三浦英之のレビュー一覧
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県民が知らない岩手がそこにあった。
この本を初めて読んだとき、あまりにもずるくて悔しい思いを感じた。
県民として当たり前のこと、知らなかったこと、うっすら知っていたことを補強されたこと、そしてそれらが外部からの(県外からの)承認が起こったこと。
ここに書いてあることを全て知っていたという岩手県民はどれくらいいるのだろうか。そんな生き字引だけではない、実際に現地に赴いて自らの足で書き上げた文章は尊い。
私自信、岩手出身ながら労働の都合で都会へ出て、現在Uターンで戻ってきていることを思うと、以前よりも俯瞰して地元を受け止められるようになっていたということはあると思う。そんな時分にこの本が出版され、それを読むことができて本当に良かった。ありがとう作者。ありがとう出版社。ありがとう取次。ありがとう東山堂書店。 -
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読みはじめて一気に最後までいってしまった。
著者の生身での取材によるアフリカゾウ密猟の実態が描かれている。
そもそもアフリカやアフリカゾウについても知識がなかったが、その辺りも補完しつつ書かれているので読みやすい。
ゾウの密猟、と一言に言っても普段馴染みのない人には想像がつかない世界だ。
あまりにも惨い殺し方、牙を得るためだけに殺されてしまう象がいる事実に胸が苦しくなる。
そして密猟によって得られた牙がどのようなルートで国外に出ていくのか、その売上がどんな資金になるのか、国ぐるみの組織的な構造、社会的な構造を知るにつれ、頭を抱えてしまう。
日本も、私たちも他人事にではないのがアフリカにおける密猟問題だった。
とりあえず言えることは、象牙の印鑑はもう必要ないのでは?ということだ。 -
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岩手で生まれ育ち、現在も岩手で暮らしている私からすると、なんとも気恥ずかしいタイトルである。なにか他の四十六都道府県の皆様に申し訳ないような気もする。いずれも岩手に負けない魅力があると思う。
著者は、ルポライターで朝日新聞の記者であり、著作もいくつか読んでいる。現在は、盛岡総局に勤務しており、紙面で署名記事を見かける。本書は、朝日新聞のWebメディア<withnews>に連載されたものに加筆修正し、さらに書下ろしを加えたものである。見開きページにエッセイと写真が1頁づつのレイアウトとなってる。岩手県だけでなく、ただし隣県に関するものも含まれている。
なにしろ岩手県は広いので、東京には日帰りできるのに県内でも日帰りがキツイところもまだある(私は県南部在住)。いまだ訪れたことないところも多々ある。そうしたとことろも紹介されていて、非常にうれしい。特に昨年、陸前高田市博物館で開催された特別展「陸前高田のオシラサマはいま」は、つれ合いと一緒に見ました。知らないことが多かったので、とても興味深かった。
三浦さんは、できれば残りの人生を岩手で送りたいと願っているとのこと。元NHKアナウンサーの上原康樹氏も、左遷同様に赴任した岩手の風土に魅せられ、岩手を終の棲家と定めたそうです。歓迎しますよ。 -
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日本人を父に持つ子供たちが1970-80年代にアフリカに取り残された。金属資源を探査するために押し寄せた日本人単身者は現地では幸せな家族を持った。しかし単身で帰国することが前提だったのかもしれない。
父の記憶がない(ほとんどない)子たちは、父に焦がれて会いたいと明るく願う、太陽の子。その子たちの現地の生活を支援する日本人や、そして彼らを取材する記者の生き方も強くて尊い光。
一方で、日本に帰った父には日本の家族が今は(昔も)ある。触れたくない過去なのだろう。
記者がどこまで追求するのが正義なのか・・・。闇のままにしておくのか、答えはないだろうけど、「太陽の子」は存在する。
記者という仕事は取材対象の人に「深く長く」接して事実を明らかにしていくんですね。感情移入もあるだろうけど、それを情熱にして、でも冷静さを失わず真実に迫っていく。周囲(社内)とも戦いながら、面倒くさいなあ。
別の著者だが記者が書いた本(日本銀行の真実)も思い出した。
面倒くさい、と言えば、空気や常識にとらわれない「面倒くさいジジイ」について、「65歳、いまが楽園」という本も思い出した。 -
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三浦英之氏は、1974年神奈川県生まれの新聞記者・ルポライター。京大大学院を卒業後、朝日新聞社に入社し、国内外の社会問題や紛争地・災害現場などを精力的に取材してきた。『五色の虹』で開高健ノンフィクション賞(2015年)、『牙』で小学館ノンフィクション大賞(2018年)、『帰れない村』でLINEジャーナリズム賞(2021年)、『太陽の子』で新潮ドキュメント賞と山本美香記念国際ジャーナリスト賞(いずれも2023年)等、受賞歴多数。
本書は、2011年3月に発生した東日本大震災の直後に、1年間宮城県南三陸町に駐在した著者が、その時の取材体験を書き綴った、回想録的なルポルタージュである。2021年に出版、2024年に文庫化。尚、駐在当時にリアルタイムで朝日新聞に連載された記事をまとめたものは、『南三陸日記』として2012年に出版、2019年に文庫化されている。
私は、暫く前に『南三陸日記』も(福島第一原発事故を扱った『帰れない村』も)読んでいるが、本書を読みながら、改めてあの震災のもたらしたものを感じるとともに、著者が冒頭で書いている「人を殺すのは「災害」ではない。いつだって「忘却」なのだ」ということを再認識した。
だが、その一方で強く感じたことは、著者がこの本を発表した動機はもう一つある(というか、むしろこちらが主だったのかもしれない)ということで、それは「ジャーナリズムとは何か?どうあるべきか?」という問いへの著者としてのひとつの答である。著者は、震災直後の被災現場で、被災者や救援者にカメラを向けることを躊躇し、各メディアの震災取材の記事を読んで、しばしば、中央のエース級といわれる記者が書いたものよりも、地方の目立たない記者が書いたものの方に強く惹かれ、震災から1ヶ月後に戻った東京で、震災前と変わらない日常に苦痛を感じる経験をした。そして、1年間の南三陸駐在の後に、社内留学生として派遣された米コロンビア大学のジャーナリズムの授業で、「ジャーナリズムとは何か?」という問題提起をする。そこで著者は、仲間からは冷やかしや笑いを受け、担当教官には「君は多分にジャーナリズムというものを勘違いしていないだろうか。」と言われながらも、こう主張するのだ。。。目の前で助けを求めている人を救わずに、報道を優先することがジャーナリズムなのだとしたら、この世にジャーナリズムが存在する価値などあるのだろうかと。
私は、朝晩のTVでの国際報道・ニュースは可能な限り見、真っ当な信念に基づいて危険地域を取材するジャーナリストを肯定し、自らフリーかつ一人でエルサレムやヨルダン川西岸を訪問したこともあり、ジャーナリズムには高い関心を持っている。当然ながら、ルポルタージュ、ノンフィクションといわれるジャンルの本は数多読んできて、その中でも著者の作品は心に訴えるものがあるのだが、それはきっと、著者が常にジャーナリズムとは何かと問い続け、真摯な姿勢を失わないからなのだろう。
著者の未読の作品もぜひ読んでみたいと思う。
(2025年11月了) -
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特派員としてアフリカに駐在した筆者の取材記録から作成された内容。2017年までの内容で少し時間は経過しているが、非常に良かった。
ルワンダの虐殺に関する記事などは、生々しかったが、綺麗事ではない現実を、全然違う環境にいる人達に伝えるジャーナリズムは素晴らしく尊いなと感動した。
最近、アフリカの人口増加が大きく、ビジネス先としてアフリカの話題が増えている。米中対立で、半導体資源の争奪が起きている。万博でアフリカの国のコーナーに行くと商社マンらしき日本人が現地から来た人らしき人に熱心にビジネス?の話をしている光景をみた。自分は、安易にアフリカをビジネスの市場や供給元としか考えるようなことがないようにしたい。 -
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二〇一六年三月、著者のもとに不可解なメッセージが届いた。フランスのニュースチャンネルのリンクが貼られるとともにそこに書かれていたのは、日本企業の鉱山開発に伴い、一〇〇〇人以上の日本人男性がコンゴに赴任した一九七〇年代、コンゴで生まれた日本人の子どもたちを、日本人医師と看護師が毒殺された、という内容だった。信じがたいニュースの〈疑惑〉について調べるうちに、著者はコンゴにおける日本人残留児の問題と関わるようになっていく。
〈疑惑〉の真相以上に、そこに息づいている人々の声を拾い上げ、伝えようとする。真摯な想いに貫かれた一冊だと感じました。作中、〈「人を信じるな」と発する人間の言葉を信じない〉という文章が出てくるのですが、それが簡単なことではないと分かった上で、言葉の節々に人間に対する強い信頼を置いている、と感じられるのが心強かったです。もっと広く、多くのひとに読まれて欲しいノンフィクションです。 -
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2016年に著者のtwitterに次のようなメッセージが投稿された。
<朝日新聞では、1970年代コンゴでの日本企業の鉱山開発に伴い1000人以上の日本人男性が現地に赴任し、そこで生まれた日本人の子どもを、日本人医師と看護師が毒殺したことを報道したことがありますか?>
著者は当時、朝日新聞のアフリカ特派員として南アのヨハネスブルグに駐在していた。半信半疑ながら海外のニュースサイトで、元になったと思われる記事を見つける。そして真偽を確かめるべくコンゴに向かう。そこで現地に根を下ろして生活している日本人の協力を得ながら、日本人残留児と思われる人々に取材を試みる。
彼らは日本人と思われる名をつけられており、さらに本に載っている写真をみると、現地人より明らかに肌の色が白い。顔立ちもアジア人的である。そしてコンゴは男系部族社会で、それらのバックグランドを持たない彼らは、差別され苦しい生活を強いられた。
彼らの願いは、日本人と認めてほしい、それが無理なら父親に会いたい。せめて父親のことが知りたいという人として当然の願いである。中国残留孤児の事案知っているだけに、本当に切なくなる。彼らの年齢も40代ならば、父親も相応の年齢になっているはずだ。
著者は、日本大使館や鉱山会社の後継企業にも取材を試みる。そして当時コンゴに赴任していた社員にも取材している、同様に赴任していた医師にも。しかし、明確な回答は得られない。「そのような事実は確認できなかった」、「昔のことなのでわからない」といった紋切り型の回答である。明らかに取材に拒絶反応を示す人もいた。実になる成果は得られなかった。それでも前述した鉱山会社の後継企業からは、「人道的見地」からの支援の検討を引き出すことができた。
なお、文庫版あとがき「まつろわぬ人」は、ジャーナリストなら必読の文だと考える。新潮ドキュメント賞の授賞式での「言論の自由」について 述べたスピーチである。ジャーナリストとしての「矜持」を感じさせられる。
蛇足ながら著者の三浦さんは会社の上層部からは、疎まれているのだろうなと想像してしまう。まあ会社での出世など元々気にしてないと思う。記者クラブに陣取って、取材対象の組織の幹部となれ合うことなどせずに、あくまで現場第一で取材してほしい。現在盛岡総局に勤務されており、時々署名記事を拝見しております。
前述の新潮ドキュメント賞に加え、山本美香記念国際ジャーナリスト賞も受賞している。 -
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1945(昭和20)年を知る人たちの、(おそらく)最後の証言。
え、こんなことがあったのか、という知られざるエピソードが満載だ。
とりわけ圧巻だったのが「101歳からの手紙」。
もと地方紙のワシントン支局長としてケネディ暗殺事件を伝えた人物から
著者に分厚い手紙が送られ来る。
差出人は、満州国の建国大学の卒業生であった。
建国大学は自由は教育で知られたが、満州の瓦解とともに7年で閉校・・・
あ、この話、知っている、知っている・・・
あたりまえ、『五色の虹 満州国の建国大学卒業生立ちの戦後』の
著者だったのだ。すっかり忘れていた!
ここでも満点★をつけているくせに!あ~、やだやだ。
ともかく、建国大学卒業生が語らなかった秘密に
度肝を抜かれ、戦後史の闇に深さに暗澹としてしまった。
あとがきでいう。
戦争を知る第一世代と数えるならば、今は第三世代の時代に入ろうとしている。
かつては第一世代が書かれモノについてクレームをつけることもできた。
でも、その世代がいなくなったら?
第一世代という「光源が失われたとき、わたしたちは未来に何を語れるのか。
困難な、新しい時代が始まろうとしている」
怖い。
歴史を歪曲して語ろうとする、声の大きい人たちが跋扈する時代が
やってくるのではないだろうか。