あらすじ
「どうしても後世に伝えて欲しいことがあります」原発事故の最前線で陣頭指揮を執った福島県浪江町の「闘う町長」は、死の直前、ある「秘密」を新聞記者に託した――。娘を探し続ける父親、馬に青春をかける高校生、名門野球部を未来につなぐために立ち上がったOB、避難指示解除後たった一人で新聞配達を続ける青年、そして帰還困難区域で厳しい判断を迫られる町長たち……。原発被災地の最前線で生き抜く人々と、住民が帰れない「白い土地」に通い続けたルポライターの物語。
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Posted by ブクログ
東日本大震災から13年。
これは2020年に発行された本であるが、とても詳細に記録されていると感じた。
《白地》とは帰還困難地域の中でも特定復興再生拠点区域以外のエリアを指すこと。
現在も居住の見通しのたたないままなのか…。
何もしなければ帰れない…という現実にミンさんの「(私の人生は)良かったよ。放射能が来るまでは…良かったよ」が心に残る。
いつくるのかわからない地震により一瞬のうちに人生が大きく変わるという現実。
ただ国の判断に任せるしかないのか。
国は何を優先的にするべきなのか…今も明確な答えがないのでは…と思うこともある。
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「白地」放射線量が極めて高く、住民の立ち入りが厳しく規制されている「帰還困難区域」の中でも、将来的に居住の見通しの立たないエリアのこと…。福島第一原発周辺の自治体が直面した困難と、そこに住んでいた住民たちの思いや葛藤などを徹底した取材に基づいて明らかにしたルポ…。
震災から12年、福島の原発事故に関しては、天災より人災という側面を改めて強く感じました。12年前実際にどんなことが起きていたのか…この作品を読んで初めて知る事実も含まれていました。国と東京電力そして原発周辺の自治体…もっと早く避難を呼びかけることもできたのにそうならなかったのは…読んでいて本当にひどいと感じました…。住民の思いを一身に背負って周辺の自治体の首長たちは戦い続ける…その姿になぜ国を背負う政治家にはこういう熱いものを感じないんだろう…そんな風にも思いました。
「放射能がくるまではよかった…」のミンおばあちゃんの言葉…重いです。原発事故が起きるまでの人生、辛いことも悲しいこともあったはずなのに…それまでの人生はよかったと…。震災から12年経った今も白地と呼ばれる土地はあって、放射能が高くて立ち入り出来ない土地が存在する…そこでは原発事故前まで人々の生活が営まれていた場所、今は荒れ放題…この作品の中ほどのカラー写真、一面の緑に覆われた中央に車がぽつんと…見て言葉を失いました…。この作品も読めてよかったと思います。
Posted by ブクログ
三浦記者と言えば、安倍元首相が双葉でのぶら下がりでの最後にねじ込んで質問した記者だという印象が強い。
やはりあの時の印象の通り、ガッツのある記者だということがこの本の取材のルポからわかる。しっかりと地域に根づこうとする意識を持ち、取材する。地域の様子を良く見ていると感心する。この震災による原発事故はなかったことにしたい人たちにより忘れ去られようとしている。それをさせないようにしなくてはならないと、読んでいて思い出す。
Posted by ブクログ
従来とは違う目線で書かれた、一線を画した書籍である。
今までの原発関連書籍は国や政治家、東京電力の立場で書かれたものが多かった。が、著者は実際に福島浜通りに入り生活を営みながら、地元住民の目線から福島原発やその国策、東京電力を見上げたルポとなっている。
序盤は美化しすぎなきらいも見えたが、中盤からは地元首長のロングインタビューや地元民の生い立ち、ねじ曲げられた報道など、かなり深く原発国策の問題点に切り込んでいる。
そしてそのベースには、復興五輪というベールに覆い隠された日本ならではの同調圧力と、物理的にも心理的にもズタズタにされた被災地のコミュニティが横たわっている。
「東京発」の報道と「福島発」の現実の落差に愕然とする。決して福島原発は、「アンダーコントロール」ではない。
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ものすごくすごい。
読みながら途中、怒りが心の中で煮えたぎった。
こんなに感情を揺さぶられると思わなかった。
東京が憎い。
こんなものが書ける記者にいつかなる。
Posted by ブクログ
きちんと本質に向きあった
優れたルポルタージュを読ませてもらった
被取材者の肉声が伝わってくる
被取材者の苦悩が伝わってくる
血肉をちゃんと持った人間の声が
届いてくる
ジャーナリスト三浦英之さんの真摯な姿勢が
お話をされる当事者にもきちんと
伝わっているからこその
心に響いてくる文章になるのだろう
それにしても
日本を背負っている
と勘違いしている
この国の体制側の人たちの目に
三浦さんの言葉は
どう映っているのだろう
私たちが
できることの一つは
そんな三浦英之さんの「発言」「著書」を
次の人に確実に手渡していくことである
Posted by ブクログ
これを書いているのは2021年の3月11日だ。節目、節目、ということばが乱暴に使われている。気に入らないなと思いながらも、頷くしかないと思っていた。だが、「暮らしている人間には日々があるだけ」という、たれかがニュースに答えた文字が目から音になって聞こえた(気がした)とき、私は棚にあった本書を掴んで読むことを決めた。
結果。私たちは、あまりに自分以外のことを考えなくなっている、という、いまや当たり前でかつおそろしいことに気付かされた。我が身の安全(と、いう『中身のない』かもしれない確信)さえ担保できれば、ほかのことなどさして気に留めず生きていける。
現に、私たちは、国内外の不平等を、紛争を、貧困を、おおよそ感じることなくスマートフォンをいじっていられる。かりにどこかでなにか異常が起きたとしても、自分に降り掛からなければ「よそごと」。そうした態度を、人間は多分に備えている。
一瞬の自己防衛であるのかもしれない。
けれど、その、「自分」が、富の方向と比例して一極集中していくとき、踏みつけられるのはだれだろうか。
著者は自分の考えを、思い込みがあったことさえ隠さず(本にする上で、どうしても削る部分はあっただろうと邪推もしてしまうが)語っている。かのセウォル号の事件を語った『目の眩んだ者たちの国家』でいう、「プラスペンを止めることができた」数少ない人間のひとりなのだろう、とほんやり思うと同時に、「東京」を向いて生きるこの国を果てしなく危うく感じる。
コロナ禍であっても野菜は肉は果物は都会に届けられる。医療も地方よりはるかに前を行っている。ならば私たちはいわば「東京(と題される一部の特権階級)」に、カネによって従属させられているのではないか……
胸に、くろぐろと穴が空いたように痛い。
この特権階級は、学習環境教育環境にまで及んで未来の子らにもつながれるのだ。「白い土地」をいくつ増やしても、おそらくは。
コロナ禍のいま、私たちが踏まれていること、踏みつけにしていることを、人間のみに焦点を絞らず、改めて考えていきたいと思う。
Posted by ブクログ
まだまだ原発の脅威は全く衰えていないのに、国民の多くはその危険性が1000年単位で続くことを認識できていない。そのことに触れるのはまるで御法度の様にメディアも伝えない。知人の福島県民が、原発地域のことを悪様に批判していたのもよく分かる一冊。
Posted by ブクログ
三浦さんのお書きになったものは間違いない感じがして安心して読み始められる。
もっと丁寧に読むべきなのだろうが、ページをめくる手が止まらなかった。
Twitterなどで読んでいたものが、より詳しく書かれていた。
コロナ禍で、震災から10年の節目も、薄く短く弱い印象で流されそうで辛い。今もなお苦しみ続ける人たちのことを忘れるわけにはいかない。
これからのルポもよろしくお願いしたい。
Posted by ブクログ
三浦英之さんの著書を読んだのはこれで四冊目。
どうして、氏の言葉はこれほど心に届くのか。
第1章「夕凪の海」第4章「鈴木新聞舗の冬」第5章「ある町長の死Ⅰ」どのページを読んでも、現地で人々の声に耳を傾け続けた氏にしか、書けない言葉ばかりであるからだろうか。
『「帰還困難区域」とその周辺』で生きる人々の声を記録し、未来へと繋げる。
そんな記憶の記録。
僕たち日本人にとって、大きなテーマである原発という問題を考える上で欠かせない「生きた声の一冊」であることは間違いないだろう。
Posted by ブクログ
本書半ばに掲載される写真。福島県双葉町の町営住宅。二階まで入り込む雑草。忘れ去られる場所。白い土地。娘の遺体を探し続ける父、”馬の町”の高校馬術部、アトム打線と呼ばれた野球部OB、一人新聞を配達する販売店店主。周辺の町で暮らす人々がいる。「安全神話」を信じて誘致した原発。入ってくるはずの事故の情報が来なかった。悔恨する町長。「アンダーコントロール」で誘致したオリンピック。いつしか復興五輪はコロナ克服とスローガンに変わる。現職官僚の言葉「TEPCOは撤退モード」。忘れさせてはいけない。知らなければいけない。
Posted by ブクログ
福島の被災地の人のほんの一部ではあるけど様々な多岐に渡る状況に置かれている人たちを知るととても苦しくなる。この本でもまた知らなかったことを少しでも知ることができた。
特に浪江町の元町長の葛藤は相当なものだったと思う。ガンで亡くなられてしまい無念でならない。
その時に最善の判断をした上で決断だったと思うけど当時、原発で起きたことをすぐに知らされていなかったり東電社長が浪江に来た時のやりとりは本当に腹立たしくなった。
原発ありきで進める考え方を根本から考え直さないとまた同じことを繰り返されるのに全然変わらない国の姿勢。
政府が掲げる復興五輪は原発被災地や津波被災地の復興ではなく東京の復興、東京に電気を送る東京電力の復興…ため息出る。
被災地の人以上に自分のこととしてもっと考えていかないと。
Posted by ブクログ
終章にあった「復興五輪」の主語が「被災地・東北」ではなく、「東京」であることが深く心に響いた。やはり東京というのは地方のことは関係ないようである。現状、帰宅困難区域やその周辺の復興など、まだまだ遠く先の話。原発名に「福島」とついているため、風評被害が県内全体に広がってしまっているということも。話が飛んでしまうが、政府はコロナ禍においてコロナに打ち勝つ五輪を開催したいのだろうと思ってしまった。
Posted by ブクログ
「白地」それは福島原発事故によって作られた「帰宅困難地域」のうち、放射線量が極めて高く、住民の立ち入りが厳しく制限され、将来的にも居住の見通しが立たないエリアのことを示す隠語。
原発事故の直後から、朝日新聞の記者として福島原発事故の現場に入り込み取材を続けるルポライターの渾身の告発の書。
「政府が掲げる「復興五輪」 その言葉自体に偽りはない。ただ、その対象が彼らと私とでは違っていたのだ。彼らが掲げる「復興」とは、原発被災地や津波被災地の「復興」ではなく、彼らが暮らす首都・東京の「復興」。もっと踏み込んで言えば、その東京に電気を送る東京電力の「復興」ではなかったか。
最後の章で、筆者はこう考察する。
地元に入り込み、静かに熱く伝える記事は、読む価値があると思う。