吉行淳之介のレビュー一覧
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七夕にこうしたレビューを書くのもなんですが(笑)、表題は、純粋恋愛とは無縁に生きようとし情事において女を道具としてしかみなさい主人公の中年小説家が、女に言われた素敵な夜空ねという発言に対し、「あんなものは、空のあなぼこだよ」と象徴的に言い放った言葉に由来している。
小説家である主人公が、同名小説を自身をその小説の主人公のイメージで執筆している話とパラレルに、心情を先取りする形で物語が進行する構成をとる。
心の底では純愛を求めながら原体験によりそれを憎んでいる象徴を、アパートの窓から見える公園とブランコに巧みに絡ませながら、若い商売女と行きずりに知り合った女子大生との度重なる情事と対比させて、主人公の心象を面白く描き出していると思う。また、総入れ歯にしている主人公の老と若い女体との対比も象徴的で、対称となる欲情を存分に盛り上げていたのではないか。
女子大生との関係では純愛の可能性を秘めているが故に、精神的なSM世界にも止揚されていて、微妙な男女間の距離感のもどかしさが面白い。本作は、その女子大生の車の中でのおしっこから始まった(逆説的だが)恋愛小説?ということで知られた小説であるようだが(笑)、2人の関係性の成り行きを暗示する出会いが、最後に、レントゲンでみえた総入れ歯によって現実に立ち返るという後味の残し方が、奇抜なシーンとともに妙に余韻として残る。 -
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吉行淳之介には、『原色の街』「驟雨」などをはじめとする、赤線の娼婦を扱った所謂「娼婦もの」と呼ばれる一群の作品がある。
これらは1958年3月31日を境に赤線が廃止され、その時代状況とともに終わりを迎えている。
では、その後。
吉行はどうしたか、といえば、やはり本質的には変らない。
確かに、赤線の娼婦を描かなくなるし、そもそも職業としての娼婦を描くこと自体ほとんどなくなる。
(正確なところは寡聞にして存じません。)
しかし、作品の中には、『暗室』でいえば夏枝がまさにそうだが、娼婦のようにふるまう女が登場する。
ただし、ここで肝腎なのは、“娼婦”が吉行の作品で一貫して描かれているわけではないということ。
あまりに“娼婦”という形式にフォーカスしすぎると、安易に“聖女”と対比させた単純な二元論に終始してしまい、面白味もなくそれより先もないこととなる。
吉行が描いているのはもっと広範に、「性」「軀」と捉える方が適切だろう。
“娼婦”も、よく言われる“女”も、「性」「軀」を書くためのツールの一つなのではないだろうか。
そんなことを考えながら『暗室』を読んでいると、この「暗室」というタイトルが、この作品にいかにもふさわしく、いよいよ湿潤で粘り気を帯びたもの思えてくるのだ。 -
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昭和の文壇の重鎮でもあり、対談・エッセイの名手として知られる吉行淳之介。実は彼の作品はまだ未読だったりするのだけど、他作品からの孫引きや著者の人なりについて色々目にする事が多かったり。
個人的に興味があるのは、喘息に腸チフスに結核、肺炎、躁鬱病、そして治療の副作用からくる白内障…そんな心身不安定な中でも、多くの人から慕われたというその人柄がどのように培われたのか。そのヒントとなるのが、本書に収められているエッセイ「『復讐』のために」。自分自身のプロフィールにも、以下の言葉を引用させてもらっています。
「少年の頃、激しく傷つくということは、傷つく能力があるから傷つくのであって、その能力の内容といえば、豊かな感受性と鋭い感覚である。そして、その主の能力はしばしば、病弱とか異常体質と極度に内攻する心とか、さまざまのマイナスを肥料として繁っていく」
ああ、この一文で、何か色々と報われたような気になるのは、きっと自分だけじゃない筈。時々、過去の記憶が自分を押しつぶそうとして負けそうになったりするんだけど、そんな過去があるからこそ、見える景色も有る訳で。基本的に不器用なので色々と折り合いをつける事が苦手だったりするのだけど、いつかそんな過去が些細な事になって、いい記憶に生き返らせる事が出来たらいいなとか、そんな事を思ったりもするのです。 -
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主な登場人物は
22歳処女の杉子と、
現代的にいえばチョイ悪な中年の佐々。
ふたりのねじれた肉体関係。
印象に残ったのは、
杉子とのお食事中に、
佐々がレストランのテーブルに
外国のエロ写真をばさっと広げるところ。
「まあ、いやだわ…」
と恥ずかしがりながらも
エロ写真収集癖のある杉子は
思わずじっと見入ってしまう、
というシーン。
杉子の伏せたまつげやその目線、
赤く染まった耳やくちびるを見て
佐々はたまらなかっただろうなと思う。
全体にただよう、
とらえどころなく薄気味悪く
ねっとり、ぬらりと
粘度の高い、濃密ないやらしさ。
こういうの、好き。 -
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今日読み終わった。僕は今まで吉行という人の短編や大衆小説「すれすれ」などを読んでいたが、魅力を感じたことはなかった。体質に合わないのかなと思っていたけれど、これで吉行世界の魅力が分ったと思った。
「砂の上の植物群」200ページ弱の作品だが、最初の100ページ目でしばらく別の本を読むために読み止しにして、1ヶ月近くたってから後半を読んだ。前半はわりとひらべったい、起伏のない、いろんなことをぎこちなく羅列しているような感じで、こういう渇いた無機質的、虚無的なのが吉行の売りなのかなと思いながら読んでいたが、後半になってにわかにストーリーが展開していく。前半に、ストーリーの途中で作者が登場して独白を始めるなど、小説としては特異というか不自然な手法が、後半にはにわかに必然性を帯びてくる。前半に出てきた夕陽の何気ない風景、登場人物が、後半では主人公の内面と結びついていく伏線であったことが明らかになっていく。その技巧の確かさが、この小説を完成度の高いものにしていると思う。
吉行はなぜ性を書くのか?そこには彼が単に遊び人というんじゃなくて、彼の存在、内的必然性をかけたいきざまがあるということもこの小説から読み取れる。僕はわりと抽象的、観念的な思考が好きだが、性というものは、その対局にあるのではないか。つまり、性に関われば、常にそこには具体的で生理的なにおいや熱や昂奮があり、それによって抽象的、観念的な饒舌さを退けることができる。この小説を読みながら僕はそんなことを感じていた。吉行にとっての性はその意味で、禁欲的でさえあると僕には思われた。吉行にも観念的な傾向があることは、小説中のクレーの美術論の引用などで察せられるが、その観念論を扱いながら、あくまで具体的(=観念論を排する禁欲的)な次元で中年男の人生の格闘を描いている。 -
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なんでこの本を選んだのかすっかり忘れてしまったけれど、きっと正統派?日本語に触れたくなったのかもしれない。
これは、吉行淳之介の短編19編を集めた文庫本である。そして、くるっと裏をひっくり返してみて驚いた。なんと、1cmほどの厚さの文庫にしては異例のお値段1300円と表記されているではないか。
それはともかくとして、この短編集。短編と呼ぶにはあまりに短い掌編小説と言えるようなものも多々あるが、完成度が高い。文章はたらたらと長く書くものではないんだなぁと、反省させられることしきりである。
それにしても、昭和の前期〜中期を描いたものでありながら、人の心をとらえるということにおいて、古きも新しきもないのだなあと実感させられる。みずみずしくて、それでいて、すぱっと切れるような研ぎ澄まされた感性は、最近の直木賞などではとうていお目にかかれないものだ。 -
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数年前に奥さんを亡くした40歳過ぎの独身の作家、中田が3人の女性と織り成す関係を中心にしたストーリーです。
吉行淳之介さんの小説は好きですが、女性の視点から見ると、やや複雑な気持ちも持ちます。腹も立つような・・・(笑)
主人公の中田は、大人の女性二人と関係を持っていて、その時の気分で、二人のうちのどちらかと会うということを続けている。
そして、偶然バーで知り合った、レズビアンの若い女性に興味を持ち、その女性とも関係を持ち・・・ってな具合なのです。
ストーリーと一見関係ないような、逸話が自然な流れでいくつか散りばめられていて、これが、面白い。
最初っから、関係ないような場面から始まるんだけど、引き込まれるような流れがあります。
終わり方も渋いです。
どうしてだかわからないけれど、読み終わって、また、もう一度、読んじゃいました。
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1967年第17回
芸術選奨文部科学大臣賞(文学部門)
7月26日は、吉行淳之介文学忌 淳之介忌
吉行淳之介氏の著作は若い頃 好んで読んでおり、代表作と呼ばれる作品にはひと通り読んでいるはず。
ところが 昨年、突然映画化された本作は 未読でしたので 今年初読みです。
時代は、この作品が世に出た頃と重なる昭和中期の東京。主人公は作家。
久しぶりに吉行作品を読むと、どことなく村上春樹氏に通じる空気を感じます。
もちろん、時代性もあり、ソフトロマンポルノの手前ほどの性愛描写があるので、その印象も大きいのかもしれないです。
結婚に失敗し、自身の身体にコンプレックスを抱える作家は、当時としては日常的だったのか、娼婦を買う。
その一方で、知り合った女子大生との情事も重ねていく。
さらに興味深いのは、作中で執筆される恋愛小説と現実とが、次第に螺旋するように重なっていく点ですね。
今では珍しくない構造ですが 当時としてはかなり新鮮だったのではないでしょうか。
谷崎潤一郎『痴人の愛』や、坂口安吾『白痴』に連なる“情痴文学”の系譜を感じさせながらも、吉行作品はもっとさらりとしているところが
当時の現代小説なのかな。
映画版主演は綾野剛だったようで、退廃と気障さが同居するこの主人公にぴったりだったのでは