あらすじ
若い男女のパーティに、幾人かの中年男が招かれる。その一人佐々は会場で22歳の杉子をホテルへ誘う。処女だという彼女は、決して脚を開かせない代りに、オリーブオイルを滴らせた股間の交接、フェラチオ、クニリングスは少しも厭わない。こうして中年男と若い娘の奇妙な愛は展開していく。しかし事の結末は呆気なくおとずれる。人間の性の秘密を細密に描き上げた一幅の騙し絵(トロンプ・ルイ)。野間文芸賞受賞。
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夕暮れまで。澁澤龍彦の随筆に、とある画家のアレゴリーという作品を紹介するものがあって、それは婦女が浮かべた舟上に、人体大の白っぽい球が配置されている絵なのだが、球がなにがしかのアレゴリー(象徴)であるのは分かるが、しかし一体なんのアレゴリーなのか、全く分からない、という内容だった。具象性は高いのだが、どこまでも不透明。そうした本でした。一体、夕暮れまで、とは何を示す言葉なのか。乾いていて、繊細であり、大人の小説でした。やはり吉行淳之介作品は良いですね。
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30数年振りで再読。文庫本の版を見ていると大学入学後に買って読んだ様子。
当時、20歳ぐらいの自分としては、ちょっとエッチな小説と思って読んだような気がするが、まあまあおもしろいなと思うと同時に、若い女性と付き合うたぶん40代と思われる親父に対して、いい年して何やっとるねんとちょっと反発した気持ちがあったと思う。
それから年月は流れて、今やこの主人公よりあきらかに年上になってしまった訳だが、再読してこの小説の無駄を削ぎ落とした簡潔で美しい文章には感心した。主人公に対しては、かなり羨ましいと言うか、時代が変わったから今はそう簡単には行かんのちゃうのとか、そういう気持ちになった。
ただ、女性とのいろんな遣り取り(行動や言葉なんか)から、その状況や気持ちを男性側からではあるがよく表現されているところが、この小説のいいところではないかと思う。
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もっとも多く繰り返し読んだ一作(数十回も・・日課のように十日間毎日読んだこともある)。特に作家が好む作家(作品)であるように思われる。同業者として作家がこういう隅々神経の行きとどいた文章に魅せられ、その才能に惹かれるのはよくわかる。反面こういう文章(知性≒感性)はいまの時代にそぐわないものなのかも・・ちと寂しい気分。
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難しい‼本の厚みだけで云ったら薄っぺらいのに、濃厚な話しだった。解説に卑語が飛び交っていたもんで、どんな内容か不安だった為レビューを読んだらまぁ賛否両論!これはやっちまったかも…と思ったけど、あたしはドンピシャに好きな感じだった。文体もモヤーッとした2人の関係も描写も。杉子も遊びだったのかと思ったけれど、結局佐々と一緒になりたかったのねぇ…女ってねぇ……困ったもんだよねぇ…。
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主な登場人物は
22歳処女の杉子と、
現代的にいえばチョイ悪な中年の佐々。
ふたりのねじれた肉体関係。
印象に残ったのは、
杉子とのお食事中に、
佐々がレストランのテーブルに
外国のエロ写真をばさっと広げるところ。
「まあ、いやだわ…」
と恥ずかしがりながらも
エロ写真収集癖のある杉子は
思わずじっと見入ってしまう、
というシーン。
杉子の伏せたまつげやその目線、
赤く染まった耳やくちびるを見て
佐々はたまらなかっただろうなと思う。
全体にただよう、
とらえどころなく薄気味悪く
ねっとり、ぬらりと
粘度の高い、濃密ないやらしさ。
こういうの、好き。
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乾いた文体で濃密な男女の関係を描いている。男と女の関係は感情と感情が寄せ合い、引き合い、触れ合うことで進展したり後退したりする。年齢の近さや遠さはあまり関係がない。佐々と杉子の関係は、佐々の年齢に近い私にとっては理想的に見えてしまう。こういうドライな関係もいいなぁとぼんやり空想してしまう。お馬鹿さんだ。
この小説世界に漂っているのは都会の暗鬱さ、陰鬱さ、鬱屈さだ。倦怠感といってもいいかもしれない。都会生活特有の孤独感みたいなものも感じられる。欲望を掻き立てられ、欲望を消費する高揚。そしてそのあと否応なくやってくる空虚。それをものの見事に照射しているように思える。ちなみに「夕暮族」というワードが当時(1966年)流行したそうです。
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7月26日 吉行淳之介文学忌、淳之介忌
1978年第31回野間文芸賞 受賞
1979年第35回日本芸術院賞 受賞
持っていた昭和の文庫とは装丁が変わってますから、まだ現役で販売されているようです
お姉さんな頃、何を思っていたか忘れたけど、吉行淳之介さんの作品が好きで何冊かまだ本棚に残してありますね
アンニュイでダウナーで欲情的で昭和的
若い女性と逢瀬を重ねる中年男
妻にはバレていない模様
若い女性は、最後さえ死守すれば、あとは欲望の赴くまま
行為の表現は具体的で扇状的
関係性と彼らの存在自体は、抽象的で不確か
昔はドキドキしたのかな
もうわからないわ
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伊藤裕作によれば本書の影響を受けた風俗店に愛人バンクやデリヘルがあるらしい。納得。主人公の中年は女子大生の素股とフェラチオとクンニを満喫する。デリヘル嬢を半日予約してたら警察にたまたま尋問され免許忘れて妻子にバレないか心配するとかしょうもない話。
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中年男で妻子あり
なのに遊び人で、若い女といくつもの関係を持っている
そんなやつとの恋愛が、遊びでないわけがない
だから本番行為なし
でもそれ以外なら何でも許しちゃう
そんな娘
処女だと言っている
しかし本当に処女なのだろうか?中年男は疑わしく思うのだった
そんなことにこだわっても仕方がないけれど
なんかからかわれてるみたいだし
若い男の影を見て、嫉妬の気持ちもわいてくる
でも本番行為なし
させてもらえない
まあがっついても仕方がないんだけど
遊んでやってるつもりが、遊ばれてるような気分になってくる
そんなふうに思うということは
遊びじゃなくて、ほんとうは深い関係になりたいのか?
それとも女の面倒な部分に関わりたくないだけなのか
いずれにしても、これではまるで悪い中年男みたいじゃないか
そのとおりだが
じゃあそれをもてあそぶ女は悪くないのか
悪いんじゃないのか
それとも
もてあそんでなんかない真剣な恋だとでも言うつもりか
よくわからない
わからない話なんである
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セックス以外の性行為を中年男に許す処女について話が進む。オリーブオイルでの素股など性的に技巧を持つ処女というのも悪くないが、これといったとらえどころが表現しようがない作品である。
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あんにゅい。
変なおっさんと、尻軽女(処女―それ以外はなんでもする)のお話。
何も起こらない。いや、正確にいうと途中で女が処女じゃなくなるんだけども、それは話のなかえではどうでもいいことらしい。あっさり描写、てか、見逃したくらいだ。
それにつけても、作者は男である。
この一つも素敵なところのない男と不倫までして恋する必要性が一切感じられない。女の書く不倫小説に出てくる不倫男の多くは魅力的である。こいつなら、しゃーねーな、と思わせる男である。でも、この遊び人の描いた男には一抹の魅力も感じられないからこそ、この小説の意味があるように感じた。
つまり、何も起こらない。ということ。
昭和の香りがこの作品に魅力を与えている。これが、現代だったら…援助交際ものか?
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技巧的な恋愛だな――というのが、第一印象。主人公の佐々さんは、腹立たしいくらい安定しているように見える。飄々と不倫するの。もうちょっと翻弄させてやりたい反面、この手の男性が魅力的に映るあたり、私もクチバシが黄色いよなあ、って。
そんなふうに、主人公はノンシャランな男性っぽく私の目には映るけど、男性の読者がこの小説を見て、佐々さんが翻弄されてるだとか不安定な部分あるだとか、垣間見えたりするのかな。そして、22歳で処女の杉子がどう見えるんだろう。女性経験豊富な大人の男性にぜひ問いたいところ。
だって、私はどうしても杉子目線で読んでしまいます。
佐々さんじゃないと杉子の相手が務まらない感は、ある。でも、杉子じゃないと佐々さんの相手が務まらないっていう雰囲気は感じ取れなくて、それが非常にもどかしい。
結局のところ、杉子では佐々さんに脅威を与えることができない。できていない。ただ、杉子もいろいろと技巧的ではあると思うんだ。でも、それが見えないところが、とても良いと感じた。
Posted by ブクログ
自分の人生と“処女”の扱いに戸惑う22歳の杉子に対して、中年男の佐々の怖れと好奇心が揺れる。二人の奇妙な肉体関係を描き出す。第31回 野間文芸賞