三浦英之氏は、1974年神奈川県生まれの新聞記者・ルポライター。京大大学院を卒業後、朝日新聞社に入社し、国内外の社会問題や紛争地・災害現場などを精力的に取材してきた。『五色の虹』で開高健ノンフィクション賞(2015年)、『牙』で小学館ノンフィクション大賞(2018年)、『帰れない村』でLINEジャーナリズム賞(2021年)、『太陽の子』で新潮ドキュメント賞と山本美香記念国際ジャーナリスト賞(いずれも2023年)等、受賞歴多数。
本書は、2011年3月に発生した東日本大震災の直後に、1年間宮城県南三陸町に駐在した著者が、その時の取材体験を書き綴った、回想録的なルポルタージュである。2021年に出版、2024年に文庫化。尚、駐在当時にリアルタイムで朝日新聞に連載された記事をまとめたものは、『南三陸日記』として2012年に出版、2019年に文庫化されている。
私は、暫く前に『南三陸日記』も(福島第一原発事故を扱った『帰れない村』も)読んでいるが、本書を読みながら、改めてあの震災のもたらしたものを感じるとともに、著者が冒頭で書いている「人を殺すのは「災害」ではない。いつだって「忘却」なのだ」ということを再認識した。
だが、その一方で強く感じたことは、著者がこの本を発表した動機はもう一つある(というか、むしろこちらが主だったのかもしれない)ということで、それは「ジャーナリズムとは何か?どうあるべきか?」という問いへの著者としてのひとつの答である。著者は、震災直後の被災現場で、被災者や救援者にカメラを向けることを躊躇し、各メディアの震災取材の記事を読んで、しばしば、中央のエース級といわれる記者が書いたものよりも、地方の目立たない記者が書いたものの方に強く惹かれ、震災から1ヶ月後に戻った東京で、震災前と変わらない日常に苦痛を感じる経験をした。そして、1年間の南三陸駐在の後に、社内留学生として派遣された米コロンビア大学のジャーナリズムの授業で、「ジャーナリズムとは何か?」という問題提起をする。そこで著者は、仲間からは冷やかしや笑いを受け、担当教官には「君は多分にジャーナリズムというものを勘違いしていないだろうか。」と言われながらも、こう主張するのだ。。。目の前で助けを求めている人を救わずに、報道を優先することがジャーナリズムなのだとしたら、この世にジャーナリズムが存在する価値などあるのだろうかと。
私は、朝晩のTVでの国際報道・ニュースは可能な限り見、真っ当な信念に基づいて危険地域を取材するジャーナリストを肯定し、自らフリーかつ一人でエルサレムやヨルダン川西岸を訪問したこともあり、ジャーナリズムには高い関心を持っている。当然ながら、ルポルタージュ、ノンフィクションといわれるジャンルの本は数多読んできて、その中でも著者の作品は心に訴えるものがあるのだが、それはきっと、著者が常にジャーナリズムとは何かと問い続け、真摯な姿勢を失わないからなのだろう。
著者の未読の作品もぜひ読んでみたいと思う。
(2025年11月了)