三浦英之のレビュー一覧
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ある一人のフィリピン人女性が発した、何と悲痛なタイトルの言葉でしょうか。ふと海外での事件・事故のTV報道を思い浮かべてしまいました。
ニュースの最後、「なお、犠牲者に日本人は含まれていない模様です…」 邦人の安否を家族に伝えるメディアの役割も分かりますが、どうしても閉鎖的な同族意識、命の重さの軽重を感じてしまうのです。
被災地で記事を書き続ける三浦英之さんが、震災から10年以上過ぎて知り得た事実…震災による外国人犠牲者数が厚生労働省と警察庁で違い、正確に把握されていない! 三浦さんは、ここから辿って彼らが残した「生」の物語を丹念に紡ぎます。
犠牲となった外国人8名の関係者が語る悲痛な証言。そして日本人木工職人。三浦さんは、これらの事実を単なる悲話や美談で終わらせません。
彼らが生きた時間が決して暗いものではなく、彼らの「生」が今につながり、意味をもつものとして描かれています。亡くなった彼らを哀しんでいるのは同胞だけではなく、地元の仲間として関わっていた多くの人たちも同じなのでした。
どんなに被災地の復興が進んでも、記憶の風化への対策に工夫が欠かせません。何よりも、外国人犠牲者については、「風化」以前に「無知」でした。
異国の地で生きた一人一人の物語を、私たちに知らしめてくれた三浦さんの価値ある一冊でした。 -
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カーボベルデという国もセザリオ・エヴォラという歌手も知らなかったが、私の大好きな感じの曲で、これからしばらく聴き続けるに違いない。教えてもらってありがたい。
そうなのだ。全然知らなかったアフリカのことをたくさん教えてもらった。
まず、カバーの写真から「なんじゃこりゃ」となる。「どうなってんだ、この頭?」見たこともない。三浦さんのことを知らなくても手に取りそうなインパクトがある。
想像を超える悲惨で残酷なエピソードが多く、なんという甘っちょろい世界で生きているのかと考えさせられた。
一つ一つの章の内容が濃く、もっと知りたくなる。一つ一つが短いからと言って、物足りないわけではないのだが、もっと詳しく読みたい気がする。
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本書は、三浦英之さんが、アフリカ特派員時代の取材を基に、「imidas」のweb上に連載したコラム「アフリカの長い夜」をまとめ書籍化したものです。
疲弊し冷め切ったような日本と、良くも悪くも欲望が渦巻き熱量のあるアフリカを対比することで、余りの隔たりの大きさを実感し驚愕します。まさしく、人口爆発、種々の不条理が入り乱れ「沸騰する大陸」アフリカのリアルが描かれていました。
小国それぞれの、悲しく辛い事実の数々に言葉を失います。この現実を広く知らしめるという点で、間違いなく価値ある一冊でしょう。
※本文中の、ノーベル平和賞受賞の現地医師の言葉
「私が欲しいのは、誰もが安心して暮らせる平和な地域だ。ノーベル平和賞なんていらなくなる世界が、いつかやってきてほしいと願っている。」・・・重い言葉です。
折しも、全世界の核兵器根絶のための努力、目撃証言を通じた実証が評価され、ノーベル平和賞を受賞(2024.12.11)した被団協(日本原水爆被害者団体協議会)。地道な草の根活動に頭が下がります。
原爆被爆者の全国組織だけに喜ばしいのですが、唯一の戦争被爆国である日本は、未だに「核兵器禁止条約」に不参加です。アメリカの"核の傘"の下、という建前と本音が見え隠れします。
今回の受賞も、どれだけ世界へ訴えが通じるのか、効果も限定的かなと悲観的な気もします。
綺麗事、理想論しか語れませんが、地球で暮らす我々一人一人が、今問われているのでしょうね。紛争を回避する人間の知恵を信じ、願うことだけはできるのですが… -
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三浦英之『災害特派員 その後の「南三陸日記」』集英社文庫。
『南三陸日記』の続編のルポルタージュ。
一年間、東日本大震災の津波被災地の南三陸町で暮らした災害特派員・三浦英之の「人を殺すのは『災害』ではない。いつだって忘却なのだ。」という結論は、確かにその通りだと思う。三陸地方に伝わる『津波てんでんこ』、宮古市重茂などに残る『此處より下に家を建てるな』という石碑など、先人たちの教えは受け継がれている。東日本大震災では、これらを忘れた者たちの多くが生命を落としたのだ。
千年に一度の大地震。生命を失っても仕方無い大災害だったと言えば、そうかも知れないが、自身と家族の生命を守る手立てはあったと思う。
本作は東日本大震災の津波で大きな被害を受けた南三陸町に住み込み、現地の人びとと共に暮らしながら、様々な声に耳を傾けた災害特派員の記録である。
南三陸町というと気仙沼市から海沿いに南下を続けて1時間半ほど辿り着く、町中には川も流れ、秋には鮭が遡上する小さな町である。町に入る手前の海沿いには三浦英之も暮らしたホテル観洋もあり、その直ぐ近くの海には台風時期だけ大きな波の立つ有名なサーフスポット『弁天』もある。昔、南三陸町のスーパーで生鮭を購入し、自宅で石狩鍋にして食べた記憶がある。
本体価格700円
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この作品は、東日本大震災後10年後の福島と、戦後基地問題にゆれる沖縄の問題をジャーナリストの三浦英之さんと、阿部岳さんが提起したものになっています。
折しも、東京オリンピックやコロナ禍…首相や福島や沖縄の各地域の首長はこの時期どのような対応をしたのか…。もう、私もずっと感じてきたことだけれど、首相の記者会見、原稿を読んでいるだけじゃん!国会も同じだし…見る価値あるのかな…?そんな思いを抱いてきました。だから見ないし…それじゃ、政治への不信感は私だけでなく皆が抱えるものになっていますよね!でも、かつての福島や沖縄の各地域の首長は、自らの命を縮めるような必死さを持って基地や原発者問題に真摯に向きあってました。
面倒なことはみな沖縄や福島に押し付けてる…そして予算として組まれる税金は、原発災害伝承館にしても、聖火リレーにしても、その目的を違えているようなところがある現状を赤裸々に暴き出しています。やりきれない思いになりますね…。
でもそれだけではなくって、最後の章「呼び合う者たち」は、三浦英之さんと阿部岳さんが、福島県大熊町の帰還困難地域で娘さんを探し続ける木村さんと引き合わせ、ともに娘さんを探す活動をするんですが、“人っていいな、つながるっていいな…”思える章でした。これからも、真実を誤魔化さずに伝える、そして人としてのあたたかみを伝える…そんな三浦英之さんと阿部岳さんのご活躍を期待しています。 -
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『事実ーこの国はまだ東日本大震災における外国人の犠牲者数を知らない。』
そんなことがあるのかと…正直思いました。だけど、私が心を動かされたのは、犠牲者数を把握できていないことではなく、ひとりひとりに生活があり大事なもの、大事な人がいて…それが、突然失われ、それでも生きていかなければならない人々の悲しみ、苦しみ、それでも見出したささやかな希望のような思いです。
全てを失ってしまった中国人青年に現在も「お前は一人じゃないんだぞ」と伝え続ける先輩職人、大人が無理しないと子どもたちを守れないと教壇に立つ教師たち…。日本人だから、外国人だから…ということでは決してないんです。
発災後に赴任していた教会に向かい翌日に命を落とした牧師…牧師はなぜ戻ることにしたのか、先日テレビで観た覚えがありました。この作品を読んで、それは牧師の“強い責任感”故の行動だったのだと思えました。そしてそこには後日談もあり、その教会に大きな被害はなくボランティアの拠点となり牧師の車は支援活動ののち、被災者さんへ寄贈されました。牧師の葬儀には、教会の属するキリスト教徒に加え、教誨師の活動を共にした仏教の僧侶も多数参列があり教会に念仏が響いたそうです。また、犠牲者の火葬にも宗派を越えて、一日も欠かさず弔い続ける活動もあったとのことです。「人々を救うために連携すること」を最期に教えてくれたのだと…。
あと、女川町に行ってみたいと思いましたね!女川町では防潮堤を築くのではなく、町内に緩やかな斜面を築いて、その高低差によって市民の命を津波から守る「海の見える町」を築いたと…知りませんでした!
最後に、三浦さんの著書「南三陸日記」を読んだからこそ、今回の取材に応じることを了承したという方がおられたのも印象的でした。私も「南三陸日記」を読んで涙した読者なので、ちょっと嬉しく思いました。 -
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建国大学生の人生を描いたノンフィクション。
取り上げられている建国大学生はわずかだが、皆、2020年代の日本では考えられないような、壮絶な人生を送っている。
最初にある建国大学生のカラー写真が素晴らしい。
90歳くらいの老人だが、顔自体は、知性と人生を生き抜いてきたたくましさと前向きな明るさを感じさせるとてもいい顔である。
藤森孝一
「人生は一度きりしかありませんから、誰にもその比較はできません。
若い頃は目の前にたくさんの道が開けていて、全部が自分の可能性のように思えてしまう。
全てが自分の未来だと勘違いしてしまうんですね。でも本当はそうじゃない。そのうちのほんの一つしか選べない。自分が生きてきた人生がすなわち私の人生だとすれば、私は私の人生に悔いというものはありません。」
百々和
1919生まれ
1943年満州建国大学卒。入営し、敗戦後残留日本軍として中国共産党軍と戦い(中国山西省日本軍残留問題)、1949年中華人民共和国に抑留され、1956年帰国、神戸大学経済学部大学院に入り、1962年博士課程満期退学。1960年龍谷大学助手、1964年神戸大学教養部講師、1964年助教授、1970年経済学博士、1972年教授となり、1983年定年退官、名誉教授となり、神戸学院大学教授、広島経済大学教授を務め、1996年退職
「議論に参加するには知識や論理構威力だけでなく、何よりも勇気が必要なんだよ。
自分の考えを口にする勇気じゃない。
自分が負けたことを受け入れる勇気さ。自分の意見が常に正しいなんてありえない。時に論破され、過ちを激しく責められる。発言者はその都度自らの非を認め改めなければならないんだ。そうして議論で何か決まったらその決定には絶対に従う。」 -
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原発事故で帰還困難区域になった福島県浪江町津島地区(旧津島村)。本書は、離散した旧津島村の人々を追ったルポタージュです。
著者の三浦英之さんは、この旧津島村に線量計を持ちながら3年半(2017年秋~2021年春)通い続けました。そして、多くの元住人から丁寧に話を掬い取り、自然豊かで美しい村が存在していた事実を記録し続けました。本書は、2020.9.16〜2021.3.31に、朝日新聞及びデジタルサイトに掲載された記事の書籍化で、元記事が「帰れない村(withnews)」でカラー写真とともに読むことができます。
基本的に、一人につき見開き2ページの記事と見開き2ページ×2枚のモノクロ写真のセットで構成されています。わずか2ページに凝縮された文章から、東電への憤り、帰還できない無念さや望郷の想いがひしひしと伝わります。また、モノクロ写真の陰影が、より深い哀しみを伝えている気がします。
震災から12年が経過し、コロナ禍もあり徐々に震災が忘れ去られようとしているのは紛れもない事実でしょうが、本書は、時間の流れに抗い、記憶の風化に立ち向かう一冊だと感じました。
この旧津島村は、かつて日テレ系テレビ番組でアイドルグループ「TOKIO」が住み込み、農業体験をした『DASH村』でした。「TOKIO」もメンバー3人で新「株式会社TOKIO」を立ち上げ、福島県西郷村に土地を購入。「TOKIO―BA」として福島へ恩返しをするべく、新プロジェクトを始動させているとのことです。こちらも見守っていきたいと思います。 -
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映画「新聞記者」で描かれている現実が
加速している気が強くする。
ミャンマーのことが他人ごとでなく
アフガニスタンのことも他人ごとでなく、
良く言われることだが
気が付いた時には すでに遅し
になってしまわぬように
三浦英之さん、阿部岳さん、
宮崎園子さん、安田菜津紀さん
のような 記者さんが
特別ではなく
当たり前に活動している
そんな世の中を
私たち一人一人がもっと強く意識していかなければ
と 改めて思ってしまう
三浦さん、阿部さんたちが
つながっていくように
私たちも 私たちの隣人たちと
つながっておかなければ
と 思わせてもらった -
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2019年3月、著者の「文庫版 南三陸日記」を読んで、私はおそらく生涯で1番読書で泣いた。大震災直後の赴任先での、コラムと写真の記録だった。
本書は、岩手県ではなく福島県浪江町「旧津島村」の「(放射能で)100年は帰れない」と言われたその後の元村民たちを取材した記録である。3年半のWEB連載だった。「南三陸」同様のコラムと写真で構成されている。けれども、私は読書中一度も涙を流すことはなかった。代わりに、どんどん塞ぎ込みたくなった。
前著は、「直後」ということもあって、町民たちの心が、未来が激しく動いていた。悲しいことがたくさんあったからこそ、展望を持とうとしていた。一方、10年後の「旧津島村」帰宅困難区域の人たちは、もう悲しみ尽くして涙さえ枯れ果てている気がする。全編展望が感じられない。怒りと悲しみはでてくるけど、未来が見えない。
それでも前書きで、三浦英之さんは写真と共に書いている。
「僕たちはすぐに多くのことを忘れてしまう。(略)でも、それは仕方ないことなのかもしれない、と僕は思う。僕たちには僕たちの生活があるし、人生をかけて夢を追っている人もいれば、大切な人を守っていかなければならない人もいる。(略)だから、少しだけでいい。この小さな本を読み終わった後に少しだけ、福島について考えてほしい。今も自宅に戻れないでいる、「帰れない村」の人々に心の中でエールを送ってほしい。「僕らはちゃんと知っています。日本には人の住めない『村』があることを」そう知ってくれただけでも、彼らはきっと喜ぶはずだ。なぜか?彼らが1番恐れているのは、人々の記憶から消し去られることだからだ」
2019年の東電旧経営陣への無罪判決に憤る春江(60)さん。
満州引き上げ者が多かった津島村。国によって、半世紀も経って2度までも家を追われたチヨ(90)さん。
秘密にされていたTOKIOのDASH村は、実は津島村だった。「撮影は無理でも、当時使われていた古民家を復興の足掛かりにできないか」と未だに草刈りの手入れをしている宝次(84)さん。いつになるのかわからないのに。
気がつかず子供たちに牛乳を飲ませてしまった酪農家の女性(62)、3月14日子供たちの「お手伝い」を応援していた児童クラブの職員(58)。今も激しい後悔に苛まれている。
精神科医は言う。「神経の覚醒が継続していて、相撲で言えば、『はっけよい』『見合って、見合って』の状態がずっと続いている」←時々私はひょんなことで不眠症になるけれども、それが目が覚めていても24時間続くということだろうか。
写真は「南三陸」よりも倍ぐらい多くなっている。しかし、暗い写真が多い。なぜなんだろ。と思ったら、三浦さんは一度もフラッシュを焚いていないのである。
今年も3月11日がやってくる。
涙は一滴も流れない。
悲しみが続く。 -
Posted by ブクログ
ページをめくるたび、モノクロ写真を目にするたび、読むのがつらくなった。けれどたぶんそれは、私が普段「生き(て何かをす)る」ために、これら「帰れない村」のひとびとのことを(悪い言い方をしてしまうと)思考からシャットアウトしてしまっているからだと思う。いま、今、実際に、原発事故によって散り散りにさせられ、以前とまったく異なる生活を余儀なくさせられている方々が居られるにもかかわらず。
これだけの事故の、(これを書いているのはロシアにウクライナが侵略され、核攻撃を示唆されたとさえいわれる2022年2月28日である)また「核」ということばに背筋がふるえる広島長崎の、記録が記憶があるくにで。私たちはきょうも、自分が生きるために目を瞑って生きている……
この「村」で活動していたアイドルたちもどうしているだろう。私は以前、とてもたのしみに観ていたものだったが。
ずっと蓋をして、口を閉ざしているのは、ほんとうにただしいことなのだろうか。