それでいて、失ったと言う意識もないのだった。「見る」という観念そのものが存在しなくなり、なにひとつ視覚的に叙述することができないばかりでなく、私が「見る」とか「光」といったことばを口にすると、それが理解できずに当惑してしまう。すべての点で視覚と無縁な人間になってしまったのである。彼のこれまでの人生の中で「見る」ことに関係あった部分いっさいが抜けおちてしまった。
p. 188こうなるともう、天賦の才能なのか呪われた欠点なのかわからなくなってくる、とも言った。
p. 204このように考えると、われわれは、通常とは逆向きの流れのなかに立つことになりかねない。病気は幸福な状態で、正常な状態に復する事は病気になることなのかもしれないのだ。興奮状態はつらい束縛であると同時に、うれしい解放でもあるのだ。
p. 324 今までやってきたのはこの相についてのテストで、そこでは非常に劣っていることがわかっていた。しかしそのテストでは欠陥以外の事は何もわからない。欠陥の向こうにあるものは見えてこないのだ。
p. 376 「かくして、天才少女から天才がとりのぞかれておわった。あとには何ものこらなかった。ただひとつの優れた点はなくなり、どこをとっても人なみ以下の欠陥ばかりとなった。こんな奇妙な治療法を考えつくとは、いったいわれわれはどういう人間なのか?」
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何度繰り返し、この本を、読んだ事でしょう。
人間の、精神に、興味がありました。自分が、精神の病を名付けられてからは、作者 オリバー・サックスの、変わった人々に対する温かいまなざしに、すがるような思いで、読みました。
訳者 高見幸郎氏が、あとがきで、こう書いています。
たしかにこれは、筆者の言うとおり、「奇妙」な話を集めたものである。脳神経になにか異常があるとき、奇妙な不思議な症状があらわれ、一般の想像をこえた動作や状態がおこる。ここに語られた二十四篇の話はいずれもそうした例といっていい。しかしわれわれが、これらをただ好奇の目でながめ、興味本位に読むのだったら、それはたいへんな誤りで、筆者の意図と真情を正しく理解したことにはならないだろう。病気の挑戦をうけ、正常な機能をこわされ、通常の生活を断念させられながらも、患者はその人なりに、病気とたたかい、人間としてのアイデンティティをとりもどそうと努力している。勝てなくても戦いつづけている。たとえ脳の機能はもとどおりにならなくても、それで人間たることが否定されるのではない。このことこそ、サックスがくり返し述べているところであって、ここが、問題の核心というべきであろう。
、、、書いていて、スマホが、涙で、濡れてしまいました。
※ 私が読んだのは、晶文社の、単行本のほうです。
りまの
Posted by ブクログ
"ユニークな視点で、様々な症状を抱える患者たちを暖かいまなざしで見つめた本。
脳への障害は、様々な症状を患者にもたらす。
突然音楽が鳴りやまなくなったり
自分の手足を自分のものと思えなくなったり
即座に素数を答えることができる自閉症患者
などなど
人間という生き物、脳機能などの謎を浮き彫りにしてくれている。"
Posted by ブクログ
脳は物語を紬ぎ、私達はそれを生きる。物語は無数にあり、それらはあくまで主観で語られるから、いつの時代も、どんなに科学が進んだとしても、他人の物語というのはあくまで抽象概念なのだ。だからこそ、魅惑的であり続ける。脳神経科医が彼の患者の症例を物語としてナラティブする、真摯で、そんな人の物語を愛する暖かい気持ちが詰まったエッセイ。
Posted by ブクログ
人間をまず”普通の人間”たらしめている要素とは何なのか、また人間の本質について考えさせられる良著。
この本はジャンルとして全くSFでもなく、量子力学でもないが、『酔歩する男』の血沼や小竹田のことを考えてしまう。
Posted by ブクログ
自然を見ると心が落ち着く理由がわかった。人は自然に対しては自分を作ったり、着飾ったりする必要がないからだ。このことからわかるように自分を作ることがいかに自然に反したことであるかがわかる。精神障害者の物語からたくさんの大事なことを学ぶことができた。
また、障害の中には必ずしも外見にあらわれるものばかりではなく、そのために我々は彼らを冷たく扱ってしまうことがあることが、あらためてわかりました。
本書の精神障害は先天的であったり、事故や病気によるものを扱っていますが、その他に育ちによる障害の例は扱っていませんでした。
Posted by ブクログ
脳に対して障害がある人の症例を集めたエッセイ集である。原書は1992年に発売されたモノであり、文庫になったのも2009年と割かし古いが、脳の機能について示唆を与える事象が数多く記されており、興味深い内容だった。
Posted by ブクログ
脳神経科医のサックス博士が出会った奇妙でふしぎな症状を抱える患者たちのお話。
特に印象的だったのは、双子の兄弟の話。彼らだけにわかるルールでコミュニケーションをする。その描写が双子だけの静かな世界をあらわしていて、引き込まれた。
考えると、私たちは当然のように「言葉」を使ってコミュニケーションをするけれど、「言葉」にすることが苦手な人もいるし、「言葉」以外のコミュニケーションがあってもいいのでは、と思ったり。
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普通とは、健常者とは何なのか。
幸福とは何なのか。
子どもと一緒に暮らしている人にもおすすめ。
チョムスキーと合わせて見ると一層考えさせられる。
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ずっと読みたいと思ってたけど、なかなかページをめくれなかった本。「書店員 波山個間子」さんの漫画に出てきてて、興味をそそられて、ようやく読み始めました。他の人の読み方や感想をきいて、ぐっと本との距離が縮まりました! そうでなかったら、また違った感想だったと思います。
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「レナードの朝」原作者による様々な神経性疾患の病例の記録。治すということではなく、どうその状態と折り合いをつけていくのかが大変興味深かった。平日は投薬、週末はあえて飲まずにエネルギッシュな演奏をするトゥレット症候群ドラマーの話が印象深い。
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専門的な言葉もあるが、知的障害を病的な見方ではなく、個性として捉えた作品。家族では難しい見方かもしれない、第三者だからこそ接し、その才能を発掘できるのかな。人間って、つくづく感覚=具体、現実の中で生きる生物なんだと思った。
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脳神経科医オリヴァー・サックスによる、1985年発表の医学エッセイ。
サックス教授は、自らの患者の脳神経に起因する奇妙で不思議な症例を綴った多数のエッセイ集を発表しているが、本作品は、後に映画化された『レナードの朝』(1973年)に次ぐ代表作のひとつである。
本作品では、症例を大きく「喪失」、「過剰」、「移行」、「純真」の4つに分けて24篇が収められているが、「喪失」の部では、視覚、記憶、身体の認知、空間認知などの障害を示す症例が示した奇妙な現象、チックに伴う暴言、人の間違い、切断された足の幻影など、「過剰」の部では、てんかん発作などに伴う幻覚、夢など、「移行」の部では、知的障害や自閉症の高度な計算能力、描画などの特異な能力などが紹介されている。
いずれも興味深いものではあったが、私が強く印象に残ったのは、重度のコルサコフ症候群の患者の症例である。重度のコルサコフ症候群の患者は、どんなことでも数秒間しか覚えていられず、自分についての過去の物語が持ちえない、即ち、自分のアイデンティティがないのである。そして、記憶障害以外の脳機能は正常な患者は、アイデンティティの喪失を埋め合わせるために、あらゆる話を打てば響くような素早さで次から次へと作り続けるのだという。これは、人間としては、最も耐え難い状態なのではないかと思う。(本人に自覚はないのだが)
本書は出版から30年が経ち、その後の脳神経医学の進歩により、本書の症例の中にも、原因が解明されつつあるもの、或いは今後解明されるものもあるのだろう。
一方で、不思議な症例を知るにつけ、脳に関わる機能の複雑さを感じるとともに、脳に関する根源的なテーマである「意識の発生のプロセス」はいつか解明されるのだろうかと、改めて思わざるを得ない。
(2014年9月了)
Posted by ブクログ
この本に出てくる患者達のほとんどは病気に苦しみながら、完治する見込みがない。
悲しくなってくるが、病気をむしろ見方に付けている例も少し出てくる。
TVでこのような不思議な症状が紹介されているのを見て、生まれつきのものだと思っていたが、過度の飲酒、薬、事故、脳卒中、熱病などによるものが多く、誰にでも起こりうると知り、人間の脳は遺伝情報以上に神秘的に思えた。
しかし精神科医というのは何のために存在するのだろう。
症例を観察し、発表するだけ?
薬を打って一時的に緩和するだけ?
本書には患者の心に寄り添い心の声を聞く事が大事とあったが、それは医者でなくてもできると思う。
本書の中の考察を見ると、哲学者の言葉のようで、まさに精神論にしか私には思えなかった。
医療が目覚ましい進歩を遂げている中、精神科医は一体何をしてきたのか?何故古今東西の患者たちは治らない精神病に苦しみ続けるのか?
目に見えない物を扱っているから。本当に見えないのか?
人間の脳だって結局は物質で、DNAの命令で化学反応を起こしているのに?
精神医療分野の真の発展を願わずにいられない。
Posted by ブクログ
小川洋子さんがすすめている本ということで、思わず買ってしまいました。医者のエッセイで、神経とか脳とかに障害のある不思議なものの見方になってまった患者さんがたくさん出てきます。現実にいる患者さんのことなのでなんというか、病院の待合室でどこどこのなんたらさんはこんな病気でさぁみたいなのりで読めます。あまり悲観的ではなくかといってがんばってる感じもなく、生きるってこんなことなのかもなぁと思える作品でした。この本に出てくる患者さんは自分が病気であることにきがついてなかったりするので余計に。
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症例集。特に惹かれたのが、双子のはなし。知能指数は低くてあまり人ともコミュニケートできない二人の遊びはお互いに8桁の素数を言って微笑みあうこと。あと何年前の何月何日って言うと曜日を教えてくれるという。でも算数とかできない。あと、マッチを111本落としたら、37と三回即座に言った。すごい演算装置。プラグインするなら素数ディテクターだね。他にも人間とは、意識とはなにか?とかについて考察したくなる話がたくさん。
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名作『レナードの朝』にて名をとどろかせた、オリヴァー・サックス医師によるノンフィクション。
医師である彼の元にやってきた患者達の、『奇妙』な話が24話収録されている。
脳内に病を抱えながらも、理性的に生きようとした女性が、
幻の中でインドに帰っていく話(「インドへの道」)と、
数学の世界に二人で生き、規則を持った数だけでお互いを理解し合う双子の話(「双子の兄弟」)が個人的に感慨深かった。
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頭に障害のある人たちの話。
奇人変人の話としても読めるが、読んでいるうちに著者の優しい眼差しに感化されて、一人ひとりが自分と同じ人間だと思えてくる。
困難への向き合い方、対処の仕方が人それぞれで、それが人の個性として感じられる。
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神経科の医師が出会ったさまざまな患者に関して、素人にもわかるように記載されている。
神経の異常によるからだへの影響と、それを理解できないじぶん。
喪失、過剰、移行、純真のカテゴリでエピソード(症例)と解説(後記)。
視覚や嗅覚の変化、ひとがらの変化。具体性。コルサコフ症候群、トゥレット症候群。
C0347
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妻を帽子と間違えた男 オリバーサックス
晶文社
オリバーは1933年に生まれた精神科医で
この本は記憶についての臨床的実例と
それに関する考察を書き綴ったモノである
記憶が部分的に消えてしまう症状
多くは事故による脳の障害らしいが
年齢と共に起こる疲労でもあるのだろうか?
老害の一つの症状でもあるらしい
誰でも大なり小なり忘れるということがあるけれど
それがまとまって起こるのが健忘症であり痴呆である
事故で起こるのは悲しいことだが
老衰で起こるのはそれなりに全体的な症状なのでさみしさはあるものの
大きなショックや狂気となることはない
自分に起こる健忘症もさることながら
知人が減り付き合いが遠のき
社会的に過去が消えていくという寂しさも重なって地平が視界の多くを占めるのも
哀れをもよおすものだ
別れは寂しいがその先にある出合いを思えば好奇心が湧き上がるというものだ
この摩擦界における体験の旅も
フェードアウトして行くのが
それもちょっとステップが大きいだけで
あの世へのヴェストフライディングなのだろう
Posted by ブクログ
「サックス先生の患者にはなりたくないなぁ。」というのが読みながら常々感じた感想。
『はじめに』の部分では人間味のある人物のように思えたのだが、その後の記述はどうも軽率で患者のことを思っているフリをしているだけ(もしくは薄情なだけか)のような感覚があった。
最初の物語である『妻を帽子とまちがえた男』では、それまでの内容との落差で猛烈な肩すかしを食らった。表題作でもあるのでしっかりした内容かと期待したが、「たった一回診察しただけかよ」「経過観察も追跡調査もせずこんな薄っぺらい情報で『ひとりの患者の物語』なんてよく言えたな」と苛立つくらいだった。
その後の内容も、軽率な薬の使用(と見える記述)でトゥレット患者がコブを作ったり(;たまたま回転ドアにぶつかっただけで済んだが、もっと危険な場合もあり得たのではないか)、脳波測定をやりたいけどやらない、最後の章での患者の就職先の提案(;研究者の手助けなどできるわけがないし、そこまで言うなら著者自身が骨を折って先例を作ってみろと思った)など随所でいい加減・軽率な行動が気になってしまった。
街の中でチックの患者を観察したり(;困っているのが分かっていても声をかけたり助けはしない)も、著者の方がよほどマッドサイエンティストだと思うのだが・・。
「本書は誰に向けて書かれたものなんだろう」というのも終盤まで頭に残った感想である。
専門家向けの文章にはとても思えず、かといって一般向けにしては不親切極まる。病気の定義や症状の詳細についてはまるで説明が無く注も付いていないし、章ごとに書き方もバラバラな印象を受けた。章を引用する場合も既読と未読を行ったり来たりであるし、部の途中でつながりのない謎のまとめのような内容が、章のはじまり部分に唐突に書かれていたり(こんなことはせずに章を分割して、短いそれまでのまとめとそれ以降の概要を分けて書いた方が絶対に読みやすい)で、系統的に書かれていない印象を随所で受け、読みにくかった。
本書は「バラバラに発表した内容を寄せ集めた」と取れる記述が何カ所かあるが、それならば『はじめに』の部分で断りを入れておくなり、各章に初出の年代や媒体の名称を入れておくなりすれば、そう了解して読み進められるのに、導入部から失敗している感じがある。
私が著者の言う”自然科学者”の感覚だけしか持たないからか、著者が批判的に書いている機械的な記述の方がマシに見える。
第二部までの本書の内容は怖い。症状を自覚できていないのに患者達が苦しんでいるところも怖い。
それなのに毎回オチがないのがモヤモヤする。経過もほとんど書かれておらず、その後の研究で分かったことも書かれていない。病気の定義もないので個別の症状だけでは掴みきれず、同じ病名が異なる症状であちこちに現れたりで、悪い意味での各論的な内容により怖さだけが残るのは不快だった。
『皮をかぶった犬』では麻薬中毒者の言うことを真に受けていて「大丈夫か?」という感想をもった。
アメリカでは結構な地位にいるまともに見えた人が、老年になって長期の薬物常用者だったとわかる事例(= 薬物と社会性のバランスを何十年も上手くとっていた)があるが、それでも薬物の影響下にあるときはまともな状態ではないだろう。
これまでの症例でも「本人がそう思っている、感じているだけ」というものが多くあった。ところがこの章については相手が同僚の医師というだけで客観的な情報を入れずに証言を丸呑みしている。彼が言った臭いの感覚は信用に値するのだろうか。我々でも酔っているときは非常に冴えていると思っていたモノが酔いが覚めたらデタラメだったということは経験できる(;酔っているときに文章を書いてみれば良い。気持ちよく会心の文章が書けるが、翌日以降に再読してみれば正反対の気持ちになる)。この章での証言は薬物中毒者の妄言そのものの様な気がして、彼がそう思っているだけではないのだろうか。患者の主観以外の情報を入れてクロスチェックをしていないこの章は自然科学者としても失格の態度である。
知的障害者を扱う第四部では著者の人間性というか差別主義的な部分があるのではないかと感じた。
最初に知的障害者を賛美する内容があり、私が体験的には彼らを『ただ純粋なだけの存在』だと思っていないこともあり、どれほどのものかと思ったが、示された症例はサヴァンばかりで”普通”の知的障害者は扱われていなかった。著者にとってサヴァン“だけ”が素晴らしい知的障害者で、他は「そこにいないもの(:アメリカ人らしい嫌がらせの手口)」として扱っているのではないかと勘繰ってしまった。
第四部の最初の2件は「健常者が愛情を持って養育している」のもポイントのように感じる。情操教育がちゃんとしているのが大きいのではないか。知的障害者の親ではこれができないので、健常者として生まれても幼児期の外的刺激が大きく不足するために二次的に知的障害を発症する事例(実際には低年齢で周囲の強い助けがあってそれを免れた事例)を以前目にした。これは本書のような比較をしない症例の羅列では解けない問題点で、おそらくサヴァンの親がサヴァンの子を育てた場合にはその限定的な異能を発揮できないか、優れた部分とダメな部分の差異が強調されるのではないかと思った。後記などで補足が欲しい。
双子の章では彼らのゲームをもっと示して欲しかった。著者が分かった程度の内容ではなく、分からなかった内容でも読者の中に数列を理解する人がいるかもしれない。素数のべき乗部分を増やしているとか、各桁を全部足しても素数になっている素数ばかりとか、現在や特定の日にちや時間から出発しているとか。もっと深淵な思考や彼らの心の声の表出があり得るのに、著者が無意識に計算機としか思っていないようにも思えた。
また、双子の部分は根拠の無いことを書きすぎており他の章と比べて内容の整合性がない。とくに章の後半は客観的な観察ではなく著者の妄想となっている。科学的な思考でもない。
本書は24の章があるが、最後の2つの章が一番面白い。それまでの悪い部分が気にならず人間ドラマとして楽しむことができた。
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「われわれは、患者の欠陥にあまりにも多くの注意をはらいすぎていた。それでいて、変化していない、失われることなく残っているほうの能力をほとんど見ていなかった」
Posted by ブクログ
本作を知ったのは、頭木弘樹さんの「絶望読書」のなかで紹介されていたことがきっかけ。
「人間に、こんなことって本当にあるの?」という症例が多種多様に描かれている。
難しい内容や専門用語が多いので、医者や理学療法士なんかにとっては、とても面白く読めて、かつ参考になるのではないかと思った。
Posted by ブクログ
馴染みがないジャンルで難しかったけどどの話も興味深かった
脳の障害でまっすぐ歩くことができなくなってしまった男性が水平器を使うことを思い付いた話には感銘を受けた
記憶喪失によりアイデンティティを失ってしまったら人の話は少し怖くなってしまった
Posted by ブクログ
脳や記憶の障害の症状に、こんなものがあるのか、と驚くばかり。
いつ自分が同様の発症に至るかも恐ろしいが、近親者にこのようなことが起こったとき、ちゃんと、サックス先生のように対応できるか真剣に想像するも、撃沈した。
それでも悲劇的なことばかりではなく、随所にかつての姿がしのばれたり、人間味があったり、なんていうことなんだろうと複雑なあたたかい気持ちになった。
脳の未知さったら、無い。
Posted by ブクログ
何かが足りない人に対して、足りない部分ばかりを補おうとし、良いところを伸ばさなければ、何も残らない、というのは誰にとっても当てはまることなんだろうに、でもなかなか実践はできないもので。なんでなんだろうか。出る釘は打たれるというやつか。
こういう本によっていわゆる障碍者と言われる人々は身近になるんだろうか?そう感じられるようになるのか?
Posted by ブクログ
自閉症、てんかんなど、特異な症状をもつ人の観察記録。
彼らは劣っているのか、健常者と同じなにかを持っているのか、むしろ優秀なのか。
人間観察に新たな視点を与えてくれる。