吉行淳之介のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
ヘミングウェイはかつて「おれたちはみな、生まれたときから固有の才能が備わっている」と言ったけど、吉行淳之介にもやっぱり固有の文学的才能が備わっていた。原色の街とか驟雨を読めば、その才能の片鱗を感じとることができる。
吉行淳之介は自分でも「ものを書く才能が自分にあるのかもしれぬ」と高校生の時に考えていたという。若い頃は誰でも一度は、自分にはなんでも出来る才能があると勘違いすることがあるけれど、吉行淳之介のそれは勘違いなんかではなく、きっと確信に近いものだったのかもしれない(羨ましい)。
私は赤線地帯の娼婦との関係性を描いた「原色の街」が好きだ。経験を素材にして書いたものだと思っていたが、実は違うらしい。「このときまで私はそういう地域に足を踏み入れたことは、二、三度しかなかったし、娼婦に触れたことは一度もなかった。もともとこの作品で私は娼婦を書こうともおもわなかった」と言っている。つまり娼婦との生々しいやり取りはすべて創作だったわけだ(なんてこった)。
職業作家になるつもりがなかったのに、結果的に職業作家になり大成したことを考えると、なにか見えない力に導かれていたのではないかとも思えてくる。父である吉行エイスケのことを述懐しているのも興味深かった。第三の新人としてデビューした当時は酷評されていたのも意外だった。新しいものの毀誉褒貶が激しいのはいつの時代でも変わらないものらしい。週刊誌で女性とのスキャンダルが報じられて円形脱毛症になったというのも、吉行淳之介の人間性がダイレクトに伝わってくる。吉行淳之介に興味のある方は、好奇心が満たされる内容になっているのでけっこうオススメです。 -
Posted by ブクログ
原色の街と驟雨はどちらもいわゆる赤線地帯と呼ばれる歓楽街の娼婦たちとそこに通う男の物語。都会的でクールな主人公の娼婦との関わり方は付かず離れず。時には心を揺り動かされることもありながらそれを悟られまいとする両者はある種、非常に技巧的な人間関係を敷いているといえる。
しかし、この技巧的な人間関係というのは別に娼婦と男にだけ存在する訳ではなく、社会集団の持つ力が弱まって、個人と個人を繋ぐ引力も弱まった現代においてはごく一般的に存在する。その絶妙な距離感を描くのに題材として娼婦や彼女らがいる遊郭が適していたのだろう。
主人公は直截な感情の発露を行わない。代わりに自らの心の動きを第三者的視点で見つめる。その描き方が明晰で言語できていなかった感情を正確に言い当てられた気がして気持ちが良い。
「そのことは、元木英夫の感受性の鋭さではあっても、優しさではない。それは、結局のところ自分自身に向けられたものであり、自分自身の神経を労わるためのものであって、エゴイズムの一種である。」
「あけみはいつも鈍感な筈の、いや事実鈍感にちがいないこの男が、このような事柄になると示しはじめた緻密さに唖然とした。」
「この場に及んでも、彼はその感情を、なるべく器用に処理することを試みた。」
一見、ドライな主人公だが自分の感情すら技巧で弄びつつも時にその制御が外れるところに人間味と親近感を抱いた。
「原色の街」のラストの印画紙が舞い降りる中、薪炭商の顔が浮かび上がるシーンがなんとも言えず奇妙で好き。
個人的には「夏の休暇」もかなり好み。一緒に長い時間いるだけで理解していると勘違いしてしまうのが自分の親。親が時に見せる底知れない、何を考えているかわからない感じってどことなく怖い。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ30数年振りで再読。文庫本の版を見ていると大学入学後に買って読んだ様子。
当時、20歳ぐらいの自分としては、ちょっとエッチな小説と思って読んだような気がするが、まあまあおもしろいなと思うと同時に、若い女性と付き合うたぶん40代と思われる親父に対して、いい年して何やっとるねんとちょっと反発した気持ちがあったと思う。
それから年月は流れて、今やこの主人公よりあきらかに年上になってしまった訳だが、再読してこの小説の無駄を削ぎ落とした簡潔で美しい文章には感心した。主人公に対しては、かなり羨ましいと言うか、時代が変わったから今はそう簡単には行かんのちゃうのとか、そういう気持ちになった。
ただ、女性とのいろんな遣り取り(行動や言葉なんか)から、その状況や気持ちを男性側からではあるがよく表現されているところが、この小説のいいところではないかと思う。 -
Posted by ブクログ
ネタバレいい文章だなあ うまいなあ うまいこと落ちをつけるよねえ と感心しながら読んだエッセイ。
近頃ネットの情報満載の文章ばかり読んでいたため、このうえなく癒やされ心地よかった。
この人のエッセイは、つらつらとあちこち寄り道しながら思いつくまま書いているようでいて、実のところものすごく計算された構成になっている。
文章作法を研究したところで、常人はこんなふうに洒落た感じに主張をユーモアでカバーしながら書くはなれ技は無理だ、と思う。
もてたんだろうねえ
飲む打つ買う をどこまでも上品に嗜むタイプ
と文章からわかってしまう。
ミソジニーなだけでなく、今日なら差別的として校閲で直されそうな表現も多々あり、そこが引っかかって読めない人もいるかもしれない。そこも含めて時代を感じる。昔はこんな男がいっぱいいたよなと。
ベスト・エッセイなので1957年あたりから晩年までのエッセイが入っている。だけど、終生つらっとした顔をしてたんだろうと思うとおかしくなる。私にとってこの人のイメージはドラマ「あぐり」の淳ちゃんなのだが、案外あんな感じだったのかもしれない。
印象に残ったのは、「営業方針について」。
ーー純文学作品を書く場合に私は私の中にいる一人の読者を意識してしか、書くことができない。ーー
だからたくさん売れないし、たくさん作品を書くこともできない。というわけで、食べていくためにはマスコミ雑誌の仕事を受けるのだと。
ーーそういう性質の仕事が、正反対の純文学の仕事に、悪影響を与えぬようにするには、どうしたらよいか。ーー
しかし、その点吉行は自信があるという。
ーー昔、売らん哉式の雑誌の編集者をしていて、昼間は「どうやったら売れるか」ということばかり考え、そのための原稿もたくさん書いた。(中略)そして、夜、帰宅して、同人雑誌の原稿を書いた。そのときの体験から言って、頑固に自我を守っておれば、筆は荒れるんものではない。という信念を持っている。この場合の筆とは、文章ばかりでなく発想の基盤自体を指す。ーー
純文学作家もこんなことを考えてるんだな、やっぱりすごいなと思うのだけど、わざわざこんなことを述べるのは、頑固に自我を守っておらねば流される ということでもあるのだろう。
もらった本、暇つぶしに読んだら捨てようと思っていたけど、やっぱり置いとくことにした。読みが荒れたときにまた読んで癒やされよう。 -
Posted by ブクログ
私の今年のテーマは「第三の新人」。
安岡章太郎、丸谷才一に続いては、吉行淳之介です。
本書に収められているのは、吉行の初期の短編5編。
エロティシズムでしょうねー。
谷崎とはまた違った魅力があります。
世間的には、表題作になっている「原色の街」や「驟雨」なんでしょうが、ぼくは断然、処女作の「薔薇販売人」。
主人公の若い会社員がニセ花売りになって、緋色の羽織が掛けられている家に住む女に薔薇を売ろうとします。
女には夫がいます。
この夫がくせ者で、妻に対する恋心をこの会社員に植え付けられたら面白いとさまざまに画策するのです。
会社員は夫の留守中に、女の家に上がり込むことに成功します。
ここからの会社員と女の駆け引きが、もう官能的で堪りません。
女の乳房に触れ、いよいよというまさにその時、会社員はふすまの向こうに夫が隠れてこちらを見ていると感じます。
読んでいる方は既にこの会社員にどっぷり感情移入していますから、それはもうドキドキです。
夫が隠れていたかいなかったのかは、言わぬが花でしょう。
味わい尽くしました。
「薔薇の販売人」が最も典型的ですが、本書に収められている吉行の作品には、「見ている、だが、同時に見られている」というテーマが潜んでいるような気がします。
主人公(男)は、相手(女)をよく観察しています。
しかし、同時に、自身は相手からも観察されている。
相手からの視線に晒されて、自分の中にある劣情が露わになるんですね。
エロスに目を奪われて興味本位で読み進んでいくと、エライことになります(いや、なっていいんですが……)。
文体は、凝りに凝っていますよね。
小島信夫、遠藤周作を含め私の読んだ第三の新人の中では最もそう感じました。
手数も多い。
ただ、私には少し手数が多過ぎるように感じます。
村上春樹は「若い読者のための短編小説案内」で、吉行について「上手な作家ではない」といった趣旨のことを書いていましたが、たしかにそうかもしれません。
次は庄野潤三です。