三砂ちづるのレビュー一覧
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個人的にとても納得できることが書いてあった。
特に、《コミュニケーション能力が高いというのは、理路整然とした明確なメッセージを送受信することじゃなくて、「理解できない言葉」に対して耳を塞ぐとかノイズとして切り捨てるということはしないで受け止める、他者が発する「ノイズ」を「声」に変換して聴き取る強引な力業》だということに、涙が出るほど納得した。
閉じない家の在り方とか、昔ながらのお産についてとか、異質なものに直面したときの対応とか、親になるまえに考えておくべきことだろうと思う。
東京に住んでるけど、わたしは沖縄の人みたいな出産観を持ってる。
多分それは歓ぶべきことなんだろうな。
将来職業として何になるかと同じような感じでこういう話もできたらいいのにな。 -
Posted by ブクログ
三砂ちづるさんの著作『竹富島に移住して見つけた人生で大切なこと』は、多忙な現代を生きる私たちが忘れかけている、人間本来の健やかな営みや時間の流れをそっと思い出させてくれる一冊である。著者が琉球の島々に魅せられ、中でも赤瓦の家並みとサンゴ礁の海が広がる竹富島に深く惹かれていく様子が、温かい眼差しで綴られている。本書のページをめくっていると、都会の喧騒から切り離された南の島の穏やかな空気感が、まるでそのまま手元に届くような心地よさを覚える。
本書を読んでいて何より印象的だったのは、その独特の語り口だ。エッセイを読み進めていると、著者の思考や思い出がふとしたきっかけで別の話題へと広がり、本筋から少し離れてしまう場面が何度か見られる。まるで目の前で著者がお茶を飲みながら、思いついたエピソードを楽しそうに語って聞かせてくれているかのような、親密でリラックスしたライブ感がある。最初は少し話が逸れることに驚くものの、不思議とそこに不自然さや退屈さは一切ない。むしろ、そうした脱線の中にこそ著者の日常の機微や、島の人々との心温まる交流、ふと脳裏をかすめる哲学的な思索が自然に溶け込んでいる。一つひとつのエピソードが無駄なく有機的に結びついており、読後は全体として見事なハーモニーを奏でているかのような深い満足感に包まれるのだ。
そして、ページをめくる手を動かすたびに強く胸を打たれたのが、定年後にこのような美しい島で暮らすという選択肢の素晴らしさである。規則に縛られ、時間に追われる日々の延長線上ではなく、ただ自然の営みに寄り添いながら人生の後半を過ごす。その生き方は、まさに夢のように眩しく、心の底から羨ましいと感じざるを得ない。竹富島には、世代を超えて受け継がれてきた伝統や、人と人との強い結びつき、そして自然と共生する知恵が息づいている。そこで暮らす人々は、時間に支配されるのではなく、おおらかな島時間の中で日々を慈しむように生きている。著者がその暮らしに身を置き、身体感覚を取り戻していく姿を追ううちに、自分の人生において本当に大切にすべきものは何なのかという問いが、静かに心の中に湧き上がってきた。
効率やスピードばかりが重視される現代社会において、本書は立ち止まることの価値を教えてくれる。気の向くままに話を膨らませる著者のユーモアと優しさに触れ、南の島の豊かな自然と暮らしに思いを馳せる時間は、読者である私たちにとってもかけがえのない癒やしとなる。人生の折り返し地点を迎えたとき、あるいは日々の生活に少し息苦しさを覚えたとき、いつでもこの本を開けば、竹富島の温かな風と、自分を取り戻すためのヒントが優しく迎えてくれるはずだ。 -
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薄い本なのだが、内容が絞れてない。
経血は意識することでかなりの程度コントロールできると言う話から、身体操作は「意識」の問題で、頭上運搬もやるものだと思ってやったらできたのだと言いながら、軽いものと重いものを同列では語れないと言ったり、3世代経つと復元は難しいと言うなら意識して出来るってのはなんだろうと思わせながら、まあ、前半南の諸島地域の風俗持って来て、後半には今日周辺のソレを語る。
具体的な頭上運搬の身体的な技術には全く触れていないと言ってよく、そりゃ、頭上にものがあるんだから重心を通ってるのは当然だと思うし、筋肉でなく骨で支えるから思ったより重量物は扱えるのだろうが、首とか腰とかへの負担が長い間にどう言う影響を与えるかは全く考慮してなくて、背負う文化の高齢者が腰が曲がるのに対して歳を取っても凛と背筋が伸びてる。
それは美しい。
その美しさは、所作とか精神の美しさにも繋がるはずだ。
センターとか、ゆるんでいるとか突然何言ってんだと思ったが、ゆる体操の高岡英夫さんのお弟子さんかあ。
だったら端からそう言ってくれよ
高岡先生の本は少し齧ったが、胡散臭く感じてしまって、近寄ってない。
それからあなた、スポーツと武道を同列で語るのもちょっと失礼です。
スポーツや武道は趣味で、頭上運搬は生活と人生が掛かってると言うふうなことをおっしゃっていたと思うが、それこそ武道は命のやり取りの果てに残ったものです。武道と武術をきちんと切り分けているのなら申し訳ないが、高岡先生持ってくるあたりでちょっとしんどい。 -
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対談形式にして読みやすくしたのかもしれないけど,学者と学者の,研究の進め方の話になっていって~タイトルの答え乃至仮説はP12「類人猿やヒトの共通祖先は乾燥帯,あるいは森と乾燥帯の境界あたりで生息していて,ヒトの祖先はそのまま乾燥帯に残り,類人猿はモリに入り込んだのではないか。私はヒトが乾燥帯にいられたのは,肉食が始まったからだと思います。移動しながら植物を採集し炊いたのが,動物タンパク質に依存できるように進化したからこそ,乾燥帯で住み続けることができたのではないでしょうか。」~まあ,好き勝手なことをやってきて,それを許す環境があって,金を引き出す能力があって,彼の人生が成り立ってきたような気がするな。父親もほぼ同分野の研究者で,父と呼んだり,伊谷さんと呼んだりで分かり難い。この企画を持ちかけた三砂さんは疫学・母子保健の研究者。京大の霊長類研究所は不正経理や論文捏造で解散されたというのは初耳だ。日本モンキーセンターは名鉄が金を出したらしく,そのほかにも資金提供してくれる会社がいるんだ。へぇぇ。ボノボとピグミーチンパンジーが同じものだと確認できて良かった
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2020年、COVID-19が席巻した世界では次々と社会の歪みが露呈した。そのコロナ期とポストコロナ期に、次世代の若者たちがどう生きるべきかを内田樹をはじめとした様々な年代の言論人たちが語る。
内田さんが声をかけて集まった様々な分野の今をときめく著名人たちがコロナとコロナ後の世界をテーマに執筆しました。内田さんのセレクトだけあってみんなけっこう尖っていて(偏っていて)どれも読み応えのある内容でした。中学生向きということで平易な文章で一編が短いのも読みやすくていいと思います。そしてみんな分野が違うので、コロナ期というものを違う角度から見ているのも面白い。また、分野が違っても結局、多くの著者が今世紀に入ってからの日本の教育が間違っていると言及しているところが内田さんセレクトらしくていいし、実際にその通りだと感じます。
近代に入ってから特徴的なのは膨大な富を得た後に残る負債を残らず次世代に押し付けるところ。これを明確にあぶり出したのがコロナで、コロナがあってもなくても次世代の若者たちは老人たちのケツを拭きながら生きる羽目になります。そのことに若者たちと、おそらく現役世代に含まれる私たちがどう向き合って生きなければならないのか、時代のまさに転換点に生きているということを感じさせる本でした。
特にキューバを例とした無料医療に言及した三砂ちづるさんの章が勉強になりました。ということでゲバラの若き日の旅路を描いた「モーターサイクルダイアリーズ」も併せてお楽しみください。この映画はすごくよかった。本も出てる。
あ、あとバランスを取るために武田邦彦の「君が地球を守る必要はありません」もどうぞ。 -
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少子高齢化社会でも経済成長を続けることは、お米が足りないのにおにぎりをもっと作れって言ってるようなものなのかな。無理よね。
まず、無理を認めること。
それから、資本主義社会の外の世界があることを知り、体験し、その世界の間でバランスをとっていくことが鍵だと思った。
・大切なことを持続させるために、我々はこれまでの手法からの撤退を学ぶべきなのである。
・社会の内と外、此岸と彼岸、文明と自然、常識と非常識などなど、二つの原理を行ったり来たりすることで、問題を「なんとなく」暫定的に解決する。これが地に足を着けることである。
・現代における下野とは、他社のニーズを全く気にせず、とにかく徹底的に主観を認めることだと言えます。
・僕らが生きている時間の中には、大きく分けて二つの相があります。ひとつは必ず前に進む「文明の時間」、もうひとつは循環し回帰する「自然の時間」です。猫には、循環する時間だけが流れているのです。彼らにら「進歩」の概念がない。
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斎藤幸平さんの名前があったので読んでみた。
一番心に残ったのは平川克美さんの文章だろうか。会社勤めするようになって当たり前のように見聞きしてきた経済合理性。原価を絞り、無駄を排除して、より低価格の製品を提供する。お客様の要望に応え、お客様が期待する以上の価値を生み出すこと。製造業をはじめ、経済はそのようにして成長するものだと思っていた。
しかし、現在は総供給が総需要を上回っている状態。必要ないものを売るための広告やマーケティングなど、ブルシットジョブ(この本で言及してる人の多いこと!)が蔓延し、限られた利潤を確保するために「集中と選択」という言葉に現れるように、偏った資源配分をし、競争優位性のない部門は排除すべきとの考え。この競争優位性、経済合理性といった考え方は、巨大企業や金融市場が成長を続けるために流布されたもの。これが人々の価値基準や判断基準のモノサシとなり、格差やブルシットジョブを生み出すことになった。コロナ禍はその脆弱性を露呈させた。無駄を排除した結果、緊急時の備蓄がない、余剰人員を持たない保健所や医療現場、高齢者より若者を優先すべきだとの優生思想。さらに、経済かコロナ対策か、という議論自体が、経済合理性というただ一本のモノサシで語られているということ。
大学生活が単に勉強をすること、即ちオンライン授業さえ受けていれば事足りるのとは違うということもコロナ禍で見えてきた。
仕事とは何か、大学とは何をする場なのかを再考する機会を持とう、社会で当たり前とされる考え方、メディアの喧伝するものに次第に染まってしまう危うさを意識するようにしよう、そう思った。