與那覇潤のレビュー一覧
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ネタバレ「「ボードゲームを思想にする」ために」(p3)作られたという本書。その言葉に違わず、「ボードゲームを思想にする」ための数々の試みが、書籍全体にちりばめられており、その切り口そのものが興味深い。
文化人類学者・小川さやかさんの『 ハイソサエティ』論や、歴史学者・辻田真佐憲 さんの『主計将校 』のプレイレポート)など、様々な分野の研究者・専門家がそれぞれのアカデミックな知見と文体で「ボードゲームをプレイする」経験を記述する第2章からは、「ボードゲームを思想にする」ために我々はいかなる言葉で、何を語ることができるのか、という問いを突き付けられる。
また、與那覇潤氏と小野卓也氏の二人が、それぞれに異なる言葉を重ねながら、ボードゲームをプレイすることの「本質」を語ろうとする対談(第1章・第3章)も面白い。與那覇氏が、自身のゲームプレイ経験に基づく経験を分類・整理しながら言語化すると、それが即座に、インド哲学者であり住職でもある小野氏によって、宗教的な実践と結びつけられその実践の意味が重層化されていく。もちろん、ボードゲームをプレイするときの経験を語るための言葉、それを抽象的に意味づけ価値づけるための言葉はさまざまだが、そのひとつのありよう、その可能性のようなものを垣間見せてくれているように思う。
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もっとも印象に残ったのは、與那覇潤「ボードゲームはなにをわたしに考えさせたか――リワークデイケアでの体験から」(第4章)での、「人狼」についての考察だ。與那覇氏はリワークデイケアで何度も「人狼」のファシリテートをしてきた体験をもとに、本来、「遊び」であったはずの「人狼」が「必勝法」の持ち込みによって「作業」になってしまうことを指摘しながら、それを避けるために私たちができることのひとつに、「長くつづけること」を挙げる。つまり、同じメンバーで対面で集まりながら長く続けていくことによって、お互いのことがわかってくること、お互いのことを気にかけあうことで、みんなでみんなが楽しめるようなゲームプレイのありかたができあがってくる――それによって、私たちはもう一度、「人狼」を楽しめるようになる。
與那覇氏は、ここに、「社会思想としてのボードゲーム」の可能性を見出す。
このことは、同じメンバーで何度も何度も同じゲームをプレイする機会そのものが珍しいなか、どうしても見過ごされがちだ。嫌な思いをするプレイヤーがゼロになるように、ゲームシステムのルールを複雑にすることでみんなが楽しめるようにすることが、ベストソリューションだと短絡的に思われがちだ。でも、そんなかたちでファシリテーターに依存しなくても、私たちは、ゲームを自分たち自身で楽しめるようにするための場を、自分たち自身で作り出せるはずなのだ。
ボードゲームが、そんなかたちで、私たち自身がその場にいる人たちと皆で楽しみあえる場をつくる「練習場」になるのだとしたら、そういうプレイの場を易々と放棄するのは、あまりにももったいない。 -
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「目的」は遊びの大敵
という小見出しが出てくるが、この部分こそ本書の中核をなす本質だと感じた。
ボードゲームを知らない人向けの紹介レポートとして、6人の有識者による実際にボードゲームを遊んでみたレポートも収録されているものの、
その部分は付録的なものであり、挙げられているゲームも世の中に無数にあるうちのごく一部でしかない(批判しているのではなく、そもそも良作を挙げたらキリがないし、読書と同様に人によって向き不向きや相性もあるから一概に言えない事情もあるかと思う)。
現実社会においても、
事前に設定された「目的」に縛られてしまった途端におもしろくなくなる、という現象が観察される場面は少なくない。
仕事でも、スポーツでも、過度に「目的」に縛られると単なる作業と化してしまい陳腐化する。
明示的でない、自ら設定する裏テーマがあって初めて生き甲斐に感じることができるのは
多くの人にとって思い当たるところがあるのではないかと思う。
本書は、そうした社会現象の縮図を、
誰か特定の人に具体的な責任を負わせないファンタジーとして追体験できる環境を与えてくれるのが
アナログゲーム(ボードゲーム)である、と指摘する。
あくまでも遊戯(ゆげ)に徹するところに意義があり、
そのことを体験すれば、現実社会における振る舞いを自ら振り返って見直すきっかけにもなる、
と説明している。
実際の感じかたは人それぞれだろう。
それでいいのだ。
コロナ禍を経て加速しているボードゲームブームの背景には、
コミュニケーションの枯渇を補うツールの需要が急激に高まっているのかもしれない。
ボードゲームを単なる遊びで終わらせず、
人生の幸福度を上げるツールとして活用するアプローチを積極的に提案し、その構造を深掘りしながら平易に提示する良書。
とても共感いたしました。 -
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研究者の著者が鬱病を患った経験を書かれています
元々賢かった人のため、本が読めなくなるほど追い詰められる病症がショックだそうでした
自身の知性に自信がお有りのようでしたので、鈍化していく脳により衝撃を受けたのでしょう
テストの結果を受けた結果を比較し、鬱がどれだけ知性にあったか説明されています
周囲が納得して聞いてくれてるのは研究者としての肩書きがあってこそで、社会的地位が低ければ戯言として切り捨てられ誰も聞いてくれなかったと思います
鬱病に対する誤解も項目に分けて紐解いており、下手な医療従事者より余程精神疾患の偏見を減らせれるでしょう
しかもこの解説は文春オンラインで公開されており、誰でも読める親切さがあります
当事者の方でも彼の体験記を読むことで鬱病への理解が深まり、誤解を解くことができるでしょう
本書の時文には著者の熱が漏れており、快方に向かう様はうつ病当事者に心を与えることでしょう
下手なうつ病解説書を読むより、Web公開されている箇所を読むだけでもうつ病への世間の理解が進むと思います
そしてうつ病は未成年の内に掛かるものではないと確信しました
成人で聡明な方ですらここまで転落するのですからら、若いうちに患ってしまえば人生が詰んでしまうでしょう
理解が深まるとともに鬱の絶望の底知れなさを知るでしょう -
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タイトルにある通り「うつ病患者の処方箋」ではなく「うつ病社会の処方箋」。人間価値を語る上でキーワードは「統合性」と語られる本書と、人間は個々が微妙に異なる出来上がりをしていても所詮部分の集合でしか見られていない上に、ほぼ全ての部分とその統合の仕方も外部的な要因(遺伝・環境・進化心理学)だけで決まっているという残酷な現実があるので、どこの部分分解を理解しているとこの残酷な現実を「ハック」出来るのか考えようという橘玲氏のヒット作シリーズとはかなり対照的な内容に感じた(どちらの思考も必要だとは思う)。書籍全体を通してあまりにも広い範囲に話題が及んでいるので特に興味深かった2点だけを引用。
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"斎藤:発達障害の人は「コミュ力が低い」と言われがちですが、この概念もきちんと考え直すべきだと思います。いま、子どもたちの世界でコミュ力と言うと「空気を読んで、人をいじって、笑いを取れる」ことを意味しています。つまり、お笑い芸人がロールモデルになっている。注意しなくてはいけないのは、コミュ力が高いことは、必ずしも共感力が高いことを意味しないんです。スクールカーストを研究している鈴木翔さん(社会学者)は「カースト上位者は共感力が低い」と論文に書いていますね。
與那覇:本当ですか?米国のスクールカースト映画の最高峰である『ミーン・ガールズ』(二〇〇四年)は、たしかにそういう話でしたが……。
斎藤:質問票からデータを取って解析しているので信頼性は高いと思いますし、私はすんなり腑に落ちました。なぜなら共感力が高い人は弱者にも共感するので、「いじって笑い者にする」ことはできなくなるんです。そういう躊躇がない人が、徹底的に他人をいじり続けて笑いをとり、カースト最上位に君臨するのはわかりやすい。つまり彼らはコミュ力は高いけど、共感力は低い。"
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"與那覇:実はデイケアでSST(模擬形式の社会技能訓練)をやっていたときに、忘れられないエピソードがあるんです。患者さんが「働いているときに苦しかった状況」をロールプレイで再現するのですが、どう考えても「病気」なのは患者を追いつめた人の方でしょ、という話がいっぱい出てくる。パワハラ上司とか、モンスタークレーマーとかですね。彼らに攻撃されてうつになるのは「普通の人」であって、ほんとうに治療が必要なのは相手の側なわけです(苦笑)。これって変じゃないですかと尋ねたところ、臨床心理士の答えが振るっていて、「たしかに上司やクレーマーがクリニックに来たら、病気と診断される可能性が高い。ただ彼らはたまたま、いまのところ地位や立場に守られていて〈本人が困難を感じていない〉から、来院せず、病気だと言われていないだけですよ」と。つまり誰が心の病気と呼ばれるのかは、しばしば当人の気質や症状以上に、社会で置かれている環境で決まるわけですね。" -
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またしてやられた、というのが正直な感想である。
著者の本は「知性は死なない」から読み出したが、同書のインパクトが強く、それ以前の本を手に取ることがなかったので、鬱前後で区切ったときに、鬱以前を知らなかった。
しかし、「知性は死なない」でしてやられた感覚はそれ以前のこの本でもまた思い知らさせた。
筋で見方をひっくり返す、という意図は見事に果たされ、「輿那覇史観」をこれでもかと投げつけられた。恐らく、細かな論点はいくつも挙げられるのだろうが、主な論旨を覆すほど反論できる根拠が恥ずかしながら今の私には見当たらない。
そして、最終章の最後で記されている憲法前文の扱い方は、この筋を一通り読むとまた格別の味わいである。
この本の論旨を今の政治状況と並べて見た時に10年経った今でも全く損なわれていないと感じる。
この10年間、色々な人がオリンピックというものに気が向いていただけで、ここに書かれた克服すべき課題は変わっていないのだと思う。
冒頭の鬱前後の記述で気になるのは、鬱後の方が記述に皮肉めいた部分が少なくなった、もしくは弱まったと感じるところだ。
その点については、著者の別の本を読みながらまた考えてみたい。
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自分が適応障害なのでタイトルに惹かれて読んでみました、、が処方箋的な内容ではなかったです。
むしろ色んなシーンで起こる心の問題が、なんで起こってしまうのか社会構造や歴史、人間の特性など色んな角度から語られて説明されている、解説書という感じでした。
1年かけた対談をまとめたものらしいのですが、お二人の知識の幅がすごくて圧倒されました。引用が多いのですが、用語解説が丁寧なので理解しながら読むことができました。巻末の参考文献をお二人がそれぞれあげて解説されている部分も良かったです。さらに知見を深められそうです。
この本で印象に残ったのは、
日本は無宗教と言われているけれど実は、日本教とでも言うべき不文律が強くある。空気を読む、他人に迷惑かけない、など「ちゃんと機能する人間」だと証明し続けることが強いられている。
というところです。一冊前に読んだ「健康で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて」で書かれていたことだなぁと思い出しました。
処方箋的な結論としては、同意ではなく共感・対話、が大事ということかなと理解しました。 -
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ネタバレ通読一回ではまだよくわからないところも多いが、まず一番にお伝えしたいのは、その視点の新しさ。
内容は歴史の話です。日本が中国化してゆくというとても議論を呼びそうなタイトルですが、読み進めると筆者の述べることが分かります。加えてこの本の良いところは、この日本を何とかしたいという筆者の思いが感じられるところです。その熱意のようなものと筆者の論の新しさに感動すら覚えました(ただ本文中では非常にシニカルな文体です)。
まず、日本史の新たな見方について大いに驚嘆。戦国時代とは決してかっこいい時代ではなく飢餓をしのぐために殺し合って食べ物を奪い合っていたという見方。また江戸時代の安定はお上とイエとの相互共存の関係である封建制によって支えられ、さらにこれは相当度に社会主義的であった点。加えてこの江戸時代的な安定は、農家の次男三男などを犠牲にして成り立っており、こうした不満分子が明治維新を起こしたという推測。
このような方は高校ではおよそ教わらない話であり、かといっていわゆるトンデモ話ではなく、論拠もあり納得して読める。
次に面白かったのは中国化の話。
中国の特徴を宋の時代の政策を引き合いに出し、頂点の支配者の下での厳しい競争社会としており、これが現在進んでいるグローバリズムや新自由主義が出てくる遥かに古くから中国で実行されていると主張する点。ここから中国化と述べているのはいわば市場万能主義、厳しい競争社会を意味しており、政治体制が共産主義になるというわけではありません。
更にこうした江戸時代的なるもの(封建制・社会主義的)と中国化(苛烈な競争社会)とが明治維新以降の日本近現代史で揺り動いていた点を現代の西暦2000年代の政治状況まで辿って説明していいます。
右翼とか左翼とか知識人とか、どうにも面倒くさくて胡散臭くて、一般の人のほとんどがシニカルに斜に構え距離を置くものが政治だと私は思います。でも筆者はそうした現状も踏まえて我々が今住む日本をどうにかしたいという思いを持っており、歴史という武器を使って本当にこのままでいいの?或いは、大声をあげている両ウイング(右翼左翼)に、君たちほんとは矛盾してね?と問いかけているように思えます。
巻末に文庫本用のあとがきと宇野常寛氏との特別対談が掲載されており、より彼の考えていることがわかると思います。また参考文献も詳細に記されており、今後の読書の参考になります。政治好き・歴史好き・小難しいのが好き・日本の将来が心配な人等々には是非お勧めしたい本です。 -
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ひきこもりからポストモダン、ラカンを語り、現在はオープンダイアログを実践されている斎藤環氏と歴史学者の與那覇潤氏の対談本。與那覇氏は双極性障害で入院し、その体験を書籍にもしている人。何かの雑誌で対談を続けた物を編集したものかと思ったが、いわゆる語りおろしを加筆修正したもの。両者とも指向性が似ているのか、話が尽きない。これまでの両者の指向性が最終章のオープンダイアログの話に集約するが、ここにコミュニズムを絡めて語るところが味噌であった。ポストモダンやラカンなど難解な思想を絡めて語り合うので、ついていくのに骨が折れた。用語の脚注は豊富であるが、おそらく基礎知識がないと、この脚注だけでは不十分だろう。
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安易な最近の「中国化」という言葉につられ、つい手にした本であったが、歴史を振り返り、未来を考える意味において必読。
著者曰く、世界で最初に「近世」に入った地域は宋朝の中国だそうだ。(東洋史家の内藤湖南も宋代以降を近世)
宋に於いては、貴族制度を全廃し、皇帝独裁政治を始めるが、経済、社会を自由化。
科挙、殿試、郡県制、青苗法、朱子学。
火薬、羅針盤、活版印刷。
宋で導入された社会の仕組みが、実は全世界でも現在まで続いている。
日本は唐までは中国から学んでいたのに、何故にそこからは学べなかったのか?何故グローバル化できない?
日本史をこの観点から現代まで語っている本。小泉政権まで語ってくれているので後半も楽しめた。
始まりは、西日本に中国宋商人が出没し平清盛が中国宋システムを導入しようとするが、これに対し関東坂東武士の源氏は現在利権を主張反対。
中華文明と日本文明の衝突。
メモ
欧州において、人権概念の基礎は、中世貴族の既得権益から始まる。下位身分のものと分けあっていくプロセスで生まれた。
現在中国について、宋朝の時代に特権貴族なんかなくなっているわけであるから、人権の概念は薄く市民革命なんて起きるわけがない。
日本人の好む陽明学について...動機だけみて結果を考えない。妥協知らず突き進む。正は正とする。(廃仏毀釈、靖国史観、征韓論)
戦後の絶対非武装主義は戦中の1億玉砕思想の裏返しともなる。
中国→文官優位の社会。
よい鉄は釘にならぬ、よい人は兵にならぬ。
世界普遍的な道徳の体現者としてふるまう。
しかし、アメリカニズムに相当する普遍理念がない。
太平洋戦争は日中戦争とそのオマケ
漢字とコーランは最古にして最強なモジュール製品である。
「封建遺制」他人の得は自分の損と思い込む百姓根性