與那覇潤のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
ネタバレタイトルに惹かれて買った人は、あれっ てなる内容。
著者は狙ってつけたタイトルだと認めている。
しかし、副題も全然違うぞ。
本書は日中文明衝突を書いたものではない。
本書の言う「中国化」とはグローバル社会・自由競争・実力主義・格差社会化のことで、これは中国ではすでに宋代に実現されていた。(ヨーロッパは20世紀になっても王制の残る遅れた地域であった)
対する日本は江戸時代の封建的な社会を維持し、1990年頃までその伝で来た。その後ようやくグローバル化すなわち中国化の時代がやってきたのだが、日本人はやっぱり江戸時代回帰志向が強い。終身雇用や家族制度の崩壊した状態でもはや江戸時代方式は無理なのだが……。
日本は議会制民主主義や人権があるからいいと思っている人がほとんどだが、実はみんなその本質を理解しているとは言い難く、ポピュリズムに踊らされてそれらを簡単に手放し、北朝鮮化する危険が大である。
右でも左でもこの本を買いそうな、政治談義好きな人々の怒りを喚起することがいっぱい書いてある。
著者の書きようは、もちろんそういった人々を冷やかし、無知ベースで政治的主張をやめ、もう少し勉強して考えようねという事である。
個人的には
冷やかし口調が大変不快であった。右を揶揄し返す刀で左も斬る というまあ公平な話ではあるけれど、あれは無知これは浅はかという扇情的なところが気になった。
著者は研究者であって、書いてある内容はなるほど嘘はなさそうで、日本の来し方のおさらいと為になる新知識もいくらかあったのだけど、全体に浅い……人の著書を基に構成してあって、深い研究ではありません。歴史や政治が専門ではなく、評論家的な言説である。ジャーナリズム的というのかな。私でも、それは言いすぎだろう……という箇所が多々見受けられました。
しかし、一面的な理解で盛んにせこい政治談義をしてる人にはやっぱり読んでもらいたい本だし、何も知らない若い人が日本の現状(とその歴史の流れ)を手早くつかむためには良い本だと思う。
日本人の自由主義の法治国家の構成員として民度が低すぎる、江戸時代回顧というあたり、人の損が自分の得になるという百姓根性、その他諸々うなずけるところも、情けないながら大変多かった。 -
Posted by ブクログ
対談に名作なし、は読書家の定評(?)だが、池田信夫ということで手に取ってみた。
対談のもう一方の相手の與那覇潤は、『中国化する日本』という本を書いた気鋭の歴史学者らしい。池田信夫も学者といえば学者なので、学者系の対談にあるようにやたらと文献が出てきて、あの本の中ではこう言われていた。あれはこう解釈することができる、といったような対談にありがちな流れになる。丸山眞男とかドゥルーズ、マックス・ウェーバー、サンデルも出てくるし、『失敗の本質』も出てくる。この辺りはある程度知識はあるので付いていけている気がするが、そもそも『中国化する日本』を読んでおくべきなのかもしれん。
副題に、「変わる世界、変わらない日本」とある。対談が行われた頃は、民主党政権への失望感が溢れ、原発問題やTPPや普天間の対応がぐだぐだになっていた頃。「決められない政治」が今以上に痛烈に批判されてもやむなしな状況であった。
この「決められない政治」は、明治維新や敗戦を生き延びて江戸時代以前から続く日本人の「古層」から来るものであるとする。つまり「空気」によって支配される共同体が、法=ルールベースの政治や経済の実現を阻んでいるとの見立てである。そのことが、グローバル化において、日本が必然的に地盤沈下していく理由の大きなひとつだとする。
もちろん、ある意味それはひとつの解釈だ。
西洋化も歴史上先行したというものでなくひとつの類型であり、中国もひとつの類型、そして日本もそのひとつだと。経済成長はこれまでの産業革命などの説明と違い、資本蓄積が進むと成長し、やがて止まり人口増加以上の成長が望めなくなるというルールに結局したがうのだというのが著者らの視点だ。
フランシス・フクヤマの『歴史の終わり』からタイトルを取ったということだが(歴史=世界史)、「日本史」(そういう意味で教科の日本史とはちょっと違う)はもはや終わるべきだがなかなか終わらない、というのがタイトルが寓意するものではないか。
結局、二人は意見が合っているのかいないか分からんかったな。対談ものは難しい。 -
Posted by ブクログ
池田信夫・與那覇 潤共著。
2人の趣味で書いたでしょって感じの本。
多分1回じゃわからん。
日本史を西洋基準でなく、中国基準で見直しましょう。
それはシステム1(本能的な感情)とシステム2(抑制する機構)の存在で、システム1は全世界が持ってて、システム2は戦争しまくった西洋しかもっていないっていう考え方。
メモ
・約350年間(薬師の変から保元の乱)、「国家の首都で政治的理由による死刑が執行されなかった」期間としては世界最長。
・五十代十国の状態が宋という王朝によって統一されず、中国大陸が分裂したままだったとしたら、ヨーロッパと同じになったかもしれない。
・日本の実際の有罪率は世界平均だけど、検察が有罪・無罪を決めて裁判所はそれを追認するだけというように三権分立になってない。
・日本における反対運動[江戸化](独り占めはさせない)[中国化](法治よりも徳治)
・平和ということはそれ自体に重要な価値がある。
うん、これはもう一回読まんとわかりません。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ・心の病気でクリニックに通い出すと後悔するタイミングがくる。全然治らない、もっとひどくなってるんじゃないか。そんなときに乗り越える手段が対話である。この人ともっと話してみたいと思える人に出会えることが、病気の有無に限らず、今生きることに悩む人の助けになる。
・過去の悪い点のみを何度も反芻して悔やんだり、未来を先取りして不安になる思考より、意識を今ここに集中させて常に現在しかないとするメンタリティが有効になる可能性がある。(ヤンキー的寛容が鬱を癒す)
・愛情と承認の区別 愛は負けても親切は勝つ
愛情は最終的に相手との一体化を望む感情であるため、治療上はイネイブラーの側面があるため歓迎できない。
・承認は相手を自分と独立した個人としては尊重し肯定すること、友情に近い。
本来友達とは条件なしの付き合いのことであるという認識を持ち、人には共感を通して存在を承認してもらう権利がある。
・精神分析の有名な概念エディプス・コンプレックスをはじめとして、精神分析は悩みの原点を本人の家庭環境に見出し、治療していく理論と思われているが、あくまで心の状態を解釈するためのツールであり、鑑別や区分をするための学問ではない。(物語に基づく医療の系譜)
・心が病むのは親が原因だという精神分析の通俗化ぎ、日本では親の抱え込みや否定につながり、逆に当事者を生きにくくしている側面がある。
毒親ブームにより、親子を善悪二元論で割り切る風潮が強くなっているが、単に被害者意識を持つよりも、その気づきを家族との対話のきっかけにできる
と良い。
・標準家族への幻想の息苦しさはすでに現れ始めている。血縁という必然を求めるよりも、偶然出会った人とでも、関係を作り出して一緒にいられる技法の方が大切である。
・引きこもり脱却のカギ「適度なあきらめ」(できないことを認めないと、先に進めない)
・無限の可能性を煽る教育の問題性:子供には成長過程で、自分はこういう存在で、それ以外にはなれないと自然な諦めを獲得していく。それは幼児期の親子関係だけでなく思春期を通して他者との出会いによって繰り返されていく(主体的なあきらめ)
・発達障害が時代を象徴する病のように語られる背景に、産業構造の変化に伴うコミュ力総必修社会の成立がある -
Posted by ブクログ
この本は文芸批評、なんだそうだ。
そしてタイトルの二人は文芸評論の巨人。
江藤淳は聞いたことがあるが、加藤さんは初見。
この本の中に出てくる石原慎太郎やら
三島由紀夫、村上春樹、村上龍はもちろんわかる。
このタイトルの二人は、小説家の著作を批評している。
特に村上龍の「限りなく透明に近いブルー」を
けちょんけちょんに批評している。
そうした文芸評論を通じて、戦後80年を追いかけている。
やたら性的な内容がとりあげられる。
小説、男女の関係ってことでそうなるわけだ。
そうした行動?が世相を反映している。
歴史は動く。
平和に対する考え方、、、
著者がいて、文芸評論家がいて、小説家がいて、、、
多重構造を十分には理解できない中、
書かれている事象を追いかけるような形になった。
なんか不完全燃焼。
ベース・キャンプにて(歴史が消えてからのまえがき)
戦後史の峰に登る
(人間宣言 太宰治『斜陽』;
社会党政権 椎名麟三『永遠なる序章』;
六全協 柴田翔『されど われらが日々―』 ほか)
ヒュッテでの一夜
(「満洲国」のあとで 大佛次郎から村上春樹へ)
現在への坂を下る
(江藤淳小伝;
轟々たる雷鳴に死す 「喪の作業」が消えた平成;
書評 平山周吉『江藤淳は甦える』 ほか)
帰りの汽車のなかで
(終わらない対話のあとがき)