三浦英之のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
読書記録49.
#涙にも国籍はあるのでしょうか
#三浦英之 著
東北在住、震災のルポルタージュを書かれている朝日新聞記者三浦英之氏
初めて氏のルポルタージュを読んだのは『太陽の子』
経済成長期に資源を求めアフリカ コンゴでの鉱山開発の後に残された子供に纏わるルポに関心を持った
最新作は東日本大地震で亡くなられた外国籍の方々の生きた証と共に彼らの死が残された人々に何を残したかを辿る一冊
本が好き、日本文化が好きで石巻の外国語指導助手として赴任した女性とその家族の序章に始まり、最終章「本棚のピエタ」に繋がる展開
本を閉じるまでに何度涙が流れただろうか
人は何のために生きるのか?著者の思う生きる意味とは
-
Posted by ブクログ
東北在住で数々の震災のルポを書いている三浦英之さんの最新刊。
ページの冒頭には、事実ーこの国はまだ東日本大震災における外国人の犠牲者数を知らない。
この言葉が何を意味するのか…
つまり厚生労働省が公表している41人と警察庁が把握している33人という異なる数字に復興庁の回答は「どちらも正しい」。
これは、外国人の大切な命が失われているのにもかかわらず、それを正確に把握しようともせず、結果、弔ってもいないことに彼らが残した「生」の物語をたどったルポである。
「日米の架け橋に」と夢を語った女性の思い。
テイラー文庫のことを、本棚を制作した遠藤さんのこともこの本を読み知ることになった。
大好きな日本で過ごす喜びを母国の恩師に伝えた青年のことも。
世のためにつくした人の一生ほど、美しいものはない
彼らのことを知ったあと、震災の悲惨さを改めて感じた。
国籍は関係なく涙する
-
Posted by ブクログ
「事実 ー この国はまだ東日本大震災における外国人の犠牲者数を知らない。」
このような一文から始まるこのルポルタージュ。東北で暮らし、東日本大震災に関して取材し続けてきた記者・三浦秀之さんが書いたものである。
三浦さんは、ある日取材で知り合ったモンゴル人青年との話のなかである事実を知る。それは「東日本大震災での外国人の犠牲者数を誰も把握していない」ということだった。そのことをきっかけとして、三浦さんは震災で亡くなった外国人の方々に関して残された人々を取材していく。
そういえば、私自身も東日本大震災以降、日本人で被災された方が取材されたものをTVや新聞等で見たが、外国人の方の被害というものはあまり見聞きした覚えがなかった。本書のなかで「震災で亡くなった白人のアメリカ人女性の死は毎年大きく報道される」とされた"テイラー文庫"のテイラー・アンダーソンさんに関しても、恥ずかしながらこの本を読んで初めて知った。
日本にはさまざまな外国人の方々が住んでいるし、旅行等短期滞在で日本を訪れて命までは落とさなくても震災の被害にあわれた方もいたかもしれない。そうしたときの涙や悲しみというものは、人種や性別、国籍にとらわれるものではないと色々と考えさせられた一冊だった。
津波で妹のようにかわいがっていた同胞の女性を失った、フィリピン人女性・アメリアさんが取材で三浦さんに語りかけた「涙にも国籍があるのかしらね」という言葉。
そこに込められた一言では言い尽くせないであろう深い思いを考えると、グッとくる。
-
Posted by ブクログ
東日本大震災から12年…未だに住民が「帰れない村」、旧津島村…。福島第一原発からは20~30km離れた山間に位置していたため、地震と津波の被害から逃れるための避難所として住民が押し寄せた…。その後福島第一原発事故が発生、放射能は風に運ばれ雪雨となり現地に降り注がれることになる…。避難をしていた被災者と現地の住民にその事実が知らされたのは翌日のことだった…。その日から今日まで「帰れない村」は、許可なく立ち入ることは住民でもできない…。
かつての旧津島村は、豊かな自然に囲まれご近所との顔の見える関係があったため、住民のふるさとに寄せる思いは強い…なぜ、自分たちの土地が?なぜ、自分たちが住み慣れたこの地を去らなければならないのか…せめて、もっと早く放射能汚染が迫っている情報が入ってきていれば…。住民たちの、やり場のない思い、葛藤、諦め…、そんな住民たちの今を取材と写真によってひとつずつ紡ぎ出したのが本作品です。
「白い土地」を読んだ後で本作を読めたのもよかったと思います。そして、本作の写真は表紙以外すべてモノクロなのですが、猫丸さんのレビュー中のURLをクリックするとカラーでも見られます!!猫丸さんありがとうございます。そして一部本作品に掲載されてなかった写真も見られたりもします(表紙のチヨおばあちゃん、「希望は捨てない」と自筆で書かれたボードを持って穏やかな表情をみせていました)。震災から12年経ち、地震や津波の被害を受けた地域は復興したけれど、福島第一原発事故による放射能汚染の被害地域の時は止まったままです。ここまで4冊三浦英之さんの作品を読みましたが、この4冊はいつでも手の届く場所に置き、読み返すことで忘れないでいようと強く感じました。 -
Posted by ブクログ
東日本大震災の翌日に被災地入りし、その後南三陸町に駐在しコラムとして1年間被災地の現状を発信続けた「南三陸日記」は素晴らしい作品でした!涙腺緩みっぱなしで…でもただ悲しく切ないだけでなく、被災した皆さんの生きる強さや人々の絆を描いた感動作でもありました。
もうひとつの「南三陸日記」とあるように、その頃、筆者がどんなことを感じ、どう行動したのかを、筆者の言葉で回想し綴ったこの作品もまた素晴らしいです。ジャーナリストとして被災地の現状をそのまま伝えたいと思いはあっても、それは被災した人々を苦しめることになり得ないか…日々葛藤し、自身も体調を崩され苦しい思いをされたこともあったことも赤裸々に描かれています。「南三陸日記」とリンクしている場面も結構あります。
心に残ったのは、筆者と同時期に被災地の取材を通して交流のあった、巻頭に記された「渡辺龍に捧ぐ」の、渡辺龍氏が最期に撮影した写真、「未来へ 笑顔の5歳」…復興工事の進む被災地を、園児二人がまるでスキップするかのように楽しげに手をつないで…本当にいい笑顔なんです!!ジャーナリズムの本懐ってこういう作品を世に知らしめることなんだと、私は感じました。この写真、この作品にカラーで掲載されているので多くの方にこの写真だけでも見てもらいたいなぁ~そう思わずにいられませんでした。 -
Posted by ブクログ
2022年150冊目。
日テレの人気番組「DASH村」があることで知られた福島県浪江町津島地区の震災後の様子を綴ったルポ。
浪江町の中心部が少し前に帰宅解除となったが、山間部にある津島地区は未だ除染が行われず、帰宅困難地域となっている。
住んでいた住民は住み慣れた土地を離れ、散り散りになり、震災後亡くなる方も年々増えていると言う。
浪江町は縁ある土地であり、番組で秘匿されている時からDASH村の存在は知っていた。
地元の人たちは番組出演者やスタッフ達と良好なコミュニケーションを取り、テレビ画面から伝わってくる以上にDASH村を愛していたと思う。
それが原発事故と言う未曽有の事故により、ある日突然奪われた日常。
DASH村は隣町である葛尾村に場所を移し、米作りを再開したが、津島地区は2011年3月11日で時間が止まったまま。
政府も除染作業を行う予定がないとのことを、この作品で知った。
そして、津島地区はシベリア抑留から引き揚げて来た後、住んでいる人が多いことも。
戦争で一度土地を奪われ、原発事故でまた土地を奪われ、見知らぬ土地で終える命。
今も津島地区に帰ることを諦めない人たちにも、心を揺さぶられた。
普通に暮らしている自分に今出来ることは何なのだろう?
何年経っても忘れない。
常磐道を通る度に、戻れない人たちに思いを寄せる。
それが何になるのだろう?
答えが見つからない。
そんなもどかしい思いだけが残った。 -
Posted by ブクログ
突然、故郷を捨てなければならなくなった方たち。
原発近くに住む人たちのため、避難所に選んだ村はいつもなら風向きで被害に遭わないはずなのに。
なぜか、その時だけ風向きが違い、放射能が吹き付けてしまった。
避難所の外で炊き出しをしてたら、防護服に身を包んだ人たちが来て「何をしているんだ!建物の中に入れ」と。
え?どーして、放射線量が大変だと教えてくれなかったんだろーか。
子どもたちも、外でお手伝いをしていて。
頑張ってと声をかけてしまってた…
そんなこと知ってたら、違うとこに避難してたとか
いろいろな後悔が出てくる。
そんな人たちの思い。
帰れるように除染してから、村を返さなきゃいけないと思うが。除染作業をしなくても避難指示を解除できる…
大丈夫なのか??
あれから、11年なのか
まだ、11年なのか