戦争体験が与えた意味を文学的に表現した第一次戦後派と、西洋の文学理論や新たな手法を積極的に取り入れた第二次戦後派。
それら戦後派作家に続く形で現れた新しい世代の文学作家達を、評論家の山本健吉は『第三の新人』と称しました。
『第三の新人』には、共通した思想、定義があるわけではなく、同一の文学理論や問題
...続きを読む定義、同一同人誌・文学雑誌での活動等もないです。
単純にこの頃に相次いで現れた多才な新人文学家を総称したワードであり、今日、純文学と大衆小説の垣根が薄くなったその始まりと言える時期かもしれないと思います。
現代だからこそ日本文学史上の一つとして位置づけられていますが、当時、『第三の新人』は文壇からは軽く見られていたそうです。
吉行淳之介氏は『第三の新人』を代表する作家の一人です。
氏の作風としては、一般的に性を描いたものが多いというイメージがあり、本書収録の代表作も色街が舞台です。
ただ、幼少期を題材にした作品も少なくなく、両作品とも共通して、揺れ動く心理の描写に長けた作品だと思いました。
各作品の感想は以下の通りです。
・原色の街...
赤線の娼館"ヴィナス"の娼婦・あけみを主人公に据えた作品。
元ホステスだったあけみは、男性からの視線に耐えられず、上辺だけの肉欲を受ける娼婦として働いていた。
その彼女のもとに汽船会社に務める「元木英夫」が訪れる。
彼はあけみと軽い会話の後で酔っているといい、事に及ばず眠ってしまうが、そのことがきっかけにあけみの身体に異変が発生する。
その他、"ヴィナス"に務める娼婦たちや、憎く思うがなぜか元木のことが頭を過ってしまうあけみの日々が描かれます。
元木のことを考えながらも、娼婦としての仕事をしないといけないあけみの苦悩の描写が生々しい作品で、それまで読んだ文学作品とは一線を画すと感じました。
・驟雨...
吉行淳之介の代表作。
芥川賞受賞作であり、『第三の新人』と呼ばれ始めたきっかけと言える作品と思います。
"原色の街"同様、赤線を舞台にした作品で、自分の意図せず娼婦の女に慕情を抱いてしまった男性の物語となっています。
主人公は独身のサラリーマン「山村英夫」で、赤線で娼婦を抱くことが精神衛生にかなうと考えています。
だが、そんな思想とは裏腹に、馴染みの娼婦「道子」に愛情を抱き始めてしまう。
ある日、道子のもとに訪れた山村は、客を取っていた道子に40分ほど散歩に出て欲しいと言われるのですが、この40分の散歩ほど精神衛生上良くない散歩は無い。
そんな男の胸のざわつきの描写がリアルで、静かで激しく燃えくすぶる炎のような作品だと思いました。
・薔薇販売人...
「檜井二郎」は通勤途中の気まぐれで電車を乗り換え、たまたま訪れた家で花屋で購入した薔薇を販売しようとする。
そこに住む人妻「ミワコ」は妖艶な女性だが、その夫「恭吾」は、自分が留守中のミワコに逢うことで"被害"が起こることを示唆する。
恭吾は二郎がミワコに恋慕の情を抱いたらおもしろかろうと思っており、二郎は恭吾の企みを感じ取りながらもミワコに接近する、という内容です。
一言で言うと奇妙なストーリーで、結局のところ何が書きたいのか、よくわからなかったです。
不貞は成功するのですが、二郎も恭吾もミワコも、それぞれの考えが見えず、ただ不思議な出来事が書かれた作品に思いました。
・夏の休暇...
ある少年の、父と、見知らぬ若い女の記憶を描いた物語。
少年が主人公ですが、吉行淳之介自身の幼少期の記憶がモデルではあるものの、氏の幼少期を描いたものではないようです。
若く、少年の兄とよく間違えられる父に連れられてO島のM山に旅行にでかけた少年「一郎」は、船の中にいるはずのない見知らぬ女性と道中一緒になる。
母には内緒だというその女性と父との旅行は、子供ながらに何事かを察している。
その心理描写が巧みな作品で、無垢な少年の仄暗い成長を感じました。
私的には、最後の"甘く広がってゆく開放感"という一文に鳥肌が立ちました。
吉行淳之介氏の特殊性を感じることができる一作だと思います。
・漂う部屋...
吉行淳之介氏が結核の療養として過ごしたサナトリウムでの経験を元に書かれた小説です。
氏の小説としては珍しく性を扱っていない作品で、療養施設に入所した人々の不安やその生活が描かれています。
描かれている不安は、病気に対する不安ではなく、生活に対する不安が主になっています。
主人公は六ヶ月ほど入院することが決定しており、逆に言えば、六ヶ月経つと次の患者のため退院を余儀なくされます。
六ヶ月ほどであれば社会復帰はまだ容易ですが、その療養施設にいる人の中には退院の目処も経たないまま会社を馘首され、退院できたとして次の仕事を探すのは困難な方が多くいます。
また、収入の見通しが立たないまま療養生活を続けると、「生活保護法」の適用枠からも外れ、療養所から出ていかなくてはならなくなる。
そうなると、食と住を得る手立てもなくなるので、そういった不安に思いながら病気と戦う人々の世間から浮いて漂う病室の様子が書かれます。
短編で、最後は特にオチもなく、静かに幕を閉じました。
どう思うかは読み手次第だと思いますが、どうしようもない状況でただ過ごす患者を書きながら、不思議と暗いだけの話ではないと感じました。
ある種、人間の本質を描いた作品だと思いました。