あらすじ
震災から12年、東北を取材し続けてきたルポライターが初めて知った事実。それは「東日本大震災での外国人の犠牲者数を誰も把握していない」ということ。彼らは東北の地でどのように生きたのか。現地を訪ね歩き、出会ったのは「あの人の面影が、今も自分を生かしてくれている」という実感を胸に凛と生きる人々だった。
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Posted by ブクログ
本棚のピエタに感情が溢れた。意味などなくても生きていく。あの人の面影が今も自分を生かしてくれている。そこには国籍は全く関係ない。人種や国籍は関係なく、人として敬われ大切にされる国になるといいと思った。
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アジアからの移住者など、スポットが当たらないことが多い外国人被災者をテーマに、東日本大震災で耐えられないような現実や悲しみを背負ってしまった人々を取材した本書。
悲しみがやってきて辛くなる前に記者として聞くことを聞く、一晩たって涙を流す、というような記述がある。そういった取材を通じて、人は何のために生きるのかという著者の命題の答えにも近づく。
「南三陸日記」同様、涙なくしては読めない。そして泣いて忘れてしまってはいけないと思った。
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どの章でも、改行されて『2011年3月11日』と書かれたところに差し掛かると身体がぐっと強張る。
あの日、それぞれの方に降りかかった境遇がいかに悽愴か。
しかも彼らがあの日あの場にいることになるまでのストーリーが前述されているからこそ余計に苛烈で。
第四章にて、筆者が東日本大震災における外国人犠牲者を取材する理由が述べられており、そこからはもうページを捲る手のスピードが倍速となった。
もともと筆者の取材理由が気になっていた。
わかった途端、マイノリティ人種として海外在住経験がある者としての想いがぶわっと溢れ、私なりに知ることで弔いたくなった。
統計上正式に公表されていない彼らに日本人として敬意と謝意を表したくなった。
最終章は落涙しながら読んだ。
グリーフケアは、病院ではなくあらゆる生活の場で名を冠せず、昼夜問わず、行われているのかもしれない。
自然発生的に当事者自身が気づきや救いを見出す形で自身をケアするパターンもあるように思えた。
生きる意味や、死んだ意味を、遺された者は自問自答しつつ日々を営んでいる。
時に死んだように生き、時に生きながら死を願い、死んだ者の想いに必死に応えようと日々を営む。
その手探りの日々の中で、出会いや気づきを通して少しずつリカバリーしていく。
単純な経年変化ではない故人への気持ちの変化。
それは人間誰しも同じで、国籍は関係ない。
生きるってなんだろう。
ただ、生きている以上生きるしかないのかもしれない。
筆者の『生きる意味など存在しない』という言葉が、ずんと胸に響く。
"与えられた「命」をまっとうするために「生きているのだ」"。
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人に生きる意味など存在しない
我々はただ与えられた「命」をまっとうするために「生きている」のだ
東日本大震災における外国人の方々の犠牲者を追ったルポタージュ
私は、その多くの犠牲になった方々に、思いを巡らせたことがなかった。
三浦英之さんの、丁寧で愛情深く、圧倒されるその度重なる日々の取材によって、今になって、ようやく知ることができました。
すべて、深く心に残る文章でしたが、最後の章の「本棚のピエタ」は、更に深く深く哀しみと光ともに胸に残るものになりました。
ヒボさんの本棚から辿り着き、この1冊と出会えて感謝です。ありがとうございました。
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10冊目の三浦英之には題名からも中身からも人間三浦英之の抒情的な表現に泣かされた。ノンフィクションでありながら同時に良質な小説でもあるという気持ちが湧き上がる。これまでの本でも感じていたことであるのだが今回は格別だ。
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読書記録49.
#涙にも国籍はあるのでしょうか
#三浦英之 著
東北在住、震災のルポルタージュを書かれている朝日新聞記者三浦英之氏
初めて氏のルポルタージュを読んだのは『太陽の子』
経済成長期に資源を求めアフリカ コンゴでの鉱山開発の後に残された子供に纏わるルポに関心を持った
最新作は東日本大地震で亡くなられた外国籍の方々の生きた証と共に彼らの死が残された人々に何を残したかを辿る一冊
本が好き、日本文化が好きで石巻の外国語指導助手として赴任した女性とその家族の序章に始まり、最終章「本棚のピエタ」に繋がる展開
本を閉じるまでに何度涙が流れただろうか
人は何のために生きるのか?著者の思う生きる意味とは
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東北在住で数々の震災のルポを書いている三浦英之さんの最新刊。
ページの冒頭には、事実ーこの国はまだ東日本大震災における外国人の犠牲者数を知らない。
この言葉が何を意味するのか…
つまり厚生労働省が公表している41人と警察庁が把握している33人という異なる数字に復興庁の回答は「どちらも正しい」。
これは、外国人の大切な命が失われているのにもかかわらず、それを正確に把握しようともせず、結果、弔ってもいないことに彼らが残した「生」の物語をたどったルポである。
「日米の架け橋に」と夢を語った女性の思い。
テイラー文庫のことを、本棚を制作した遠藤さんのこともこの本を読み知ることになった。
大好きな日本で過ごす喜びを母国の恩師に伝えた青年のことも。
世のためにつくした人の一生ほど、美しいものはない
彼らのことを知ったあと、震災の悲惨さを改めて感じた。
国籍は関係なく涙する
Posted by ブクログ
「事実 ー この国はまだ東日本大震災における外国人の犠牲者数を知らない。」
このような一文から始まるこのルポルタージュ。東北で暮らし、東日本大震災に関して取材し続けてきた記者・三浦秀之さんが書いたものである。
三浦さんは、ある日取材で知り合ったモンゴル人青年との話のなかである事実を知る。それは「東日本大震災での外国人の犠牲者数を誰も把握していない」ということだった。そのことをきっかけとして、三浦さんは震災で亡くなった外国人の方々に関して残された人々を取材していく。
そういえば、私自身も東日本大震災以降、日本人で被災された方が取材されたものをTVや新聞等で見たが、外国人の方の被害というものはあまり見聞きした覚えがなかった。本書のなかで「震災で亡くなった白人のアメリカ人女性の死は毎年大きく報道される」とされた"テイラー文庫"のテイラー・アンダーソンさんに関しても、恥ずかしながらこの本を読んで初めて知った。
日本にはさまざまな外国人の方々が住んでいるし、旅行等短期滞在で日本を訪れて命までは落とさなくても震災の被害にあわれた方もいたかもしれない。そうしたときの涙や悲しみというものは、人種や性別、国籍にとらわれるものではないと色々と考えさせられた一冊だった。
津波で妹のようにかわいがっていた同胞の女性を失った、フィリピン人女性・アメリアさんが取材で三浦さんに語りかけた「涙にも国籍があるのかしらね」という言葉。
そこに込められた一言では言い尽くせないであろう深い思いを考えると、グッとくる。
Posted by ブクログ
今年からノンフィクションにチャレンジ。
ノンフィクションにも色々あるらしいが、新聞ではあまり記事にされないテーマを書いてたりするらしい。
著者の三浦英之さんはbook系YouTuberのある方がお勧めされていて、興味本位で購入。評価は読み慣れてない事もあり、結構曖昧。。
Posted by ブクログ
東日本大地震から14年。全体の犠牲者の数は把握していたが、その内外国人の犠牲者の数や実態についてはまったく意識を向けたことがなかった。
この本を手に取り、震災後の彼らの生活や想いを知り、この国の冷たさと温かさの両方を感じました。
Posted by ブクログ
ある一人のフィリピン人女性が発した、何と悲痛なタイトルの言葉でしょうか。ふと海外での事件・事故のTV報道を思い浮かべてしまいました。
ニュースの最後、「なお、犠牲者に日本人は含まれていない模様です…」 邦人の安否を家族に伝えるメディアの役割も分かりますが、どうしても閉鎖的な同族意識、命の重さの軽重を感じてしまうのです。
被災地で記事を書き続ける三浦英之さんが、震災から10年以上過ぎて知り得た事実…震災による外国人犠牲者数が厚生労働省と警察庁で違い、正確に把握されていない! 三浦さんは、ここから辿って彼らが残した「生」の物語を丹念に紡ぎます。
犠牲となった外国人8名の関係者が語る悲痛な証言。そして日本人木工職人。三浦さんは、これらの事実を単なる悲話や美談で終わらせません。
彼らが生きた時間が決して暗いものではなく、彼らの「生」が今につながり、意味をもつものとして描かれています。亡くなった彼らを哀しんでいるのは同胞だけではなく、地元の仲間として関わっていた多くの人たちも同じなのでした。
どんなに被災地の復興が進んでも、記憶の風化への対策に工夫が欠かせません。何よりも、外国人犠牲者については、「風化」以前に「無知」でした。
異国の地で生きた一人一人の物語を、私たちに知らしめてくれた三浦さんの価値ある一冊でした。
Posted by ブクログ
『事実ーこの国はまだ東日本大震災における外国人の犠牲者数を知らない。』
そんなことがあるのかと…正直思いました。だけど、私が心を動かされたのは、犠牲者数を把握できていないことではなく、ひとりひとりに生活があり大事なもの、大事な人がいて…それが、突然失われ、それでも生きていかなければならない人々の悲しみ、苦しみ、それでも見出したささやかな希望のような思いです。
全てを失ってしまった中国人青年に現在も「お前は一人じゃないんだぞ」と伝え続ける先輩職人、大人が無理しないと子どもたちを守れないと教壇に立つ教師たち…。日本人だから、外国人だから…ということでは決してないんです。
発災後に赴任していた教会に向かい翌日に命を落とした牧師…牧師はなぜ戻ることにしたのか、先日テレビで観た覚えがありました。この作品を読んで、それは牧師の“強い責任感”故の行動だったのだと思えました。そしてそこには後日談もあり、その教会に大きな被害はなくボランティアの拠点となり牧師の車は支援活動ののち、被災者さんへ寄贈されました。牧師の葬儀には、教会の属するキリスト教徒に加え、教誨師の活動を共にした仏教の僧侶も多数参列があり教会に念仏が響いたそうです。また、犠牲者の火葬にも宗派を越えて、一日も欠かさず弔い続ける活動もあったとのことです。「人々を救うために連携すること」を最期に教えてくれたのだと…。
あと、女川町に行ってみたいと思いましたね!女川町では防潮堤を築くのではなく、町内に緩やかな斜面を築いて、その高低差によって市民の命を津波から守る「海の見える町」を築いたと…知りませんでした!
最後に、三浦さんの著書「南三陸日記」を読んだからこそ、今回の取材に応じることを了承したという方がおられたのも印象的でした。私も「南三陸日記」を読んで涙した読者なので、ちょっと嬉しく思いました。
Posted by ブクログ
外国人被災者の話で辛い点も多かったが、一部の外国人は日本人として紛れ込んでいるケースがあって実態不明だったり、被災で家族を失い在留申請が通らなかったりで、なんともおかしな状況の日本という国にも疑問をもった。ただ、震災により人生を狂わされた人が多くいたことは確かだ。