吉行淳之介のレビュー一覧
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『原色の街』と『驟雨』を読む。色街で肉体的欲求を満たす男と、色街で自分の肉体の居場所を見いだす女。赤線地帯にくる理由は男も女もそれぞれ違う。でも動機はだいたい同じで、恋愛という厄介で面倒な精神的手続きをすっ飛ばしたいのだ。肉体と肉体、実体と実体の分かりやすい関係性に男も女も「都合の良さ」みたいなものを見いだすわけだが、ときには厄介なはずの恋愛に不意に心をつかまされることもある。
ドライで乾いた関係から、じめっと湿った関係に移行するとき、男は男で心が動き、女は女で心が揺れる。その心理の丁寧な積み重ねが原色の街と驟雨の世界観を支えている。緻密で細部を穿つ描写力。言語化できないもやっとした感情を分かりやすく差し出す分析力。吉行淳之介の描く世界をまた見てみたい。そう思わせる強力な引力がこれらの小説にはある。 -
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乾いた文体で濃密な男女の関係を描いている。男と女の関係は感情と感情が寄せ合い、引き合い、触れ合うことで進展したり後退したりする。年齢の近さや遠さはあまり関係がない。佐々と杉子の関係は、佐々の年齢に近い私にとっては理想的に見えてしまう。こういうドライな関係もいいなぁとぼんやり空想してしまう。お馬鹿さんだ。
この小説世界に漂っているのは都会の暗鬱さ、陰鬱さ、鬱屈さだ。倦怠感といってもいいかもしれない。都会生活特有の孤独感みたいなものも感じられる。欲望を掻き立てられ、欲望を消費する高揚。そしてそのあと否応なくやってくる空虚。それをものの見事に照射しているように思える。ちなみに「夕暮族」というワードが当時(1966年)流行したそうです。 -
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吉行淳之介文学忌、淳之介忌
本棚に残っている吉行さんの文庫本の発行年からすると どうも20歳くらいの頃よく読んでたみたいです
まだ残してあったのは、好きだった記憶があったからなんだろうと思う
再読してみたけど 時代は移り 今となっては
さっぱりわからない
『砂の上の植物群』は、1950年代に文學界に連載された作品で、戦後の空気をまとった私小説風の語り。亡くなった父親の抑圧や複数の女性との関係を通じて、主人公の内面の空虚さが描かれているが、正直、何を描きたかったのかはっきりつかめず、誰にも感情移入はしない。
よそに子ども作る父親像も、当時の時代を映しているのかもしれない。1976年には土瓶さんの好きな日活ロマンポルノとして映画化されていて
いかにも原作になりそうな気配が漂う。
さてと処分します -
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7月26日 吉行淳之介文学忌、淳之介忌
1978年第31回野間文芸賞 受賞
1979年第35回日本芸術院賞 受賞
持っていた昭和の文庫とは装丁が変わってますから、まだ現役で販売されているようです
お姉さんな頃、何を思っていたか忘れたけど、吉行淳之介さんの作品が好きで何冊かまだ本棚に残してありますね
アンニュイでダウナーで欲情的で昭和的
若い女性と逢瀬を重ねる中年男
妻にはバレていない模様
若い女性は、最後さえ死守すれば、あとは欲望の赴くまま
行為の表現は具体的で扇状的
関係性と彼らの存在自体は、抽象的で不確か
昔はドキドキしたのかな
もうわからないわ -
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初期の13編を集めた短編集。前回読んだ『原色の街・驟雨』よりさらに著者の作品の振り幅の大きさが堪能できて良かった〜完全にハマりそう、全集にも手を伸ばしかねない。他者との距離感を定める過程で自己を確立していく人物の話が多かった印象。その隔たりは、XY軸だけでなく、Z軸にも及ぶ。立場が異なる男女が共に海に落ちる「原色の街」、現実世界を遠く見下ろし浮遊する「漂う部屋」と同様に、「童謡」の「「もう、高く跳ぶことはできないだろう」」や、「出口」の「彼は男も自分と同じ平面に立っていることに考えを向ける余裕が無かった。迂闊と言わなくてはならぬ……」とか。この辺もっと掘り下げたいなぁ。
「娼婦の部屋」表題作、 同じ平面にいた娼婦をいつしか下に見る男。色町から逃れられない理由があたかも全て女の側にあるような書き方が気に入らなかった。昔の職場で、風俗嬢の写真をネットで見ながら契約社員の誰それではないかと騒ぎ立てていた同僚達を思い出す。彼らのような人間こそが女の退路を断つのではないか。「寝台の舟」女学校の教師が男娼の下へと通う。感想は保留。「鳥獣虫魚」世界のありとあらゆるものが「変形と褪色をおこ」す中で、「人間の形をして、人間の顔をした一人の女」に出会う。しかし彼女の身体には欠損がありー。昔似たようなことを言っていた人を思い出す。珍しく「不変」を感じる一作だった。「漂う部屋」と併せて読むと感慨深い。「青い花」自殺未遂をした妻を一人残し、逃げるようにして青春時代を過ごした高原に迷い込む。そこでは死んだはずの女が生きていてー。自殺未遂の描写があまりにも鬼気迫っていて、ぜっっったい実体験に基づいてるだろ、と確信してしまった。介抱する面倒臭さが頭を擡げるところとかリアル過ぎる。あまりの凄まじさに二度読んだ。「海沿いの土地で」旅先で見たサーカス団員の関係性を押し当てる男二人。男男が登場しても、男女の話に終始する。「手毬」実演の客引きをしている元娼婦との思い出。短いながらも笑いと悲哀が詰まっている。「風景の中の関係」大好きな短編 「夏の休暇」の父親視点。完璧なまま終わって欲しかった作品に続編が出た時の苦しみにのたうち回った。しかも愛人視点の「島へ行く」もあるよう、読みたくないけど読みたい。「童謡」長期入院中の少年と彼を見舞いに来た友人。氏が描く子供は恐ろしく敏感で、聡い。「出口」密室に出口を見出す男と、鰻屋の兄妹。ゴシック風味の短編、とても好きなのでもっとこういう雰囲気の作品を読みたい。「花束」友人の死をダシに使う「しつこい」男。ありとあらゆる形の拒絶が描写されていて痛快。好き。「紫陽花」戦後の三角関係、身近な人の毒。そんなにピンと来なかった。「食卓の光景」高級中華店にて。物事が自分の身の丈に合っているかどうか、あまり考えたことがないのでこちらもピンと来ず。「不意の出来事」女のヒモであるヤクザに約束の金を用意しようとするが…。自尊心を守るためにいきなりアクセル踏み込んでて笑った、一人疾駆する男に対する気怠い女の対比が良い。
好きな作品を選ぶとすれば「童謡」「花束」か。巧みだと思ったのは「鳥獣虫魚」「青い花」「手毬」「出口」。 -
Posted by ブクログ
「原色の街」
色街に絡め取られた、人生の成り行きを紡ぎ出している。
客に受けられるという穏当な手段でも、心中未遂という一刀両断的な手段でもこの街から逃れられない。むしろ逃れたくない自分から逃れられない。デスティニ、運命はこうも決定づけるのか。
「驟雨」
色街の女に本気になっていく男の物語
サイコロ
→不完全を示し、二人の気持ちが交わりそうで交わらないことを仄めかす。
落葉
落ちるはずのない緑葉が、にわか雨のようにボトボト落ちていく。それは娼婦に心を寄せることなぞ考えもしなかった主人公を、葉になぞらえ、幹(正道)から落ちていく様を描く
茹でがに
散らばる茹でがには、娼婦への嫉妬を、ダイレクトに表現し、茹でられたカニさながら頭をかっかさせ、中身は白くフニャついてしまった模様を暗示する。
「薔薇販売人」
一輪のバラを、通りすがりの家に売りにいく話し。
薔薇の持つ“狂”的な艶かしさと、その粘着質な美に自ら溺れる心情を描く
「夏の休暇」
いい作品です。
父親に対する微妙な感情がよく掬い取られている。
尊敬、畏怖、味方、対抗
母を裏切ろうとする父を憎むことなくナチュラルに受けめようとする少年
「漂う部屋」
結核で入院している患者の病院内での出来事の話。読後妙ななごりが残る。
題材やレトリック、描写それほど技巧的に感じないけど、何故かスッキリしている。
灰色のストーリーに赤いスリッパと赤いスカートが虚しい彩りを添える -
Posted by ブクログ
面白かったです。
吉行淳之介は初めて読みましたが、文章が軽くて明るくてするする読めました。
時代の違いがあるので風俗や考え方は昔だなぁと思うところもあるのですが、今でもはっとするところもありました。
「生きているのに、汚れていないつもりならば、それは鈍感である」、これはしみじみします。
作家さんたちとの思い出も面白かったです。
「根岸の里の侘住い」「それにつけても金のほしさよ」…俳句を読めといきなり言われた時のために覚えておきます。
苛々することがあっても、これからは「気に入らぬ風もあろうに柳かな」と唱えればなんだか落ち着いていられそうです。 -
購入済み
絵画のような小説
本作は、『驟雨』など叙情的な短編の名手として知られる吉行淳之介の数少ない長編だが、詩や絵画を想わせる叙情的さは健在であり、主人公や、それを取り巻く女たちとの人間関係や心象風景にも、作者独特の、はかはさや繊細さを味わえる作品です。
一方、ロードムービーのような作品が多い作者にしては、本作にはオチもあるので、初めての吉行淳之介の作品の読者も満足のゆくことだろう。
ちなみに、『砂の上の植物群』も本作のような絵のような小説。