【感想・ネタバレ】五色の虹 満州建国大学卒業生たちの戦後のレビュー

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Posted by ブクログ 2023年03月08日

三浦英之の5冊目。満州建国大学の卒業生を追ったノンフィクション。取材力がすごい。
「五族協和」を掲げる国策大学の、その実侵略的狙いの中で、一人一人の学生たちがどう学びどう生きたのか、たいへん興味深く読んだ。
戦争は人間を引き裂く。

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ネタバレ

Posted by ブクログ 2021年12月07日

五色の虹 満州建国大学卒業生たちの戦後 

三浦英之氏による著作。
2015年12月20日第1刷発行。
著者は1974年6月26日神奈川県生まれ。
京都大学大学院卒。朝日新聞記者(2000年入社)。
東京社会部、南三陸駐在、アフリカ特派員(ヨハネスブルグ支局長)を経て福島総務局員。
一言で言うと力作...続きを読む
他のレビュワーの方も書いていたが、よくぞ間に合ったなと。
(卒業生たちが80代半ばで証言を聞き取れる最後の機会の為)
本書はTwitterのボヴ@cornwallcapital氏が2018年末に
今年一番良かった本として紹介していて存在を知った。

時代のうねり、変化にこれほど翻弄された人たちがいたのだ。
*もちろん建国大学卒業生以外も相当に大変だっただろう。
戦後、日本の国策大学の関係者ということで迫害を受けた者も多く記録として残されることを恐れた。
約1400人の出身者の内、生存が確認されているのが約350人。
安否さえつかめていない者も多い。
著者が建国大学を調べる際に国際基督教大学(ICU)の宮沢恵理子氏が1997年に博士論文として出した「建国大学と民族協和」)風間書房
2002年になくなっていた湯治万蔵(建国大学出身)が編集した建国大学年表(非売品)の存在も大きい。
宮沢恵理子氏とは直接合って話を伺うことが出来た事は大きい。
本書は建国大学の卒業生達、過去の研究などの蓄積無くして
完成することは無かっただろう。
*それだけに研究の積み重ねの重要性を痛感した。
本書では特に中国人卒業生のインタビューが出来なかった場面、途中で中止になった所が残念だ。(長春包囲戦の所)
中国共産党に不利な部分は取材させないという姿勢は北朝鮮やかつてソ連と何一つ変わらないのだ。
いかに経済発展したとは言え、中共の現実を嫌という程に理解できた。
モンゴル、韓国(建国大学出身者が重宝された)アルマトイなど他の出身者達のインタビューは無事出来ているだけに余計に中国の無慈悲さが目立つ。
アルマトイで最後に通訳をしてくれたダナさんの日本留学の推薦を著者が書く事になった場面は大変感動的で胸が熱くなる。
本書はドキュメンタリーでありノンフィクションではあるがこうも胸にこみ上げてくるものを抑えることができなくなるとは・・
三浦氏の執筆力の高さにただただ驚いた。
読み手を引き込む力がある三浦英之氏には今後も良い記事、良い本を世の中に出して欲しいものだ。

印象に残った部分を列挙してみる

人の人生なんて所詮、時代という大きな大河に浮かんだ小さな手こぎの舟にすぎない。
小さな力で必死に櫓を漕ぎ出してみたところで、
自ら進める距離はほんのわずかで、結局、川の流れに沿って我々は流されていくしかないのです。誰も自らの未来を予測することなんてできない。
不確実性という言葉しか私たちの時代にはなかったのです(P84)

楊が担当していた中国東北部の農村部には無数の日本人移民村があり、どこも同じような光景が繰り広げられていた。日本人が経営していた工場や農業施設はソ連兵によって徹底的に略奪され、女たちは老婆を含め、ソ連兵からの強姦を恐れて自ら頭を丸刈りにしていた。それでもソ連兵たちはある日突然押しかけて、納屋の隅に隠れている女性たちを数人で襲った。
同じ村で暮らす日本人はもちろん、近くで暮らす中国人たちもソ連兵の行為を止めることができなかった。戦争に負けるということはこういうことなのだ、と楊は泣き叫ぶ日本人たちの姿を見ながら胸に刻んだ。(P134~135)

中国政府はある意味で一貫していた。

《不都合な事実は絶対に記録させない》

戦争や内戦を幾度も繰り返してきた中国政府はたぶん、
「記録したものだけが記憶される」という言葉の真意をほかのどの国の政府よりも知り抜いている。
記録されなければ記憶されない、その一方で、一度記録にさえ残してしまえば、後に「事実」としていかようにも使うことができる
戦後、多くの建国大学の日本人学生たちが、「思想改造所」に入れられ、戦争中に犯した罪や建国大学の偽善性などを書面で残すよう強要されたことも、国内の至る所でジャーナリストたちに取材制限を設け、手紙のやりとりでさえ満足に行えない現在の状況も、この国では同じ「水脈」から発せられているように私には思われた。
そして、その「水脈」がどこから発せられているものであるのかをそのときの私は建国大学の取材を通じて経験的に知り得てもいた。
建国大学の卒業生たちの取材を通じて私が確信したことが一つある。
それは「小さな穴でも、大きくて厚い壁を壊すのには十分だった」という事実だった。
「小さな穴」とはもちろん「言論の自由」をいう概念を意味した。
建国大学が学生に認めた「言論の自由」は、やがて中国人や朝鮮人の学生たちに物事を知ろうという勇気と現状を判断させる力を培わせ、反満抗日運動や朝鮮独立運動へとつながる確固たる足場となっていった。
「知る」ことはやがて「勇気」へとつながり「勇気」は必ず「力」へと変わる。
そんな「知」の威力を誰よりも知り抜いているからこそ、国家がどんなに巨大化しても「最初の一歩」に赤子のように怯え、哀れなくらいに全力で阻止する(P171~172)

「現場の状況を知るには、現場の人間に聞くのが一番手っ取り早いのでね。組織を通して報告を受けているだけでは、本当の所は何もわからない」(P234 辻政信)

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Posted by ブクログ 2021年04月25日

敗戦と、関東軍打ち立てたものの満州国が運営する理想主義的な国際教育の方式が戦後レジームに馴染まない理由で、韓国を除く日本・中国・ロシア・台湾(・モンゴル)などの国では歴史のブラックホールに吸い込まれたような満州建国大学の史実を、もう少しのタイミングで完全に歴史の闇に葬り去られると言うところで掘り下げ...続きを読むていった三浦さんの胆力に感銘を受けた。

石原莞爾や辻政信のなどの政治思想についても、もっと知りたいと思った。これらの戦後レジームに馴染まなかった思想の中に、アジアの世紀と言われる21世紀に輝く原石が見つかると感じる。

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Posted by ブクログ 2021年04月15日

日本が満州国を設立した際、将来の満州国の運営を担う人材を育成するために満州建国大学が設立されました。学費、生活費は支給され、日本だけではなく、朝鮮人、中国人、モンゴル人、白系ロシア人と満州の関わる広範な地域から選りすぐられたエリートが在籍した当時の日本としては稀有な国際教育機関でした。定員150名程...続きを読む度に対し応募は2万人を超えていたという数字が、いかに優秀な人材を集めていたかを物語ります。
建国大学では「民族協和」の理念のもと、20数名の小グループに全ての出身国の学生が振り分けられ、当時の日本の施策を批判することも自由という、完全な言論の自由の保障のもと、国際感覚を養う教育が行われていました。
これほどの規模と先進的な教育機関でありながら、その存在はほとんど知られてきませんでした。敗戦後、日本人学生は日本の満州における傀儡国家運営を担う教育を受けたとして戦犯として扱われる危険性から口をつぐみ、朝鮮人や中国人の学生は日本の政策に一時加担したという疑いをもたれることは自分だけでなく家族までも危険に晒す可能性があり、在籍したことを隠し通すケースが多かったからです。
著者はあるきっかけから建国大学の存在を知り、数少ない在籍者への取材を試みます。日本国内だけではなく、中国、台湾、韓国、モンゴル、カザフスタンに在住する建国大学の元学生のインタビューに成功します。
本書にも記載がありますが、満州など日本国外にいた日本人の場合8月15日をどこで迎えたかがその後の人生の大きな分岐点となっています。本書で紹介されている日本人元学生さんも中国国民党に捉えられ、そのまま中国共産党との戦闘要員として駆り出されたり、ソ連軍に捉えられた人はシベリア抑留を経験されたケースもありました。
中国、台湾などでは元学生は「日本帝国主義への協力者」とみなされ当時の政府から厳しく弾圧されたりしたケースが多いのですが、韓国では建国大学に在学したスーパーエリートを国家の中枢に組み込もうとしました。その結果、韓国の首相にまで上り詰めた卒業生も本書に登場します。
このような大学が存在したことは、私も本書を読むまで全く知りませんでしたし、その卒業生の敗戦後の人生の振れ幅の大きさも想像以上でした。当時の日本の国策と結びついたエリート養成機関に関する取材だけに、当事者の口の重さもあり、困難な取材であったことは本書からも伝わってきます。ただ、卒業生の多くが非常に高齢であり、「今、話しておかなければ永遠に記録が失われれる」という気持ちと「今取材しておかなければ永遠に取材機会が失われる」という著者の熱意が結びついた、昭和史、近代史の今まで知られてこなかった一面を知ることができるノンフィクションだと思います。2015年開高健ノンフィクション賞受賞作です。

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Posted by ブクログ 2020年04月20日

すごかった。
私は世界史とくに近代史についてあまり多く知識がなかったので、この本を読んで色々なことが知れてよかった。
色々な建国大学の卒業生の戦後を見て、時代の流れと国々の思惑に圧倒された。

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Posted by ブクログ 2019年04月16日

日中戦争が激しさを増している時期に満州に設立された国策大学の卒業生を取材したもの。あの石原莞爾が発起人、辻政信が設立責任者とくれば、自ずとイメージができてしまうが、実態は全く異なるもの。「五族協和・大東亜共栄圏」の実現とその将来を担うエリートを要請する大学で、日本人、朝鮮人、中国人、モンゴル人、ロシ...続きを読むア人を対象に、授業は各国語、国籍を混ぜた寮生活、そしてこの時期には信じられないことに学校の中では言論の自由が保障され、共産主義の著書も自由に読めたという。中国侵攻や傀儡国家の設立を避難する中国人の激しい追及に、日本人学生がたじたじとなる場面や、ロシアの南下政策を警戒するモンゴル人との激論が、毎晩のようにあったという。一方で、終戦後、当局に拘束された中国人卒業生に、多数の差し入れを行なった日本人がいるなど、強い連帯感を長年にわたって維持している。グローバル人材の育成とか多様性を身につけようという活動が、もしかすると最も活発で実践的だったのが戦時下の満州とは、なんとも皮肉なこと。終戦後何十年にわたって続いていた「同窓会」も、2010年をもって終結となり、卒業生の年齢等を考えると、この画期的かつ不幸な運命に翻弄された大学でどんなことが起こっていたのかを知る機会は全く失われることとなった。とても貴重な一冊。

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Posted by ブクログ 2019年02月08日

どんどん読み進めた。このような作品を前にいい加減な感想は書けないと思う。
満州建国大学の存在など全く知らなかった。
三浦さんが布施祐仁さんとお書きになった「日報隠蔽」に感銘を受け、トークショーまで行って、サインいただいて、この本の前に「五色の虹」という本も出されてるのだと知り。。。
ギリギリ間に合っ...続きを読むた感じがすごいと思う。戦後悲惨な経験をされた方々、よく長生きしてくださった、という感じだ。お亡くなりになってしまったら、お話は2度と聞けない。何も話せないまま、お亡くなりになった人の方が圧倒的に多いのだが。
建国大学卒業生のそれぞれの戦後。
と、それを取材なさり、一冊の本にされた記者さん。
どちらも違う意味ですごくて言葉にならない。
あとがきを読んで、本として出版されるまでも大変な苦労があったと知る。

トークショーの時、「本として残したかった」とおっしゃった(「日報隠蔽」のことだけど)。この形で、誰でもが手に取れる形で完成したことは本当に良かったと思う。

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Posted by ブクログ 2019年02月05日

ページをめくる手が止まらなかった。キルギスに抑留記念館を建てる計画があるから取材しないかという誘いから始まる長い旅。日本、中国、朝鮮、モンゴル、ロシアの建国大学生がたどったそれぞれの戦後。収容所に入れられても、良い人生だと言える強さ、いつかロシアと対峙したときロシア語が必要になるのではと、新潟で農家...続きを読むをしながら勉強部屋をロシア語教材で埋めつくす老人。彼は、最後は65年ぶりの同期生との再会のため、ロシア語を飛行機の中でも寝ずにおさらいする。150人の定員に対して2万人の応募があった試験から選ばれた彼らは、平和な時代だったら、どれだけ活躍できた人たちなんだろう。

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Posted by ブクログ 2018年04月01日

ノンフィクションで泣けるぐらい涙腺が緩んでたという衝撃の事実。
ま、それはさておき「満洲建国大学」、お恥ずかしながら不勉強で初耳だったのです。それなりにあの辺のものは読んだはずなのに、いかに上っ面を舐めてるだけか思い知らされる。同い年の朝日の記者さんの一作。ノンフィクションとしての完成度はさておき、...続きを読む知らなければならない話を世に出した功績は大きいかと。開高健ノンフィクション賞受賞作品の文庫化。

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Posted by ブクログ 2018年03月19日

朝日新聞の記者である三浦英之氏が、かつて満州の最高学府として実在した建国大学と、その卒業生たちの戦後を取材した作品。

建国大学は1938年に石原莞爾らの起案により、満州国のリーダー育成を目的として設立される。五族協和のスローガンのもと、アジア各国から優秀な生徒が学費免除で集められ、学内では当時とし...続きを読むては珍しく言論の自由が許されており、社会主義の研究なども行われていたそうだ。

この建国大学の存在があまり知られてこなかった理由としては、終戦と同時に学校に関する資料がほとんど焼却されてしまった事、そして卒業生の多くが、日本帝国主義の協力者として母国から迫害を受けた事が大きい。三浦氏が取材で中国を訪れた際にも、実際に当局から妨害を受けており、いまだに特定の話題はタブー視されているらしい。

本作の取材を開始した時点で、卒業生はみな80代半ばを過ぎており、このタイミングがまさに最後のチャンスだったのだと思う。戦場や収容所で絶望しそうになった時、大学で学んだ教養が悲しみの淵から救い出し、目の前の道を示してくれた、という卒業生の言葉がとても印象的だった。

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Posted by ブクログ 2023年07月02日

この大学の方針は、もちろん当時の政治的な思惑もあったにせよ、若者たちからすればいいものだと思った。
言葉も文化も異なる人と共に過ごし、お互いの言語を学んで腹を割って話し、意見が違っても受け入れる。
何かを聞いて不快に感じる人を生まないために言論封殺するよりも余程建設的。これこそ多様性のあり方じゃない...続きを読むかと思う。今の時代こそ、日本にこういう理念を持った学校があってもいんじゃないかな。五族協和をそうだけど、学生に主体的に考えさせる教育とか必要だと思うなぁ。

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Posted by ブクログ 2022年02月25日

満州に日・中・朝・露・蒙・台の若者が一緒に学ぶ大学があったのね。日本敗戦後は皆さん苦労されている。掲載されているお写真の皆さんがとてもいいお顔。

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Posted by ブクログ 2018年08月03日

五族協和を目指して満州に作られた建国大学、この本を手に取るまでその存在すら知らなかった。とても貴重なインタビューの数々。
どの方々もそれぞれ激動の人生を歩まれていて、今の時代の学校に通って就職して…という良くも悪くも変わりばえのしない人生と比べずにはいられなかった。人生とは、と考えずにはいられない。...続きを読む
この機を逃したら一生語られることなく死んでいく人がいた。ぎりぎりの時間で、今この本が出たこと自体がとても喜ばしく思える。

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Posted by ブクログ 2019年12月12日

【建国大学】1938年5月-1945年8月
近い将来、戦争になって翌朝には相互の首府・主要都市は壊滅しているような世界になる
《このような決戦兵器を創造して、この惨状にどこまでも堪え得る者が最後の優者であります》石原莞爾
その最後の勝者となれる国を造りうる人材を育成をするために
「3)各民族の学生が...続きを読む共に学び、食事をし、各民族語でケンカができるようにすること」などを指針として空前の拒否を投じ満州国.新京(現、長春)につくられた大学。

そのOBの戦後レポート。
国内編は興味深く、何カ所も付箋した。
海外編はまるで「取材できませんでした報告」レポート。彼らが取材時点で置かれていた環境の報告、という意味ではおもしろかったが、残念。あまつさえ、ホテルにケチをつけたり、イスラム教徒らしい女性の写真をとろうとして嫌がられて不思議がっていたりと観光客みたいな記述が散見され不快。



補記・付箋箇所いくつか//本文引用
・p53「『言論の自由は何としても守る』」「意見は違うけれど、それを受け入れた上で付き合いは続けていこうと。」「本の内容には大いに異論や疑問があるが、あいつが出版するのであればお金を出そうと」re.表現の不自由展
・p100「自らの命を差し出すための大義名分がーそれがどんなに滑稽な思い込みであったとしてもー必要だったのである。」
・p101「投稿兵を殺めてはいけないというのはあくまでも平時のルールであり、自分が相手にいつ殺されるかわからない戦場においては何の説得力も持ち得ない」re.人道的戦争
・p108「企業で直接役に立つようなことは、給料をもらいながらやれ。大学で学費を払って勉強するのは、すぐには役に立たないかもしれないが、いつか必ず我が身を支えてくれる教養だ」re.現代の社会生活に必要とされる論理的な文章及び実用的な文章
・p143「中国人は利で動く、朝鮮人は情で動く、日本人は義で動く」re.日中韓国交・交流
・教授には崔南善もいたp221「極めて厳格な意味での現実主義者だった。日本政府や日本人の批判ばかりしている学生たちをとがめ「では、君たちには何ができるのだ」と厳しく問いただしたりする。」
・P.179「記録したものだけが記憶される」re.未来に残す

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