エラリイ・クイーンのレビュー一覧
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こういう偶然に思える出来事が一連の殺人計画の一部だったというのは面白くないわけがない。マザーグースの歌詞の通りに人が死き、それが果たして偶然なのか何者かの意志によるものなのかについてエラリーも確固たる証拠をなかなか示せなかった。これが館や孤島ではなく、町という比較的広い範囲での出来事だからこそ、デイキン署長も偶然としか思っていなかった。作品を通してエラリーは事件の中に散らばる点を点線で繋いでいたが、それが終盤になって実線で繋がったときはたまらなくワクワクした。十日間の不思議と九尾の猫はそこまで好きではないが、災厄の町、フォックス家の殺人、ダブル・ダブルはライツヴィルシリーズでかなり好きである。靴に棲む老婆にも期待したい。
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ネタバレ決闘の介添人を頼まれたエラリーは、銃の実弾を空砲にすり替えることで流血沙汰を回避しようとする。しかし何者かによって再び実弾にすり替えられ、片方が死んでしまう。弾丸をすり替えたのは誰なのか。遅々として捜査が進まない中、さらなる事件が発生する。
引き鉄を引いた人間はわかっているのに、被害者を死に至らしめた犯人はわからないという状況が絶妙。登場人物の癖の強さはシリーズ屈指。レギュラーメンバーの警視やヴェリーも大活躍。ヒロインのシーラも、ラスト含めて素晴らしい。
捻れた事実を解きほぐして真実に辿り着く過程が爽快。特に、サーロウのチャーリーに対する「殺してやる」の意味に驚嘆。 -
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さすがのエラリー・クイーンと言いたいですが、今回はさすが以上に良かった!
山火事に閉じ込められるのはいかにもミステリにありそうな展開ですが、ここまで死んじゃいそうなところまで追い詰められるのは、クイーンでは珍しいかと。スリルとスピード感に満ち溢れていて、一気に読めました。
構成のうまさには定評があると思いますが、こういうスペクタクル感もあるんですねー。
幕切れがごくスッキリしてるのも、良き。ちょっと作風が変わったかと思うくらいの新鮮さでした。エラリーは大概おしゃべりが長いのですが、火事のことでアクション対応的な部分が多かったのと、いよいよ、というときに皆の心のことを考えていたのが、わ、エラリーってそんな良い人だったの?と。同じ人が書いてますか?というくらいエラリーシリーズの中ではやや異色だったと思いますけど、個人的には◎。ごちそうさま。 -
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ライツヴィルものの第4作目。クイーンは、執筆中だった「インド倶楽部の秘密」でやろうとしたプロットをクリスティの「そして誰もいなくなった」に先を越されてしまい、そのプロットを「ダブル・ダブル」で使ったといわれている。
ニューヨークのエラリーのもとに届く匿名の手紙。郵便物はライツヴィルで起きる事件の新聞記事だった。病死した隠者、自殺した億万長者、失踪した飲んだくれの物乞い。そこへ父親の失踪を調べてほしいと魅力的な娘リーマが訪ねてくる。エラリーがライツヴィルを訪れ、事件を調べるうちに関係者の死が続き、この事件がマザーグースの童謡に合わせて起きていることに気づく。
この話の前半の主役は妖精のように魅力的なリーマである。飲んだくれで物乞いの父の失踪事件をエラリーに依頼してくるのだが、山の中の掘っ立て小屋で、元教師の父親に大事に育てられたがゆえに、世間知らずのピュアな面と英文学に通じた知的な面が混じり合うオードリー・ヘップバーンのような女の子なのだ。当時の理想の女の子像なのだろう。エラリーは貧しい服を着た彼女をヘアサロンやブティックに連れて行って「プリティウーマン」のリチャードギアばりに彼女を生まれ変わらせる。エラリーもこの子にやられてるのかと思ったが、洋服代などは貸すと言っているので、そこはグダグダにならずしっかりしている。
後半は事件と謎解きが主役だ。エラリー・クイーンは犯人逮捕のシーンにこだわる作家である。そして最後まで読者を引っ掛ける。そして、いつものことながら状況証拠しかない、一か八かという危なっかしい謎解きをするのだ。
「ダブル・ダブル」とは、物事には「いつだってふたつの可能性がある」というエラリーの新しい考え方から来ているようだ。推理手法に悩んでいたエラリーが見つけたモノの見方としてコインに2つの面があるように何にでも2つの面があるものだということだ。そしてそれがこの事件の謎を解く視点にもなる。 -
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劇的な終幕を迎えた「十日間の不思議」(1948)に続く1949年発表作。単なる〝思考機械〟から苦悩する探偵へと様相を変え、円熟味を増したエラリイ・クイーン中期を締めくくる傑作だ。
正体不明の連続殺人鬼にマンハッタンは震撼していた。何れも絞殺で、犯行には絹紬が使われていた。性別や人種、年齢や家庭環境に共通点はなく、動機も解明されない。新聞は過激な記事で恐怖を煽り、殺人鬼を〝猫〟に見立て、新たな犠牲者をその尻尾に付け加えた。すでに尾は五つ。市民らは自警団を作り、不甲斐ない警察と市政を批判。父・リチャードに懇願されて捜査の陣頭指揮を取ることになったエラリイは手掛かり皆無の連続殺人事件に着手するが、まるで霧の中を彷徨うが如く事件解決への道は八方塞がりだった。
舞台をニューヨーク/マンハッタンに絞り、大都会の喧騒を織り交ぜつつ、格差や人種差別などの社会の闇もしっかり描いており、発表当時はかなり刺激的な作品だっただろう。
論理的思考を駆使した前期傑作群を彷彿とさせる渾身の一作であり、よりダイナミックな展開で人間の心理/闇を照射し、罪と罰の在り方をも掘り下げている。サイコパスによる無差別連続殺人に打ち震えるマンハッタンの狂騒、探偵クイーンの苦悩、殺人者にまつわる暗い過去、終盤で辿り着く重い真相はミステリ作家として成熟の極みにあった証左だろう。後に席巻するサイコキラー物の先駆的作品としての価値も高い。精神分析を巧みにプロットに絡ませるロジックは見事に昇華して、大きく畝り、読者を圧倒する。或る意味必然的にこの悲劇的な結末を取らざるを得なかったクイーンの達観。結末も深い余韻を残す。 -
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ネタバレライツヴィルで二人の男が死に、一人が失踪した。エラリーは失踪した男の娘リーマに請われ、捜査のためにライツヴィルに赴く。三人に関係する人々を当たったエラリーは、一連の事件は童謡になぞらえた見立て殺人であると睨む。最初の三人は「金持ち」「貧乏人」「物乞い」、新たな犠牲者は「泥棒」「医者」「弁護士」「商人」、そして最後の一人が「チーフ」だった。
仲人役がすっかり板についたエラリー。警視や部下たちは登場せず、エラリーがデイキンやリーマとともに関係先を訪れる中で次々と殺人が起こる。「チーフ」の言葉が出た段階で結末は予測できたものの、それでも捻りが効いている。ライツヴィルには苦い思い出ばかりが溢れているのに、なぜこれほどまでにエラリーを惹きつけるのだろう。
作中でエラリーが口にする「これが人を人でなくチェスの駒として考えた結果か」というセリフ。初期の国名シリーズでの人物の描き方への自己批判にも見えて興味深かった。もはやエラリー・クイーンは、登場人物を一人の人間としてしっかりと描いている。 -
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ネタバレ『九尾の猫』の前日譚にあたるこの作品は、エラリーが塞ぎ込み今後捜査には一切かかわらないと心に決めるきっかけとなった事件。
記憶障害に苦しむ旧友ハワードに頼まれ、三度ライツヴィルを訪れたエラリー。ハワードは、父ディードリッチと、自分と同年代の若い継母サリー、意地の悪い叔父と四人で暮らしていた。一見平和に見える家庭だが、複雑な問題を抱えていた。短い滞在の中でエラリーは、ディードリッチがハワードの実の父親ではないこと、ハワードとサリーが恋仲になっていることを知る。そしてハワードとサリーの不貞が何者かの知るところとなり、恐喝されているということも。
エラリーは二人に、正直にディードリッチに打ち明けることを忠告するも、二人は聞く耳を持たない。結局押し切られたエラリーは二人に協力して恐喝者とのパイプ役を務めることになる。そうしている間にハワードの記憶障害は悪化し、ハワードはサリーを殺してしまう。エラリーは、ハワードの行動がユダヤ教における十戒を破る十の罪を体現していると指摘し、その事実を突きつけられたハワードは自ら命を絶つ。
しかし真相は、全ての出来事はディードリッチにより計算尽くされていたというものだった。ハワードとサリーの不貞を知り復讐を誓ったディードリッチは、十戒になぞらえてハワードを罠に嵌める周到な計画を練った。皮肉にもそれは、エラリーならそのことに気付くと踏んでのことだった。エラリーはディードリッチの目論見どおりの行動を取り、ハワードを死に追いやったのだった。
この作品のポイントとしては、エラリーの存在が完全犯罪を完成させてしまったこと、罪を立証することがすなわちエラリー自身の失敗を認めることになること、そして著者自身がエラリー・クイーンの弱点を鋭く突いている点だろう。 -
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ネタバレニューヨークで発生した連続絞殺事件。被害者に共通点はなく、捜査は難航する。そんな中、市長直々に特別捜査官の任務を拝命するエラリー。一人また一人と犠牲者が出る中、分かったことはターゲットの年齢がどんどん若くなっているということだけ。
遅々として進まない捜査に業を煮やした市民は自警団を結成、混乱状態に陥ったニューヨークはさながらゴッサムシティ。
エラリーはついに、犠牲者たちがみな同じ産婦人科医カザリスによって取り上げられていたことを突き止める。カザリスは、犠牲者の近親者として警察に接近していた人物でもあった。逮捕されたカザリスは全てを自供するが、実は一つ目の事件の際にはアリバイがあった。カザリスは妻を庇っていたのだった。カザリス夫妻は二度、子どもを分娩室で亡くした過去があり、そのときの産婦人科医はカザリス自身だった。夫人は子どもを失ったショックから、「なぜ夫は他人の子どもは取り上げることができるのに、自分たちの子どもはできなかったのか」という思いに囚われるようになり、カザリスが取り上げた子どもたちを順に殺害していくようになったのだった。
クイーン作品は限られた範囲内に容疑者候補がいて、論理的な推理と消去法を駆使して犯人を突き止めるのが基本スタイル。なので、このような劇場型無差別連続殺人は珍しい。ある大御所作家の名作を想起した読者も多いはず。実際に、この作中でもその法則について言及されている。
犠牲者の女性はなぜみな独身なのかという点が、カルテと電話帳を照らし合わせてターゲットを探す際、結婚すると姓が変わり見つけられなくなるから、というクイーンらしい論理的な推理には脱帽。
犠牲者やその近親者は無辜の市民で、それだけに事件に巻き込まれ悲しみに暮れる様子に胸が痛む。登場人物を単なる推理の駒以上に描くエラリー・クイーンの技量がなせる業。
犠牲者の近親者であるセレストとジミーも魅力的なキャラではあるものの、自分から申し出ておいて自分勝手なことを言うジミーは正直あまり好きになれなかった。 -
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ネタバレライツヴィルシリーズのエラリーは、感情豊かで心優しい青年。エラリーの心の動きも言葉ではっきりと書かれているので、それがしっかりと読者にも伝わってくる。そのため、前作に引き続きこの作品もどこか憂いや悲しみが漂っている。
ほんの些細な好奇心が、大切な人の命を奪い、大切な人の人生を奪ってしまった。それを何とか隠し通そうとするエラリー。残酷な事実を覆い隠すために吐く優しい嘘。それでも、真実を希求するものにはきちんと伝える信念を持っている。
推理小説としての要素の部分で言えば、「毒は誰が、どこに仕込んだのか」という点が最後まで残る謎となっている。エラリーは事件現場を舞台に、当時の状況を詳細に再現していく。水差しに残されたぶどうジュースのすじをめぐる実験などが特に興味深かった。
この作品の中で一番胸にきたのは、戦争を終え心に傷を負って帰還したデイヴィーの苦しみだった。PTSDやサバイバーズ・ギルトなどの概念がまだ確立されておらず、他人にはなかなか理解してもらえないのがもどかしくて苦しい。妻のリンダやその家族は理解しようと力を尽くすが、どうしてあげたらいいのかわからないというまた別の葛藤を抱くことになる。そういった中での一縷の望みがデイヴィーの父の無実を証明することだったので、エラリーは真実を捻じ曲げたのだろう。デイヴィーが抱えたこの苦しみは、フィクションと言えど間違いなく実在した誰かのもの。ベトナム戦争から帰還した兵士もそうだったはず。デイヴィーがリンダを手に掛けようとしてしまったのは父のことがあったからではなく、実は潜在的な部分で自分が母を死なせてしまったことを自覚しているのでは、と空寒くなった。
若い夫婦を含むフォックス家の今後が、町のお節介連中にかき乱されることなく穏やかなものであってほしい。
国名シリーズファンとしては、父親を便利使いするエラリーが見られて安心。 -
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ネタバレ主人公は国名シリーズと同じくエラリー・クイーンで、作家で警視の息子という設定は共通している。だがこちらのエラリーは、皮肉屋で理屈っぽい国名シリーズのエラリーとは異なり感情豊かで思いやりがあり、ロマンチスト。さらには武闘派でもある。だからこそ、残酷な運命に翻弄される一家の悲しみがエラリーを通してダイレクトに伝わってくる。
舞台となるライツヴィルはセント・メアリ・ミードのような、隠し事など決してできない小さな町。町の名士であるライト家をめぐる騒動は、ローマン・ホリデーよろしくあっという間に拡散する。口さがない人々はただ陰口を叩くだけでは飽き足らず、それが正義とばかりにまるで集団ヒステリーか魔女狩りのごとく一家を迫害する。ライト家に世話になるエラリーは当然一家のために戦うが、アウトサイダーであるエラリーもその迫害にさらされ、疑惑を持たれてしまう。町の人々に後ろ指を指されることで、一家はジムの無実を証明するために一致団結する。
最終的にエラリーは事件の真相に辿り着くものの、とてもではないが晴れやかな結末とは言い難い。娘を失い、それでも娘の忘れ形見である孫を育て上げることを使命として生きていこうとするジョンとハーマイオニー夫妻、自らの運命を受け入れて口を閉ざすジム、真相を胸の奥にしまい込み生きていくことになるパットとカートがあまりにも不憫。パットをカートに託し、静かに退場するエラリーは哀愁すら漂っている。
陽気な登場人物も多く、パットとのロマンスもあるにもかかわらず全編を通してまるで靄がかかったように薄暗く夢の中の世界のよう。約500ページの長編ということもあり、自分自身もライツヴィルの町にいるような気持ちになる。
国名シリーズよりも人間ドラマに重きを置いた作品なので、本格好きの読書には少し物足りないのかなと思うが、クリスティ好きの私には最後まで楽しく読むことができた。 -
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大富豪ヨーク・ハッターの死体が港で発見されるところから物語は始まる。何度も命を狙われる盲目で聾唖の長女ルイーザ、そしてハッター家の支配者であるエミリイはマンドリンで撲殺される。
ドルリー・レーンを探偵役とする「悲劇」4部作のうち、前作『Xの悲劇』に続く第2部。
以前読んだことがあるが、凶器がマンドリンということしか覚えていなかったので再読。
ドルリー・レーンが警部と検察官に事件の概要を説明している時の悲痛さが徐々に増していく雰囲気がとても印象的。『Xの悲劇』の続編だから『Yの悲劇』と言うタイトルなんだろうけど、物語に出てくる「これはまさに『Yの悲劇』だ」というレーンの言葉に深く頷いてしまう。